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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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主が走れば運命も走る(人事を尽くして天命を待つ)6

 五代…本人の強い主希望に基づいて呼べば、ひいひい祖父ちゃんが降りているとき、ちゃんと俺の意識もあった。

 意識があるのに、身体が勝手に動く。それはなかなか、目新しい体験だったな。


 陣にも上手い下手というのはあって、下手な人が書くとへごへごな線になる。

 五代ジルチ王…本人の強い希望に沿って呼べばひいひい祖父ちゃんは、現在まで続く転移陣による流通網を作り出した人だけあって、その筆致は迷いなく、流麗だ。

 俺も上手い方だと言われるけれど、比べ物にならない。


 自分の手がとんでもなく綺麗な線を描いていくのを見るのは、素直に感動した。


 「おと、うと!おとうと、おとうと!!」

 「意味わかんねーよ。なんとなく何言いたいかわかるが…ファン。何があった?」

 「ユーシン達が、『顔剥ぎ』の目撃者に話を聞きに行って、現在襲撃されている…っぽい。それと、灯の刻印が反応している」

 「何やってんだあの馬鹿は!」

 「チェさんに聞いたけど、ラスヤントでヤクモが襲撃されたのを、密かに怒ってたらしい。それで、何処にいるか調べるのに、五代の御力を借りた」


 …。なんか、すぐ近くで「ひいひいおじいちゃん…」って呟かれた気がしたけれど、気のせいという事にする!


 「なんでそんなことが出来るかどうかとかは、あとで話す!兄貴、転移はできそう?」

 「これほどの見本を出されて、出来ないはずがない。しかし、弟よ。緊急の事態であることは間違いないが、だからこそ、準備も何もなしに飛び出していくのは賛成できん」


 さっきまで混乱の極みにあったわりに、兄貴はきっぱりと立ち直っていた。俺の冷や汗と動悸が収まったからかも知れない。

 しかし、さっきのが魔力の大量消費か…。めっちゃくちゃ、きつかった。

 戦闘中にご先祖様を呼ぶのは、そうとう時機を読まなきゃ。呼んでいられる時間が短すぎるうえに、その後、俺がぶっ倒れて足手纏いにしかならないな。


 「そうだね。その通りだ」


 俺とクロムは、王廟に向かう時にきていた服のままだし、ガラテアさんと兄貴に至っては部屋着だ。このまま外に出たら寒くてまともに動けない。

 

 「よし、では、百数える間に準備を!」


 兄貴が宣言すると同時に、クロムを簀巻いてた布団、それを縛る縄を解いた。

 

 「解いてから数えやがれ!」

 「お前は敵が迫ってきたとき、そう言い訳するのか!」

 「間に合わねぇとは言ってねえ!」


 クロムも、きっと実践訓練中に散々やられたんだろう。

 装備をといて寛いでいるときに、いきなり整列の角笛の音が鳴り響き、制限時間内に完全武装まで終わらせるという訓練。

 もちろん、俺もやった事がある。幸い、ここは俺の部屋。それも寝室。俺もクロムも、装備一式はここにある。ガラテアさんの服もね。


 「ファン」

 「ありがとう、ガラテアさん」


 ガラテアさんが手際よく、鎖帷子を差し出してくれる。クロムには顔も見ずに投げていたけれど。

 手伝ってもらいつつ、革甲も身に着け、騎士服を纏う。シドウの弓にはすでに弦を張ってある。あとは、矢筒を腰のベルトに装着すれば完了だ。


 「あ、ガラテアさん着替えるなら出てるね」

 「上に着るだけだ。それに、別にファンには見られても気にしないがな。トールとクロムは目を潰すが」

 「見ねーよ!!」

 「見ぬわ!!」


 兄貴も自分の装備を召喚し、身に着けていく。あとは靴を履いて、マントを羽織れば外に出ても問題ない。手慣れた動きで流石に速い。

 

 「…フレルバタル師の剣、試してみたかったが、間違いなくこっちがいるな」


 クロムが布包みを解いて取り出したのは、もちろん『紅鴉の爪(ナランハル・ホロウ)』だ。

 

 「そうだな」

 「まあ、いい。機会はいくらでも来るだろうさ」


 おそらく、敵は出し惜しみして勝てる相手じゃない。

 まずは、ユーシン達に合流して無事を確かめないと…!


 「うむ。行く先は陣を展開できる場所だな」

 

 五代の描いた陣を見ながら、兄貴も足元に蒼い陣を構築していく。

 転移陣は「あちら」と「こちら」を結ぶものなので、「あちら」側が平坦な場所で壁や岩、木などの障害物がない場所でなければ展開できない。

 「あちら」側に何かあれば、こちら側になだれ込んでくるからね。すぐにわかる。


 「あ、兄貴。まだ陣の構築に時間はかかる?」

 「む?そうたいした時間はかからないぞ、弟よ」

 「少しならあるね。ちょっと待ってて」


 俺たちが今いるのは、俺の寝室を兼ねた色々置き場。

 続きの部屋には、ちょっと不安そうな顔をした弟たちがいる。

 部屋を隔てる布を捲り、居間へと顔を出すと、ずっとこっちを伺っていたのだろう。すぐにテムルとフレグ、それにチェさんと目が合った。


 「あにうえ…!」

 「ちょっと、出かけてくる。夕飯までには戻るつもりだけれど、間に合わなかったら先食べててくれ。母さんにも、そう伝えてくれる?」

 「あにうえ、あぶないこと、するです?」


 まあ、騎士服の上に、普段なら身に着けない胸当てなんかまでしてれば、尋常じゃないのはわかっちゃうか。


 「まあ、ちょっとな。でも、大丈夫。兄ちゃんたちは、負けないよ」


 篭手と手袋を外して、弟たちの頭を撫でる。柔らかな髪の感触と体温が、心地よかった。


 「エルデニ。あと、頼んだ。もしも、二人を引き渡せと要求が来たら、俺の名を使って断っていい」

 「御意に。ご武運を」

 「あ、あの!!お姐さん、なんぞ、厄介なことに…?」


 にちゃあ…と笑うエルデニの横で、チェさんが顔を青褪めさせていた。そりゃ、心配だよな。思いがけず会えた、同郷の知り合いなんだから。


 「あの、あの、もしでっせ、もし、お姐さんがあかんことになっとっても、絶対、皆さんのせいやないで、そこだけは、忘れんとってください!」

 「え…?」

 「お姐さん、上手いこと言えひんのですけど、たぶん、長生きしとうないんや」

 「…長生き、したくない?」

 「生きとる方がしんどい…ちゅうか、その時を狙っとるっちゅうか…。とにかく、お姐さん、それで泣かれるより、ささッとあのダボどついたらんかいッ!!って言いますよってに!」


