名を折るならば骨を折れ 1
「良い子にしていれば幸せになれるってお母さんはいつも言ってた」
まるで言い訳のように、『顔剥ぎ』はそう言って胸に手を当てる。
彼女の下半身…と呼んでいいのか、オルゴイ・ホルホイの胴体が胸の下に続いていなければ、それは敬虔に祈りを捧げているかのようだ。
「だから私はいつだって正しく優しく生きてきたの」
ぐねり、と無数の環で構成されたような胴体が動く。その動作で、まだなんとか崩壊を免れていた壁が薙ぎ払われる。
濛々と立ち上がる砂煙に包まれながら、『顔剥ぎ』はうっとりと微笑んでいた。
「正しく優しく生きてきたヤツが、人ぶっ殺して家壊すかよクソが」
クロムの罵倒は、めずらしく正論だ。どう考えても、主張と行為が一致しないぞ。
正しく優しくても壁壊す人はいるけれど…バルト陛下とか、ユーシンとか…敵でもない、関係もない人を何人も殺して回るのは、正しくも優しくもない。
「だってあの人たちは苦しんでいたからだから私が助けてあげたの」
にこりと微笑んで、彼女は俺たちを見下ろす。
その双眸には、残念なことに狂気や悪意は見えなかった。
いっそ、ドノヴァン大司祭のように…狂気に塗れているとか、自分の行いを正しくはないと理解しながらも、悪意と歪んだ愉悦を浮かべていた方が、納得が出来る。
けれど。
正気…と、この状態を称していいのかは悩ましいが、彼女は自分の意志で「正義」を「優しさ」でもって遂行している。
「だからほら皆こんなに嬉しそう!私誰かが苦しんでいるのを放っておけないの!優しすぎるって怒られても!」
『顔剥ぎ』の影が広がった。
そこから身を起こし、緩慢な動作で歩み出てくるのは…十人ほどの人影。
爛れた皮膚が張り付いた…人影だった。
ただ、何故か顔だけは、『顔剥ぎ』と同じうっとりとした微笑みを浮かべている。
いや、より正確に言えば、笑みを浮かべた状態で剥ぎ取られた顔が、べったりと張り付いていた。
「うげ…」
その悍ましい姿に漏れた声は、誰のものか。俺だったとしても、驚かない。
「ね?みんな、とっても幸せそう!私のおかげだって、感謝してくれてるの!」
嬉しそうに自慢する『顔剥ぎ』の声には、嫌悪と吐き気しか感じない。
けれど、脳裏によみがえったのは、チェさんの声。
お姐さん、生きていたくないんや。
積極的に自害するほどでもない。
けれど、生きるのは苦しく、辛い。
そうした人々にとっては、もしかしたら、ほんの僅かでも…死は、救済であったのかもしれない。
でも、だ。
「いや。お前はただの罪人だ」
それを決めるのは、断して『顔剥ぎ』じゃない!
