向こうから色々やってきた 2
「カノン、お疲れ様でした」
「のあもおちゅかれしゃまー」
強めにもやの消滅を念じた(?)ため、私は想定通りに発光した後に幼児退行を起こし、無事にコリンお婆ちゃんのもやを全て払う事が出来た。
コリンお婆ちゃんは両足の感覚が無くなり歩く事が出来なくなっていたけど、黒いもやを消し去った後から、足全体に感覚が戻ってきたそうだ。娘さん夫婦が泣きながらコリンお婆ちゃんの足の裏を触り、くすぐったいからよせとコリンお婆ちゃんは泣き笑いをしていた。コリンお婆ちゃん、リハビリをしたら歩けるようになるんじゃないかな。
今回も良い結果になって本当に良かった。
黒いもやを払う回数が増えると、もやと体の不具合の関連性がよりはっきりしてきた。冒険者や町の防衛で魔獣と戦って怪我を負った人は高確率で黒いもやを体にくっ付けているのだ。
最近ではケネスさんと打ち合せをしながら、討伐の際の怪我をしたことがある人、怪我の後遺症を持っている人を直接訪ねている。黒いもやを目視で探すより効率良いもんね。
コリンお婆ちゃんの古傷は20年前の年代物だったので、黒いもやを払うのはあと一回かなとか、最近は気絶しないように調整も出来たりしている。
幼児退行を起こして気絶まで行っちゃうと、3日昏倒したあと大人に戻るまで力を使わず安静にして4日、計7日間かかる。
気絶しないように2、3回黒いもやを払った後は5~6日位で大人の身体に戻れることが多い。
大体そんな感じで、体の変化の周期も掴めてきたかも。
気絶するまで聖女の力を使うのは私の体に良くないのではないかというのは、ノアとケネスさんの意見だ。気絶って、パソコンで言う強制シャットダウンみたいな物?とは私も薄っすら思い始めている。
「こりんおばあちゃんのもやもや、にじゅうねんまえのやつ」
「20年前ですか。それでは黒いもやを払うのは、やってももう1人ですね」
「しょうだねー」
年代物のもやもやだったので、気絶を避けるには、やれてもあと一人だと私も思う。
とにかく、今回も役に立てたようで何よりだった。
単純にエスティナの戦力増強にもなるけど、体の故障を抱えていた家族が元気になってくれたら、こんなに喜ばしい事はないもんね。エスティナの人達のお互いを思いやる優しさに触れると、家族に恵まれなかった私のカッサカサの心が潤うような心地がする。
うん、今日も良い事したなー。
「明日、どなたかもう一人の黒いもやを払ったら、あとは大人になるまでゆっくり休みましょうね」
「うん」
ノアに抱っこされて運搬されている内に、少し眠たくなってきた。年代物のコリンお婆ちゃんのもやは、消すのにやっぱり聖女の力が沢山必要だったんだろうか。
私はノアの腕の中でうつらうつらしながら、宿に戻った。もう傍から見たら、眠すぎて目が白黒して、なんなら白目になっているかもしれない。
宿のドアベルがカラーンと涼やかな音を立てた。
「きゃあっ!」
そして女性の華やいだような、可愛らしい声が宿の食堂中に響いた。
「可愛い!」
私の顔面のすぐ近くで誰かが叫んだ。
落ちそうになっていた意識が急激に浮上する。
「なんて可愛いお客さんなの!」
私の顔の前で、艶やかな黒髪の美人が興奮気味に両手を握りしめていた。
私は一気に目が覚めた。
私を抱っこしているノアも、黒髪美人の勢いにびっくりして食堂の入口で立ち尽くしている。
「なんて可愛いのかしら!まさかエスティナにこんなちっちゃな子がいるなんて~!」
この目の前の、私を前にミンミみたいなメロメロな態度になっている美人は、姿かたちだけで言えば、今日の昼過ぎ、厨房でエンカウントして結構な塩対応をしていただいたルティーナさんとテリーさんの娘さんだ。