 生きている方が、しんどい。

 それはきっと、俺たちがどれほど言葉を尽くしても、覆せないものなんだろう。

 貧乏暮らしを一年体験した程度で、「そんなことはない!」なんて言っても、軽すぎて、薄すぎて。

 だって俺は、今日の食事の為に身体を売った事もなければ、矜持も何もかも泥に沈めて、笑い顔を作った事もない。

 

 「…わかった」


 だから、俺にできることは、同じ場所で慰める事じゃない。

 わかったふうの面で説教することでもない。


 俺にできる事。しなければいけない事は。


 「黄金の血統(アルタン。ウルク)の前にあるは、勝利のみ。勝つために、何時だって俺たちは全力を尽くす」

 「…はい!」


 あ、そうだ。あの転移陣、帰って来たらエルデニにあげよう。ある意味、五代直筆の品なんだし。

 …でも、上手く伝えないと、事あるごとに降臨を強請られそうだな。


 うん。大丈夫。俺はそんなどうでも良いことの心配が出来ている。まだ、余裕がある。

 余裕は大事だ。まだ『敵』も見ていないのに、今から追い詰められてキリキリしてるようじゃ、勝ち目はない。


 「弟よ、準備が出来たぞ!」

 「わかった!じゃあ、行ってくる!」


 だから、笑おう。そんなへまはするつもりもないけれど。

 もしも、があったら。


 弟たちが最後に見た俺の顔が、能天気な笑顔であるように。


***


 転移陣での移動は、水に沈む感覚に似ている。

 水面を割ったのちの、微かな浮遊感。そして、靴底が固い感触を伝えてくる。


 「ファン!!」


 ヤクモの声が、その感触の次に俺の五感に届いた。

 少し泣きそうな、けれど、まだ折れていない。そんな声。


 「遅くなってすまない!」


 皆、大丈夫か…と続けて言おうとして、口が止る。

 嗅覚が捉えたのは、むせかえるような血の臭い。背骨を冷たい焦りが駆け抜ける。

 けれど、すぐに…その原因を視界の中に見つけた。


 顔を強張らせ、眉根を寄せているココチュが抱きかかえている女性。

 その右肩は…もとは白かったであろう布に包まれ、輪郭がへこんでいる。


 「そちらの女性は…」

 「情報提供者のオツタ殿です」

 「そっか…」


 うっすらと開いた眼は、もう何も映していない。けれど、血を浴びた顔は仄かに微笑んでいた。穏やかに。柔らかに。

 

 「オドンナルガ。ナランハル」

 「ジャスワン将軍。状況を報告してくれ。今は、責任の有無を問う場合ではなかろう」

 「御意」


 ざ、と片膝をつき、右拳を左胸に着け、ジャスワン将軍が俺たちを見る。

 その双眸には、今まで見た事も無い、静かな怒りが渦を巻いていた。


 「我々はオツタ殿より、『顔剥ぎ』と思しきものの情報を伺い、特定可能な証拠の品も入手しました。そこへ慈善団体の一員として『顔剥ぎ』が現れたのです」

 「え…」


 それは、なんというか…運がない。

 けれど、逆に考えたら、今日この時に将軍やホンランが行かなかったら、証拠の品もろとも、オツタさんはこの世から消え去っていたかも知れない。


 「奴は『顔剥ぎ』であることを隠し、脅すようなことも言ってきませんでした。しかし、帰還すべく移動中、襲撃に遭いました。すべては、臣の見通しの甘さゆえにございます。責任の所在を問う時ではないと心得てはおりますが、ユー断事官、ならびに勇士ココチュには一切の責はございません」

 「それは違うぞ、ジャスワン将軍!俺が強引についてきた!同盟国の王族を危機に晒したという事が罪なれば、止められたのに来た俺が悪い!そしてアスランの民を守り切れなかった事、俺も同罪だ!」

 「そ、そうだよ!トールさん!ぼくも、着いてくってワガママ言ったから!でも、でも…ぼく、何の役にも立たなくて…!」

 「同じくだ。…だが、姉さん。姉さんに殴られる筋合いはないと思うので、拳を降ろしてほしい…」


 ガラテアさん、戦力を今から潰す意味ないからね?

 口々に自分の責任を主張する面々に、兄貴は困ったような、けど、少し嬉しそうな苦笑を浮かべて首を振った。

 

 「だから今、責任の所在を問うつもりはない。それよりも、『顔剥ぎ』…それは、魔の眷属であると将軍は判ずるか?」

 「是。ユーシン殿下が危惧された通り、身体が思うように動きません。およそ、三拍ほど遅れます」

 「あと、力が籠らん!こちらは、いつもの半分程度だ!」

 「創造神の呪縛…そういうふうに出るのか」


 世界を滅ぼそうとした創造神。その念は、神々の加護を通じて己の眷属と戦うものを縛り付ける。

 それを打ち消し、刻印保持者へと繋がる縁《えにし》へと替えるのが、灯の刻印の御業だ。一時的なものとはいえ、魔の眷属と戦うためには絶対必要不可欠なもの。

 前回、マルダレス山の一戦じゃ、始まる前に御業を行使したからなあ。実際、どう作用するのかわからなかったけど。

 精神的にしんどくなるとか、恐慌を起こすとかじゃなくて、本当に動きが鈍るんだね。それを確認できたのは、大きな収穫だ。


 「馬鹿は馬鹿だが戦況を見誤るような事はねーからな。早々に二匹目か。今年中に片付けて、気持ちよく新年を迎えられそうだ」

 「俺はお前と違って、自分の力不足を誤魔化そうなどとはせんからな!」

 「あ゛ァン!?俺は実力不足だったことなんざねぇよ!!」

 「あーもう、律義にじゃれあわない!!」


 クロムとユーシンの背丈はほとんど変わらない。なので、こうしてじゃれ合う時はお互いなんか背伸びして見降ろそうとする。猫って高所にいる方が偉いって事になるらしいんだけど、お前らもそういう習性なの?


 「ふ…つつがなく、守護者《スレン》の儀は終えたようだな」

 「当たり前だろ。俺がファンの守護者(ナランハル・スレン)になれないわけがあるか」

 

 頑張ってつま先立ちしたまま、格好つけてもなあ。

 ん?いつもなら俺以上にツッコむヤクモの声がしない。

 まさか、怪我してるとか!?ユーシンが怒り狂ってないから、それはないと思うけれど…!?


 慌ててヤクモに視線を向けると、赤くなった顔と虚ろな双眸が目に飛び込んできた。

 間違いなく尋常じゃない。毒か何かか!?


