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【第1話】



《人は皆平等に 神を崇める》



左胸に穴が開いている。ずっとそうだ。生まれたときからそうだ。血を吐いて倒れている少年はそう感じていた。



《神は皆不平等に 人に与える》



だから自分は今ここで死にかけているのだろう、と彼はぼんやりと考えた。



《それが この世界の規則》




【BLASPHEMY 第一話】



「うおおおおオオッッッ!!!!!"解放(ブラスト)"ッッ!!!!!」


セスは叫んだ。全身で叫んだ。腹の底から絞り出すように、両腕を前へ伸ばして。


「………あれ」


沈黙が彼の耳を通り過ぎる。


「……何度やっても無理だってぇセス兄。あたしたち”解放者(ブラスター)”じゃないんだから」


隣で妹分のパンデラが肩を落とし、呆れ半分、諦め半分の目をセスに向けながら言う。


「ま〜〜〜だわかんねェだろ!?もしかしたら俺達にも神様が振り向いてくれてるのかもしれねえし……」


「振り向いてたらとっくに解放使えてるんじゃない?」パンデラは袋を持ち直し、足元の石を蹴った。「んしょ…さ、食料調達終わったしバン兄のとこ戻ろ」


「……カビてねえパンを生み出す解放とかねえのかな」


「あたしはきれいなお洋服を生み出す解放が欲しいな〜」


そんな他愛のない話をしていたとき、背後から地面を蹴る音が聞こえた。一歩、二歩、こちらへ近づいてくる。複数の足音だとセスはすぐに気がついた。スラムでそれが意味することを、嫌というほど知っていた。


「よ〜〜〜おセス、パンデラちゃん……」


野太い声が飄々と響いた。男が三人、いや四人。にやついた笑みを浮かべ、二人を囲むように立っている。


「……その食料、2人で食うにはちょいとばかし多いんじゃねえかァ?」


セスの唇がゆっくりと動いた。


「……あとチンピラぶっ飛ばす解放とかよォ…」


「ちょ、セス兄…!」


「アァ!?テメェの口はよく回るみてえだなァ……!!」


「おぉ〜おぉ~!!」セスは動じなかった。声を張り上げ、わざとらしい拍手でも打つような調子で続けた。

「そっちこそこんな真っ昼間からハイエナ活動ご苦労さんなこった!!しっかり群れて行動できて偉いなァ!!」


「……セス……お前よォ……」ハイエナの眼の奥に、危険な光が宿る。


その瞬間、殴打がセスの腹に突き刺さる。衝撃は音より先に来た。不可視の波が、彼の胴体ごと吹き飛ばす。


「セス兄ッ!!!」


地面に叩きつけられたセスの耳に、パンデラの悲鳴が届いた。男は薄笑いを崩さない。


「俺様が"波動"の解放者だってこと知ってて言ってんだよな……!?非解放者が俺様に楯突くんじゃねえよ!」


「ちょっと何してんのよアンタ……!!」


セスは黙っていた。


地面に手をついて、ゆっくりと体を起こす。熱が、胸の奥でじっとしている。痛みが彼の身体へ信号を送る。


「オラァッッッッ!!!!」


セスは地面を蹴り、拳を振った。


「ッッ!!?」ハイエナが倒れる。


「アニキィッ!?」「セス兄ッ!?」


どよめきが周囲に広がる中、セスは鼻を鳴らした。


「お〜〜し……解放者だろうが一発は一発。スラムの常識だぜ〜!?」


「テメェゴラ……ッ!!」



「おい!!!」



別の声が割って入った。その場にいた者全員が一斉に振り返る。


「バン兄!!」パンデラが駆け寄った。


セスの兄分、バンが立っていた。その目が無言で全てを語っている。男たちは舌打ちひとつ残して足早にその場を離れていった。


「ま〜〜〜〜たお前は喧嘩しやがって……そんな常識ねェだろ」


「は〜〜アァ!?じゃあバンは殴られたらそのまんま殴られ続けんのかよ」


「先手必勝がスラムの常識だ」


セスとパンデラは顔を見合わせ、「やば」と一言。


「……とりあえずメシ食うぞ」






カビたパンから鳴ってはいけない音がした、とパンデラが文句を垂れる。


「我慢しな〜」と短くあしらうバン。


三人で食べ物のようなものをかじりながら、セスは空を見上げた。スラムの空は、王都のそれより狭い。建物と建物の隙間に切り取られた灰色の空。解放者であれば、あの向こうへだって行けるはずだ。


