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鳥には羽根 魚には鱗  作者: 阿古あおや
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羊肉は熱いうち(善は急げ)4

 こっそりと雲熊宮に向かうのに、最大の障害は何か。


 それは勿論、金狼宮の門番たちである。

 いくら金狼宮が緩い空気だと言っても、言わばアスランの最深部を守る兵らが、だらけているかとかサボっているとか、そういうことは一切ない。


 俺たちが「じゃあ、紅鴉宮帰りま~す」と出ようとしたとして、フレグを連れていれば即「ナランハル?」となっちゃうし、この部屋の窓から脱出すれば「ナランハルたちが出てきていない」と騒ぎになる。

 何より、靴がない。靴下と室内履きは履いているけれど、これで外に出たら間違いなく足の指がしもやけになってしまう。

 

 つまり、まずは金狼宮の門番の目を誤魔化す、というのが最初にして最大の難関なわけだ。


 「で、どーすんのぅ?」

 「俺が騒ぎを起こし、目を引き付けるか!」

 「それ、もっと困ったことになるんじゃないのぅ?」


 ヤクモの言う通りだから止めときなさいよ。

 さて、どうするかとしばし悩み、何か使えるものはと視線を巡らせる。

 

 目に入ったのは、吊るされ揺れる干し柿。


 「よし!これで行こう!」

 「う?これ?」

 「干し柿を門番殿に渡して目こぼしを頼むのか!」

 「いや、さすがに干し柿で買収はされてくれんだろ…金狼宮の門を任されるような人たちだぞ?」

 「では、干し柿で殴ってその隙にか!」

 「ナランハルご乱心って情報が、今日の夜には実家にいるクロムと鈴屋の面々に届くわ」


 そして俺は、食べ物で遊ぶなと母さんに折檻だな…。

 いや、そもそも、干し柿は使うけれど、そんな阿呆な真似はしない。


 「こうするんだよ」


 ユーシンが昇ってきた縄も回収しなきゃだしな。怪しすぎる。

 まだ干し柿を齧っているフレグをヤクモに任せ、バルコニーに出て指を口に当てる。

 そして吹き鳴らしたのは、指笛。


 持つことしばし。近付いてくるのは馬蹄の響きと、風を切る羽ばたきの音。


 「よしよし、マナン」


 翼をたたんで地面に着地したマナンは、「なぁに?」と問うように頭を傾げ、可愛い顔で俺を見上げる。

 続いて駆けてきたのは、もちろんコロ。そしてその後ろに二騎。


 「ああ、ナランハルが呼ばれたのですか」

 「悪いな、ついてきてくれたのか」


 マナンもコロも、金狼宮に入るための門の前で待たせていた。

 それがいきなり飛んだり駆けだしたりしたから、騎乗したまま警護に当たっていた兵が「何事か!」と追いかけてきてくれたんだろう。


 よしよし、狙い通り!


 「こいつらにも干し柿をあげたくて、つい名前を呼んじゃったんだ。飛竜は耳が良いから聞きつけちゃったみたいだな。コロはマナンを追っかけたっぽい」


 言いながら、マナンに干し柿を一個放る。

 すでにマナンの視線は、俺の顔から風に揺れる干し柿に移っている。飛竜は甘いものが好きで、もちろん干し柿も好物だ。喜んでパクリと口に収めると、長い尻尾もご機嫌にうねる。


 騎士二人は顔を見合わせ、苦笑した。うまく誤魔化されて…くれたかな?