 「ヤクモ!攻撃を受けたのか!?」

 「ちがう…んだけど、頭、いたい…あのね、オツタさんが歌っていた子守唄ね、ぼくも聞いてた。シズリが歌ってくれれて…」

 「シズリ?」

 「ぼくのお守りで…殺されちゃって…」


 ふらりとヤクモの身体が傾ぐ。

 慌てて駆け寄る前に、横にいたシドが支えてくれた。


 子守唄?オツタさんは…ココが抱えている人だよな。チェさんの同郷って言うなら、ヒタカミの人だ。

 ヤクモの故郷、シラミネはヒタカミから逃げてきた人の国。どうやってあんなところまで逃げたのかに対する推測はちょっと置いておくとして、言語はおそらくヒタカミ語だろう。

 子守唄は、わりと地方色が出やすい。遠い昔、ヒタカミから逃げた人々と、オツタさんの先祖は同じ地域に住んでいたのかもしれないな。

 その子守唄が、シラミネで歌われていた可能性は十分にある。


 「シド、そいつなんかやられたのか?」

 「いや…攻撃は俺とユーシンと将軍で捌いた。おそらく、何も…」

 「毒を噴出するのかもしれない。ホンラン、ココ、身体に異常は!」

 「在りません。ナランハル」

 「お、おおお、おれ俺も…」


 となれば、何らかの魔導や呪いによる攻撃って事も?

 兄貴に視線を送ると、珍しく眉根を寄せて厳しい顔をしていた。 


 「弟よ。おそらく敵に攻撃による不調ではない。ヤクモの魔力が暴走しかけている」

 「ヤクモの魔力が?」

 「うむ。閉じ込められたものが檻を壊そうとするかの如くに。シド、ヤクモは首に袋を下げているか見てくれ」

 「袋…?わかった」


 ヤクモの首巻を解き、首元のボタンを外して外套を寛げる。ちょっと寒いかもしれないが、呼吸も苦しそうだし、必要な処置でもあるだろう。

 シドの指が持ち上げたのは、首から飾り紐で下げられた小さな袋だった。これが、兄貴が言っていたやつ?


 「ホンラン!画砦はまだ保つか?」

 「現在、半壊といったところです。それほど長くは…」


 ホンランはカーランの魔導も使える。

 あちらにはいくつも魔導の体系があるけれど、そのうちのひとつ、「同じ性質を持つ者同士を同じものとして結び付ける」っていう魔導だ。


 家と絵に描かれた砦を、「人を中に入れて守るもの」として同一の存在として、家に加えられた攻撃を絵の中の砦に転嫁する。絵とは言え、砦は砦。耐久力は家より高い。

 絵の中の砦が完全に崩壊すれば術が解けるし、逆に絵の砦に壊れる様を書き加えたり、破く、燃やすなんてことをすると、家が同じように壊れる。

 

 しかし…砦を破壊できるほどの攻撃力があるってことだよな。

 マルダレス山で対峙したドノヴァン大司祭の姿を思い出す。あれほどの巨体が外で暴れ狂っていても、おかしくはない。


 家に加えられる衝撃も破壊音も砦が引き受けてしまうから、室内はひどく静かだ。

 ただ、だんだんと壊れていく砦が、決して攻撃が止んでいないことを告げている。


 「ならばこの家を補強するか…」

 「私がやる。お前はいざという時に動けた方が良い」


 兄貴を制し、ガラテアさんは静かに胸の前で手を組み合わせた。


 「大海の主(ダロス)よ。我らの乗る船にいかなる嵐を耐え、あらゆる荒波を乗り越えられるよう、守り給え…」


 組み合わせた掌が開かれると、そこから彼女の瞳の色によく似た光が溢れ出し、俺たちのいる部屋を満たしていく。けれど、ガラテアさんの表情が硬い。


 「…大海の主が遠い…」

 「あ、そだ!ごめん!!」


 御業なんて、真っ先に弱体化するに決まってる。急いで右手の手袋を外し、掌を掲げた。

 灯の刻印を発動するのに、祈りの言葉は必要ない。それはおそらく、刻印を通して神の御業を願うのではなく、この『灯の刻印』自体が持つ御業だからだろう。


 俺の右掌の上に、煌々と輝く灯。

 その輝きに照らされたように、大海の主の護りは青さを深めていく。まるで沖合のどこまでも透明で、それでいて底を見せない海のように。


 「おお弟よ…素晴らしい…さすが弟だ…」

 「お前ほんっと、ファン絡むと駄目になるな。おい、俺の『砦』はいざって時まで取っておくからな」

 「そうしてくれ。ガラテアさん、どう?」

 「海神殿で祈った時より、ずっと大海の主を感じる。これが、灯の刻印の力か…」


 前にマルダレス山へ向かう途中で襲撃された時、こっそりロットさんへ使ってみたけど、効果がどうだったかは聞いてなかったし、他の神官相手に実験してみたことはあるけれど、対象が微妙だったからな。

 いまいち、結果に自信が持てなかったけど、本当にそうなるんだ。


 「オドンナルガ、ナランハル。画砦の堅牢さが上がりました。これならば、半刻ほどは耐えられます」

 「さすおとである。ならば、余裕はあるな…」


 変な略語造らないでくれる?

 でも、余裕が出来たのは良いことだ。情報を収集して分析する時間が出来たのはありがたい。それに。


 硬い床を踏みしめ、歩く。ココの抱える、勇敢な女性の元へと。


 「ありがとう。必ず、あなたの仇を斃します」


 なんとなく、だけど。

 彼女は、俺の大切な人たちを助けてくれた…んだと思う。


 「…オツタ殿は、奇襲を受けた私を庇って致命傷を負いました」

 「そうか」


 ホンランの声は平坦で、震えてもいない。

 けれど、俺は知っている。彼女は感情が昂れば昂るほど、それを押し潰し、冷静であろうとする人だ。


 「ナランハル。『顔剥ぎ』はオルゴイ・ホルホイを使役し、自身も似た形状に変化します。オルゴイ・ホルホイは地を割って進みますが、『顔剥ぎ』自身は影を渡るように見えました」

 「オルゴイ・ホルホイ!?」

 「はい。やつの本体は襲撃の瞬間も存在していたので、魔力をオルゴイ・ホルホイの形状に変化させているのやもしれません」

 「放電はもうしたか?」


 オルゴイ・ホルホイの最大の攻撃は、貯めこんだ雷の魔力を放出し、あたり一面を巻き込む。

 見た感じ、皆に火傷や雷撃による熱傷はなさそう。まだ使用していないなら、これから高出力の攻撃をしてくる可能性がある。

 今、兄貴いるから何とでもなるけれど、おそらく使われたら画砦の崩壊は一気に進むだろう。何せ、元は絵だから水や高熱、火に弱い。


 「していません」

 「確かに!ぴかぴかもしていなかった!」

 「…光ってない?」


 オルゴイ・ホルホイが放電する前には、必ず体内の魔力を貯める器官が光る。皮膚のごく浅いところにある器官だから、見えないことはない。


 …『顔剥ぎ』は、間違いなく万魔の王が眼を埋め込んだ眷族だ。 

 万魔の王、黄昏の君の御業は『模倣』。

 すでに在るものを『模倣』し、組み合わせる事は出来ても、本来ないものを『創造』することはできない。

 例えオルゴイ・ホルホイと何かを組み合わせたとしても、オルゴイ・ホルホイの放電に至る過程…落雷により、土中に散った雷を吸収し蓄電、それを放出する。それ自体は変えられないんじゃないか。