「私、何も悪い事なんてしてない!どうしてみんなそうやって私を苛めるの!」
「アスランの国法で、殺人は三種に分類される」
俺の声に、『顔剥ぎ』は怯えたように身を縮こまらせた。まるで自分が被害者ですって顔だ。
そうやって、たくさんの人を「悪」と断じてきたんだろう。正しい自分、優しい私を苛める「悪人」だと。
その、決して珍しくはない被害者意識に、魔が忍び込んだのだとすれば…確かに彼女は被害者なのかもしれない。
自分は悪くないと、誰かを責め立てる人間なんてどこにでもいる。
運の風向きによっては、彼女はごく当たり前の、どこにでもいる、ちょっと困った人…くらいで生きて行けただろうに。
だから、魔の眷属に堕ちたこと自体は、彼女の罪じゃない。
そう、彼女は罪は、別にある。
「まずは、防衛のための殺人。これは証明されれば、基本的に罪に問われることはない」
「私は人助けしただけ!だから悪い事じゃないもの!」
「次に、金銭や怨恨による殺人。基本的には死罪だが、情状酌量の余地があれば、奴隷に落とされる程度で済む場合もある」
「それも違う!だって私は」
「最後に、快楽目的の殺人。それを行ったものは、必ず死罪だ。何故なら、人殺しを愉しむ人間は、人間の群れにいてはいけないから。人肉の味を覚えた猛獣と同じだ。決して、逃してはならない」
『顔剥ぎ』の主張を遮り、言い切る。
これから俺がなそうとすることは、ある意味、理不尽な暴力だ。『顔剥ぎ』の自分勝手な救済と変わらないのかもしれない。
けれど、これは、俺が。
「ファン・ナランハル・アスランが裁く」
俺が、背負わなくちゃいけないこと。
アスランの王族として。
「彼の者、快楽殺人ならび、それを繰り返した事により、アスランの敵と判じた。よって処断とする。十二狗将がひとり、ジャスワン将軍。立会人を命ずる」
「御意に」
かつん、と長柄斧の柄を地に当て、ジャスワン将軍は俺の命令に従った。
視線を向けると、神妙な顔がにっこりと表情を変える。
「恐れながら、ナランハル。ひとつ、命令を訂正していただきたく」
「え?」
「立会人ではなく、執行人に命じていただきたい」
底冷えするような声は、彼の怒りがたっぷりと込められていた。
まあ、どっちにしろ、俺があれにとどめをさせるかって言ったら、可能性は低いしね。
兄貴がいない今、現状最強の戦力は、彼だ。
ジャスワン将軍はどちらかと言えば、戦場や戦前戦後の駆け引きの巧さで知られる将軍だけれど、それだけで十二狗将になれるはずもない。
「わかった。ただ、無理にとどめを取りに行かないと約束してくれるなら。将軍をこんな局地戦で喪うわけにはいかない」
「わかってますってえw」
ジャスワン将軍はまだ若い。これから先、兄貴の治世でも活躍してもらわないと困るからね。
こんなオルゴイ・ホルホイの出来損ないと引き換えになんて、絶対に許されない人材だ。
「…ナランハル?」
そんな俺たちの会話が聞こえていたのか、『顔剥ぎ』の顏から笑みが消えた。
いや、消えていない…うっとりした笑みから、驚いて…そして嬉しそうに口許を緩ませる。
「まあ!ナランハルが直々に!?ああどうしましょう…困っちゃう…」
なんだろう。
ナランハルが…つまり王族が直々に処罰を命じることを、名誉と思っているわけじゃないよな?
「ああでもごめんなさい!貴方の想いにはお答えできません!だってやっぱり私にはオドンナルガがいらっしゃるもの!」
…ええっと?
「私のような優しい人間こそ次期后妃に相応しいですから…!ごめんなさい!二太子夫人じゃ…いるだけですよね?それだと私の優しさが無駄になるって言うか…」
「ファン」
つらつらと垂れ流される妄想に言葉を失っていると、ものっすごく冷たい声がした。
「ガ、ガラテア…さん?」
「私もあいつを殴りたい。今からでも、トールに魔道具を要請することはできようか?」
「ど、どうかな?」
「いや…私の錫杖なら通る可能性が高いな。ファン。あの気色悪い者ども、不浄屍だ」
ガラテアさんは、大海の主の司祭だ。
大海の主が司どるものは海そのものだし、加護は航海の安全とか水難避けではある。けれど、司祭が悪霊や動く死体…つまり、不浄なものどもの天敵であることは変わらない。
「『顔剥ぎ』が操っている?」
「ああ。奴が使役しているのも間違いない。『退魔』の御業が効くかどうかは厳しいところだな。生前、大海の主の信徒だったなら覿面だが」
