それぞれの想い (生井村編・終)
宿場町に残っていた惣一朗達は、もう女中の真似をしなくても良くなった志乃の為に、振袖を買いに出掛けていた。初日に見た、綺麗な着物が印象に残っていた惣一朗は、その店に入り、例の振袖を出してもらった。
店の奥で着替えさせてもらうと、やはり志乃にはこちらの方がしっくりときた。
「うん。よく似合っている。いつもの君だ」
「本当!さすが東京の娘さんは何を着ても様になるねぇ」
店の女将も感心して頷いていた。束ねていた髪も下ろし、町娘も今日で終わりだ。
「結構、女中の格好も身軽で好きだけど、着慣れた物の方が落ち着くわね」
雑貨店から出た二人は、途端に道行く人たちの視線の集中砲火を浴びた。
「あれ?惣一朗さん、何か見られていない?もしかして目立っているの?」
「もう隠れる必要はないんだから、堂々としていればいい。さしずめ君は、カラスの群れに舞い降りて来た、一羽の鶴ってところか」
「変な例えねぇ。鶴はつがいでいるものよ。惣一朗さんの方がよほど立派な鶴に見えるわ」
惣一朗の隣でニコニコと笑う志乃は、惣一朗の知る、いつもの志乃だった。
惣一朗は、今回の旅で色々な事を学んだ。重蔵は県令と川路の名を軽々と口にしていたが、知り合いでもないのに、凄いはったりをかまして商談を乗り切った。熟年者の経験からだろう。相手を見て権力者の名前を口にする。田舎では東京の事情が分からない分、余計に効果があるのだろう。過去には大立ち回りもしていたのだろうか・・・・・。
今まで重蔵とは見えない壁があったように感じていたが、今回の旅でそれも思い込みだったと痛感した。逆に壁を作っていたのは自分の方だった。
そして、もうひとつ、はっきりと分ったことがある。
万が一、次に志乃に何かあったら、自分は迷わず相手を殺すだろう。
もはや理性で制御できる自信は無かった。
志乃とつないでいた手の力が自然と強くなる。気が付いた志乃が気にかけてきた。
「何でもないよ。向こうの橋まで歩こうか」
恩川の流れに沿って、二人は景色を眺めながらゆっくり歩いて行った。
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大野屋に宿泊していた客を、生江菊次郎が襲ったと言う噂は、狭い集落の中でたちまちのうちに広がった。そして返り討ちにされて、菊次郎が重傷を負ったと言う噂も。
これには町中がざわめき、噂が噂を呼んで一目、惣一朗に会いたい、感謝したいという人々が連日大野屋に押しかけてきた。今度は惣一朗が部屋から出られぬ羽目になってしまった。
人混みに迷惑そうな重蔵からは
「怪我人の惣一朗君は、東京に帰るまで休んでいなさい。今回の手柄はもう十分にとっているんだ。気にせんでいい。志乃についていてくれ」と言われる始末だ。
これにはかなり気が引けたが、正直嬉しい逗留でもあった。
「窓の外を見て、凄い人の数よ」
「昨日までは何ともなかったのに、誰が言いふらしたんだ。いい迷惑だ」
「さっきお膳を取りに行ったら、女将さんと番頭さんが、尋ねて来る人全員に同じ話を繰り返していたわ。よほど恨みを買っているのね。わからなくもないけど」
「志乃はもう大丈夫?」
「ええ、惣一朗さんのお陰でね」
隣で微笑む志乃を昨日も抱いた。抱くたびに背中の傷が癒えていく気がするのは、少々強引なこじつけかと苦笑していた惣一朗は、この一年間を少し後悔した。
志乃は意外にも自然に自分を受け入れてくれた。
そっちの方には全く興味が無く、今までも口づけをするだけで硬直されていたので、行為そのものが嫌なのだと思っていた。志乃に嫌われるくらいなら、彼女がその気になるまで待とうと決めていた。しかしこれも自分の勝手な思い込みだったようだ。
志乃の肩を抱き寄せて、今日は窓からの景色を眺めて過ごそうと決めた惣一朗は、階段を駆け上って来る足音に気づき、すかさず志乃を部屋の隅に行かせ、木刀を取って待ち構えた。
襖の戸からは女中の声が聞こえた。
「お客さん、いらっしゃいますか!大変なんです。お願いします。来て下さい」
惣一朗は志乃の方を振り代えり、眉を寄せて見た。
志乃は首を縦に振っている。
惣一朗は仕方なく襖を開けると真っ青な顔をした女中が立っていた。
「志乃も一緒においで。一人にしたくない」
惣一朗は志乃と一緒に、女中に連れられて一階に降りて行った。
厨房に案内されると、いきなり土間に倒れて血を流している男がいた。
『菊次郎』だった。
驚いて悲鳴を上げそうになった志乃の口を、慌てて女中がふさぎ、惣一朗は黙って倒れている菊次郎を見つめていた。惣一朗は狼狽している女中に聞いた。
「いつからここに?」
「そ、それが分からないんです。今は女将さんも番頭さんも留守にしていて、私とお花さんと鎌吉さんしか居ないんです。後は買い出しに出掛けていたり、ちょうど休みの時間なので・・・・・・、私が来たときにはもう、ここに倒れていて・・・・・・」
「見つけたのはいつ?」
「お客さんの所に行くすぐ前です。びっくりして・・・・・・!あの、どうしたらいいでしょう。私、恐ろしくて、警察に伝えた方がいいですよね?」
「そうして下さい。そうしないと私が犯人にされかねない」
「あ、そっそうですよね!!」
