第61話 来ない明日
次の日。
少女は。
いつもの橋にいた。
……。
私を。
待っていた。
……。
たぶん。
……。
欄干に寄りかかって。
川を眺めている。
……。
私が隣へ行くと。
少女は。
少しだけ。
笑った。
……。
「遅い。」
……。
「ごめん。」
……。
聞こえない。
……。
それでも。
少女は。
満足そうに。
川へ視線を戻した。
……。
「今日はね。」
……。
「いいものがあるの。」
……。
懐から。
小さな包みを取り出す。
……。
葉を開く。
……。
握り飯。
……。
ひとつ。
……。
少女は。
それを。
じっと見つめる。
……。
それから。
丁寧に。
半分に割った。
……。
「はい。」
……。
片方を。
私の隣へ置く。
……。
「昨日の。」
……。
「お礼。」
……。
昨日。
……。
東京府。
……。
一緒に。
お芝居を見に行こう。
……。
私が。
勝手にした。
約束。
……。
「食べて。」
……。
少女が。
言う。
……。
「私は。」
……。
食べられない。
……。
触れることすら。
できない。
……。
「いらない。」
……。
「あなたが食べて。」
……。
少女は。
自分の半分を。
小さく齧った。
……。
一口。
……。
また。
一口。
……。
ゆっくり。
食べる。
……。
私の分には。
手を伸ばさない。
……。
「食べてよ。」
……。
「全部。」
……。
「あなたが。」
……。
届かない。
……。
少女は。
握り飯を食べながら。
空を見上げた。
……。
「東京府に行ったらね。」
……。
また。
その話。
……。
「もっと。」
……。
「美味しいもの。」
……。
「いっぱい食べるから。」
……。
笑った。
……。
「おっかさんが言ってたの。」
……。
「東京には。」
……。
「西洋のお菓子があるんだって。」
……。
「西洋のお菓子。」
……。
少女は。
少し考える。
……。
「どんな味なんだろ。」
……。
私にも。
わからない。
……。
でも。
なぜだろう。
……。
甘い。
……。
そんな感覚だけが。
浮かんだ。
……。
白い皿。
……。
小さな匙。
……。
誰かの手。
……。
「美味しい?」
……。
女の声。
……。
一瞬。
何かが。
見えた。
……。
でも。
すぐに。
消えた。
……。
誰?
……。
今の。
……。
少女の声で。
戻される。
……。
「あとね。」
……。
「ハイカラな服。」
……。
少女は。
自分の着物を見る。
……。
袖には。
いくつも。
繕った跡がある。
……。
「私にも。」
……。
「似合うかな。」
……。
「似合うよ。」
……。
思わず。
答えた。
……。
少女は。
首を傾げる。
……。
「おっかさんはね。」
……。
「似合うって言ってた。」
……。
嬉しそうに。
笑う。
……。
「髪も。」
……。
「綺麗にしてくれるって。」
……。
自分の髪に。
触れる。
……。
「それで。」
……。
「二人で歩くの。」
……。
少女の目には。
きっと。
見えている。
……。
まだ。
行ったことのない。
東京府。
……。
大きな建物。
……。
電車。
……。
洋服。
……。
劇場。
……。
たくさんの人。
……。
その中を。
母親と。
手を繋いで歩く。
少女。
……。
「お芝居が終わったらね。」
……。
「夜の東京も。」
……。
「見てみたい。」
……。
「夜なのに。」
……。
「明るいんでしょう?」
……。
「うん。」
……。
私は。
なぜか。
それを知っていた。
……。
光。
……。
たくさんの。
光。
……。
夜なのに。
眠らない街。
……。
もっと。
もっと。
明るい。
未来の街。
……。
その景色を。
私は。
知っている。
……。
少女は。
知らない。
……。
でも。
少女の方が。
ずっと楽しそうに。
その未来を話している。
……。
「おっかさん。」
……。
少女が。
小さく笑った。
……。
「びっくりするかな。」
……。
「私が。」
……。
「ハイカラになったら。」
……。
また。
何かが。
揺れた。
……。
おっかさん。
……。
母。
……。
私にも。
いた。
……。
そうだ。
……。
いた。
……。
顔は。
見えない。
……。
名前も。
思い出せない。
……。
声も。
もう。
わからない。
……。
なのに。
温度だけが。
残っている。
……。
手。
……。
髪。
……。
頬。
……。
誰かに。
触れられていた。
……。
優しく。
……。
大切なものに。
触れるみたいに。
……。
胸の奥が。
痛い。
……。
どうして。
……。
私は。
誰かを。
探していた。
……。
誰かに。
会いたかった。
……。
ずっと。
……。
「ねえ。」
……。
少女が。
こちらを見る。
……。
「あなたにも。」
……。
「おっかさん。」
……。
「いる?」
……。
私は。
何も言えなかった。
……。
少女は。
少し待つ。
……。
それから。
笑った。
……。
「いるといいね。」
……。
胸の奥が。
また。
痛んだ。
……。
いる。
……。
いた。
……。
たぶん。
……。
私にも。
おっかさんが。
……。
少女は。
立ち上がった。
……。
少しだけ。
ふらついた。
……。
欄干に。
手をつく。
……。
「大丈夫?」
……。
少女は。
すぐに。
笑った。
……。
「今日は。」
……。
「いっぱい話したから。」
……。
「疲れちゃった。」
……。
それだけ。
……。
少女は。
橋の向こうへ。
歩き始める。
……。
ゆっくり。
……。
昨日より。
少しだけ。
ゆっくり。
……。
私は。
追いかける。
……。
橋の途中で。
少女が。
振り返った。
……。
「明日も。」
……。
「東京のお話。」
……。
「しようね。」
……。
私は。
頷く。
……。
「うん。」
……。
少女は。
笑った。
……。
「約束。」
……。
そして。
また。
歩き出す。
……。
橋の上には。
半分の握り飯が。
残っていた。
……。
私は。
それを。
見つめる。
……。
遠く。
……。
ずっと。
遠く。
……。
少女の知らない東京では。
今日も。
新しい建物が造られ。
……。
新しい服が売られ。
……。
新しい歌が歌われ。
……。
劇場では。
幕が上がる。
……。
人々は。
明日の話をしている。
……。
もっと。
便利になる。
……。
もっと。
豊かになる。
……。
もっと。
面白くなる。
……。
新しい時代が。
やってくる。
……。
誰も。
知らない。
……。
小さな橋の上で。
ひとりの少女が。
その未来を。
誰よりも。
楽しみにしていることを。
……。
そして。
その少女の歩幅が。
昨日より。
ほんの少し。
遅くなっていることを。
……。
世界は。
知らない。
……。
知らなくても。
明日は来る。
……。
きっと。
何事もなかったように。