大都で殺された犠牲者たちであるなら、雷帝の信徒だった可能性が高い。でも、移民が主なら、そうとも限らないか。
「試してみてもいいが、それよりも叩き伏せた方が早いな」
「不浄屍だとしたら、かなり厄介だね…」
何せ、元から死んでいるから、なかなか倒れない。人間なら痛みや失血で動きが止るけれど、それもない。
「そうだな!クロムが怖がる!」
「ッ…ねーよ!馬鹿!実体があって斬れるなら、ビビるわけねーだろ!!」
茶化す声に、クロムが即座に噛みついた。最初の一声が少し震えていたのは、聞かなかったことにしよう。
まあ、本当にクロムが幽霊が怖い理由って、自分じゃどうしようもないからみたいだし。
「…だが、少し問題がある。『爪』が、本体はともかく、あの気持ち悪い死に損ないどもを斬るのを嫌がってる…ような気がする」
クロムの背には、無爪紅鴉旗に包まれた『紅鴉の爪』がある。
真の鋼で造られ、そして神性すら宿す一振りは、当然ながら通常の武器では傷付かない魔物であろうと、やすやすと切り裂く。それは、マルダレス山で実証済みだ。
ただ、気に食わない扱いをすると、即時に持ち主や周りの人間を祟り殺すというとんでもなく気難しい御方でもあるわけで。
「説得とか、できない?」
「クロムに似た気質なのだと聞いた!ならば説得など時間の無駄だろう!クロムはとどめを狙っておけばいい!」
「おにーさん、とどめ取りたいかったけどぉ。ナランハルにも約束しちゃったしぃ。我慢しゅる~」
「わかった。あと、ファン、姉さんがつっこまないよう、そちらこそ説得しておいてくれ…」
シドの懇願に、ガラテアさんの笑みが一瞬深くなり、ヤクモが「ぴ」と悲鳴を上げた。
「後で、覚えておけ?ふん。仕方がない。ファン、ヤクモ。すまないが、しばらく私を守っていてくれ」
「しばらくどころか、年が明けたって守り続けるけど…どうして?」
「不浄屍どもをどれだけ召喚できるのかわからないが、数が多くなれば戦い続けるのも苦しい。『聖域』の御業で安全地帯を作る」
『聖域』…周囲を清め、不浄なものが入れない空間を作る御業だ。神殿では毎日、この御業を張りなおす。
御業を授かった司祭がいなくても、儀式や聖具で代用がきくから、どんな小さな神殿でも『聖域』として不浄なものを拒む。なので、昔話や最近あったと語られる怪談でも、皆とりあえず神殿へ逃げ込むわけだ。
「『聖域』の発動には時間がかかる。その間、私は祈りを捧げる以外何もできない」
「わかった。何があろうと、君は俺が守るよ」
「ぼくも頑張るねぃ!」
俺とヤクモの返答に、ガラテアさんは先ほどシドに向けていたのとは種類の違う微笑みを、そのきれいな唇にのせた。
「ありがとう。二人とも。信じている」
その信頼には応えたい。すっごく、応えたい。
が、俺がいかに頑張ろうと死力を尽くそうと、俺の実力的に限界がある。
「クロム!」
「なんだ」
「お前もこっち!後衛に回ってくれ!」
俺の指示に、クロムは軽く頷くと同時に、視線を前からそらすことなく俺の前まで下がってきた。
「必要と感じたら、躊躇なく『砦』を使うからな」
「わかった。使うタイミングはお前に任せる。『爪』はやっぱり嫌そうか?」
「抜こうとすると、頭がぴりっとする。くそ…フレルバタル師の剣、こんなのに使いたくなかったが…」
うーん…『紅鴉の爪』より出し惜しむのは、如何なもんかと思うぞ?
「クロム、ヤクモ。剣をちょっとこっちに」
「う?どしたの?」
「祈りの入る前に、お前たちの剣に『聖力』の御業を願う。不浄屍どもに有効だ。というか、クロムは刻印持ちであるのなら、己が神に願えるはずなのだがな」
え、そうなの?って顔を、きっと俺も浮かべている。
クロムが使える御業というか、騎士神が授ける御業は『砦』と『剣』と『盾』だけって思ってたけど…もっとあってもおかしくないか。
騎士神の神官は司祭に相当するのが聖騎士だけれど、そいや『癒し』とか使うみたいだしなあ。実際に見たことはなく、物語とかで読んだだけだけど。
「一度、やってみろ」
「…どうやんだよ」
視線は『顔剝ぎ』からそらさないまま、クロムは少し困惑した声をあげた。
術式がある魔導と違って、御業はこう、なんとなーく、出てくるものだからな。
あ、っていうか、同じ刻印持ちの俺だって、付与できたりする?