服も昼間見たブルーのワンピースドレスを着てるもんね。その上に更にエプロンをしているけど。
昼過ぎの塩対応をしてきた美人と目の前の美人の言動の乖離が凄すぎて、私は咄嗟に言葉が出てこない。
「可愛いねえ。お名前は?」
「か・・・、かのん」
「カノンちゃん?お名前もとっても可愛いねえ~!」
ど、どうしよう。
とりあえず目の前の美人さんの中では、昼下がりに厨房に入り込んでいた宿の利用客の私と、今の幼児の私とは絶対に一致していない。
「アリス!何を騒いでいるんだい?おや、ノアとカノンちゃん、お帰り」
「ただいま帰りました」
「ただいまぁ」
「カノンちゃん、ご挨拶もしっかり出来て偉いねえ~!」
やばい。黒髪の美人さんは私が何をしても言っても褒めてくる。
あなたが愛でている幼女は、今日の昼下がり、厨房に入り込んでいた不審者なのです・・・。
「ノア、カノンちゃん。丁度良かったよ。これは私の娘でアリス。領都でせっかく就職したって言うのに、避難した母さんと一緒にエスティナに出戻ってきちまったのさ。これからは宿で働くことになるから、2人ともよろしく頼むよ」
「娘さんでしたか。私はカノンの保護者のノアです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
娘さん改めアリスさん、ノアにはニコリとクールな微笑み。営業用スマイルって感じ。
「よ、よろちく、おねがいちましゅ」
「カノンちゃん、本当にお利口さんだねえ~!」
片や私には、アリスさんは至近距離で顔を近づけて蕩ける満面の笑み。
このアリスさん、ノアの美貌によろめかない珍しい人かもしれない。でもそういえば、ミンミとかルナもノアのイケメンっぷりをスルーしてたな。あれ、ノアはエスティナではあまりモテてない?そんなバカな。
「・・・まあ、カノンちゃんの事情は、実際見てみてもらって話そうかね。今話した所で信じがたいだろうからねえ」
「そうですね。カノンはこれから気を付けて過ごさせますので、1週間はかからずに元に戻るかと」
私が動揺のあまり、思考が迷子になっている隣でノアとルティーナさんがそんな相談をしている。
「母さん、事情って?」
「今言った所であんたは信じないだろうさ。カノンちゃんは実は大人で、あと1週間もせずに大人の身体に戻るのさ」
「何言ってるの、母さん!こんな可愛いカノンちゃんが大人って!ふっ、ふふふ!」
アリスさんが口元を押さえてお上品に笑っている。そんなアリスさんを見て、ルティーナさんはほらね、とばかりに私達に肩を竦めてみせた。
ルティーナさんとアリスさんは、親子でも纏う雰囲気が違う。太陽のように周りを明るく照らすのがルティーナさん、月のように静謐な雰囲気を醸すのがアリスさんという感じかなあ。
ただし、アリスさんは私(幼女)を前にした今、ちょっとおかしくなっている。
いるよね。犬、猫、赤ちゃんを前にすると声が甲高い赤ちゃん言葉になる人。
そして、ルティーナさんは私について本当の事を言ったんだけど、アリスさん冗談だと思ってその話は終了した。
周囲のお客さん達は冒険者のオジサンやお姉さま方はあーあ、と言った感じ。でも口は出さない。若めの男性冒険者達は、私を前にメロメロになっているアリスさんを見てちょっと顔が赤らんでいる。アリスさんはスラッとした華奢な美人さんだからなあ。逞しい女性冒険者の皆さんも、かっこよくて綺麗なんだけど、それとはまた違うベクトルの美人。あ、お色気担当のルナとも違う美人。
やや場が混沌としてきたと思ったその時、私のお腹がキュルルと良いタイミングで鳴った。
