4.二階 〜それはまだ頼りきりな探索〜
■地下迷宮 一階→二階 ナイラ 治癒術師Lv2 商人Lv2
「さーあ行っくぞぉ〜
一階ラストだお嬢ちゃん
行けるか?」
「何で改めて聞くんですか?
もち──もち」
もちろん
と言いたかった
ナイラはその言葉を飲み込んで
冷や汗をだらだら垂らした
ライトに照らされた正面の壁には
黒塗りの扉がひとつ
それとドアノブの横に小さく四角い穴が空いている
その穴の中にはこれも黒塗りの小さな宝箱が収まり
──そこまでなら良かったのだ
問題はその周辺
宝箱はそれを守るかに
様々な毒虫が上を這い回っていた
「いっやああああああああああああ」
ずざざっ
と後ずさって
先ほどまで隣にいたヤムの
動じない背中を見つめる
ナイラは息も絶え絶えで連れに聞く
「や、ヤムさん……それ、それぇ」
「どうしたぁ? ここで終わりか?」
「な、なー……なんなん」
「っておいおい
マジで言語中枢崩壊してんぞ」
「っ! 何か、何かないですか
良い道具!
いや防虫剤とか確かあったはず」
ちっ
ヤムはそんなには悔しくもなさそうに
軽めの舌打ちをした後
気付いたか
と呟いた
ナイラは両サイドに下ろした手を
ふるふると震わせて
いきどおりもあらわに愚痴る
「どういうことですかっ
そこは『こういうのあるぞ』って
私が聞く前から
出してくれてもいいじゃないですか」
「おいおい自分で言ったんだぞ
道具のあれやこれや
しゃべるなって」
ヤムはにまにまと笑いながらリュックを下ろす
ナイラは頬をふくらませて屈むと
ヤムの手元をよく照らした
「ううん
確かにそこは自分で気付きたい……
難しいです攻略」
「はは
慣れてくるさ
この迷宮内にはヒントがいっぱいだからな
さて
お嬢ちゃんはどちらが良い?」
「どちら?」
見るとヤムは片手に霧吹き
もう片方の手に黒塗りの鍵を持っていた
鍵のほうはシーフラビットが貯め込んでいたものだ
霧吹きのほうを指さして虫除けかと聞くと
彼は首を振った
「殺虫剤だ」
「……!
ダメですよ
私には使えません」
「何で?
お肌に優しいタイプだぞ」
彼女は自身が命の精霊と契約を交わしており
自らの意志で他の命を奪うことはしないと
誓いを立てている
何も考えず地面を歩いていて
蟻を潰してしまったりすることはあるが
基本は虫除けを焚くほうだ
「鍵、ください」
「ほいよ。百銀貨三枚な」
「ちょ? うさぎの貯蔵庫から持ってきた
やつですよね? 何で有料?」
「客は入手経路を知らないことがほとんどだ
おまえが特殊なだけだぜ」
「もー。これだから商売人は」
ナイラはウエストポーチから小銭を取り出して
鍵と交換すると早速鍵穴にそれを差し込んだ
鍵を回すと乾いた音が辺りに響く
彼女はドアを開けようとしてノブに手をかけ──
少し心許ない様子でヤムを見上げた
彼は、うん。と一度うなずいて彼女に進むように促す
とうとう二階だ
ナイラはノブを握る手のひらが
汗で濡れているのを感じた
大丈夫
だってまだヤムが一緒にいてくれる
だから
大丈夫だ
両目を閉じて
深く息を吸って
吐いて
両目を開けて
ドアを開けた
* * *
目の前には下りの階段が伸びている
ドアの前までは三人が横並びで歩ける
幅広の通路だったが
ヤムひとり分の横幅しかないドアをくぐると
幅はそのままで細い階段が続いていた
灯り棒で周囲を照らしながら降りていくと
階段を降りてもまだ目の前には
細い通路があるばかり
それは曲がり角や分かれ道が頻繁に現れる
巨大迷路のようだった
「地下迷宮の中にさらに巨大迷路……?」
何してるんだか
そうつぶやいたナイラの後ろから
ヤムの声が釘を刺す
「油断するなよ
強くはないが魔法生物が襲ってくる
それに連れとはぐれやすい」
はぐれやすいのは
いかにもありそうで
彼女も気を引き締めた
進んでいくうちに分かったこと
それは
魔法生物のほうが
索敵のれんで感知しやすい
ということだった
一階のものよりも素早く動く
青く発光するスライムや
目眩しがやっかいな鬼火