「私は刻印持ちではないが、神殿長様が刻印に武器を押し当て、聖力を移していたのを見たことがある。刻印は神と繋がるものだからな」
「俺も自分の刻印でどうにかならないか試してみるよ!」
この場合、弓に移せばいい?それとも矢?
様子を伺えば、『顔剝ぎ』はまだ何かうだうだと言い募っている。周りを囲む不浄屍どもも、揺れているだけだ。
とりあえず右手に刻印を出現させて、弓を握る。そっか。さっき、ヤクモのお父さんにやったみたいな感じで…。
「ファン。お前の御業は、灯の刻印は、導き悪しき戒めを打ち破る。同じように、皆の武器を清めることが出来るのではないか?」
「出来るかはわからないけれど、やってみるよ」
精霊銀製の武器は魔力を帯びているから、通常の武器じゃ傷付けられない相手にも有効だけれど、不浄屍に絶大な効果があるのは聖なる力の方だ。
一番強力なのは、マルダレス山で借りた女神の矢みたいに、特殊な金属で造られ、かつ、神殿で清められた武器。つまり、疑似的にそうした武器を作れる…かも知れないのか。
灯の刻印を使う時、特になんかこう、祈ったり、意識したことはない。
使おうと思ったら、なんかできちゃうからだけど…それをちょっと意識を変えて。
この掌の熱が、皆を守るように。
皆の力になるように。
「…なに…!?ナランハル何しているの!!止めて!気持ち悪い!!」
突然響いた悲鳴…と言うより、罵声に視線を向けると…先ほどまでのうっとりとした笑みを消して、『顔剥ぎ』が歯を食いしばっていた。
「できたかどうかわからないけど…もしかしたら、効果がある?」
「…こっちも、どうにかできたっぽいぜ」
半分振り向いて笑うクロムの額には、騎士神の刻印が浮かび上がっている。なんの御業も使っていないせいか、出血はしていなかった。
久しぶりに、血まみれでない騎士神の刻印を見たなあ。
「ほら」
ちょっと得意げな声で見せてきた剣、フレルバタル師から頂いた名剣の切先にほど近い部分に、うっすらと輝いているのは、持ち主の額で明滅するのと同じ刻印。
「上出来だ」
「なんでガラテアが偉そうなんだよ」
「それ言ったら、クロムもいっつも偉そうだけどねぃ。ファン、なんかさ、ぼくの剣もちょっとあったかい気がするよ」
「俺の槍もだ!」
頬に槍の穂先をくっつけながらユーシンが笑う。やめなさい。危ないから。
「いつまで持つか、検証なんか全くしてない!油断しないでくれ!」
「御意wんでぇ、悪いんだけどさあ。両殿下に先陣きってもらってよい?おにーさん、ちょっと気になることあるから」
「全くもってかまわん!どうせそうするつもりだ!」
「俺もだ」
ジャスワン将軍の気になること?なんだろう。
けれど、すでに『顔剝ぎ』はこちらを憎々し気に見ている。下手に手の内を明かすのは良くないな。
「大いなる御方、大海の主よ。ここに我らが港を。青褪めた男の船は舳先を向けることも叶わず、穢れた灯は帆に燃えうつること許されぬ…」
ガラテアさんの祝詞が静かに広がっていく。
それはとても綺麗で、ずっと聞いていたい。けど。
「やめろ!!うるさい!!みんな!この嫌な音を止めて!!」
身を捩り、『顔剝ぎ』が叫び…それを合図に、屍たちが動き出す!
