チャゲの憂鬱3
チャゲ(セレイナ)視点です。
召喚された男が発言を終えたが、誰一人として口を開こうとはしなかった。
今のは契約条件の確認なのか、何かを要求していたのか、あるいは己の力を誇示し、何か条件を引き出そうとしたのか。
実際はただの自己紹介なのだが、異世界の言葉が聞き取れない三人には理解できなかった。
このままでは埒が明かないので、シュルーケルが当たり障りのない自己紹介で場の空気を変えようとした。
「自己紹介がまだだったな。俺はシュルーケル。この二人は俺の家族だ」
順番としては父親であるシュルーケルが自己紹介をしたのなら、次は自分の番かといった気持ちでセレイナも続けて軽く自己紹介を済ませる事にする。
軽く手を上げ
「セレイナよ。今自己紹介したお父さんの娘」
男は頭の中で今の発言を理解したのか、首を傾げた。
(なんなのよコイツ。今までほとんど無反応だったクセに、私が自己紹介したら首なんて傾げて)
してやったりといった表情の男の態度に少しイラつくが、この召喚された男への対応を振り返ったセレイナは怒りを鎮める。
こちらに害意をもっていないだけ良いかという結論に達した。
セレイナが自身の感情に整理をつけている間に、ミリーリアが手を上げ、他の二人より熱のこもった自己紹介を行う。
「私があなたを召喚したミリーリアと言います。あなたの事はまだよくわかりませんが、私に力を貸してくれたら嬉しいです」
男が頷きを返す。
「ちょっとミリー! 何言ってるの!! 力を貸してなんて、契約してって言ってるようなものじゃない!」
「え? そうなるの? 考えすぎじゃないかなー」
「アンタね……少しは自分が危険な状況にあるって理解しなさい!」
「そうかな? なんとなーくだけど、この人は悪い使い魔じゃない気がするんだよね。そう、きっと主従関係にあるから心で通じ合っているんだと思うんだ」
「適当な事言ってない? それなら通訳してよ」
話がこじれそうなのを察したシュルーケルは仲裁に入る。
「まぁまぁ、落ち着けって。実際、使い魔ってのは主の指示に従うものだし、ありえない話でもねーんだ」
ミリーリアは予期していなかったフォローに一瞬固まるが、意を決して本当の事を伝える。
「実は何もわからないんだよね」
父娘は思う。使い魔が出来て、浮かれすぎているのではないかと。
わからない事がわかった、で話を終わらせるわけにはいかない。
召喚された男を除く三人は、ある程度今後の方針を固めた。
使い魔についての情報は『教会』と呼ばれる組織が取り扱いを行っている。
この村には存在していないが、学園がある王都に当然教会という組織と、象徴となる建物が置かれている。
シュルーケルは、学園に戻る二人に同行し、教会でこの使い魔をどうするべきか確認すると言い出した。
突然私用で村を離れるのは問題があるが、村長としての職務より、大切な娘二人の身の安全を守るという責務に勝るものはない。
思春期の少女二人は、父親と共に学園に向かう気恥ずかしさからか、最後まで抵抗を続けたが、シュルーケルが折れる事はないと悟り、渋々ながら承諾した。
三人のうち、誰が最初に気づいたのか。男が深刻な表情で俯いているのに気付く。
父娘三人はお互いに話し合う相手が存在する。
しかし目の前の男は、言葉も通じない見知らぬ土地で、一人で、孤独に、今後の事を考える必要がある。
男の様子から、その事実に思い至った三人は、目の前の男も意思を持つ、一個人であることを強く実感する。
この男を召喚獣、あるいは使い魔といった、どこかペットのように考えていた己を恥じる。
(言葉も通じない別の世界の住人って事で、相手の事を本当に知ろうとはしていなかったわね。アタシは軽く考え過ぎてたわ)
相手を思いやる心の持ち主である三人は、この使い魔が顔を上げるのを待つことにした。
使い魔の男は考えがまとまり、何かを決意したのか顔を上げる。
三人はそれをみて、各自何か声をかけようと考えているが、一歩を踏み出せずにいた。
何が相手のためになるのか。己にできることはなにか。
推し量るには、この使い魔と過ごした時間は短すぎた。
沈黙を破ったのは使い魔の男だった。
正確には、腹の虫の鳴き声である。
静寂が支配する空間に響き渡る空腹を伝えるサイレン。
反射的にシュルーケルとセレイナは身構えるが、すぐに警戒を解く。
シュルーケルはミリーリアに確認する。
「なぁ、魔力を持っていかれてる感覚とかあるか? あるいは何か食べたいみたいな想いが伝わってくるとか」
続けてセレイナも
「召喚の本に何か書いてなかった? お腹が空いたときの対処方法とか」
ミリーリアは二人の顔を交互に確認し、自分の予測に基づき、食事の準備を決意する。
吸血鬼の食事──すなわち、うら若き生娘の生き血
これを提供するのは、召喚した自分の務めであるとミリーリアは覚悟を決める。
覚悟を決めてから、ミリーリアが行動に移るまでそれほど時間はかからなかった。
召喚した男の目の前に後ろ向きに座ると、一度心を落ち着けるために深呼吸。
そして自身の後ろ髪を上げ、牙を突き立てやすいようにほんの少し首筋を晒す。
突然のミリーリアの暴走に、セレイナの思考は追い付かなかった。
(はぁ? ちょちょちょ、ちょっと! なにやってるのよミリー!!! 何がしたいのよ!! それとも何かさせらてるっていうの!?)