「な〜〜〜んであんなクソ野郎に神様が微笑んで、俺達には見向きもしねえんだよ……」


「さァな〜」バンは飄々と答える。「まあ…でっけェ力持っちまったら犯罪しちまいそうだから、俺は解放いらねえかな」


「でた〜〜セイジンダンセイ気取り」


「……セイジンクンシュだろ馬鹿」


「あ!ねえ2人共知ってる?」パンデラが急に顔を輝かせた。

「"BLASPHEMY"、目撃情報あったみたいだよ!しかもここらへんの近く!」


「えっ、近く!?やべぇじゃん」バンの表情が少し動いた。


「……ブラスフェミー、ってなに?」


「嘘だろお前……」バンが呆れたように眉を上げた。「世界的な解放犯罪ギルドだよ。知らねえの?」


「すっごい人数少ないのに、すっごい強いらしいの!」パンデラが続ける。「でもあの人達、これと言った悪さしてなくない?強盗とかしてないし」


「ば〜〜か」バンは鼻を鳴らした。「"解放"について研究してんの。"神様からのギフト"を知ろうだなんて禁忌だ禁忌」


「だ〜れがそんな神だの何だの言ってんだよ」と、セスは不満そうに聞く。


「確か……教会じゃなかったか?」


「ふ〜ん……」


セスは興味があるのかないのか、自分でもよく分からなかった。神、という言葉には条件反射のように反感が湧いた。それでも、少しだけ気になっていた。


「目撃されたBLASPHEMYの人、解放獣倒してたみたいだし……やってることそんな悪くなくない?」パンデラが首を傾ける。


「解放について調べたら、どんな聖人君主でも解放犯罪者なんだよ」


「……教会が勝手に決めてんだろ!?あッッほらし〜〜!!」


「馬っっ鹿お前声がでかい!」


「……そのBLASPHEMYって奴らも、あのチンピラも、俺達も……自分の欲のために生きてんだ」セスは言った。笑みは消えていた。「それが駄目ってんなら俺は死ぬね」


「ちょっと悲しいこと言わないでよ〜……」


「ま、その前に俺の中の解放を目覚めさせねェとな……!」


「まだコイツやってんの……笑」


「ず〜〜っとこれだよ…」


「うおおおおオオッッッ!!!!!」セスはもう一度、全身全霊で叶うはずのない現実を願う。


「ブラス__」


その瞬間


彼らの頭上で、神は試練を与えた


空が、割れる。


セスは叫ぶのをやめた。仰いだ空の一点に、ヒビが入っていた。岩盤に走るような、真っ黒なヒビが。


「……あ?ヒビ……」


次の瞬間、天空が砕け散り、裂け目から”それ”は喉を鳴らした。


人の腕ではない。禍々しく、巨大で、獣の毛に覆われた腕が裂け目の縁をつかみ、引き裂くようにして天から降りてきた。


「……ッ!!!!!!お前ら逃げ__」


バンの声が、爆音に消えた。


大地が揺れ。土煙が舞い上がり、視界が揺れる。

セスが目を開けたとき、目の前の光景に、もう一度目を閉じたくなる衝動に駆られた。


義兄の姿が、ない。


怪物の足元には腕と、大量の血が広がっていた。


「……は、……バ、ン……?」


「……や………いや……っ!!バンにッ、バン兄ィッ!!!」


「……ッッッ!!おいパンデラ!!逃げるぞ!!!」


セスはパンデラの手を掴んだ。恐怖が彼の身体へ信号を送る。


「セス兄ッ……!でもっ、!でもバン兄が!!!!」


「死んでねえッ!死んでねえはずだ!!アイツが俺達を置いて死ぬはずがねえ!!今はとにかく——」


高さは建物を超えていた。四肢が太く、赫く輝く目。獣の形をした、何か。

そうだ、バンから聞いたことがある。

解放を持つ化物__

解放獣。

それは、足を踏み出すたびに地面が揺らす。


「あいつから逃げるぞ!!!!!!」


獣が喉を鳴らし、咆哮した。

音が形を持った。衝撃波が地を這い、二人の身体を空中へ吹き飛ばした。


二人の非解放者は地面に叩きつけられる。耳鳴りが止まない。目の前が揺れている。


「これッ……"波動"の解放じゃ……!」パンデラが呻いた。


「……ッッ!!クソッッ……!!頭が……!揺れる……」


パンデラがよろめいた。立っていられない。セスは彼女へ手を伸ばした。


「パンデラ!逃げ——」


獣の前足が、横なぎに振り抜かれる。


まるで玩具を払うように、パンデラの身体が弾け飛んだ。


「……ッッ!!パンデラッッ!!!!」


セスは駆け寄る。だが間に合わなかった。地面に倒れたパンデラは言葉を返さない。


「……あ、……ああ゙ぁ……っ!!」

「なんだよッ!!!!俺達なんにも!!!ただっ、ただただ一生懸命生きてたのに!!!」

「最期がこれかよ!!!!!なんで!!なんでだよッ!!」


「なんで__」


獣の爪が、セスの左胸を貫いた。


音がした。骨が砕ける音だったかもしれない。分からなかった。ただ、地面が近くなって、それから何も分からなくなった。




(——クッッッソ……こんな、解放獣に……)