「行かせるものか!」
吠えるように応えたのは、シドだった。
淡く輝くバスタードソードを下段にかまえ、藻掻くように走り出した屍たちの前に飛び出す。
一閃。
音はしなかったけれど、突風が駆け抜けたような響きが聞こえた気がした。
音がしたのは、その一瞬後。重い音と共に、分断された不浄屍が地面に落ち、絶対に触りたくない感じの泥になって蟠る。
「やるな!」
シドを褒めつつ、ユーシンも飛び出した。シドに群がろうとした不浄屍二体を一払いで叩き伏せる。やっぱり、不浄屍は大した敵じゃない。いや、俺に向かってこられたら厳しいとは思うけれど。
「な、なんか、弱い?」
「不浄屍が厄介なのは、死んでるから多少の事じゃ止まらないからだからな。清めた武器があれば、それはなくなるし」
「そかー…あ、ファン!なんかうぞぞって!!」
ヤクモの指さす方を見ると、そこから新たな不浄屍が一、二…五体。
いや、視界のあちらこちらで、影を割って不浄屍が這い出して来る。
その数…ざっと塊ごとに数えて、三十…いや、まだ増える!?
「あらやだ。こっちの気になる方も当たっちゃったかあ」
「将軍、予測してたの?」
「口ぶりからさあ。自分で殺したヒトしか使役できねーのかなってちょっと期待してたんだけどねえ」
大斧が振り回され、もう数えるのも困難になって、襲い来るというより押し寄せ来る不浄屍を吹き飛ばす。
けれど、まったく数が減ったようには見えなかった。
「そーじゃないね。なんかしらどっかしらで拾った死体を操ってんのね。いやあさ、ラスヤントで汚泥掬いの奴隷とかあ、討伐した水賊を埋める穴が掘り返されててね。穴一個に十人。それが二十四かな。土がめくられててさあ。中に入っているはずのモンがなくなっててぇ。この時期だし、魔獣の仕業か、それこそオルゴイ・ホルホイ!?ってなったんだけど」
『顔剝ぎ』は、ラスヤントでヤクモを襲った。
その前には、サライに出没した。
俺たちと同じ経路で…大都へ戻ったのだとしたら。
「フフホトでは墓荒らしがあったって報告は聞いてない」
フフホトは小さな町だ。罪人や路上で凍死し、引き取り手のない移民流民を放り込んで埋める穴はない。
無縁墓地もあるけれど、客死した旅人か弔う家族のいない人が入る程度で、規模は小さく、手入れは行き届いている。
そんなところが荒らされれば、すぐに大騒ぎになっただろう。
他の通ってきた町でもそんな噂は聞いていない。
だとすれば。
『顔剝ぎ』が不浄屍の材料として、たくさんの遺体を集めたのだとしたら。
奴が操ることが出来る…もしくは、集めたいと思う遺体には、条件がある…のかもしれない。
私は優しい。感謝されている。
それが『顔剝ぎ』の一貫した主張だ。そして、『顔剝ぎ』は分別もつかないほど狂っているわけではない。
奴は正気でおかしいだけだ。
墓を荒しはしない。きちんと葬られた遺体を掘り返すのは「悪い事」だと認識している。
だが、奴隷として酷使されて死に、同じような他人と共に穴に投げ込まれて、土をかぶせて「埋められた」人を「助けて感謝されている」つもりってことか?
だとするなら…おそらく、サライでも同じような事をしているだろう。
ラスヤントで少なくとも二百四十。サライでも同程度なら五百近く。
そして…この大都を取り巻く長城の外にある投げ込み穴の数は、百や二百じゃ足りない。冬は遺体がなかなか土に帰らず、どんどん穴が増えるから。
「数に限りがあるって信じたいわwこのままじゃ押し負ける」
不浄屍一体一体は弱い。同時に飛びかかって来ても、ユーシンとシド、それにジャスワン将軍で隊形を入れ替えながら対処できている。
けれど、それが永遠にできるわけもない。こっちは生きているんだ。いずれ体力が尽きる。
「こっちくんな!!」
「やっぱ、近くまで来るとクセェな」
三人の防御を潜り抜け…と言うか、三人の後ろ、俺たち側に湧き出た不浄屍は、クロムとヤクモが的確に切り捨てていた。
ガラテアさんは目を閉じ、手を合わせ、ただひたすらに祈っている。その声があとどれくらいで大海の主に届くかはわからないけれど、『聖域』が発動すれば、安全地帯は確保できるだろう。
でも、それで俺たちだけどうにかなったとして。
『顔剝ぎ』は諦めるか?そんなわけはない。兄貴が軍を動かす前に、異変を察した守備兵や衛兵がここにやって来たら。
それ以前に、この周辺は再開発のために無人…ってことにはなっている。でも、雪風を凌げて誰も近付かない空き家が立ちならぶ一帯だ。大都の戸籍簿に載っていない住人がいる可能性は…高い。
なんとかして…不浄屍の増殖を止めないと!
