1.三階にて 〜単独行の始まり〜
■地下迷宮 三階 ナイラ 治癒術師Lv3 商人Lv2
時間はさかのぼって
今の彼女がいる場所は
地下迷宮の三階
曲がり角は
身を隠すには
ちょうど良い
娘は今
背にした壁にへばり付き
息を潜めて
時が経つのを
じっと待っているところ
このフロアは
壁が蛍光の黄色に発光しており
灯りがなくても
周囲がよく見える
角が丸い立方体の石のブロックが
等間隔に並んでいる迷宮
ブロックの一辺は
百五十センチほどだろうか
一階にはあったが
二階にはなかった苔が
ここ三階には生えている
明かりがあるからだ
後は水気も
三階の壁はどこも
触るとしっとりしている
水の精霊の気配もするため
この迷宮を作った折に
封じ込めたのだろうと
彼女は予想していた
三階に来てから
水辺にいるはずのモンスターを
よく見かけるようになった
そこから考えても確かだろう
モンスター
娘は
敵対的なモンスター
人間の探索者のパーティ
その両方から隠れて
一人でこの迷宮を攻略している
彼女の名はナイラ
真紅のリボンで纏めた
腰まである長い黒髪に
真白い長衣
更に
小柄な体格には見合わぬ
大きな荷物を
背に負っている
水精の影響を受けて
壁と同じくらい
しっとりしている髪は
少し重たげに横に垂らして
艶光る様子が美しい
彼女は
卵形の輪郭に大きな目が印象的な
地下迷宮には不釣り合いな
愛らしい顔立ちをしていた
その細い首がごくりと動いて
息を飲み込んだ
──時間よ早く経て……!
単独探索者である彼女にとって
三階のこの明るさは
プラスでもあり
またマイナスでもあった
今ナイラは
壁を挟んだ向こう側の通路にいる
目付きの悪い大イモリを
やり過ごしているところ
彼女の黒色の瞳は
真ん丸く見開かれた目の中で
じっと動かずにいた
あれは図鑑によると
確か
毒を持っているモンスターだ
好戦的で
すぐに噛み付いてくる
触らぬ神にたたりなし
近寄らないに限る
イモリの尻尾が
床をこする
ズルリズルリという音が
ゆっくりと遠のいていき
やがて
聞こえなくなった
ナイラは
詰めていた息を吐き出すと
イモリが進んだのとは
反対方向へ歩いていく
ほっとひと息した途端
鼓動が激しく打ちつけ
苦しくなった胸元を両手で押さえる
地下迷宮を
ひとりで歩くようになってから
戦闘になりかけると
いつもこうだ
なかなか慣れない
けれど
立ち止まるよりも
進んでしまったほうがいい
それは十匹ほどのモンスターを
やり過ごして気付いたことだった
十ブロックほど進むと
だいぶ安心感が増してきたか
口元に笑みを浮かべ
彼女は一度振り向いた
時々はこうして
良からぬ相手が近くまで来てないか
確かめないといけない
用心に用心を重ね
床を踏む
その靴は
底がゴムに近い素材で出来ており
かなり重いのだが
足音が立たないのが利点だ
敏捷性よりも
モンスターとの
エンカウント率の低下をとって
三階までは何とかなっている
しかし
四階以降では
できれば
身軽になっておきたい
単独行動のコツを教えてくれた師匠が
ナイラに語ったことだ
『モンスターと会わずに済ませられるのは
まあ大体三階までだな』
『四階からは駄目なんですか?』
『四階から下のモンスターは
幹部以外は縄張り意識が希薄でな
行けるところはどこでも行こうとする
だから行動範囲が広くて
探索者にも会いやすくなるんだ」
『……なるべく早く
浮遊の羽根を
手に入れるようにします』
浮遊の羽根は