やわらかにうごめいて
探索者を呑み込もうとする生きた壁など
どれもナイラにも
遠くから索敵できたものばかりだ
ただ
見つけたモンスターを迂回しようとすると
迷路の細い入り組んだ道が
邪魔をすることも多々ある
そこへ持ってきて
ヤムの無茶振りが絶好調なため
ナイラは疲労困憊だった
やれスライムを走り幅跳びの要領で跳び越えろ
ウィスプを光石の灯りで懐柔して手懐けろ
ウォールをウィスプで炙って通り道を開けさせろ
「ヤムさん……だってそのスライムって
二メートルは広がってるじゃないですか
こんな重い荷物持ってるのにー」
「遠慮すんな
ほれこの要領だ
──跳べ!」
口を小さくへの字にしたナイラより
余程たくさんの荷物を背負っている彼は
数歩下がると何気なく跳んだ
まだまだ余裕がありそうな飛距離だ
えええ
と驚愕の声を上げる彼女を手招きする彼は
助走をつければ大丈夫だと
考えなしな要求をしてくる
だがナイラもここで止まってばかりは
いられないのだということも理解している
細い道いっぱいに広がっているモンスターと
戦わないなら避けるしかないのだ
彼女は後ろを向くと
五歩も十歩も進んで
助走距離を確保した
身を低くして走る態勢を作る
軽く息を吸って止めて
駆け出すと共にその息を吐き出した
踏み切りの位置は
そう悪くなかったはずだと思う
けれども空中でばたばたした彼女の足は
床ではなく流動体を踏んだ
「う……」
うえ〜ん
とでも言いたかったのだろう
彼女は泣き出すのを堪えて
顔をくしゃりとさせた
「ぶわはははははっ
安心しろ
そいつは火を近づけられない限り
攻撃してこないタイプだ」
「そうなの!?
じゃあ私のこれは……」
「いやいや
決して無駄な努力じゃないぞ
……ぷ
ぷぷぷ」
「うるさい笑うな〜!」
切れたナイラは足元に溜まっているスライムを
片手に握れる量だけちぎってヤムへと投げつけた
「いやん
やめてよ〜」
野太い声でそう言いつつも
特に避けるでもなく顔でスライム弾を食らうヤム
ナイラは我に返ってスライムから退くと
ヤムから回収したスライム片を本体へと返した
「ごめんね」
と謝るのも忘れずに
「いやおれには『ごめんね』ないのかよ」
「ヤムさんのは自業自得です」
靴の裏にスライムが残っていないことを確認してから
二人は探索を再開するのだった
* * *
索敵のれんは展開したままで
ゆうに三時間が経過していた
そろそろ休憩だ
そう思ってヤムに声をかけようとした瞬間
のれんが四方八方反応してから解除された
「な……っ!?」
「お嬢ちゃん! 罠踏んだな!」
「トラップ?」
踏んだと言われた足下を見れば
小さな魔法陣が光っている
おそらくモンスターを喚んでしまう
種類の陣だとはすぐ気付くが
どうしたことか召喚したその姿は見えない
「ヤムさんモンスターいるんですよね?」
「視えないのか……いや
それがいいかもな
こっちこい
おれの後ろに」
「はいっ」
見てさえいれば楽に乗り越えられる
小さな魔法陣をまたいで
ナイラが師匠のほうへ歩み寄ると
急に血相変えた彼が短く叫んだ
「しゃがめ!」
「え!? ──きゃっ」
反射神経は一階で鍛えられたので
急な指示にもある程度は反応できる
最初の言葉に対して慌てて屈んだナイラ
頭上を何かの気配が横薙ぎに駆け抜けていった
ほっとする間もなく叩き込まれたのは
おそらく蹴りだったのだろうと思う
横飛びに飛ばされて
すぐそばの壁にぶち当てられた際に
わずかに感じたのは腐敗臭だったか
視界のあちこちを
ちらちらと光る星の粒が飛ぶ
くらくらするめまいを
何度目かの瞬きで押さえつけて
転がったまま前を向く
目の前の床の上にヤムの足がある
かばってくれているのだと
すぐに分かった
その足の向こう側
ヤムと対峙しているものが
ぼんやりと空間を歪ませて
形を浮かび上がらせる
胸元や腰の前が外れて
使い物にならない鎧
敗れた衣服からのぞく深い裂傷
一部が溶けて崩れた人の姿
顔半分が白骨化した腐肉の戦士
あれは──あれは
生ける(リビング)屍!