 『顔剥ぎ』は、報告によれば本来はただの人間だ。土中を進み、雷を吸収したりはしない。

 なら、まだ放電に必要なだけの蓄電が終わっていない可能性は…高い。


 「となると…」


 これってもしかして…と思考に沈みかけた俺の意識を、「ファン!」と呼ぶユーシンの声が引っ張り上げた。

 引き摺られるようにそちらをみると、ヤクモが完全に意識を失っている。シドに辛うじて支えられてはいるものの、腕からずり落ちそうだ。


 「ヤクモ!?」

 「いったん、寝かせる」


 若干焦りを含んだ声でシドが告げ、察して床に敷かれたユーシンのマントの上にヤクモを降ろした。

 苦しそうな表情を浮かべているが、肌の紅潮や発汗に先ほどと大きな変化はない。でも、どう見たって正常な状態じゃないよな…。


 「兄貴、転移陣でヤクモを帰還させて医者に…」

 「いや…これほど体内の魔力が乱れていると、転移陣を通すのは危険だ」

 「それもそうか…なんで急に魔力が…」


 やっぱり、『顔剥ぎ』から何らかの攻撃を受けた可能性は高いよな…。


 「おい、トール。ガラテア。なんかわかんねーのか?」

 「今、願っている御業を解けば、大海の主に伺う事はできる。だが」

 「うむ。それは悪手だ。シド、先ほどの袋だが、持ってみて熱いとか光っているとか、そういうことはないか?」

 「…?ない、と思うが。少なくとも、俺は感じない」

 「俺も持ってみる!」


 ユーシンが手袋を外し、今はヤクモの胸の上に出ている袋を触った。しばらくじっとしていたが、勢い良く首を振る。


 「なんともない!」

 「…そうか」

 「兄貴、それが何か…」

 「なんかー、すごい魔力は感じるけど」


 ジャスワン将軍もいろいろ切り替え完了した様子で、いつもの口調に戻っていた。実際、責任云々言い出したらきりがないしね。今はとにかく、ここを切り抜けなきゃ。


 「やはり、巫師が必要か」

 「巫師?」

 「ヤクモには、おそらく呪いの類がかけられている。命を脅かしはしないが、先祖からの守護を阻害するようなものだろう。そこまでは判るのだが…シラミネ独自の術式なのと、魔導ではないからそれ以上が俺にも見極められない」

 「それなら、姐さんの子守唄でそれが発動しちまったってカンジ?」

 「可能性は高い。巫師ならば、呪術の類を見破ることも出来るかと思ったのだが…」


 緊急性もないし、大巫師《テングリ》たちは様々な儀式の準備で忙しい。だから、兄貴が後回しにしていたのも理解できる。だってヤクモ、普通に元気いっぱいだったしね。

 それがこんな時に、こんな形で現れるなんて、いくら兄貴だって予想できるはずがない。


 いやまて…巫師。

 俺も、巫師の素質があるんだよな。だから、ご先祖様が呼べるようになったんだし。

 もしかして、何か分かったりする?とヤクモをじっと見つめる。


 …。


 うん。苦しそうだってことくらいしかわからん!

 すっごい強いて言うならば、額の当たりの影が濃い気がする。でも、光の加減と言われても納得できる範囲だ。


 どうする?ヤクモを転移陣で逃がすことが出来ないなら、ヤクモを護って戦わなきゃいけない。

 オルゴイ・ホルホイ最大の攻撃である放電は使えないかもしれないが、本物と同じく嗅覚や電位を『視る』器官が備わっているのなら、家の中に隠しておいても無駄だ。

 となると、一人はヤクモを抱えて逃げる必要がある。いや、一人じゃ心もとない。できれば、二人。


 それになにより…この状態のヤクモを、放っておいていいのか?

 命に別状はないと言ったって、かなり苦しそうだ。

 ああ、もう!俺がもうちょい、なんかできたら!


 いや。


 「ファン?」

 

 突然弓を構えた俺を、皆が…ガラテアさん以外が、不思議そうに見てくる。

 ガラテアさんは、小さく首を振った。さっき、気絶寸前になるところを見ていたからね。

 でも。


 「出来る事は、やって見る!」


 弦を引き絞り、呼びかけるのは。

 いや、ちょっと、躊躇うけど。俺の身体であのままはかなり困るけど!


 「国母ライマラル!どうか、ヤクモをお助けください!」


 ひどく長く、弦は呼びかけの音を奏でた。

 その音に共鳴するかのように、『俺』の中に暖かい存在が入ってくる。


 「しゃーねーなあ。超おばあちゃんがお節介しちゃう」


 俺の口から飛び出た声に、皆が目を口をかっぴらいた。まあ、そうなるよね。


 「でも、あーしは手伝うだけね。ファンにやり方教えたげっから。ほれ、ちょっと出てみ?」

 

 え?


 視界がぶれたような感覚がして、思わずちょっと前によろける。

 慌てて態勢を整えて立ち上がると、なんだか真後ろに凄い存在感があった。

 振り返ると、そこに立っていたのは、どう見ても俺。


 「魂だけのほーがさぁ、見やすいべ?ほら、よっく見てみ」


 視線と指で示されるまま、ヤクモへと向き直る。苦しそうな表情のヤクモ。それは変わらない。違うのは。


 その額をべっとりと覆う、影…いや、汚れ?