靴に装着すると
床上一センチの高さを
歩けるようになる魔道具
本来の用途は
落とし穴等の罠避けだが
足音が一切立たなくなる
盗賊御用達のアイテムでもある
地上でも売ってるから
買うと良い
師匠はナイラにそう言った
紺色の髪に青い瞳
恰幅の良い大男だった
商売道具を山と携行し
魔法の財布を
地上の倉と繋げて
貨幣を出したり入れたりしていた
その様子が懐かしい
面倒見の良い師匠だったが
ソリストになると決めた時から
いつかは来ると分かっていた
別れの時は
三階に到着してから
すぐに訪れた
『戦闘スキルはあえて磨かなかった
回復技能は
薬の品ぞろえも
魔法の扱いも申し分ない
後は運だな
健闘を祈ってるぞ』
また会える日を楽しみにしている
そう告げた師匠は
軽く手を挙げて
ナイラと別れた
それからというもの
一人になったナイラは
曲がり角を曲がる度に
こっそりと
向こう側を覗いて
誰もいないことを確認してから
先へ進む
そんな慎重すぎるほど
慎重な探索を続けているのだった
三階の
湿気って重たく感じられる空気が
胸を圧迫する
深く呼吸して
気を取り直す
まだソロは始まったばかりだ──
* * *
さて
そんな彼女が
しばらく進むと
前方に
小さな動物が座って
震えているのが見えた
ジャンプ力のありそうな太めの足
今にも根本から千切れ落ちそうな
長い耳
血らしき赤い液体にまみれた全身は
ウサギに似ている
真ん丸い目は赤く
まるで泣いているかのよう
左のまぶたに傷跡がある
その獣に
彼女は
見覚えがあった
側に片膝をついて
話しかける
「どうしたの
また探索者にやられたの?」
ナイラが聞いても
言葉は返ってこないが
ひとつ頷くのを見た彼女は
いつものように
モンスターを治療することにした
相手はともかく
治癒魔法を使えば
それだけ経験になる
自分のためにも
相手のためにもなる
一石二鳥の
地下迷宮攻略方法だ
傷口に左手の平をかざし
右手の人差し指を天へ向ける
彼女は呪文を唱え始めた
「天に住まう
光の導き手に
お願い申し上げます……」
一番効力の弱い魔法でも
この程度の傷なら充分
そう考えて発動させる
魔法を使うと灯る光は
周囲の壁の明かりにまぎれて
目立たなかった
ウサギに似た動物は
魔法光が収まると
元通りにくっ付いた耳を
ピンと立たせてジャンプ一番
クルリと宙返りしてみせてから
どこかへ去っていった
後に残されたのは
ウサギの血の跡と
金貨が数枚
うまくいってホッとしたナイラは
金貨を回収した後
床に着いていた膝の汚れを
払い除けてから
また歩き始めた
と、さっきのウサギが
全速力で駆け戻ってくるではないか
見れば探索者たちに追われている
彼らは口々に
「ドロボー!」だの
「カギ返せ!」だのと
騒いでいた
ナイラはスピードを落としたウサギと
並走しながら言う
「こらまた!
盗みはダメよ
返してらっしゃい!」
あちこち曲がった先は
行き止まりだった
肩で息をしながら
背後からやって来た探索者たちに
降参の意味で
広げた両手をあげてみせる
と、革鎧を着て
剣を構えた男が
不穏な空気を漂わせながら
言ってきた
「あんたか、
盗みを命令したのは……」
「し、知らない知らない
濡れ衣ですよ!
私はこの子の怪我を治しただけ!
本当ですよ!!」
「仲間でもないモンスターを
わざわざ治療するのは怪しいわ
もしかしたら
そいつ
ドロップアウトなんじゃないの?」
「ちゃんと定期的に
地上に戻ってます!