 「面倒かけてすまない。それで、面倒ついでにもうひとつ頼みがあるんだけれど」

 「なんなりと」

 「こいつらもこっちに来たし、東門からでるよ。それを記録しておいてくれ」

 「その程度、頼みとも言えませぬよ。ナランハル。むろん、そのように」

 「ありがとう。これ、持って帰ってみんなで食べてくれ。当番に当たっていた隊は、吃驚しただろうから」


 柿を吊るしている紐をきり、放る。マナンが「んじっ」と見つめていたけれど、一応あれは自分のものではない、と理解してくれているようだ。首を伸ばして取ろうとはしなかった。


 「なんと恐れ多い!大したことでもございませんのに!」

 「俺の気が済むんだ」

 「ありがたく、頂戴いたします!ナランハル!」


 兜や首巻でほとんど表情は見えないけれど、声と気配から察するに喜んでもらえたようだ。

 敬礼して去っていく騎士らの背中を見送り、ここまでは計画通り、とほくそ笑む。

 まあ、兄貴に渡すように干し柿なくなっちゃったけど、俺の分を分ければいいよな。うん。


 「よし、ユーシン。もう一度縄を降ろすから、フレグを連れて下に降りてくれ」

 「心得た!」

 「ヤクモ、俺たちは正宸殿の玄関に回って、靴を回収してこよう」

 「う?ユーシンは?」

 「マナンに戯れて離れないってことにする」


 縄を再び垂らす。

 フレグはユーシンの着物チュバの内側に背負い、さらにその上から外套を被って隠す。これでマナンのふかふかの羽毛に埋まっていれば、かなり注意して見なければわからないだろう。


 「フレグくん、だいじょーぶ?苦しくない?」

 「だいじょぶ、です。あの、あの、重いとか…」

 「フレグ殿は俺の槍より軽い!心配めさるな!ファン、マナンに乗っていてよいのだな!」

 「良いけど、飛ばすなよ」

 「我慢する!」


 不安だったので、俺も一度縄を伝って下に降り、コロを呼び寄せて「マナンをよろしく…」と頼んでおいた。

 コロはお任せあれ、というように俺を見ている。やっぱりコロ、お前は良い馬だ。クロムは猛獣扱いするけれど、敵に容赦ないだけだよな。


 コロにも干し柿を食べさせ、もう一度縄を伝って苦労しながら二階へと戻る。さっさと靴取ってきて、合流しなきゃな。日が暮れてしまう。

 日が暮れれば、気温は一気に息が凍り付くまでに下がる。そんな時間に、小さな子を外に出しているのは大問題だ。


 …そうだな。フレグはかなりの薄着だった。それを苦にした様子はあまりなく、慣れている感じがした。

 フレグの母上であるティエリア殿に、あまり良い印象はない。

 けど、その生国ウロフから「護衛と育児の補佐」にと送られてきた、初老の騎士とその奥方は良いひとたちだ。

 フレグを任せたままにしているのは、このご夫婦の人柄によるところが大きい。

 

 俺たちへの敵意はなく、むしろ、「四太子の母ではない」ことを嘆き、立ち直る気配もないティエリア殿に憤っているように見えた。

 あまりあからさまに諫めたり、后妃への礼儀を示すとティエリア殿に国に送還され、フレグが危険に晒されるかもしれない。

 だから、無礼を働くことをあと数年お見逃しください、と額を床にこすりつけて嘆願した夫妻の姿は、まだ鮮明に覚えている。


 あの二人が、上着も着せずに共もつけず、正宸殿や雲熊宮までフレグ一人で行く事を許すだろうか。


 「ファン、ちょっと怖い顔しているよ」

 「え、そ、そうか?」

 「なんかさ、ファンならあの年でもあちこち遊びにいってそうだし、アステリアでもさ、同い年くらいの子がわちゃわちゃ遊んでるけど…フレグくん、王子様だもんねぃ…。やっぱり、ひとりだけって、おかしいよね?」


 廊下を歩きながら、ヤクモも眉間に皺をよせていた。

 うん。もうすぐ五歳の子供が、親なしで近所で遊ぶこと自体は、良くあることだ。

 俺だって、同じころには牛糞拾いつつ虫を捕まえたり、仔馬と跳ねまわったりしていた。


 けど、決して一人じゃなかった。


 両親が側にいなくても、一緒に遊ぶ誰かの親や兄姉が必ず目と手の届く範囲にいた。それは、俺が王族じゃなくても同じだ。

 七歳未満の、まだ髪を伸ばしていない子供を一人だけにするなんて、絶対にしない。まあ、フレグは髪をそってないからふさふさしてるけどさ。


 「ああ。おかしい。問題があるのは、月虎宮だけじゃないな。これ」

 

 フレグの周りもおかしいけれど、テムルの周りも、フレグが来ていることに気付いていないのか?