(全部……全部壊されて……)

(結局……何も変えられなかった……バンに温かい思いさせたかったし……パンデラにうまい肉食わせてやりたかった……)



《人は皆平等に 神を崇める》



(……あァ、神様……。一度……一度だけでいい……)



《神は皆不平等に 人に与える》



(どうか……頼むから………)



《それが この世界の規則》



(……死んでくれ……)





刹那。





セスの左胸から、腕が生えた。


自分の肉体から、黒く、禍々しく、しかし異様なほど神々しい腕が伸び、その掌が、セスの目の前に広げられた。脳の奥に声が響く。


〝命を繋ぐか?〟


「…………ッ!!!!!!」


〝代償と引き換えに、貴様の命を繋いでやる〟


〝代償は——〟


「……くッ……はやく……ッッ!!!!」


〝……?〟





「……どうでもいいからッ……早くしやがれクソ野郎!!!!!!」


〝……ッ!!不敬もいいとこだな!!貴様!!!!〟





黒い手が巨大化した。セスの全身を闇が包み込む。



〝代償は貴様の心臓だ〟



貫かれた胸が、塞がっていく感触があった。再生していく。骨が、肉が、皮膚が、音を立てて元に戻っていく。


〝さあ童…解き放て〟




「"解放"!!!!」




それは噴き出した。


黒く、禍々しく、神々しく、どくどくと脈打つ力が、セスの全身を包んでいる。嵐のような、濁流のような、それでいて確かに自分のものだと分かる力が、セスの体を纏う。


対峙した獣が、臨戦態勢を取る。


「……おい、テメェ……」


力が引いていく。セスの姿が、闇の中からゆっくりと現れた。


「俺んこと貫いといて……なに突っ立てんだ……」


少年は獣を見上げた。恐怖はなかった。”力”が、彼の身体へ信号を送る。



「一発は一発…!!スラムじゃ常識だぜ!?来いよモンスタァ!!!!」



獣が咆哮しながら突進した。

セスは一歩も引かない。


獣の剛腕がセスを捉えた。


同時に、


セスの拳が獣を捉えた。


どちらが先だったか、セスには分からなかった。ただ、自分の力がぶつかった感触と、何かが砕けた感触だけが残った。


「……バン……パンデラ……」


口が動いた。


「……いま、たすけ——」


地面が近くなった。


意識は遠くなる____






__うるさかった。


どこか遠くで、二つの声が言い合っている。男の声と、少女の声だ。内容はよく聞き取れなかったが、どちらも引く気配がなかった。


(「……こいつがあの解放獣ぶっ殺したんですか?」)


(「あぁそう。俺ば〜っちりこの目で見ちゃったもんね〜。……んしょ」)


(「……え、まさかこいつ連れてくんですか!?正気!?」)


(「正気も正気〜。……こいつが解放した時、額に十字架みたいな紋が浮かんでた気ィすんだよね」)


(「は!?!?それって…」)


(「いや〜〜わかんないよ!?ちらっと見えたぐらいだし……」)


(「ばっちりその目で見たんじゃないんですか!?」)


(「最近目悪くなってきたの!おじさんにこんなこと言わせないで!」)


(「いや自分の言葉に責任持てよ!!」)


(「アァ〜っ!敬語!クレアちゃんが敬語やめた!」)


(「今のダイナさんは敬えねえ!」)


(「年功序列ゥ゙〜〜!!敬うのは義務で〜〜す!!!!!」)


(「リーダーの姿か!?!?これが!?!?」)