魔物化した人間のモンスターじゃ
ありません!」
このやり取りが面倒で
探索者のパーティからも
身を隠しているのだ
彼女はウサギが持っていた
一階と二階を
行き来するための鍵を
探索者から言われた通り
彼らに返した
去り際
これから地上に戻る予定だが
一緒に来ないかと
同行を勧められた
これもまた
いつものことだ
彼らの目に
自分はよほど
頼りなく映るのだろう
礼とともに
丁重に断りを入れる
今回は四階まで
行ってみるつもりなのだと
冒険者一行を見送った彼女は
ウサギとも別れて
一度その場に落ち着くと
長衣の腰ポケットから
地図を取り出し
なるべく音を立てないように
注意しながら広げた
現在地の上に
小さな赤い三角が浮かんでいる
それによると彼女の次の目的地は
この通路の突き当たりを
右に曲がってすぐの扉の中
迷宮に入ってから初めて出会う
人語を解するモンスターがいる部屋、らしい
──彼女はもう
『人語を解する』相手には
出会っているが──
どうやらあれは
攻略情報にカウントされる
モンスターではなかったのか
おそらくイレギュラーだったのだろう
脳裏に思い浮かぶ
端正な顔立ちの青年
迷宮の闇に沈む小麦色の肌
低い声
一度思い出すと
あれこれと湧いてくる感情
次に会えるのは
いつ?
だなんて
心捕らわれている場合ではない
ナイラはいつしか
うつむいていた顔を
意識して持ち上げた
床に落ちていた視線を
地図の上に戻す
そして口を一文字に結んだ
今はまだ探索あるのみだ
この辺りはまだ
階層が浅いので
先達の探索者たちが地図に残した
この迷宮の攻略情報が
前もって詳細を
後進に教えてくれるのだ
ただ
情報はものによっては
実際にこの目で見るまで
何のことだか分からない
謎の予言めいたものもある
例えば
『古びたカゴで上下半分泣き別れ』とか
『極彩色に石化あり』などだ
ともあれ
ここは先に進むことにする
攻略情報によると
そこだけ真っ暗な部屋の中
そこにいるのは
まるまる太った
金色のニワトリ
観音開きの扉の
右側を開けると
鳥は
大きな声で鳴き
徘徊しているモンスターを
集めてしまう
そのため
経験値と金を稼ぎたいなら右
戦闘を回避するなら左だと
細かい気配りの
記載が続く
他にも色々と書いてあった
その内容を熟読した後
彼女はまず
地図に書いていないことから
やってみた
すなわち
ノック三回からの
あいさつ
「ごめんください」
「入りなさイ」
すると
ナイラが触る前から
扉が
右左両方とも開いた
「…………!!」
無言ながら口を叫びの形に開けて
真っ青になったナイラだったが
ニワトリは特に鳴かなかった
部屋の中も
今は
扉の外と同様に
明るい
「用件を聞こうカ」
ノックひとつで
こんなに状況が変わるのか
気を取り直した彼女は
感心しながら部屋に入った
そしてニワトリに答える
「四階へ降りたいんです
エレベーターを
動かすトークンを
私に売っていただけませんか?」
「いくつ入用かナ」
「ひとまず一ダースで
けっこうです」
ニワトリが
止まり木から床へ
降り立つ
そして飛ばずに
ナイラのいる方へ向かって
ちょいちょいと
跳ねるようにして歩いてくる
彼女の目の前で
立ち止まった鳥が
体を揺すると
どこから出てくるのか
その羽根と同じ金色の
円形のトークンが
コロリコロリと
転がり落ちて
床に貯まった
「持っていきなさイ」
「おいくらですか?」
「初回サービスで無料ダ」
値段は
持ち主の機嫌によって
変動すると
攻略情報にはあったが
高い時だと
トークン一枚で
万札一枚を
要求されるという
本当に良いのかと
問うたが
構わぬと言うので
手持ちの
食べるタイプの傷薬と
交換させてもらった
「思いがけず良い物をもらったな
礼になるか分からぬが
──オヌシ、
エレベーターの前にいる
あのワニには勝てるカ」
「いえ、無理です
時々いなくなる時があるので
それを狙うか
もしくは
眠り薬を使うかで
考えてます」
「ふむ。そこだ
あのワニはな
常駐タイプのモンスターと
考えられておるが
実は徘徊型のものだ
ゆえにワシの鳴き声で
ここに集めることができる
オヌシと
タイミングを
合わせてやろうカ?」
「本当ですか!?
