振られ女寧々、墓穴を掘る
それからというもの、伊織と話が合った寧々は酒が入っているせいかいつもより気分がよかった。それこそ、大好きな恋人に振られたことも忘れたまま。ある意味幸せな時間が寧々を包んだ。
「なあ、寧々ちゃんはなんでフリーになったん?」
「ええ? それ聞く?」
「寧々ちゃんのこと知りたいから、じゃあかん?」
「ずるい人」
「おおきに」
「褒めてないから」
寧々はグラスを口元に持っていくが、飲む気になれない。せっかく憎たらしい男のことを忘れていられたのに。
そもそもここに来たのだって、大好きな男にぽっと出の女が現れたことで振られてしまったのがやるせなくて、わざわざ足を運んだのだ。
それを今日出会ったばかりの伊織に話していいものなのだろうかと悩む。
「話したくないことなん?」
「んー……。ちょっと、ね」
含みを持たせて答えた寧々に思うところがあったのだろう。さすがにそれ以上深く追求することはなかった。
伊織という男は、話していてとても面白い。寧々の周りにはいなかったタイプだし、こんな美男子を見たら女の子達は放っておかないだろう。
なんてことを考えながらお酒を飲んでいると、黙ってしまった寧々を不思議に思った伊織がぐっと身体を寄せてきた。
「どうしたん?」
互いの腕がぶつかる。それでも身を寄せてくる伊織に嫌悪感は抱かなかった。
「寧々ちゃん、大丈夫?」
本当に心配してくれているのかは分からない。
ほんのりと漂うアルコールの匂いは、それでも嫌じゃなかった。
今なら伊織に言えるかも。ほどよくアルコールが身体に回ったせいなのかもしれない。
「清水さんはさ、彼女がいるのにほかの女の子と浮気したりする?」
突然話題を変えた寧々に、伊織は瞬いた。
やがて、首を振って「そんな不誠実なこと、せえへんよ」とグラスを煽り静かに言った。
「普通はそうだよね。清水さんもおんなじでよかった」
「なに? 元彼くん、浮気したん?」
「浮気どころじゃないよ、相手の人を妊娠させたの! まったく、信じられないよね。あんなに大好きだったのに、一気に冷めた」
思い出したらムカムカしてきたので、寧々はグラスをぐっと掴むと一気に飲み干した。
寧々の飲みっぷりを見て「無理したらあかんよ」と軽く宥めたのは、ほかでもない伊織だった。
「ここで出会ったのも何かの縁。清水さん、今日はとことん付き合ってもらうから!」
寧々の挑戦的な誘いを受けた伊織は、それはそれは面白そうだと言うように、妖しく微笑んだ。
「ええよ。今日はずうっと寧々ちゃんに付き合うてあげる」
頭が痛い、ガンガンする。
水が飲みたいと身体を起こすと、いつもとは違う風景が見えて寧々は何度かまばたきをした。
……ここは自分の家では、ない?
がばりと起き上がり、とりあえずきちんと服を着ていることを確認し心から安堵する。
辺りを見渡すとここは誰かの家のようで、寧々は見知らぬ人のベッドで目が覚めたようだ。
部屋を出てリビングに行くと、ソファーで寝ている男がいた。そろりと近づくと、寝顔が綺麗なところが羨ましいなんて思ったりしたが、今は置いておく。
頭がズキズキするが、なんとかして昨日のことを思い出さなければ。
……確か、伊織と名乗る男性とバーで出会って意気投合したのだ。それから楽しくて飲めないお酒をじゃんじゃん飲んで、それから記憶がない。
──もしかして、やらかしてしまった!?
「うう、ん……」
目の前で伊織がみじろぎするので、寧々はさっと距離を取り寝室へと隠れた。
さっさとお水を飲んでおけばよかったと後悔するが、もう遅い。
「もう朝か……。寧々ちゃんの様子でも見よかな」
まずい、このままでは伊織が来る!