 とにかく不快感のある何かが、ヤクモの額に取りつこうとしている。

 けれど、一度剥がれた湿布が上手くくっつかないように、張り付いてはずり落ちる。その様が、身悶えするように見えていた。


 そして、それよりも大きな差。


 横たわるヤクモの隣に、跪いて涙を流す一人の男性。

 年のころは俺と同じくらいか。わかりにくいのは、彼の顏も身体も、半分以上がヤクモの額と同じ黒い汚れに塗りつぶされていたからだ。


 この人…誰なんだろう。

 髪も瞳も肌も、黒く穢されていない部分は白と灰色で構成されていて、微かに燐光を放っている。つまりは、この世の住人じゃない。幽霊とか、そういう類だよなあ。やっぱり。


 怖くはない。けれど、何故か、この人を見ていると、苦しい。

 哀しい。悔しい。そして、愛しい。

 そんな感情が、俺に向かって吹きつけてくる。


 そんな感情の奔流からぽろぽろと零れてくるのは、きっと、この人の生前の記憶…なんだろう。


 疲れ切った顔で、けれど満足そうに笑う女性。その胸に抱かれた、顔をくしゃくしゃにして泣いている赤ちゃん。

 まだ小さな女の子が、彼の腕の中から二人を見ている。振り返って見上げる顔は満面の笑みで、女性によく似ていた。


 よちよちと歩く赤ちゃん。何かの儀式だろうか、背中に白いものを乗せられて、わたわたと手足をばたつかせる赤ちゃん。

 やがてその赤ちゃんは走るようになり、拙い言葉で彼に話しかけるようになり、元気よく駆けまわる子供へと成長していく。


 話す言葉は、俺の知らない言語だ。けれど、子供が一番多く口にし、彼にむかって呼びかける言葉の意味は、わかった。


 お父さん。


 黒い髪と柘榴色の瞳の子供は、そう呼び掛けて屈託なく笑う。

 そのたびに、感情の放流が激しくなる。愛しい、愛しいと。


 だけれど、唐突にその優しい記憶は終わった。

 若い男が、何かを告げている。彼は剣を持ち、様子からして部下らしい六人の男と、若い男と共に広葉樹生い茂る森を奔っていく。


 感じるのは焦りと怒り。その強い感情が俺に伝える。

 彼の宝が、愛しい子供が奪われたのだと。


 立ち止まり、あたりを見回す彼の目に、探し求める子供の姿は映らない。

 だけれど、不意に視線が止った。


 自分の腹から飛び出した、血塗られた切っ先に。


 弾けるのは怒り。悔恨。


 助けられなくてすまない、守れなくてすまない。

 そう詫びながら、思い描くのは我が子のこと。妻の事。残していかなくてはならない、家族の顏。

 

 最期に彼が口にしたのは、我が子の名。

 その名に、ありったけの祈りを込めて。


 無事であれ、幸せであれと。


 その絶叫と紙一重の祈りは、俺の魂を震わせ、痛みすら感じさせた。

 そっか。そういう事か。


 疑問には思っていた。

 いくら隣国の子供を攫って「飼う」のが流行っているとはいえ、王子を攫えるほどシラミネの警備は杜撰なのか、と。

 

 そんなことが出来るなら、そもそも王城に攻め入ってシラミネを征服するのは容易だ。だが、それは成されていない。


 だから、本人には言わなかったけれど…。攫ったのは、シラミネの人間だろうと仮説はたてていた。

 彼の記憶は断片的だ。けれど、その仮説と組み合わせれば、答えに近いものは見えてくる。


 おそらく、子供…ヤクモは、ごく近い親戚に、容易に近付けるほどに近い親戚に、拉致された。

 そして、その父であるシラミネ王には「隣国に攫われた」と報告したんだろう。

 その時、今ならまだ追いつけると吹き込んだのか、それとも、自分で動く性格だったのか、両方だったのかは判らないけれど、彼は部下を率いて救出に向かった。

 

 だけど、その部下は、彼の敵、だった。


 腹を貫いて切っ先が飛び出ていたって事は、後ろから突かれたってことだ。

 安心して背中を向けられる相手が、彼を殺したってことだ。


 そしてヤクモはそのまま、本当にナハト王国に運ばれ、養母さんによって大事に育てられた。

 ヤクモが「にいさん」と呼ぶナハトの王子たちが、シラミネにヤクモを送り届けた時、その「敵」はさぞかし焦っただろう。

 そしてまた、今度は別の国の人買いに売り払うって行動にでた。


 何故殺さなかったのかは疑問だけれど、理由があるんだろうな。自分たちの手を汚せない、何か理由が。


 まあ、そんなのはどうでもいい。確実なのは、それをしようとした「敵」は俺の敵でもあるってことだ。

 そこだけ抑えておけばいい。殺さなかったから許すなんてことは絶対にしないんだから。

 

 「あなたは、ヤクモのお父さん、なんですね?」

 

 俺が話す言葉はタタル語で、彼に伝わるのかはわからない。

 けれど、今は魂なんだし、もしかしたら、ヤクモが身に着けている言語理解の腕輪が、彼にも作用するかもしれないし。


 彼は初めて俺の存在に気が付いてようで、ゆっくりとヤクモから此方へと向き直る。

 白と灰色と黒しかなかった彼の腹部に、大きな傷口があるのが見えた。その部分だけ、まとわりつく黒い穢れが赤を含んでいる。


 「俺は、ファンと言います。ヤクモの…友人で、あと、兄貴分です」


 涙を滂沱と流しつつ、ヤクモのお父さんは俺を見ている。なんとなく、言葉は通じている気がした。


 「あの、ヤクモとあなたを助けるには、どうしたらいいんでしょうか?もし、何か知っていたら…」

 「だーかーら、アンタが助けるんだよ。ちょっとこっち来てみ」


 グイ、と引っ張られた感触がして、急に身体が重たくなった。 

 思わず手を見ると、いつもの俺の手だ。つまり、身体に戻ったらしい。

 違うのは、さっき魂で見ていた光景が、少し薄れつつも肉眼で見えてるってことで。

 

 「おい…ファン、どうした?」

 「あーっと、国母を降ろしたんだけど…あれ?さっきより魔力消費が少ない…」

 『そりゃそだよ。あーし、まだなんもしてねーし』


 急に、頭の中に声が響く。まだ国母は俺の中にいるらしい。


 『だからさァ!!国母ってやめれ。ばあちゃんでしょ!おばあちゃまでもいいけど!!』

 「えーっと…大ばあちゃん様、どうしたらいいのかな?」

 『んー…まあ、よし的な?いーい?呪いってのは、ばっちいの』

 「ふむふむ…」


 見えない誰かと話しだしている俺を、皆が…特にクロムが微妙な目で見ている。ちゃんと何しているのか、あとで話さないと、俺がただの変な人だな。


 『ばっちかったらさー、ばっちいとこ、こすり落とすっしょ?んで、お日様に当てて干すっしょ?』

 「うん」

 『魔力がこすり落とすためのブラシでだよ。そんでさ、ファンは灯も授かってっけど、ナランハルっしょ』


 にこりと、俺の中で大ばあちゃんが笑う。

 

 『太陽を導く紅鴉《ナランハル》なんだからさ!ゴシゴシっとした後で、お日様にあてていやーな臭いも根こそぎ落としちゃえ!』

 「その、ゴシゴシをどうしたらいいかわかんないんですけどっ!?」

 『気合いだ気合!おおばあちゃんも一緒にやってやっから、覚えな!』


 つかつかと、勝手に足が動く。

 目指すのは、這いつくばってこちらを見ているヤクモのお父さん。

 その肩を、俺の意志じゃなく動く両手が掴む。


 『うらァ!!気合い入れろィ!!』

 「え、えーと、うらぁ!!」


 どう考えても気合が入るより抜けている俺の声だったけれども。

 両手から、魔力が流れ出ていくのを感じた。


 『汚れゴシゴシ!』

 

