8.思いがけない出会い
大変お待たせしました。
弟と護衛騎士と幼馴染とアリストン公爵邸で話し合ってから、既に一週間経っていた。
「ねぇ、あれから竜の里のことについて何か進展はあったの? 」
これを弟達に聞くのがシルヴィアの日課である。が、聞いたところでなんの進展もなく、ただ過ぎていく日々にどうにも腐ってしまう。
「ごめんね、シルヴィー。まだアールも調整しているの一点張りで…… 」
「そっか……。デリックの方はどうなの? 」
頬を膨らませてたずねたシルヴィアに苦笑しながらデリックは首を振った。
「僕の方もまだなんだ。竜の里はこの国の竜騎士団を支える大事な場所だから、王と竜騎士以外は知らないんだ。それとなくヒューバート殿下に聞いてるんだけどね――なかなか 」
「ごめんね……、無理させて…… 」
しょんぼりと項垂れたシルヴィアにデリックは慌てて首を振る。
「何を言うの? シルヴィーと僕は双子だから助けるのは当然だし。それに、シルヴィーだけじゃなくて僕にも関わることだから。だから、もう少し待っててね 」
そう言って弟に両手を握られた。手袋越しに伝わる体温に、シルヴィアは顔を上げると頷いた。
「わかった。でもくれぐれも無理はしないようにね 」
「うん、ありがとうシルヴィー。じゃあ、僕は今からそのヒューバート殿下とナイトリー副団長に、殿下の契約竜であるブランカ・ルージャ様の飛ぶ姿を見学させて頂く約束をしているから行くね 」
デリックはそう言うと手を振りながら部屋を出て行った。
弟を笑顔で見送ったあとシルヴィアはソファーに座るとそのまま身体を預け深いため息をつく。
最近ため息ばかりついている気がするが、思うように進まない毎日に仕方ないことだと再び嘆息した。
身体を起こしてテーブルにある紅茶に手を伸ばそうとした時、何処からとも無く現れたメイドがカップを下げ新たに温かい紅茶を差し出してくれる。
カップに口をつけた後ほっと息を吐くとメイドに向って微笑んだ。
「美味しいわ。ありがとう 」
シルヴィアの言葉にメイドは笑顔で頭を下げ静かに部屋を出て行った。
最近メイド達は”アリストン公爵令嬢シルヴィア”がことある事に礼を言うことに慣れてきたのか、最初に比べると随分驚かれることが少なく無くなった。
ここ数日は話しかけると笑顔で対応してくれる者もいて、そんな些細なことが嬉しくてつい笑みが零れてしまう。
シルヴィアがメイド達のことを考えながら窓の外に目を向けると、その青空にいくつかの影が横切っていった。
(……ああ、竜騎士団が訓練をしているのね )
空に赤や青など様々な鱗色を持つ竜達が編隊を組んで飛ぶ様は、前世で一度だけ見た自衛隊の航空祭の飛行機を思い出させた。
そう頭に浮かんだところで、シルヴィアは苦笑してしまう。
自分の前世の名前は思い出せないのに小さかった頃、父親の肩の上で航空祭の花形である青い飛行機を眺めていたことは覚えているなんてなんとも変な話だ。
前世の記憶の中でも曖昧な部分と鮮明な部分があるのだが、こうして何かがきっかけで浮かんでくる記憶もあるのだからいつか自分の名前も思い出すのかもしれない。
まぁ、思い出したところで意味の無いものなのだが、思い出せたらいいなぁと思う。
シルヴィアはぼんやりと空を見上げると、竜騎士を背に乗せ悠々と飛ぶ竜達を眺めた。
ふと、その後方から凄いスピードで近づく影が目に飛び込んでくる。
「あれは……? 」
目に飛び込んできたそれは、白銀の鱗を持つ一際大きな竜だった。