 あっちは月虎宮と同じく、ルシアラ殿の権力が強いから、フレグが来ていることを見つければ、すごい騒ぎ立てるだろうけれど。


 夫人たちが威張ってようが俺らに敵意剥きだしだろうが、弟たちが健やかに成長してくれていればいいんだ。

 フレグは、小さいけれど健康そのものだ。肌もぷっくらしているし、髪もばさついていない。

 だから決して、虐げられているわけじゃない…と思うんだけれど。


 胸の奥に広がった不安を抱えたまま、俺とヤクモは正宸殿の長い廊下を早足で歩き、古参の女官に見つかってちょっと叱られた。


***

 

 「寒くないか?フレグ」

 「だいじょーぶ、です!」

 「わはは!さすが黄金の血を引くもの(アルタン・ウルク)だ!将来有望だな!ファン!望むならば、俺が槍を教えるぞ!」

 

 まんまと金狼宮から出た俺たちは、一路雲熊宮に向かっていた。

 配置的には、金狼宮が一番北にあり、そこを頂点として北東に兄貴の星龍宮、南東に俺んち、南西に月虎宮、北西に雲熊宮と並んでいる。


 なんで、金狼宮から雲熊宮を目指すなら、西門から出たほうが近いんだけれど…俺んちに戻るにも、兄貴に干し柿届けるにも不自然な位置だ。

 だから、一番怪しまれず、かつ、日ごろ俺たちが出入りするもんで素通し状態の東門から出た。その見込みは間違いなく、特に怪しまれることもなく金狼宮を後にすることが出来た。

 …マナンに乗ってはしゃいでいるユーシンを見る眼差しが、生温かった気もするが、それはそれってことで。


 ユーシンはフレグを自分の前に座らせた状態で、マナンの背に跨っている。

 飛竜は馬と違って人が乗る背中をしていないから、当然バランスを崩せば落竜するわけだけれど、ユーシンの運動神経でそれはない。

 

 心配なのはフレグだが、ユーシンがしっかり抱えている限り、大丈夫だろう。

 はじめて乗る…いや、触るのもはじめてか…飛竜に怯えもせず、子供らしい歓声を上げてマナンの背から地上を見渡していた。


 「飛竜って、歩くのも結構早いよねぃ」

 「鳥もそうだろ?意外と早いぞ」

 「確かに。ニワトリとか、ぴゅあーってくるもんね」

 「ああ。イフン地方で飼われている半野生の鶏なんてな、人が走るより早いからな」

 

 あの時、雄鶏に突かれむしられ抉られた部分は、しっかり痕になって俺の背中に残っている。言い逃れのしようがない逃げ傷だな。

 いまでも、トパワクの町では「雄鶏に負けたファン先生」として語り継がれているんだろうなあ…。

 願わくば、あの雄鶏が煮込まれて食べられていませんように。ナランハルを討ち取った鶏なんだから、その栄誉をたたえて末永く可愛がってやって欲しい。

 ヅックさんあたりが、なんか商売にしてたりして…。

 