寧々はどこか隠れるところはないが視線を彷徨わせるが、悲しいかなそのような場所は見当たらなかった。
「起きとったんやな、おはよう。……って、寧々ちゃん、なにしてん?」
「ははは……」
うずくまって少しでも身体を小さくしたが、やはりだめだった。言いようのない恥ずかしさが寧々を襲う。
「ほら、お水」
「あ、ありがとう……」
伊織からペットボトルを受け取ると、新品のものを用意してくれたようで、キャップを開けて水を飲んだ。
うん、おいしい。
「寧々ちゃんって、危機感があるんだかないんだか、よう分からんねえ」
くすくすと笑う伊織はどこか色気があってセクシーだ。朝からそんなにフェロモンを撒き散らかさないでほしい。目のやり場に困るから。
「なんとなく想像がついてるやろうけど、ここは俺の家やで。安心しい、なーんもしとらんから」
手をふりふりと振って、無罪アピールをする伊織がなんだかおかしくて寧々は笑った。
「うん、起きた時は意識がなくてびっくりしたけど、清水さんなら大丈夫だと思ったから」
「ほんま? なんや、嬉しいわあ」
にこにこと笑顔を浮かべてこちらを見つめる伊織に、寧々は居心地の悪さを感じる。
昨日は酒が入っていたから特に何も気にすることはなかったが、今はそうではない。
仮にも昨日まで恋人がいた身として、別の男に靡くのはいかがなものかと考えてしまうのだ。
「寧々ちゃん?」
「あ、ごめん! なんでもないよ」
「ほんまに? まだアルコール残ってるんとちゃうん?」
「……そうかも」
「無理せんと、ベッドがあるんやから使ってええよ」
知り合ったばかりの男の人のベッドに横たわるのはさすがに気が引ける。寧々はちょこんとベッドに腰掛けると、寧々の気持ちを察したらしい伊織は苦笑した。
そして、部屋にある椅子に座り昨日のことを話してくれた。
要するに、あの後寧々はひどく酔い潰れてしまい動けなくなってしまったそうだ。知り合ったばかりの女性を放っておけなかった親切な伊織によって、わざわざ彼の家に連れて行ってくれたらしい。
つまり、飲んだくれて介抱させたということだ。
それを聞いた寧々は深く頭を下げて謝罪した。
「本当にごめんなさい!」
「ええから、頭上げてや。寧々ちゃんの事情を考えると、ヤケ酒したくなるのも分かるで。だから、あんま自分を追い詰めないでやってや」
どこまでも優しい伊織に涙が出そうになる。
寧々は頭を上げてもう一度ごめんなさいと告げた。
「ごめんよりも、ありがとうが聞きたいなあ」
「ありがとう、清水さん」
「ん、ええよ」
タクシー代を払うと言ったが「男を立てて」と言われたので、寧々はありがたく辞退させてもらった。
ここは昨日のバーから二駅離れたところにあるらしく、一度も降りたことのないところだったので、寧々は駅まで送ってもらうことにした。
エントランスから出ると、建物を見上げて寧々は感嘆した。大きなマンションだったからだ。
寧々は二階建てのこぢんまりとした築三十年のアパートに住んでいるので、伊織との収入差を感じてしまう。
駅に向かう道中、寧々は伊織に聞いてみた。
「清水さんはなんの仕事してるの?」
「内緒」
「昨日からそればっかりだね」
「寧々ちゃんともっと親しくなったら教えてあげる」
「それも昨日聞いた」
「それやったら、袖にしないでちゃんと話を聞いてや」
「はいはい」
伊織は秘密主義なのかと思うほど、自分に関することは教えてくれなかった。そんな人と仲良くなるのは難しいのではないだろうか。
「ツンケンしたところもええね」
「ええ?」
「寧々ちゃんって普段はしっかりしてるやろ? でも、心を開いた相手にはぐっと距離が近くなる」
寧々の性格を言い当てられて、ぎょっとした。
「なんで知ってるの?」
「それも内緒やで」
もしかしたら、昨日伊織の前で醜態を見せてしまったのかもしれない。
「……ねえ、昨日の私って」
「えらい可愛らしかった」
墓穴である。