「おや、カノンちゃん。お腹が減ったね。すぐにご飯持って来るから待っておいで」
「待っててね~」
私の空腹に気付いて、ルティーナさんとアリスさんはさっさと厨房に引っ込んでしまった。
「ふううー」
私はため息を付きながらノアの胸に凭れた。
「疲れましたか?食事をしたら、今日はもう休みましょうか。体は軽く拭くだけにしましょう」
お風呂キャンセルは大賛成。
私は空腹と精神的疲労を感じてノアの腕の中でぐんにゃりと力を抜いた。
コリンお婆ちゃんの家から帰る時にはすっかり忘れていたアリスさん問題があったのだ。
19歳の私はどうやらアリスさんに嫌われ?もしくは警戒されてしまった。
そして2歳児相当になった私は、アリスさんから猛烈に愛でられてしまった。
この件、ノアと共有しておくべきか。べきだよね。
幼女の私の中身が19歳と知ったら、きっとアリスさんも今後は普通の幼女に対するように態度は取らなくなる・・・。いや、私の正体を知っても、幼女の私を可愛がってくれる人の方が多いね?ミンミとか、ジーンさんとか、普通の子供に接するように猫かわいがりしてくるし。
宿のお客さん達も、幼女に戻った時は私の頭を撫でたり、ナッツやドライフルーツを持たせたりしてくるし。
私自身はマスコット的癒やしを振り撒くのもエスティナでの役目と思い、周囲からの子ども扱いを受け入れているけども。
でもやっぱり、私が厨房に入り込んでいた野菜の皮むき女であると、アリスさんにきちんと言わないといけないよなあ。
私が悶々と考え込んでいると、満面の笑みのアリスさんがカウンターに座る私とノアに食事を届けに来てくれた。
「はい、お待たせしました。カノンちゃん、たくさん食べてね!」
アリスさん、私に対しての語尾が一貫して尻上がり。声甲高い。お昼に話した時より一オクターブは明らかに高い。
美味しそうなミートボールのシチューが届いた所だけど、もうこれ以上はアリスさんに黙っていられない!
「・・・あのぅ。わたち、てりーしゃんのおてちゅだいで、やしゃいのかわむきちてたの」
「え?テリー、父さんの、お手伝い?まああ、カノンちゃん、偉いねえ~!」
「きょう!きょうちてたの!」
「そうなの?偉いねえぇ~!」
だ め だ !
「のあ、のあ!しぇちゅめいちて!わたちがおっきくなったりちっちゃくなったりしゅるってしぇちゅめいちて!きょうちゅうぼうでやしゃいのかわむきちてたのはおっきいわたちだってしぇちゅめいちてよう!」
「ん?えっ?」
さすがのノアも、焦った私の早口長文幼児語を咄嗟に聞き取れなかった。
幼児の時の私の口調は活舌も悪いし、何だか抑揚も変な所で上がったり下がったり独特になるんだよね!そのせいで幼児長台詞は余計に聞き取り辛いのだ。
「うふふ。父さんのミートボールシチューは美味しいわよ!ゆっくり食べてね」
アリスさんは私の頭を一撫でして微笑むと、他のお客さんの注文を聞きに行ってしまった。
「んあーんぐ」
まったく私の幼児語がアリスさんには通じなかった。
嘆く私の口の中に、ノアが程よく崩したミートボールをスプーンで投入する。
「カノン?何か問題でも?」
「うーん。あとでねぇ」
私の長文幼児語の翻訳は、さすがのノアでも少し時間がかかる。
丁度宿の食堂は夕ピークが始まり出している。食堂も混み始めたので私はノアと夕飯を食べる事に専念する。バゲットみたいな硬いパンをシチューに浸しながら頑張って噛み千切る。私がバゲットの硬さと格闘している隙間に、ノアが絶妙にシチューの合いの手を入れてくる。
ノアの育児スキルは天辺知らずなんじゃないだろうか。幼児の私への食事介助がどんどん上手になっていく。私の自立も促しながらの絶妙なアシスト、素晴らしいの一言。
