表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/61

それから、十年後




 今日は大志の、十歳の誕生日。 ・・・・・そして、惣一朗の命日でもある。


 夕方、一人の見知らぬ男性が、高倉家を訪ねて来た。


「ご免ください」

「はい、どちら様?」


「岡部と申します。以前、高倉少尉にお世話になった者です」

「少尉って・・・・・、栃木の時の?」


 たまたま近くに居たお勝が、玄関先に立つ岡部を見て、

驚いた表情をした。


「はい、少尉にお線香をあげさせて頂きに参りました」

「それはわざわざ・・・。さぁどうぞおあがり下さい」



*******************************



 ・・・・・線香の香りに包まれた室内で、岡部は静かに、

山中での事件の真相を語った。


 陸軍が田原の件を隠すかの様に、

惣一朗の『死の真相』を明かさなかった訳を・・・・・。


「・・・・・そんな事があったのですか・・・。

陸軍の使いの方は遺品と骨壺だけを渡して、

何も答えてくれなかったんです。


 きっとすぐに、近くで起きた秩父事件のせいで、

話せない事情があるのだとばかり思っていたのに・・・・・、

そういう事だったのですね・・・・・」


「申し訳ございません」


 岡部は深々と、畳に頭を擦り付けて謝った。


「頭をあげて下さい。あなたのせいではありませんよ」

「ですがあの時、自分より、高倉少尉が助かるべきでした。

 あんな立派な方を、私は見た事がありません」


「ありがとうございます。惣さんはどこにいても人気者なのね」

「・・・・・、お子様は、ご無事にお生まれに?奥様も?」


「ええ、今年で十歳になります。元気な男の子で、

惣さんそっくりですよ」


 そう告げたお勝は、とても穏やかな顔をしていた。


「岡部さん、どうしてもっと早くに、

訪ねて来て下さらなかったんですか?」


「勇気が・・・・・、少尉の奥様に会う勇気がなく、命日が来るたびに、

あの日の少尉の姿が思い出されて・・・・・、気が付けば十年、

経ってしまいました」


「そんなに・・・・・、向こうでも惣さんは志乃の事を?」


「はい、『妻が全てだ』と、おっしゃっておいででした。

 とても強く、皆の憧れだった方が奥様の手紙に

耳を傾けて、何度も『可哀想に』とおっしゃっておられたのが、

自分には忘れられません・・・・・」


「そう、そうですか・・・・・・」

 お勝は目頭を熱くさせて、顔を手拭いで隠した。


「少尉をお帰ししたかった。こんな風に死んでいい方ではなかった。

 天は余りにも非情すぎます」


「ありがとうございます。話を聞けて良かった。

 惣さんは優しくて・・・・・、本当に心から愛し合っていたのね」


 お勝は涙を堪えきれず、手拭いで目元を隠しながら、

声を震わせて答えていた。


 岡部も男泣きをしながら、自暴自棄な言葉を口にした。


「どうせなら、妻子の居ない私が、代わりに死ねば良かったんです!」

「それは違います!」


 お勝は岡部に向かって、即座にピシャリと言い切り、

岡部は驚いて、泣いていた顔をあげた。


「惣さんがあなたの命を救ったのなら、天寿を全うするまで、

けして死ぬことは許しません。惣さんもそれを望んでいるはず、

あの人はそういう人よ」


 泣いていたはずのお勝の顔は、威厳に満ちて、その面持ちはまるで、

高倉少尉に言われているような錯覚を、岡部は覚えた。

 それからお勝は、優しい口調で語りだした。


「岡部さん、あなたは惣さんと志乃の為に、

十年も苦しんでくれたのね、優しい人だわ。

 でも、もう十分ですよ。後は私が引き受けます。

 もうご自身の人生だけを考えて下さい」


「高倉さん・・・・・自分は、自分は・・・・・。

 せめて、少尉が奥様の手紙を読んだことを、奥様に伝えさせてください」


「いいえ、それはいけません」


 そう言うと、お勝はしばらくうつむき、そして遠い目をしながら


「事実がいつも、救いとは限りません。

遠い記憶を蒸し返すより、懐かしむだけの方が、幸せな事も

あるんですよ。あの娘は、変わってしまったから・・・・・。

 この話はいつかあの娘に話せる日がきたら、私から話しましょう」


「・・・・・分かりました。では私は、奥様にはお会いせずに帰ります」


 岡部は、居間の片隅にそっと置かれた

微笑む惣一朗と志乃の婚礼写真を眺めて、

少尉がこの家で、まだ『過去の人』ではないことを悟った。


*****************************


 それからしばらくして、お勝に別れの挨拶をし、

岡部が玄関を出ようとした時、「ガラガラッ」と大きな扉の開く音と共に

「ただいま!」と元気のいい男の子が、家の中に飛び込んできた。


「おっとっと!」

 岡部は男の子を受け止め、自分を見上げた

その子供の顔を見て、息を呑んだ。


「少尉・・・・・!」


 岡部は驚きと共に、一気に涙で瞳がにじんだ。

 その少年、『大志』はそれ程まで、

惣一朗の面影をはっきりと映し出していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