白銀の竜と言えば、このゴルドラジェ王国王子殿下の騎竜で、世界で唯一の白銀竜として知らぬ者は誰もいない。
”白銀竜ブランカ・ルージャ”は白銀の鱗を輝かせ竜達の先頭に立つと王宮の方角へと方向を変え、あっという間に見えなくなった。
シルヴィアは彼の竜の背に騎竜していた金の髪の青年を思い出した。
「麗しの王子様……、ヒューバート殿下――か………… 」
ポツリと呟いた名前は静かな部屋に響いた。
王子のことを考えると必ず思い浮かぶあの人の素性は未だにわかっていない。
筆頭公爵である父に「王子と一緒にいた人は誰か」と容姿の特徴を説明してみたが、父は首を横に振るだけだった。
「消えろ」と言われるほどあの人の気に障ることを自身が気づかぬうちにしてしまったのかは正直分からない。
けれどそう言わせる何かが自分にはあったのだろう。これでは謝罪できないままだ。
「あの人に会いたいな…… 」
嫌われているとしても会いたくて仕方が無い。
やることは沢山あって、それが遅遅として進まないのだけれど、会いたいものは会いたいのだ。
いつかまたあの人に会えると信じて、今は少しずつ自分のやれることをやろうと新たに決意したシルヴィアだった。
そう決意した時、コンコン――と扉がノックされたと同時にガチャリと開く。
「……あのねぇ、グレン。ノックした後に返事も待たずに入ってくるのはどうかと思うんだけど? 」
半眼でグレンを見ると、全く気にした様子も無いグレンは肩を竦めた。
「まぁ、気にするな。それよりもこう毎日屋敷に閉じこもってても気が滅入るだろ? たまには街に行ってみないか? 」
グレンにしては気の効いた提案にシルヴィアは目を見開く。
「……どういう風の吹き回し? グレンが気が利くなんてきっと雨が――いえ、違うわね。槍が降るんじゃない? 」
「いくらなんでも槍は降るわけないだろが。因みにこの提案はデリックだけどな 」
ハハハと笑ったグレンを他所に、弟が気を使ってくれたと知って大いに納得した。
「やっぱりデリックはいい子だわ。グレンにしてはすごく良い提案だからおかしいと思ったのよね 」
「おいおい。俺にしてはってどういう意味だ。俺はどんだけ気が利かないやつなんだよ…… 」
がっくりと頭を垂れたグレンを見てつい吹きだしてしまう。
「ごめんごめん。グレンが昔から優しいお兄さんなのは分かってるから。だから、早く連れてって 」
「はいはい……では、シルヴィアお嬢様。行く前にお召し替えをお願いします 」
急に丁寧な言葉で幼馴染から護衛騎士になったグレンに、シルヴィアは笑顔で頷くと一旦自室へ戻ることにした。
扉を閉めた後、部屋の中でグレンが肩を震わせ口元を押さえて笑っていることをシルヴィアは知らなかった。
”以前”のシルヴィアからは考えられないような軽やかな足取りに「どんだけ楽しみにしてんだよ」とグレンが突っ込んでいたことも勿論知らないシルヴィアだった。
――――――――
シルヴィアは驚愕していた。
突然現れた目の前の人物にどう対応していいか全く分からないのだ。
自分はただ息抜きがしたくて、お忍びで街に出てきていただけ。
驚きで目を見開いたシルヴィアに、護衛としてついて来ていたグレンの怪訝な表情が目の端に入る。
偶然肩がぶつかり、シルヴィアが落とした手提げを拾ってくれた人物、それは――――。
「セリア・サンテール――――様!? 」
目の前に立っている少女は、なんと例の乙女ゲームのヒロインその人である。
つい呟いてしまった彼女の名前。しっかりと覚えている自分を褒めてあげたい。
それにしたって、何故彼女が今この時期にここにいるんだろうか?