 でもまあ、その量は流れるというよりは染み出す程度で、ゴシゴシできるような勢いは全くない。

 いや、俺は魔力を放出できる量が少ないって大ばあちゃんも言ってたし、きっとそれはどうにもならない。

 だから、量を増やすんじゃなくて、少ない量でもどうにかできるようにするべきだよな。

 あれだ。ゆで卵って、おしりに小さな穴開けてから茹でると、綺麗に殻がむける。あんな感じで。


 必要なのは、量や勢いじゃない。

 ヤクモのお父さんと、汚れの差をしっかりと見極めて。

  

 『いい感じ!』


 呪いは、俺の魔力を拒む。けれど、お父さんは拒まない。

 そして何より、お父さんは呪いを拒み続けている。いくら穢れが張り付き、その魂を覆っても、浸食を許していない。


 強いな。さすがはヤクモのお父さんだ。

 あなたの息子は、あなたによく似て、とても強い子ですよ。

 優しくて、明るくて、頑張り屋で、うちの一党のツッコみ担当を一手に引き受けてくれています。

 

 だから、泣かないで。綺麗になって、笑ってヤクモを見守ってやってください。

 その為に俺は…全力を尽くしますので!


 『よーしよく頑張った!あとは紅鴉に呼びかけて、お日様ぽかぽかしちゃいな!!』

 「紅鴉《ナランハル》!ええっと…その、お日様お願いします!!」


 我ながら、なんの祈りだ。

 

 けど。大ばあちゃんがまだ俺の中にいるおかげか。

 なんか、脇腹辺りから何かが全身を駆け巡り、ヤクモのお父さんの肩に置かれた掌へと凄まじい勢いで向かっていく。


 それは冬の朝、地平の彼方から太陽が昇ってきたとき。全身で感じる光と熱そのもので。


 「紅鴉…ありがとうございます」


 紅鴉は太陽を導く神獣であって、太陽そのものじゃあないけれど。きっと、翼の端っこに残る光と熱を使わせてくれたんだ、と思う。

 

 黒い穢れが、呪いが、身を捩り悶え、消えていく。

 夜明けの光に、闇が追い払われていくように。


 『よっしゃ!はじめてにしちゃ上出来じゃーん!いいこいいこ!』

 「大ばあちゃんも、ありがとう…」


 俺を見るヤクモのお父さんは、もう白と灰色と黒に覆われていない。少し透けているけれど、普通の人と変わりなく見えた。

 黒い長い髪を後ろで縛り、鈴屋で見せてもらったような、ヒタカミの装束に似た服装を纏っている。

 俺を見る双眸は、鮮やかな柘榴の赤。さっきの記憶の断片で見た、子供のころのヤクモと同じ色だ。

 今のヤクモはもう少し黒みを帯びた蘇芳色だから、成長と共に色が変わったんだろう。


 そして何より目を退くのは、額の上、生え際あたりから伸びる角。

 その角は、彼の瞳と同じ色をしていた。


 …ってことは、皮膚や毛が硬質化している説は否定されたな。 


 『ありがとう。ヤクモの友よ』

 

 その言葉は、声として耳で聞くんじゃなく、大ばあちゃんと同じように頭の中で響いた。

 落ち着いた声。ヤクモもあと十年したら、こんな感じに低くなっていくのかな。


 『あのような邪法に屈し、醜態をさらした事…悔やんでも悔やみきれぬ。しかし、そなたの御力で我を取り戻せた。まこと、感謝いたす』

 「いえ、俺だけの力じゃないです。あなたも、ずっと飲み込まれるのを拒んでいた。だから、俺が手を貸せただけです」

 『そなたのような善き友が息子の傍らにあること、まこと、シラミネ様のお導きであろう。これからも、ヤクモを頼む…』

 「もちろん!あ、でも、そのヤクモが…」

 『これは我が弟の妻、ミギワが掛けた呪い。シラミネ様の血を封じておる』


 あ、そういえば、フフノールでオキナが言ってたな。

 ヤクモはシラミネの血が濃いって。けど、蓋されてるからずらしておく…そんな事を。

 蓋っていうのが、その弟嫁さんの掛けた呪いなら、どうして今頃?


 『そりゃー、思い出ってさあ。歌とか匂いとかでわーっと出てくんじゃん?それでワーッとなったところに、時の灯で照らされたかんね』

 

 え、俺のせい!?


 『否。断じて否である。まこと、そなたの失態ではない。ヤクモはシラミネ様の血が濃く現れた子。忘れたままでは、いずれ心身にどのような障りがあったことか』

 

 ヤクモのお父さんは、まだ苦悶の表情を浮かべる我が子を見た。

 その眼差しは春の陽のように暖かく、柔らかく、優しい。


 『ファン殿。ヤクモの穢れは私は祓おう。そなたが掲げた灯により、我が子がまこと、よう見える』

 

 ふんわりと長い裾を払って一礼。

 再び身を起こすと、その裾は…鳥の翼の形に変わっていた。


 いや、彼の姿そのものが、輪郭を変えていく。

 人から、長い尾羽と脚を持った鳥の形へと。


 そ、その輪郭!ヒタカミに生息するっていう、キギス鳥じゃない!?鮮やかな翠と青の羽毛を持ち、飛ぶより走ることに特化し、蛇を常食にするっていう!?

 

 『我が名はタケハヤムラクモノミコト。もし、我が力が要りようなれば、弓弦を鳴らし呼ばれよ。いついかなる時でも、まこと、馳せ参じましょうぞ』


 ま、まって!もうちょい観察させて!!

 俺の心の叫び虚しく、ヤクモのお父さん…タケハヤさんは、大きく羽ばたき…光となって散った。

 光はヤクモに降りそそぎ…その表情が穏やかになっていく。


 『アンタさあ…角がどうとか何の鳥とかさあ。それってどーなの?』

 「スミマセン…」

 『次やったらしばくから。わかった?』

 「ハイ…」

 『さってと。さっきのおにーちゃん、ちょっとうち連れてくね。アンタと縁できたしィ、呼べるけど、今のままじゃ来たら力使い果たして永遠にバイバイしちゃいそうだし』

 

 それはかなり、嫌だな。ヤクモにお父さんを会わせてあげたいけど、呼んだら消滅って…。俺がとどめ刺しちゃうって事だよね?