「ひ」
ナイラは恐怖のあまり
悲鳴を上げることさえ忘れて
立ち上がりざま駆け出した
「おい! 嬢ちゃん戻れ!
ひとりで動くな!」
ヤムの言葉も聞こえてはいるが
理解はしていない
込み上げる吐き気と闘いながら
迷路を闇雲に走り抜けた
* * *
走るのに限界が来たと思ってから
さらに三つの曲がり角を曲がった
そこで走るのをやめた後も彼女は歩き続けている
目的は「屍から逃げるため」から
「ヤムを見つけるため」へと変わっていた
まだ単独で地下迷宮を探索できるほどの
力量は自分にはない
それが分かっているから
一歩一歩の足取りがどれも震えている
怖い こわい コワイ
「ヤムさんどこ……」
五歩向こうの灯が届かない暗闇に
何かが潜んでいたらどうしよう?
そうだ索敵のれんを展開しなければ
でも魔法の気配に引かれて
余計にモンスターを集めてしまわないだろうか
まだひとりでモンスターと
渡り合ったことがない
ゆくゆくは通過するべき
課題点ではあるものの
まだ早い
そう思っていた
震える足の太ももを握りこぶしで叩いて
ナイラは歩き続ける
すると恐る恐る展開した索敵のれんの
前方が反応した
友好的な緩やかな雰囲気とも
敵対的な激しい空気感とも違う
凪いだ気配が漂っている
それがどういう相手なのかナイラは気になった
だから逃げなかったのだ
「──何だ
貴様か」
「あなたは──」
あの時の
ナイラはそこまで言って固まった
暗闇から溶け出したその姿は
忘れもしない小麦色の肌に金の瞳
自分を庇って深傷を負った
あの時の青年だ
「こんな所に一人で何してる」
「連れとはぐれてしまったんです」
「今も奴らと一緒か?」
「いえ
彼らとは別れました
今は熟練の商人に同行させてもらっています
──そんなことよりっ」
「は?」
ずいっと詰め寄るナイラに目を丸くする青年
彼女は深々と頭を下げてから言った
「あの時は助けていただきありがとうございました
怪我はもう大丈夫ですか? 完治しました?」
「いや
いや──貴様が気にすることではない」
言って彼はマントを手繰り寄せ体を隠す
「気にしますよ! 見せてください
あれからずっと気になってたんです」
彼女はそのマントの端をつかんで引っ張った
「誰が傷をさらしたりするか
大体見せたところでお前に何ができる」
彼が上身をひねりマントを引っ張り返した
「私はこう見えても命属性の治癒術師ですっ
死霊以外のモンスターなら治療できますとも!」
彼女が両方の手で片方ずつマントを持ち
ぴやーと左右に広げた
両目が吊り上がって
口元も悪い笑みになっている
「なおさら辞めとけ
後悔するぞ!」
彼はマントから離した手で
自身の胸と腹を隠した
笑いたいんだか泣きたいんだか怒りたいんだか
微妙な表情だ
「私の後悔なんて安いものです
お願いします! 治療させてください!」
「あー……」
仕方ないな……
彼は斜め上を見上げて
渋々と体を隠していた両手を左右に下ろした
「ありがとうございます!」
不思議なことに
治癒魔法をかけたら
青年の傷は
確かに癒えたようなのだが
今度はナイラの身体に
痛みが出た
特に傷を負った訳ではないが
まるで筋肉痛のように
痛みだけが現れたのだ
「忠告はしたぞ」
「分かってたんですか?」
「お前……貴様が使うのは
命属性の治癒魔法だと言ったろう
私のように終属性の存在とは
相性が悪いのだ」
「あなた終属性なんですか?」
属性というのは
生命エネルギーの種類のことだ
生きているものには
必ず存在する
風火水土の四大属性が有名だが
冷気や光などもある
治癒術師であるナイラは
よく光属性に間違えられるが
実は光と闇をあわせ持つ
命に属している
ナイラは珍しい相手に会えて
うれしそうに
胸の前で両手のひらを合わせた