だって、自分の知り得る限り彼女が王都へ来るのは一年後のはずである。いや、今となっては一年後だったのに、か。
それなのに、確かに彼女は目の前に存在していて、可愛らしい笑顔で自分の方へ拾った手提げを差し出しているのだ。
長く美しい黒髪を垂らし、青い瞳は宝石のように輝いていて、彼女がヒロインなのだと素直に納得できる。
そして差し出した手の白くて華奢なことと言ったら……。
シルヴィアの頭の中は大変混乱していた。
「あれ? えっと……、以前どこかでお会いしましたか? 」
にっこりと首を傾げたヒロインスマイルの破壊力は半端無い。
まるで彼女自身から光が発せられたかのように感じてしまうのは何故だろう。
この笑顔に掛かればどの攻略者たちもひとたまりも無いだろうなぁなんて素直に感心し、自分では到底こんな素敵な微笑み方は出来ないなとヒロインの凄さに感動した。
こういう可愛らしい感じの少女に生まれていれば、”以前”のシルヴィアも悪役令嬢になんてならなくてすんだのだろうか?などと思ったところでどうしようもないのだが。
それにしても目の前の少女に自分の呟きが聞こえていたことに再び驚く。なんという地獄耳だろうか。
シルヴィアは誤魔化すように微笑んだ。
「いいえ、お会いしたことはございません。けれどサンテール男爵の三女セリア様でいらっしゃいますわよね 」
「あなたは……? 」
「これは申し訳ございません。私、アリストン公爵家の長女でシルヴィア・アリストンと申します 」
そういって頭を下げたシルヴィアだったが、相手からは一向に反応がない。
訝しく思いながら頭を上げると、ヒロインは口をぽかんとあけてシルヴィアを凝視している。
「あ、あの。サンテール様、どうかされまして? 」
その声にはっとしたようにヒロインは急いで頭を下げた。
「す、すみませんっ! 私、アリストン公爵の御令嬢だとは気付かなくて。失礼な態度を…… 」
「ああ、そこは気になさらないで。私は今日はお忍びなんです。街に馴染む格好ですし誰も私が公爵令嬢だとは思わないですもの。ですから……ね? 」
「で、でも…… 」
涙目でシルヴィアを見つめるヒロインに、キュンとしてしまう。
(ああ、駄目だわ。この娘……ものすごくかわいい )
自分の心の内ではどうしようもなくヒロインにときめいてしまったが、それをおくびにも出さずヒロインに微笑んだ。
「それにしても、サンテール様はこちらへはご旅行ですか? 」
まだゲームの始まる時期ではない為、王都へくるとしたらきっと旅行に違いないとたずねてみると、その予想はあっさり裏切られた。
「あの……、いいえ。実は、私は王宮へ来月から行儀見習いとして上がることになっておりまして、王宮に上がるまではシビラ子爵に嫁いだ姉の屋敷でお世話になっているのです 」
「えっ! 来月!? ……ですか? 」
急に大きな声を出したシルヴィアに驚いた様子のヒロインも慌てて頷く。
「あっ……、大きな声を出してすみません。少し驚いてしまって…… 」
心中は少しどころかかなり驚愕しているのだが、動揺しているところを誤魔化すことが何とか出来た。
実際は動揺しているのはグレンにはダダ漏れだったのだが、今は突っ込むところでは無いと分かっている護衛騎士は気づかれない程度のため息をつくと口を開いた。
「シルヴィア様、そろそろ時間です。戻りましょう 」
「え、ええ。そうね……。それではサンテール様、これで失礼いたしますね。手提げを拾っていただきありがとうございました 」
シルヴィアは手提げを受け取ると再び頭を下げた。
「あ、はい。ご丁寧に……。それよりも、あの―――― 」
お礼を忘れず言えた自分にホッとしながら、ヒロインに別れを告げたシルヴィアはとりあえずその場から急いで離れることにした。
ヒロインが何か言いかけていたが、今はそれどころではない。早く家に帰って弟に報告をしなければいけない。
後ろから何かヒロインが叫んでいるような気がしたが、シルヴィアは振り返ることなく足早に歩を進める。
「シルヴィーいいのかー? さっきのかわいいお嬢ちゃん、何か言いたそうだったけど? 」
「ええ。いいのよ、ちょっと今は無理だから! 」
いつもと様子の違うシルヴィアにグレンは目を細めて見つめているが、それ以上シルヴィアが口を開かないと分かると黙って後をついて歩き出す。
ヒロインから少し距離を置いたところで歩調を緩めたシルヴィアは、なんとなく気になって後ろを振り返った。
