第卌伍話 「生きるだけの日々」
私は今とても幸福を感じている。
いや、幸福を感じようとしている。
無理に感じようとしているのかも知れないし、実感が湧かないだけかも知れない。
若い頃はやんちゃもやった。人に恨まれることも多く、暴力で解決したことも多くあった。警察の世話になったことなど数え切れない程である。
それでも、今は結婚し、一男三女の子供を儲け、小さいが自分の家に住み、慎ましやかに暮らしていた。
子供の成長を見守り、学校への送り迎えは私の役目であり、幼稚園から小学、中学、高校まで、四人の子供をきちんと通わせた。
学校行事にも積極的に参加したし、良き親として子供たちにも、もちろん近所の人々や子供たちの親友、そしてその親や学校の先生たちとも、そうあるように接してきた。誰も、私を良き親と信じて疑わなかったのである。
だからこそ、幸福を感じ、幸福だと思い込むことが出来ているのかも知れない。
そう、自分は錯覚をしていたのだろう。
子供たちが全員成人し、地元の企業にそれぞれ就職を果たし、私も親としての役目を終え、一段落した。
そんな私が幸福を感じない訳はなかった。
だが、それがたとえ偽りの幸福であったとしてもだ。
私は、死刑囚である。
元ではない。現在進行形で、死刑囚であり続けているはずである。
二十五年前、私は裁判によって死刑囚となった。第一級殺人罪で背負った罪は何も解消されていない。しかし、収監予定だった日を過ぎ、待てど暮らせど私を収監するために訪れる役人は誰一人現れなかった。
自首をするという選択肢もあったが、怖くて出来なかった。
こうして二十五年が過ぎたある日、突如警察官が私の家に尋ねてきた。私が死刑囚であることが分かり、逮捕に訪れたというのだ。私は驚きはしたものの、覚悟は決めていたので、淡々と従った。妻も子供たちも私が死刑囚であったことに驚きを隠せず、固まってはいたが、我に返ると、私の無罪放免を求め警察官に懇願した。しかし、一介の警察官がそんなことで私を無罪放免に出来る訳もなく、私をパトカーに乗せて、警察署へと連行していったのだ。
私のことは地元でも大きく取り上げられた。原因は裁判所が収監手続きを怠り、私は単に忘れられた存在だったというのだ。
家族や地元の人々は私を無罪放免にするべく運動をしてくれた。
だが、その懇願も虚しく死刑は執行された。私は幸福を噛み締めそれを受け入れた。