 『ん。だから、うちでちっと元気にしとくわ。一月は呼んじゃダメだかんね。んじゃ、また呼べよー』

 

 ありがとう。大おばあちゃん。 

 一月でどうにかなるのか。年明けて落ち着いたら呼んでみよう。

 その前に…みんなに説明だな。うん。


 「ファン!ヤクモが目を開けた!」

 「お!」


 ユーシンの声に視線を向けると、ヤクモがむっくりと起き上がるところだった。

 額を手で押さえているけれど、まだ痛いのかな…?


 「ヤクモ、大丈夫か…?」

 「うん。ファン、あのね、ぼくね、色々思い出した。あの日ね、弟が熱だしてて、おかーさんとおねーちゃんは、弟の看病してて」


 ヤクモの手が額から外れる。 

 そこには、もう何の穢れもない。つるんとした、いつものヤクモのおでこがあった。


 「ぼくは、シズリと一緒にお庭で遊んでいた。そしたらね、なんかおっさん達が襲ってきてね。ぼくとシズリは連れていかれて…」

 

 そこまで言って、ヤクモはぎゅっと目を閉じ、拳を握り締める。

 けれど、それは長い時間じゃなかった。再び開かれた双眸は、しっかりとした意志の光を湛えている。

 記憶が急速に蘇ったことによる、意識の混濁はなさそうだ。


 「でも、こんな自分の話してる場合じゃないね!どーしよ、ファン!あれ、もしかしてドノヴァン司祭みたいに普通の武器じゃダメなのかも!!」

 「え、ええと、その、まあ、そうだな。うん」


 いや、まあ、その通りだけれども。

 ああ、うん。気持ち切り替えて行こう。そっか。タケハヤさん見えてたの俺だけだしね。盛り上がったのも俺だけデスネ…。

 

 「おい。いい加減どうなってんのか説明しろ。ただし、ダラダラ蘊蓄垂れ流すなよ」


 苛立つクロムの声は、半分くらいヤクモが無事で嬉しい気持ちを誤魔化す為だろうけれど。

 逆に言えばもう半分は本気でイラついてるわけだし、ちゃんと主観を交えずに説明しなきゃ。


 「えっと、だな。守護者の儀式をしたら、なんか気絶しちゃって」

 「弟!?」

 「兄貴は見てるし知ってるでしょ。その間に、大ばあちゃん…あー、国母ライマラル様と、開祖に遭ってさ」


 クロムがちょっと引いたのは、苦手な幽霊の話だからか、俺の正気を疑ってるのか。前者と信じよう。


 「詳しくは帰ってから話すし、兄貴にも聞きたいことがある。で、なんか俺には巫師としての才能が有るらしい」

 「さすが弟である!さすおとさすおと!」

 「トールうるさい」


 ガラテアさんの声と拳を兄貴は避けきり、なんか感涙しながら俺に話の続きを促した。少しばかり鬱陶しい。けど、ここで正直な思いを告げたら、錯乱するかもしれないしな。


 「歴代王を自分の身体に降ろして力を使ってもらうことが出来て…みんなを見つけたのは、五代ジルチの『鷹の眼』だ。それで、さっきはアスラン史上最高の巫師とも言える、国母ライマラルにお出ましを願った」

 「最初の時より、ファンが消耗していないな。慣れ、とかあるのか?」

 「なんか、大ばあちゃん自体の力は使っていなくて、俺の力をどう使うか教えてくれただけだから、みたい」

 

 それに、大ばあちゃんは俺が消耗しないようにって、してくれたんじゃないかなって思う。

 どうやったのか、違いは良くわからないけど…。


 「そうか!ファンがいきなり強いヤルクト訛りで喋りだすし、なんかくにゃくにゃしていたから、何事かと思った!」

 「え、ファンそんな事してたのぅ!?見たかった!」

 「見たがらなくていい!!」


 や、やっぱり話し言葉だけでなく、動作も影響受けるのか…!そりゃそうだよなあ。身体を明け渡すわけだし。


 「うっわ、マジでえ?ナランハル。それ、信用できる人にだけにしか、教えちゃダメだぜ?おにーさんとお約束して!」

 「え?勿論、そのつもりだけど…」

 「開祖原理主義の連中がさ。よけーな野望たぎらせるかもだから。あー、やっぱ、ここで死ぬわけにはいかないねw生きて帰って、馬鹿共を駆逐しなきゃw」

 

 開祖原理主義…はジャスワン将軍の造語だけれど、確かにアスランにはそういう一派もいたりする。

 要は、開祖クロウハ・カガンの大志を継ぎ、大陸全土を征服しよう!って連中だ。

 開祖が大陸征服したがったのは、大祖の神殿を世界全てに建立する為らしいけどね。そんな野望の為に征服される国の人も、駆り出されるアスランの兵も可哀想にもほどがあるので、絶対に実現させてはならないよな。


 たぶん…開祖も無理矢理俺に降ろされたら、実行したやつ皆殺しにして帰っていくだろうけど、ついでに大祖廟を百増やせとか親父に要求しかねない。

 なんにせよ、火種は少ない方が良いからね。やっぱり、ごく一部…俺が灯の刻印を授かったことを知っている人たちだけに伝えよう。


 「お話し中申し訳ございません。オドンナルガ、ナランハル」

 「どうした、ホンラン」

 「画砦が間もなく崩れます」

 「わかった。普通の武器では傷付かないとなると、俺の魔力を流し込むか…」


 兄貴がまともに戻った。良かった…って、良くない!


 「あ、駄目!って言うか、兄貴、戦っちゃ駄目!!」

 「お、おとうと!?」


 あれが、オルゴイ・ホルホイなのだとしたら。

 もしくは、同じ特性を持つのだとしたら。


 「ホンラン、『顔剥ぎ』の人物像はどれくらいつかめている?」

 「普段の生活や職業などは不明ですが、犯罪者としてではなく、一般的な大都の住人として暮らしているかと推測されます」

 「じゃあ、地面にもぐったりして暮らしていないな?」

 「おそらく…」

 

 なら、俺の仮説はかなり真実に近い。


 「オルゴイ・ホルホイは、地中を進む際に落雷を吸収し、蓄電していく。放電するときには、その蓄えた雷の魔力を放出するんだ」

 「挟めなかったからって、蘊蓄垂れ流してぇわけじゃねぇよな?」

 「違ーう!そして、放電による攻撃を行っていない。今までの犠牲者も、焼け焦げていたとか、炭化していたって人は見つかっていないよな?」

 「はい。強酸で溶かしている可能性はありますが」

 「やっぱり!つまり、『顔剥ぎ』は蓄電できていない。攻撃手段の一つは、最初から使えないはずだ!」


 オルゴイ・ホルホイ自身に発電する器官はない。強化、増幅はできても、ないものを作りだす事は出来ない。

 万魔の王が、無から有を作り出せないように。 


 「でも、兄貴の魔力は強い雷属性でしょ!それで蓄電されたら、放電に至る可能性もある!増幅器官は強化されてるかもしれないんだし!」

 「な…なんという洞察力だ弟よ…!!素晴らしい…し、しかし、そしたら俺は…」

 「役立たずってこったな」

 「むしろ害悪だ」


 こういう時仲いいな二人とも!?