セレイナの意識が現実に戻ったのは、『裏取り』を使い、使い魔の男の背後にいる父親の姿が目に入ってからであった。
使い魔の男の事は自分の父親に任せておけば問題ないと判断したセレイナは、若干放心状態のミリーリアに喝を入る。
「正座」
「…………」
「ほら、早く正座ぁ!!!」
「ハ、ハイっ!」
「アンタね! いったい何しようとしてんの! 少しは自分の魅力とか自覚しなさいよ!! アンタは油断し過ぎなのよ!!」
「だって、私が召喚した使い魔だし、吸血鬼だし、ご飯はやっぱり血かなーって……それなら私が用意するのが当たり前かなって……」
「だとしても! 何の相談もなくあんな真似しないの! 一歩間違ったら取り返しのつかないことになるんだからね!!」
「ちょっと恥ずかしいけど、血くらいなら別にいいかなーって……」
「ア、ン、タ、は!!! アタシはそういう事を言ってるんじゃないの!!」
「傷は後でポーション飲めばすぐ治るし、そんなに怒らなく……」
「だ! か! らぁ!!! そういう事じゃないんだってば!!!」
「勝手にご飯の準備したのは悪かったかなーって思っ……」
グゥルゥギュゥゥゥ
二度目の腹の虫の鳴き声は、試合終了のゴングとなった。
セレイナはミリーリアに手を差し伸べ、夕飯の準備(人間用)を手伝ってもらいつつ、今の行いがどれほど危険であるか説明しようと心に誓う。
(これは一度しっかり教育しないと駄目ね。学園での授業中もわかってるのかわかってないのかって感じだったけど、冒険者としてやっていくためにはこの辺の知識はしっかり身に着けてもらわないと)
学園の性知識についての授業をしっかり受けていたセレイナは、夕飯の準備中から少しずつ、そして今日の寝る前にでも本格的に授業で受けた内容をわかりやすく伝えようと決意する。
一度激しく揺れ動いた心というものは、そう簡単には平常通りには戻らないものである。
命に係わる、非常に大切な事をセレイナは失念していた。
ミリーリアがキャベツをまな板の上に乗せ、包丁を逆手に握りしめようとしているのを視認した瞬間、セレイナの体は本人が意識するよりも早く『裏取り』を発動させ、彼女が包丁を握るのを阻止することに成功する。
拘束ではなく、後ろから抱き着くという形で。
いずれにしても台所で行うには危険な行為だが、ミリーリアが「料理のために刃物を握る」という行為に比べれば、全ては些細な出来事で済む。
「ミ、ミリー。吸血鬼って流水がダメっていうじゃない? あの、ほら。いつも野菜を買ってるマリーさんのところのお店。あそこにトマトジュース売ってなかったかな? 吸血鬼ってトマトジュース飲みそうじゃない? ミリーって、マリーさんとよく話してるじゃない? ちょっと行ってきて、どれくらいあるか聞いてきてくれないかな? 沢山おいてあるようなら何本かそのまま買ってきてほしいなーって……」
(ミリーに料理を手伝ってもらおうだなんて……どうかしてるわ、今日のアタシ)
「んもー、しょーがないなぁ。じゃ、ちょっと行ってくるよ。まだ時間もあるし、そんなに慌てる必要なんてないと思うんだけどなあ」
どこか納得がいかない様子のミリーリアであるが、セレイナの言う通り、食事の準備、さらに液体繋がりということもあり、素直に引き受ける。
「じゃ、ちょっと行ってくるねー」
そう言い残し、ミリーリアは台所を後にした。
「ふぅ……」
今日一番の疲労感が押し寄せてきているセレイナである。
しかし、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
「よし、あの使い魔の男が唸るくらい美味しい料理を作りましょうかね。アタシの腕の見せ所って感じね」
セレイナは、出会ってからの数々の仕打ちに対するお詫びの気持ちと、お客様をもてなそうとする気持ちを胸に、夕食の準備に取り掛かった。