兄貴みたいな魔導師がいれば、一気に薙ぎ払うことが出来るかもしれない。
祓霊を得意とする雷帝の司祭なら、一気にあの世へ送りだす事もできるだろう。
けど、今、この場所にはいない。なら、俺らでとりあえず何とかするしかないよな。
不浄屍は悪霊みたいな強い恨みで自然発生するもんじゃなく、必ず行使する術者がいる。
この場合は、『顔剝ぎ』だ。おそらくそれは、万魔の王から与えられた、模倣の力だろう。
不浄屍の召喚…影から湧いて出いたように見える。確か、どっかの神殿で厳重に封印された呪具で、そんなのがあったはずだ。
その記録が書かれた本を読んだ記憶じゃ、召喚できるのはせいぜい一体か二体だったはずだけれど、魔王は模倣するだけじゃなく組み合わせる事もできるみたいだからな。
ドノヴァン大司祭が、本来のクバンダ・チャタカラとはかけ離れた硬い装甲を与えられていたように。
おそらく、これは能力ではなく、魔導具の模倣だ。
本人の能力だとするなら、無理がある。死霊術と実体を持ったものを別空間に収納・放出する術式は、系統がまるで違う。
魔王は「模倣」しかできない。まったくないものを、無から有を生みだす事はできない。
『顔剝ぎ』がどちらかの魔導に才能があったとしても、まったく違う魔導を使いこなす能力を与えることはできないんだ。
なら、不浄屍を作り出し、操る死霊術か、呼び出すための召喚術か。どちらかかどっちもは、魔導具か邪神の力を与えられた呪具だろう。
それなら…!
右手に灯を受け取った日。
あの時も、似たような事をしたな。
「一射必中…」
矢を番える。弓から矢へと、灯の熱が移っていくのを念じながら。
「一撃討滅!!」
大祖より受け継がれてきた、祈りの言葉。
魂を込め、その血に相応しい一射を放つと誓う言葉。
シンクロウが「会心の出来だぜ!」と自慢した鏃は、幼馴染の矢師が素晴らしい出来栄えの矢にしてくれた。
弦を鳴らし風を貫き。
矢は狙い違わず、『顔剝ぎ』の咽喉を穿つ。
「ッッグァっ!?」
咽喉に食い込み、矢羽根を震わせる矢。返しはついていないから引き抜こうと思えば抜けるけれど、それは鏃をもう一度肉へ潜らせることを意味する。
普段は一般人として生活し、自分より圧倒的に弱いものしか殺してこなかった『顔剝ぎ』に、その度胸はないよな!
「よし!湧きが止った!今のうちに!」
「心得た!」
道具か魔導かはわからないけれど、使っている『顔剝ぎ』がそれどころじゃなくなれば、一旦術式は停止する。
その間に数を減らすだけ減らす!
「繰り返しになるだろうしぃ、あんま欲張ったらダメだねw」
「『顔剝ぎ』の様子は俺が見ます!合図したら、下がって!」
「そっちも了解だ!」
不浄屍の大群に飛び込んでいくユーシンとシドを、ヤクモがどこか落ち着かなげに見ている。
まあ、心配だよな。増えなくなったとはいえ、数多いし。
「あ、あのさ、あのね、ファン」
「ヤクモ!」
何か決意したように話しかけてきたヤクモに、不浄屍二体が襲い掛かった。
一瞬、心臓に冷たい汗が伝ったけれど、ヤクモは事も無げにその攻撃を捌ききり、切り捨てる。
「ごめん!今、それどころじゃないね!!」
「何か提案があるなら聞くよ?」
「…今は、こっちに集中する!」
確かに、何せ数が多い。ユーシンとシドが大半を引き付け、こっちに向かってくるのの半分はジャスワン将軍が止めてくれるけれど、それでも同時に五、六は流れてきていた。
クロムは無言で首巻を鼻まで上げ、的確に仕留める。残った不浄屍は、ヤクモの剣が地面に返していた。
やっぱり数が多い。止められてこれだ。奴がどんだけ貯めこんでいるかわからないけれど、全放出されたら…考えるのも嫌になるな。
『顔剝ぎ』は咽喉を貫く矢に手を掛け、ぼたぼたと涙を零していた。ドノヴァン大司祭のような治癒能力はあると考えた方が良い。
何せ、ほとんど出血はなく、痛がっているというより驚いている様子だ。
つまり、俺の矢でとどめを刺すことはたぶん無理。だったら、俺の役目は、少しでも長く「それどころじゃない」状態を続けさせること!