「ああああああ〜〜っっっっ!!!!!!!!うるせーーーー!!!!!!」

耐えかねて、セスは叫んでいた。


「うおっ」「わっ」


知らない男と知らない少女が、間抜けな顔でこちらを見ている。


「……ン゙ん゙ッ!……おはよう少年……よく眠れたか?」


男は太く、がっしりとした体格をしていた。年は三十前後だろうか。どこか飄々とした空気をまとい、精一杯の決め顔をしながらこちらを見ている。


「さっきまでの痴態からよく持ち直せると思ったなこの人」


少女は十代半ばほど…自分と同じ年代のようにに見えた。黒く長い髪をひとつ結びにしており、鋭い目をしている。男の言葉にすぐさま追い打ちをかけていた。


彼女の言葉は耳に入ったが、セスの頭が向かったのは別のところだった。


「……ッ!!バンッ!パンデラはッ!!あいつら——」


立ち上がろうとして、初めて気がついた。



焼け野原だった。



そこがスラムだと気づくのには長い時間はかからなかった。建物の形をした炭の残骸が、見渡す限りに広がっている。自分が育った場所が、自分が走り回った場所が、全て——


「……悪いが、人探しならおすすめしない」男の声は先ほどとは違いすぎるほど、冷たかった。

「ここ一帯の生命反応は俺達を除いてゼロだ」


「ちょ……」少女が小さく声を上げる。



「……嘘つけ!!!」

「嘘ついてるように見えるか?」


すかさず男は答える。彼の顔、目、声色…全てを物語っていた。だからこそ、セスの喉が詰まった。


それでも信じたくなかった。信じてはいけない気がした。バンもパンデラも、自分が助けに戻ると信じているはずだ。諦めるなんて、そんなこと——


「……せっかく!解放に目覚めてもッ……あいつらがいなきゃ……ッ!!」


喉が詰まった。


「生きる意味が——」




飛んだ。


衝撃が来て、地面が遠くなって、セスの体は宙を舞っていた。男が放り投げたのだと、地面に叩きつけられてから理解した。


「!?!?」


男の手には剣が握られている。


「……お前…本気で言ってんなら、俺が殺してやるよ」


「ダイナさん!アンタ——」少女が口を挟む。


セスはその剣を見た。刃が自分へ向いている。一拍置いてから、口を開いた。


「……やれよ」


男——ダイナの目が、少し動いた。それから彼は口を開ける。


「……お前が死ねば、この不条理な現実は物語の一節として捨てられる!!」

「お前が死ねば、死んだ奴らは"神からの試練に耐えられなかった哀れな者たち"として消費される!!」

「そんなバカみてえな歴史の一部になる!お前もだ!!」


言葉が、胸に刺さった。


痛かった。剣よりもずっと。


「……それがお望みなら、潔く殺されとけ」




胸に刺さり続けている痛み。それがセスの身体へ信号を送る。


次の瞬間には、セスは振り落とされた刃を、力強く握りしめていた



「!!」少女の目が見開かれ、剣士は無言でセスを見つめていた。


「……頭ァ冴えた」

セスは立ち上がった。剣を握ったまま。



「あ゙ァ…そうか___」ダイナが口を開こうとした。



セスの拳が、ダイナの顔面に届いた。



「ブフッ笑」少女が吹き出した。ダイナは目を白黒させていた。


「えッ!?!?!?え、いた……痛い……!え殴られた……」


「難しい言葉ばっか言いやがって……ゴチャゴチャ抜かしてんじゃねえぞ!!!!」



声が出た。涙は出なかった。それでいいと思った。



「あいつらも!俺も!何の一部にもならねえ!!人生は俺達だけのモンだ!奪われてたまるか!!!!」



ダイナは地面から半身を起こし、口の端を歪めた。


「……フッ。いい心意気だな」


「カッコつかないって」少女は冷静だった。


セスは息を吐いた。怒りが少し引いていく。焼け野原の風が、頬を撫でた。


「……俺ん名前はセス。……なァ、あんたらって一体……」


二人が目を合わせた。何かを確認するような、短い沈黙だった。


「……よし!セス!お前には二つの道がある!!」


「おォ、なに急に」


「ひとつ!!!……神に頭ペコペコして、一部として消費されながら世を生きる、クソみてえな道」


ダイナは指を一本立てた。


「そしてふたつ!!!」

勢いよく2つ目の指が立てられる


「……解放犯罪者として、神を馬鹿にしながら俺達と世を練り歩く、険しい道」


無いはずの心臓に、何かが灯った。


「!!」


「どっちを選んでもテメエの人生だ。好きにしな」


「……ハッ」セスは鼻を鳴らした。「ハナからひとつしか無えじゃねえの」


「ヘヘ」


「…まじで言ってんの……」少女が頭を抱えた。


ダイナは笑いを収め、まっすぐにセスを見た。


「俺達は解放犯罪ギルド"BLASPHEMY"。解放事象を解明することを目的としている。セス、よろしくな」


「あァ、よろしく」


「……でも、殴ること無いと思うんだ……」


「……先手必勝がスラムの常識だぜ」


「やば」と少女が呟く。



焼け野原の向こうに、空が広がっていた。スラムから見ていた狭い空より、ずっと広かった。



【第一話 完】



【用語説明】

・'解放(ブラスト)'…この世界に存在する超常。”荒んでしまっている人間界を解き放ってくれる神様からのギフト”だとされている。物語の中心にある謎である。

・'解放者(ブラスター)'…解放を扱える人間。

・'解放獣'…解放に支配された化物。

・'解放犯罪者'…解放を悪用した犯罪を行った解放者や、禁忌に触れた者の総称。

・'解放犯罪ギルド'…解放犯罪者が力をつけ、集った組織。主に大人数。

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