女中は志乃と惣一朗の顔を見比べると、納得したように慌てて宿から駆け出して行った。
「惣一朗さん、どうなっているの?死んでいるの?」
「多分ね」
志乃は惣一朗の後ろに隠れて菊次郎の遺体をチラリと見た。出来る事なら遺体でも二度と見たくはない顔だった。
それからすぐに二人の警察官がやって来た。田舎でも蒸気船のお陰で、駐在所が出来ていたのだ。
「これは、生江家の菊次郎さんじゃないですか!誰がこんな真似を。あんたか!」
立っていただけでいきなり犯人扱いされた惣一朗は、むっとして否定した。
「犯人ならのこのこあなた達を待っていないでしょう。私が犯人ではないのは、女中さんと彼女が証明してくれますよ」
惣一朗は志乃を指して言った。志乃は警察官にコクコクと頷いた。
「私、こいつにさらわれたのよ。殺してやりたい動機はあるけどやってないわ」
可愛い顔をしてとんでもない事を言う志乃に、警察官はギョッとして志乃を見た。
菊次郎には誰に殺されてもおかしくない動機は、山ほどあった。
警察官は後ろめたそうにお互いを見合うと、菊次郎を板の上に乗せ、台車に引いて運んで行った。
落ち着きを取り戻した女中は、戻って来た他の女中達と一緒に土間の土を掘り起こし、血糊を綺麗に片付け始めた。まるで何事もなかったように土間はいつもの土間に戻り、女中達は夕飯の支度に取かかった。
戻って来た女将や番頭も運ばれていく遺体を横目に、何事もなかったように新しい客を出迎えていた。今までの宿の騒ぎ方にしては、あまりにも静か過ぎた。
しかも、弟が死んだというのに、当主の正嗣も顔を出さなかった。ただ、家を任されているらしい初老の生江家の者が夜遅くに来て、迷惑代として宿にいくらか持参したようだと、翌日になって女中から聞いた。
惣一朗はこの様子に不自然さを感じた。
夕方出回りから戻った重蔵に、昼間の出来事を自分の意見も交えて話した。
黙って聞いていた重蔵も、そうだろうなと疑問も持たずに同調した。
「十中八九、おびき出して白昼堂々、全員でやったんだろう。
今回の騒ぎに便乗して、怪我をして弱っている所をな」
「やはりそう思いますか。では生江家の妻が命令して?」
「それは分からんな。ただ、喜んでいるのは間違いないがな。昨日もわしの所にきたぞ」
「恐ろしいところですね。我々も寝首を欠かれなければいいんですが」
「なに、わしらには何もせんだろうよ。あくまで菊次郎に限ってのことだろう」
「これでわしも、これからは安心して取引が出来る」
「どういう意味ですか?」
「それがな、菊次郎が何かと邪魔をするから、あちこちの店で酒の取引きは出来んと断られて、苦戦しておったんだ。生江家当主よりも菊次郎が怖いとはな。さて、吉報も聞けた事だし、風呂屋でさっぱりして来るとするか」
重蔵は惣一朗と二人で話していた、茶の間の隅から腰を上げると、借りている自分の部屋に戻って行った。
惣一朗は去って行く重蔵の後ろ姿を見つめながら、どんな悪人とは言え、人の死を『吉報』と告げる重蔵の真意に、疑念を抱かずにはいられなかった。
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惣一朗にとって、波乱ずくめの初めての買い付けも今日で終わり、
船着き場には蒸気船が出発する時間になっていた。
重蔵は買い付けた酒樽を人足達に運ばせ、余市と佐助は品物に間違いが無いか、帳簿を片手に忙しそうに船の上で右往左往していた。
志乃と惣一朗は沢山の見送り客に別れを惜しまれ、船着き場で挨拶を交わしていた。いつの間にか人気者になってしまったようだ。出来る事なら今度は普通に来たいものだと惣一朗は心の中でぼやいた。
出発の時間が迫っている中、志乃は自分を助けてくれた女中が、見送りの中にいるのに気がついて、急いで駆け寄った。
「色々とありがとう。助けてくれて感謝しているわ」
「こちらこそ感謝しています」
女中はニコリと笑うと、志乃の耳にそっと耳打ちをして言った。
「菊次郎を殺ってくれて、一生の恩人です」
「え?」
志乃は目を丸くして女中を見た。何を言っているんだろう、私は何もしていない。
余りの勘違いに、口をパクパクしながら声にならない志乃は、汽笛の音で惣一朗に呼ばれた。手を振る女中に後ろ髪を引かれながらも、蒸気船に乗り込み、生井村を後にした。
風に遊ばれる長い髪を押さえながら、志乃がやや暗い顔で惣一朗に話し掛けてきた。
「ねぇ、惣一朗さん。さっき別れ際に女中さんに変な事を言われたの」
「どんな事?」
志乃は嫌な顔をして、先ほどの女中の言葉を惣一朗に伝えた言った。
「それは俺がやったと勘違いしたんだろうな」
「私じゃなくて惣一朗さんを?失礼しちゃうわ。惣一朗さんは私とずっと一緒に居たのに」
「もういいさ、ここには当分来ないだろうから」
意外にも気分を害さず、静かに川の流れを見つめる惣一朗を、不思議そうに見つめながら、志乃にとって死んで当然の菊次郎とはいえ、やはり後味の悪さは否めなかった。
今回の旅で今までにない程の怖い目に遭ったが、思いがけず惣一朗の想いに触れる事が出来た。いつも感じているが今回のことで、惣一朗への想いも一層強くなった。
惣一朗はどう思っているのか分からないが、志乃にとっては心に残る思い出の旅となった。