「初めて会いました
何だか色んなことを
三日坊主にしちゃいそうなイメージです
やっぱりお祭りは準備よりも
フィナーレの方がお好きなんですか?」
「……貴様はもう少し危機感を……
いや、もう良い
私はこれで行くとしよう
後悔を顧みず
傷を癒してくれたことに関しては
その内、礼をしよう
……貴様が生きていればの話だが」
「はい
じゃ、お礼をしてもらえるまで
頑張って生きてますね
今日はありがとうございました」
ナイラが笑顔で手を振ると
彼は無表情で踵を返して立ち去った
入れ替わりにやってきたのはヤムだ
「話し声で居場所が分かって助かったぜ
無事で良かった嬢ちゃん
──さっきのヤツ知り合いか? なかなか男前だ」
探索者だろ?
聞かれて困ったナイラだ
モンスターだろうと予想しているが
それも何となく言いづらくて言葉を濁しておいた
「地上では会ったことないですけどね」
「そうなのか
──それはさておき! 嬢ちゃん!」
「は、はい?」
「もしこれで合流できなかったら
どうするつもりだった?
まだ単独行動取るには早いぞ
──何があっても勝手に動くな」
「はい……すみません」
「本当に分かってんだろうな
次同じことやったら縁を切る
いいな」
「……! わ、分かりました」
ここで縁を切られたら生きて地上に戻れない
ナイラはよくよく自分に言い聞かせた
そうだ
生き延びるのは彼との約束でもある
お礼をしてもらえるまで
死ぬわけにはいかないのだ
うん
と
こぶしを握って
近い未来に思いを馳せるナイラだった
■地下迷宮 二階 ナイラ 治癒術師Lv2→3 商人Lv2
「めずらしいな
手負いのモンスターで友好的なのって」
地下迷宮へ何度目かのアタックで出会った
その珍しい存在は
体のあちこちから血を流しているのに
こちらへ牙も爪も向けてこなかった
「本当ですね……あのヤムさん
私行ってきてもいいですか?」
「もちろん
治してやれ」
尻尾が二本ある黒猫は
背中をざっくり斬られている
それを見たナイラはすぐに猫のそばまで寄って
治癒魔法をかけていいか尋ねた
猫は返事の代わりかその場でべったりと座り込む
命の精霊に捧げた祈りが
穏やかな闇を内包するいくつもの光の粒になり
猫の傷に吸い込まれていった
傷がなくなると猫は立ち上がって
しばらくナイラの屈んでいる足に
すり寄っていたが
やがて彼女に頭を撫でられるのに飽きたのか
するりと離れて数歩歩き闇に消えてしまった
その後には万金貨が三枚残されていた
「……」
「……」
商人コンビは驚愕に見開いた目を見交わした後
二人同時に金貨に駆け寄って
一枚ずつ拾い上げるとそれを噛んだ
噛み跡も金一色
「おうホンモンだ」
「すごいですね……
地上で探索者相手にしてたら
ありえない値段ですよ
せいぜい千銀貨二枚くらいで」
「迷宮価格ってヤツだな
大事にしまっとけ」
頼りない表情をして三枚の金貨を見つめるナイラ
どうしたと聞かれて顔を上げた
「私これ受け取ってしまって
いいものでしょうか」
「向こうが置いてったんだ
良いんじゃね?」
「だって今回のは
お金のためにしたことじゃないです
ただ元気になってほしくて
それに金額が高すぎます」
真剣に述べるナイラと裏腹
ヤムは呆れ顔で耳をほじりながら返した
「はあ
でも地上じゃ商売で
治癒魔法もかけんだろ」
「そうだけど
でも」
「気になんのか
普段あんなに現金なくせに
仕方ない嬢ちゃんだな
それなら精霊に誓うのはどうだ?」
「誓う?」
しょんぼりしていた彼女の顔からかげりが消えた
期待に満ちた面持ちで師匠を見つめる
満足そうに笑うヤムは腕を組んで言った
「そう
手負いのモンスターを必ず治療する
見返りはなし
ただし向こうが自発的にくれるものはもらう」
「……はい! そうします!