「ッ!!」
矢を番え、続けざまに射つ。
右目、胸、腹。
俺の連射じゃ、三連が限界だ。けれど、少なくとも四本のうちどれを抜き、どうするかっていう選択肢を突き付けることはできた。
それに、連射じゃなきゃ当たらないわけじゃない。次の矢を矢筒から抜いて番える。
だが、弦を引く、その前に。
「いやああああああああああああああああ!!!」
咽喉に刺さっていた矢が、「溶けた」。
あ、そうか!酸か!
オルゴイ・ホルホイの武器は放電だけじゃない。酸を吐き散らすってのもある!
けれど、矢の始末に意識を向けさせれば同じことだ!
「みんなみんな助けてぇええええ!!」
絶叫に、こちらへ押し寄せようとしていた不浄屍の半数が踵を返した。
向かうのは、『顔剝ぎ』のもと。そして…ゆらゆらと不安定ながらも互いに絡みあい、重なり合い…壁を築いていく。
文字通りの肉盾だ。
「そんなこともできるのかよ!!」
文句を言いながら放った矢は、不浄屍の壁に刺さって止まった。刺さったやつは崩れ落ちたけれど、すぐさま隣のが穴を埋める。
連射して穴を通せるかは、かなり分の悪い賭け、だな。
「だが、こっちにくるのはだいぶん減った!」
「次を呼ばれたら厳しいが…!」
ユーシンとシドの息が上がっている。そりゃそうだろう。二人で、三十か四十は相手にしている。疲れないはずがない。
「クロムちゃん!おにーさんと一緒に前出るよ!二人と交替する!」
「わかった!おい、ファン!お前はガラテアんとこまで下がれ!ヤクモ!守り切れよ!」
「…うん…うー、ううん!!ぼく、あれなんとかする!!」
クロムの指示に、ヤクモは力強く首を振った。
壁に不浄屍が使われたから、ヤクモまで抜けてくるのはとりあえずいない。それで今が好機と思ったんだろうか。それとも、明らかに疲労した二人の様子に、いたたまれなくなった?
そんな負い目を感じなくても…と言おうとして、ヤクモの双眸に宿る決意の強さに口を閉じる。
「ねえ、ファン」
「お、おう」
「ぼくね、なんかね、何とかできると思う!思い出したから!」
「思い出した?」
「うん。ずーっと前に出来てて、でもね、使っちゃダメって、言われてて」
誰に、と聞く声は飲み込んだ。
きっと、あのタケハヤさんの記憶にいた人たちだ。
ヤクモのご両親。お姉さん。
「でも、どうしてもって時は使いなさいって言われてた。言われてたのに、ぼく、怖くてシズリを助けることもできなかった。使わなきゃいけない時に、できなかった。だから、ぼくはもう、怖がらない!!」
ばさりと外套を脱ぎ捨て、白い息を吐きながら。
ヤクモはまっすぐに俺を見る。
「でもね。ひとつ、お願いがあるんだ。ファン」
「なんだ?」
「あのねぃ、ぼくが、ぼくがどんな姿になってもさ…」
「どんな姿?」
「観察させて!とか、ちょっと削らせて!とか言わないでね!絶対ヤダからね!!」
ええ~?!