 「んじゃあ、こうしませんかい、ナランハル。オドンナルガには、一回ホンちゃんつれて帰還してもらって、別動隊を率いて出陣してもらう」

 「将軍、私は…!」

 「画砦なんて術使ったら、もう魔力からっぽっしょwつか、立てる?」

 「…」


 ジャスワン将軍の質問に、ホンランは俯いた。画砦、威力絶大だけど当然その分、魔力消費は激しい。限界はすぐそこなんだろう。

 それでも表情に出すこともなく背筋を伸ばしているのは、鋼の精神力によるものだけど、それって別名、やせがまんだからね。


 「…わかった。ホンラン。それにココ。共に帰還を命じる」

 「お、おお、俺、た、戦える、る、です!!」

 「魔力消費の激しいホンランは、俺が抱える。その方が転移の際に影響を受けにくい。だから、そちらの女性はココチュがお連れするのだ」

 「…あ」


 ココは泣きそうな顔で抱えるオツタさんを見て、それから俺たちに視線を向けた。

 大丈夫。絶対に勝って帰るから。任せておいてくれ。


 たぶん、兄貴は一緒に戦ったことのないココを混ぜて、連携が阻害される可能性を危惧したんだろう。

 それは、ココには悪いけれど、ありえる。

 ガラテアさんとシドとは、一緒に旅をして戦いも潜り抜けた。万全とは言えないけれど、俺たちの動きを理解している。

 

 出来上がっている連携に、いきなりで合わせることができるのは、よっぽど器用な人くらいだ。

 そう、ジャスワン将軍とかね。


 「ジャスワン将軍。この一角を至急包囲し、周辺から住人を避難させる。貴殿には転移陣符を預けよう。どうしようもなく危険と判断したら、使用して脱出してくれ。

 灯を、消させるな。どれほどの犠牲を払おうとも」

 「御意」


 いざとなったら、俺だけでも退避させろ。

 兄貴はそうジャスワン将軍に命じた。

 けっして兄馬鹿だからじゃない。俺が死ぬという事は、当分の間、灯の刻印が喪われるという事。

 その間、誰も魔の眷属を討伐できない。少なくとも今、『顔剥ぎ』っていう眷族が、大都の中に出現しているっていうのに。

 

 「俺の魔力が染みていない武器は、戻ったら転送する」

 「俺のも頼む!トール!」

 「すまないが、俺もだ」


 手を挙げるユーシンとシドを、なんだかクロムが勝ち誇った顔で見ていた。

 まあ、『紅鴉の爪』は間違いなく通用するしな。


 「私は援護と治癒に徹するので要らない」

 「ぼくも、ファンとガラテアさんの援護に回るね!避けて引き付けたりとかはできるし!」

 「わかった」


 兄貴はこくりと頷き、足元に転移陣を展開させた。

 鮮やかな蒼い光が、室内を照らし出す。


 「画砦が突破されれば、ホンランにも衝撃が来る。なので、崩壊する前に解呪だ。ガラテアの御業でしばし耐え、武器が届いたら反撃に転じよ」

 「わかった。頼んだよ。兄貴」

 「うむ…。俺は、お前を、弟を…ファンを信じる」


 ホンランを抱きかかえ、兄貴はむいっと笑った。かなり無理してる感じで、口の端がひくついているけど。


 「大アスランの繁栄に翳りなし!」

 「黄金の血統(アルタン・ウルク)の前にあるは、勝利のみ!」


 開戦の宣誓。必ず勝つと、互いに誓って。

 

 どん、という大きな音と衝撃が、誓いの言葉を飲み込む。 

 画砦が解呪されたか、突破されたか。

 それとほぼ同時に転移陣が発動して、兄貴たちの姿が消えた。


 「ガラテア。どのくらい持つ?」

 「長くはない。だが、トールが武器を寄越すまでは持ちこたえてみせる」

 「ぶっ倒れんなよ。回復できる奴がいるのといないのとじゃ。大違いだ。限界五歩くらい前で解け。引き継ぐ」

 「ふ、お前こそ取っておけ。どうせ信仰心がないのだから、すぐに限界が来るだろう」

 「限界程度、何度だって蹴っ飛ばしてきた。今回もそうするだけだ」


 クロムとガラテアさんの応酬を、家を破壊する音が阻害する。

 一際大きな破砕音と共に、家の正面の壁が崩れ落ちた。


 幸い、この家はしっかりとした造りのようで、家全体が続けて崩壊するという事はなかった。

 ただ、その崩れた壁の向こう。立ち上り視界を塞ぐ土煙の先に。


 「酷いなんでそんな意地悪をして隠れるの私をどうして苛めるのどうしてどうしてどうして」


 頬を両手で押さえ、身体をくねらせ、喚き散らす。

 その姿は、確かにオルゴイ・ホルホイに近かった。


 ただ、オルゴイ・ホルホイの頭部があるべき場所には、ごく普通の、すれ違っても印象に残らないような服を着た、若い女性の上半身があって。

 本来のオルゴイ・ホルホイの頭部は、その接合部分…あればだけれど、女性の臍のあたりに、ぽっかりと口を開けていた。

 蠢く触手から滴る唾液は、崩れた壁材に落ちるとしゅうしゅうと白い煙と悪臭を放つ。

 けれど、やっぱり、蓄電を示す光る斑紋は見当たらなかった。


 「私はこんなに優しくて良い子なのに」


 二階の壁だった部分から、俺たちを見下ろしながら、『顔剥ぎ』は嘆く。

 優しい子は、人様の家を破壊したりしないけどな!


 「来た!」


 ユーシンの声と共に、陣が空中に展開した。

 その眩い蒼い光に、『顔剥ぎ』がびくりと壁から離れる。


 「おっし!俺ちゃん斧もらう!」

 「槍!」

 「剣を」


 輝きの色合いから見て、おそらく精霊銀《ミスリル》だろう。それが通用するかはわからない。けど、これでも傷付かなかったら、駄目だったって検証結果は残る。


 「よし!みんな!」


 もう一度、右手の灯を掲げて。

 

 聞きたいことも、伝えたいこともあるんだ。

 ヤクモに、タケハヤさんの事を伝えたい。

 兄貴に、未来からやってきた「誰か」の事も聞きたい。


 だから、ここで、死ぬわけにはいかないんだよ!


 「往くぞ!!」


 灯の刻印がひときわ強く輝き。

 二回目の魔の眷属との戦いが、始まった。

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