それはすごく
助かります」
よしよしと言いながら
何度も頷くニワトリは
何となく微笑んでいるように感じられた
それに返す笑顔を向けて
彼女は深々と
頭を下げた
打ち合わせを済ませてから
部屋を出ると
地図で読める範囲内で
最短のルートを通って
エレベーターへと向かう
二回ほど隠れて
他のモンスターを
やり過ごしてから
ワニのいる場所へ
深い緑色のワニは
いつも顔をエレベーターに向けて
腹這いになっている
それが起きている時は
尻尾をゆらゆら揺らしているので
遠くからでもよく分かるのだが──
今は、起きている
打ち合わせ通り
隠れなければ
辺りを見回すと
ここから十五歩ほど
ワニに近付いたところに
隠れられそうな
横道があるのを見付けた
抜き足差し足で
近付いていく間
徐々に全貌が明らかになるワニに
気付かれないようにと祈りながら
残り数歩
百戦錬磨と思しきワニは
背中や尻尾に古い刀傷の跡が
いくつもあった
リズミカルに揺らしている尻尾に
まとわりついている苔が
左右にまき散らかされている
もう少し……というところで
遠くからニワトリの
鳴き声が聞こえてきた
「えええええええええええ」
驚愕の表情で動きを止めた
ナイラの視線と
ニワトリ部屋がある方向へ向き直った
ワニのそれとがぶつかる
ぱくぱくと口を開閉して
酸素を吸うナイラ
びっしり生えた鋭い牙を
舌先で舐めずるワニ
一瞬の沈黙の後
一人と一匹は
同時に
ニワトリ部屋がある方向へ
駆け出した
「いやあああああ!
早い早いですよ
ニワトリさんっ!!」
尻尾が床を叩くバタバタという音が
急速に近付いてくる
すぐ真後ろに大きな生き物の気配
後頭部に生温かい吐息が当たる
もう駄目だ
頭から齧られる
そして私の探索はここで終わり
──そう考えた時だった
「へぎゅっ」
膝裏をワニに踏まれて
床に突っ伏すナイラを
全身で踏ん付けて
ワニはバタバタと走り去ってしまった
後に取り残されたナイラは
ぴくぴくと痙攣しながら
親指を立てた
「け……結果オーライ……!」
■地下迷宮 三階 黄金ニワトリ モンスターLv5
「こっかどぅーどぅーどぅー!」
煌々と輝く室内で
止まり木に乗って
誇らしげに鳴くニワトリは
黄金色の翼をバサバサと羽ばたかせた
どうだ!
とばかりに胸を張る
その仕草は
我ながら良い仕事をしたぞとでも
言っているかのよう
開かれた扉の前に
わらわらと集まってくるモンスターたちは
しばらくの間
どこに始末すべき探索者がいるのかと
視線をさまよわせ探していたが
やがて
何だ呼ばれただけか
と見切りをつけて
それぞれ思い思いの場所へ
散っていくのだった
■地下迷宮 三階→四階 ナイラ 治癒術師Lv3 商人Lv2
ワニの巨体に踏み付けられた
その際のダメージを魔法で回復した後
ナイラは誰もいなくなった
エレベーター乗り場に
足を踏み入れた
金属製のエレベーターは
所々に錆が付いており
立つとギシギシ音が鳴る
その中は
やけに黒っぽい液体で汚れていた
その箱状の下半分は
金属で編まれた籠が囲っている
上半分は
金属の棒が四隅に立っているだけで
後はスカスカだ
トークンを入れるところは
でかでかと赤い矢印が描かれているので
すぐに分かった
一枚入れて下向きのボタンを押す
その汚れが気になったナイラは
籠が動いている間
その中に屈み込んで
汚れをじっと見つめていた
と、頭上で風圧を感じる
屈んだままで目線を上にやると
大きな鎌がゆっくりと
壁面に収納されていくところだった
それを見て
血がざあっと引いていく心地がした
この汚れは
これは──
先人の血なんだ
その時
ようやく彼女の中で
ひとつの言葉が現実と結びついた
いわく
『古びたカゴで上下半分泣き別れ』
このことか
たとえ意味不明なヒントであっても
忘れないようにしなくては──
ナイラは改めて
自身に言い聞かせるのだった