人ごみの中、この国ではあまり見ることの無い程珍しい彼女の黒い髪は何処にいてもすぐに分かるほど目立つ。
だからすぐにヒロインが目に入った。どうやらまた誰かとぶつかったようだ。
そのせいか向こうは人ごみにまぎれたありきたりな金の髪を持つシルヴィアには気づいていないようだ。
やっと一息つけたと小さく息を吐いたシルヴィアは、再び息を詰めた。
「え――!? 嘘……っ 」
喉から引きつったような声を絞り出したシルヴィアにグレンは眉を顰めている。
「どうしたんだ? おい、シルヴィー? 」
怪訝そうな声でシルヴィアの肩に手を置いたグレンが、その場で固まっているシルヴィアの顔を心配そうに覗き込んできた。
目を見開いて来た方向を見つめるシルヴィアの様子にグレンは何かを感じ取ったのだろう。同じように視線の先に目を向けたのが分かった。
「グレン……お願い。早く――、早く連れて帰って…… 」
自分でも血の気が引いているのが分かったシルヴィアは吐き出すように呟く。
その只ならぬ様子に、グレンはシルヴィアを抱かかえると急いで走り出した。
「ごめんね。グレン…… 」
「……何があったのかは知らないが、気にするな。さぁ、帰ろう 」
あっという間に馬車の止めている場所へたどり着いたグレンは、押し込むようにシルヴィアを馬車へ乗せると御者に急いで屋敷に戻るように伝えた。
動き出した馬車の中で一人きりになったシルヴィアは震える手を握り締め、先程自分の目にしたことを思い出す。
愛らしいヒロインがぶつかって謝っていた人物は、あの人だった。
会いたくてたまらない白い髪に赤い瞳が印象的なあの人は、黒髪で青い瞳のヒロインとまるで一対の絵のようで、とてもお似合いだった。
ショックだった。あまりの二人の似合いぶりに本当にショックだったのだ。
そして、あの人は私が見つめていることに気がつき、驚いたような表情をしたかと思うと、眉間に皺を寄せシルヴィアを睨みつけてきた。
あの人はやっぱり自分を嫌っているのだと再度確認したようなもので、急に息が苦しくなってあの場に居たくないと逃げ出してしまった。
頬を流れ落ちる涙を拭うこともせずに、シルヴィアは両手で顔を隠して泣いた。
「ど、してこんなに……嫌わ、れてるのかな…… 」
(彼女にはあんなに優しそうな顔をしていたのに――、やっぱり私が悪役令嬢だから? だから嫌われるの? )
そう考えると、ますます涙が溢れてきて嗚咽だけが車中に響いた。
馬車の外では、グレンがその横を騎乗して走っている。
あの時のシルヴィアの、あまりのショックの受けように正直驚きを隠せなかった。
普段、元気でグレンに対してずけずけと物言う妹のような幼馴染の彼女は、いつものその好ましい元気さが一切無く、ただ真っ青な顔で目を見開いていた。
シルヴィアの視線の先には、先程の可愛らしい少女と、驚くほどの美形がいて、何故か殺気を孕んだ視線をこちらに向け睨んでいた。
少女はこちらに気づいていない様子だったが、男は視線だけで人を殺せそうなほどの怒気と殺気をを纏っていて、正直「あれ? 俺、何かしたっけ?」と一瞬自問自答してしまった。
今にもこちらに走ってきそうな男と、シルヴィアのあまりの様子に、グレンはシルヴィアを抱きかかえると急いで馬車に走って逃げたほどだ。
あのままあそこにいたらどうなっていたか正直分からない。
ただ、あの驚くほど美形な男が自分では到底叶わないほどの力を持っていることは、あの殺気だけで十分理解できた。
「あいつ、ただもんじゃねーな…… 」
震える手で手綱を握りながら、グレンは馬車の中にいるシルヴィアを思い大きく嘆息したのだった。
思いがけない出会いは、ヒロインとあの人でした……
(シルヴィアの目で見た)状況だけ見るとシルヴィアが不憫でなりません
7/9 文章のおかしなところを加筆訂正しました
この度は更新がかなり遅くなり、ブクマしていただいている方にはご迷惑をお掛けしております。
申し訳ありませんでした。
仕事と生活がかなりばたついておりまして、
時間があるときには書くようにはしてたんですが
見切り発車の悪役令嬢は思うように動いてくれず……
今回少し動きがありましたので、このまま動いてくれればと思います。
今後も更新が亀になるかと思いますが、飽きずにお付き合いただければと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。