最期の許し
・・・・・高倉家から、惣一朗の姿が消えて一年、
重蔵は古希を目前にして、体力もずいぶんと衰え、
床に伏せがちになっていた。
時折帳簿に目を通すことはあっても、すぐに疲れが出てしまい、
商いのほとんどを妻のお勝に任せる様になっていた。
「あなた、お加減はいかがですか?」
「ああ、今日はだいぶいいようだ。たまには庭に、出てみるとするか」
そう言うと奉公人に頼み、床を上げると縁側に椅子を用意してもらい、
今までほとんど見る事のなかった、自宅の庭を眺めた。
「秋か・・・。もう一年も経つのか・・・、早いものだな」
「そうですね・・・・・」
「・・・・・お前には、随分と苦労を掛けたな」
「どうなさったんです?珍しい事を」
「ふふっ、わしも齢かのう、・・・大志は起きておるか?」
「連れて来ましょうか?」
「ああ・・・、眠っていたらよい。あの子も元気によく育ってくれた」
「本当に・・・このまま何事もなく、大きくなってくれれば・・・・・」
二人は紅葉がかった庭のもみじを、しばらくぼんやりと眺めていた。
急に重蔵が『重蔵』らしくもない事を口にした。
「・・・わしを恨んでおるだろう?」
お勝はとっさに返す言葉が見つからず、黙ってしまった。
「知っておるのだろう。惣一朗君の出兵の理由を・・・・・」
「さぁ、何のことでしょう」
「・・・お前にはいつも助けられた。
なのにわしはお前を無理矢理に妻にした。・・・すまなかったな」
「本当にどうしたんです?あなたらしくもない」
「・・・お前を幸せにしてやれなかった・・・・・。そして志乃も」
お勝の胸はチクリと痛んだ。・・・・・、後悔がないと言えばうそになる。
だがもうそれは過ぎ去った過去。
今は目の前にあるすべてを、この身に代えても守るとお勝は決めたのだ。
「いいえ、私は幸せでしたよ。ずっと幸せでしたよ」
そう言って、重蔵の隣でニコリと微笑んだ。
重蔵にとって何十年ぶりに見る、母親ではない
『妻』としての、お勝の笑顔だった。
「そうか、ならばいい・・・」
「大志を連れてきますね、待っていてくださいな」
お勝はいたたまれず、母屋から大志の居る離れへと向かった。
一人、残された重蔵は、しずかに庭を眺めていた。
「・・・・・惣一朗君、すまなかった。
代れるものなら、わしが何十回でも代わりに死んでやりたい。
君を失うのが、これほど辛いとは・・・。
志乃から君を奪ってしまった・・・、わしを許してくれ。
愚かなわしをどうか許してほしい・・・・・」
庭のもみじの木漏れ日が、重蔵の頭をゆらゆらと照らし、
まるで惣一朗が優しくなでてくれているかに、重蔵は感じられた。
これ程美しい光景が、自宅の庭にあったのか。・・・気が付かなかった。
重蔵は商いの事ばかりで、自分の周りにあまり目を向けてこなかった。
ああ・・・世界はなんと美しかったのか・・・・・。
葉が一枚落ちる・・・。ただそれだけの事が、
なんと心に染みるのか・・・・・。
不思議と、重蔵の心は静かになった。
あれ程燃えたぎっていた情熱も、惣一朗を失ってからの絶望感も、
この静けさの前では全てが無であった。
重蔵は深く息を吸い、そして吐いた。
椅子に体を全て預け、庭の自然と一体になった錯覚を覚えながら、
ただ深く息をした。
しばらくして、廊下を渡って大志を連れたお勝が、
重蔵の元へ戻って来た。
「あなた、ちょうどお昼寝から目覚めたところで、
大志はご機嫌ですよ!抱っこしてあげてくださいな!」
重蔵は眠ってしまったのか、何も答えない。
きゃっきゃっと声を上げる機嫌のいい大志が、
思い切り重蔵の髪の毛を引っ張った。
「これ!わんぱく坊やね!」
慌てて大志の手を放そうとしたその時、重蔵の頭はゆっくりと傾き、
そのままの姿勢で動かなくなってしまった。
「あなた?」
不思議に思ったお勝が、重蔵の肩を揺すってみたが、
だらりと下がった手は、ひんやりと冷たくなっていた。
・・・・・それはお勝が見た、とても安らかな、重蔵の最期の寝顔であった。




