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遊頁譚  作者: 劉白雨


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第伍拾漆話 「光と影を隔てる境界線」


〔光あるところに影あり、影なくば光もない〕

 誰の言葉だったか、父が私に語ってくれた。物事には必ず二面性があるという意味だ。

〔水のあるところにカエルはいないが、カエルが鳴くところには水がある。〕

 これも、父が教えてくれた格言だ。物事の関係性を示す言葉だと教わった。

 そんな格言を多く教えてくれた父はもうこの世にはいない。私は遺品を整理しながら、そんなことを思い出していた。


 そんな時、父が大事にしていた仕事道具の中に、現像されていないフィルムが出てきた。今時フィルムなんて珍しいと思いながらも、現像してくれる写真屋を探してお願いした。

 数日後、出来上がった写真を見て私は驚いた。そこに写っていたのは光と影をテーマにしたのではないかと思われるような、明暗のハッキリした情景が映し出されていたのだ。

 電灯に照らされた母の顔、どこかの街に沈む夕陽と建物の影、車のヘッドライトに消える人影などなど、どれも作品性のある写真だった。

「父さん、こんな写真を撮る人だったんだ。」

 自分が絵描きとして食えているのは、父のこうした芸術性の血を受け継いだ証拠かも知れないと思った。


 キアロスクーロ。光と影の強いコントラストを強調した技法で、ドラマチックな効果を与える手法だ。大学の講義で習ったが、それを、畑違いの父は難なくやっていたと言うことか。

 私には一言もこんな趣味があるなんて言わなかった父、私が絵描きの世界に行くことを反対はしなかった父、本当に食えていけるのかと心配ばかりしていた父。

 そんな父のあんな顔やこんな顔が走馬灯のように浮かんでは消えていった。

 私は仏壇に向かって手を合わせた。今両親は向こうの世界で仲睦まじく暮らしていることだろう。もしかしたら、こんな写真を父が撮ってるかも知れない。

 そんな光景を思い浮かべて私はクスリと笑った。


「血は争えないはね。」

 母のこの言葉の真意が私には分からなかった。父も母も芸術センスなんてないと、その時は信じて止まなかったからだ。安定した職業に就くようにと言う両親に対し、私は反抗するように絵描きの道へと踏み入ったのだ。

 今思えば、父の芸術センスが私の血の中にも流れていたんだと知り、どこか愛おしく、どこか暖かく、どこかくすぐったい気持ちが沸いてきた。


 その時、フィルムが入っていた箱に残っていたメモ書きの言葉が脳裏を過ぎった。

「このフィルムを現像した時の娘の顔が見たい。」



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