ノアは大人2人分の食事を頼んで、私が0.5人前、ノアが1.5人前食べる。ノアは代謝がいいのか、沢山食べるのにまったく無駄なお肉が付かない。19歳の私に肉が無いのは、単純にこれまで栄養が足りてなかっただけだけど。
「もう沢山ですか?」
「うん」
満腹の私のお腹は確実にぽっこり丸くなった。美味しくて夜ご飯は毎回食べ過ぎてしまい、そして寝落ちコースなんだよね。でも今日は困った事態の説明があるから寝る訳にはいかない。
ノアは睡魔と戦う私を膝上に抱いたまま、サササと手早く自分の食事を終えてしまう。
それから部屋に戻って簡単にノアにより清拭してもらった私はノアに向き合って膝の上に乗せられている。
「それで、カノン?どうしたんですか」
私は堰を切ったようにノアに怒涛の説明をした。
「きょうありしゅしゃんとちっちゃくなるまえにちゅうぼうであったの。おっきいときに。しょれで、ありしゅしゃんは、んーと、わたちにおこってた。しゃっきはにこにこちてた。おっきいわたちとちっちゃいわたちがいっしょだってちらないの。ありしゅしゃん、おっきいわたちきらいだから、おんなじっておちえないとだめだよねえ?」
「うん?嫌いとは?何故アリスさんがカノンを嫌うのですか?」
怒涛の幼児語長文の終盤の単語にノアは反応した。
「うーん、わかんない」
「わからないのですか」
それは分かんないなー。どうして出会い頭の塩対応だったのか、その理由を聞ける雰囲気じゃなかったもん。単純に宿のスタッフオンリースペースに部外者の私が居た事が不快だったのかな。
「ええと、整理をしますね。カノンは今日、厨房でテリーさんの手伝いをしてからコリンさんを訪ねると言っていましたね。厨房でアリスさんと会った、という事は、その時カノンはまだ小さくなる前だったんですね?」
「しょうなの」
「そして、コリンさんの黒いもやを払って小さくなってからカノンが宿に戻ると、またアリスさんに会ったのですね」
「しょうなの」
「そして、そのアリスさんは大きいカノンと小さいカノンが同一人物であると分かっていない、と。だからカノンはその事をアリスさんに教えたいのですね」
「しょう!しょうなのー!あはー!」
さすがノア!
私の幼児語を一番早く正確に理解できるのはやっぱりノアだよー!
ノアの理解を得られた私は、ノアとニッコリ笑い合う。
「そうですか。嫌われているとは、何故なのか気になりますが・・・。大きくなる前にカノンはアリスさんに事情を話したいのですね?」
「おねがい!」
だって、あの調子じゃあ、会う度にアリスさんは小さい私を猫かわいがりしてくるだろうから。中身がどこの馬の骨とも分からない、厨房に入り込んでいた野菜皮むき女だと分かったら、アリスさんにとっては不愉快極まりないよね。
だからまずは、いち早くアリスさんに私の事情を説明して理解してもらわないと。
昨日の幼女、正体は厨房の怪しい女だったのかよ!とアリスさんの気分を害する可能性は高いけど、誤解されたままの猫可愛がりが続くよりは、私の精神衛生的にもその方がずっといい。
「・・・わかりました。カノンの気が済むなら私からもアリスさんに説明します。でも、ルティーナさんがそのものズバリ、カノンの身体の変化についての説明をアリスさんにしていましたが」
「・・・しょうだね」
そうだったね。
ルティーナさんが、私がおっきくなったり小さくなったりするって、ズバリアリスさんに言っていた。そしてアリスさんはそれを笑い飛ばしていた。
ルティーナさんの話を信じないアリスさんが、果たしてノアの話を信じてくれるのか。
不安を抱えながらも私は翌朝を迎えた。