「ええっとお…それは、その、確約はできないと申しますか…」
「アホ。お前がどんなんになるか知らないが、コイツがそう言いそうってんなら、絶対に言うに決まってるだろ」
「うう~、やっぱりぃ?」
「だが、本気でやろうとしたら止めてやる。安心しろ」
「よろしくねぃ!!」
強く頷き、ヤクモは目を閉じた。
それを一瞬心配そうに見た後、クロムはジャスワン将軍と共に前へ駆け出る。
ふわりと、暖かい風が頬を撫でた。
それは、ヤクモの周りを覆い、髪を巻き上げる。
「シラミネ様…」
小さく開いた唇が紡ぐのは、シラミネを守護する存在の名。
オキナの知り合いで、同じ存在だから、神様ではないけれど。
でもきっと、そんなことは関係ない。
俺が紅鴉の存在を信じていないけれど、その名に導きを願うのと同じように。
風が、強く吹きあがった。
けれど、どこまでもその感触は優しく、暖かい。
シラミネ様は、きっととても優しいひとなんだな。そして、オキナと同じように、小さな友人を大切に思っている。
風は光を宿し、ヤクモの姿はその光の中に消えた。包み込む風と光は、まるで卵のようだ。
クロムたちと入れ違いに下がったユーシンが、その光景に目を見開き、けれどすぐに槍を構えなおして不浄屍に向き直る。
一瞬俺に向けた視線に、「心配ない」と頷いたのが伝わったか。
そして、その光と風の卵がヤクモを包んでいたのは、そう長い時間じゃなかった。
風が強まり、光を流していく。
まず見えたのは、赤い色。
それは鋭利に尖って天に向き、最上級の柘榴石のような真紅に輝く。
そして。
バサリ、と空気が打たれた。
額から突き出した角。それは、シラミネ人に稀に生えると聞いていた。こんな透明度が高いとは思ってみなかった。ってことは、皮膚と毛が硬質化したものってのは違う?骨?いや、なんというか、魔晶石に近い気がする。つまり、魔力が凝ったもの?常時生えている人とは違うのか?
そして、角よりも。
今までヤクモになく、シラミネ人にもあると聞いたことのないもの。
「やっぱし観察して、なんかあーでもないこーでもないって考えてるでしょ!!」
「ヤクモ、それは考察と言うんだ!」
「かなりどーでもいい!もう!やめてって言ったのに!!」
ヤクモが上半身に纏っていた服は、防寒と言う意味でも、装飾と言う意味でも、もう役に立てそうにない。
はらはらとまだ残る風に乗って、ヤクモから離れていく。
代わりに寒そうなヤクモを包んでいるのは。
一対の、翼。
大部分は萌黄色の、鱗のようにも見える羽毛に覆われている。実際には鱗なのではなく、羽毛に入った線状の模様が重なり合ってそう見ているだけだろう。風切り羽根は先端が黒く、途中は青紫に輝く。
大きいが、飛行を得意とする鳥の翼の形と少し違う。遠距離飛行や急降下急上昇をするより、基本は地上で走行、非常事態や木の上の餌をとる場合にのみ補助的に飛行する鳥じゃないかと推測される。
「じろじろみないでッ!!絶対今、なんか分類してたでしょ!!」
「いや、ヤクモはヤクモだし!でも、もっとちゃんと広げて欲しい!そうすれば、もう少しどんな鳥に近いかわかる!」
「ヤダって言ってるでしょー!!って言うか、そんなことしてる場合じゃないでしょ!」
「そうだぞファン!」
あ、ユーシンにまで怒られた。
「鳥の名前などどうでも良い!そんな事よりだ!ヤクモ!寒くないのか!服がない!!」
「うん。なんかね、羽根がほあほあ温かいから、へーき」
「鳥類の体温は高いからな。特に翼は空気をはらむようになっているから体温を…」
「しゃあ!!」
威嚇までされた。でもヤクモ、それってどっちかって言うと猫っぽいぞ?
「これならさ」
ニヤリと笑って、胸を張る。
角と同じ真紅に染まった双眸は、決意と、ほんの少しの恐怖に、強く輝いていた。
「ぴゅーって飛んで、アイツを直接叩けるでしょ!ラスヤントのお返しだよ!!」