ありがとうございますヤムさん」
にぱっとうれしそうな満面の笑顔が開く
それ以来
不思議なほど
要治療の友好的なモンスターに
遭遇する率が増えた
おかげで経験をたくさん積めて
収入もある程度安定してきた
そして二階の迷路を踏破した頃
ナイラのレベルを測る計測管がいっぱいになった
「すごい……こんなに早くレベルが上がるなんて」
「おめでとうだな」
探索者たちの力量は
スキルごとのレベルによって測られる
スキルというのは職業とも言い換えられ
戦士や魔術士、獣使いなどが挙げられる
ナイラの場合は治癒術師だ
計測管という細くて透明な管によって
カウントされる経験値が管を満たすと
レベルアップの合図
これまで数字の2が浮かび上がっていた管の端に
今は3が描かれている
つい先ほどまで端から端まで乳白色で満たされていた
管は今はすべて透明になっていた
また次はレベル4になるまで
新たに経験を積んで管を塗りつぶしていくのだ
迷路のゴールで下の階に降りる階段を見つめて
ナイラは少しの寂しさと一抹の不安、
それとたくさんの緊張を感じていた
それはなんと予想外
階段の途中から
周囲が明るくなっていたのだ──
* * *
「これまでありがとうございました
本当に」
「がんばったもんだよ嬢ちゃん
──ええと
餞別にはやっぱりこれが良いかな」
「何かいただけるんですか
ラッキー♪
って……これ? すごい地図……
この迷宮の?」
「渡すかどうか迷ったんだけどな
おまえネタバレはイヤだと言ったろ」
覚えていてくれたことがうれしくて
地図から覗かせた目元を笑ませたナイラ
そう言えば彼は一階二階の探索中
先回りして教えることはせず
まず彼女の好きなようにやらせてくれていた
彼は続ける
「けど地図だけはやっぱし持っとくべきだ
それは魔法の地図でな
他の探索者の持ってる地図と情報を共有できる」
「情報の共有……」
「この迷宮の攻略情報だ
『この扉の鍵はこの部屋の中にある』とか
『ここにいる常駐型のモンスターの弱点は』とかな
書いてある」
それは本当に便利だと勧めてくるヤムの横で
ナイラは困った顔をして地図を見つめる
「私、地図を読むの苦手なんですが……
現在地が分からないことが多くて」
「安心しろ
現在地は地図に出てくる
たぶんおまえと同じ悩みを持つヤツが多いんだな
──ナイラ」
「……! ヤムさん今……!」
真ん丸い目をして大男を見上げたナイラ
その驚きの表情が徐々に笑顔へと変わっていく
ヤムはにやりと笑って言った
「言ったろ
一人前になったら呼んでやるってな」
「はい! ふふ
うれしいです
地図も──本当にありがとうございました
何から何まで」
「いいさ
おれもマンネリな迷宮商売の中で
最近は久しぶりに楽しかった
──達者でいろよ
七階で待ってる」
「はい! 七階で会えたら
たくさん買い物しますね」
「おお
そしたら負けてやるよ」
差し出された手を一度握ってから
それを振る
ヤムは手を振り返して
すたすたと歩み去った
何とも余裕だ
三階くらいなら怖いこともないのだろうな
とナイラは少しうらやましくなって
去りゆく広い背中を
──正確にはそこに背負われている商売道具を
じっと見つめていた
彼が曲がり角を曲がって
彼女の視界から消えるまでの間
ずっと