 俺とヤクモとコロは、マナンの横を歩いている。

 日はそろそろ赤みを増してきているが、まだ完全に落ちるまで余裕があるし、そう急がなくても雲熊宮に到着できるだろう。

 その後、日が落ちるまでにフレグを金狼宮の中にある、飛燕宮までどうやって連れ帰るかってのは悩ましいが。


 まあ、今度は俺がフレグを背負って、コロでひとっ走りすりゃあいい。

 コロは黒いし、俺の外套も基本は黒だから、闇に紛れることはできるだろう。

 金狼宮自体には夕飯食べに行くし、その時騎乗してたって怪しまれることはない。


 「もひとりの弟くんのおうち、ふつーに宮殿だよねぃ。どうやって入るのぅ?」

 「フレグが知ってるかなって。何度も忍び込めているから、テムルと仲良くなったんだろ?」

 「え、えっと、こっそり遊びにいきます。テムルのおうちは、こっそりいけるのです」

 「テムルの…おうち?」


 雲熊宮にこっそり近付くことは、そりゃできるだろうけど…。巡回している兵だって、まさかこんな小さな子が接近してきているなんて思わないしな。


 「テムルのおうちは、雲熊宮のおそとにあります。テムルのすきなひとしか、はいれないのです」

 「ほう!では、俺たちは会ったことがないから入れんのか!」

 「えと、わたしと一緒なら、入れると思います!」

 「そうか!それは良かった!」


 おうち、外にある?

 どういうこと?とヤクモと顔を見合わせても、わかるわけがない。

 とにかく行ってみようと足を進め…


 「テムルのおうちです!」


 小さなフレグの指が示したのは、雲熊宮から少し離れて立つ、三階建ての小さな家。

 家というか…離れ?

 

 「えっと、テムルはあそこに住んでいるのか?」

 「そうです。テムルのために、できたおうちです」


 まあ、宮の造営は親父の許可さえとればできるしな。

 けど、雲熊宮の中の方がさすがに住環境としてはいいはず。なんだって、わざわざ…。

 そして、「おうち」には、テムルの好きな人しか入れないらしい。その好きな人の中に、ちゃんとテムルの母であるルシアラ殿は含まれているだろうか。

 それが気になったけれど…今は、聞く必要はない、よな?うん。


 「さて。これ以上接近したら、さすがに見つかるか。マナン、コロ。ちょっとここで待っててくれな」


 二頭の鼻面を撫でながら頼むと、マナンは渋々といった感じに、コロは悠然と足を止めた。

 

 「遮るものがない!どう近付く?」

 「フレグはどこからいつも行っているんだ?兄ちゃんたちを案内してくれ」

 「あい」

 

 マナンの背からユーシンが飛び降り、フレグを地面に降ろした。俺の首巻を貸しているけれど、急に熱源から離れたせいか寒そうだ。マナンも心配そうに顔を擦り付けている。


 「こっちです」


 フレグも名残惜しそうにマナンを撫で、それから俺たちを差し招いて歩き出した。

 とててて、と小走りに進む速度はなかなかのもので、この子は育ったら結構な武人になるのでは?などと兄馬鹿な事を考えてしまう。


 フレグが俺たちを連れて行ったのは、特に目立ったもののない、枯草に覆われた場所。

 その枯草をのけると、手袋を外して掌を地面に押し当てる。

 途端、ゆっくりと、地面が割れていく!隠し通路だ!


 「ここを、とおっていきます」

 「…なんかすごいのだねぃ…」

 「緊急脱出用の隠し通路か?けど、雲熊宮の奥には、専用の転移陣があるはずだよなあ」

 「えと、テムルが言うには、ババアがじゃまするだろーからって」

 「ばばあ?」

 

 こくん、とフレグは頷いた。

 ババア、ねえ…ルシアラ殿が本国から連れてきた乳母殿は、なかなか強烈な女性らしいから、その人かなあ?


 「あの、あの、はやくいかないと、閉じちゃうので…」

 「ああ、悪い!行こう」

 

 フレグを先頭に、地下通路へと進む。

 中はそれなりに狭く、俺は完全に四つん這いでも結構きつい。魔導灯が床に仕込まれているようで、全く暗くはなかった。

 壁や天井は分厚く焼かれた陶器だ。多分、俺一人分くらいは地下にもぐっていると思うけれど、土の重さに軋む感じはない。上手く重さを散らしているんだろう。

 中から見える天井は平たいけれど、土と接している面は、湾曲しているのかな。

 

 「もう、着きます」


 とてとてと歩むフレグの先に在るのは、ただの壁に見える。

 けれど、またフレグが素手で触ると、パッカーンと開いた。おそらく、フレグの魔力を感知して仕掛けが動くようになっているんだと思う。


 開いた先は、地下室だ。大変に馴染みのある光景が広がっている。


 「ファンの弟くんって、感じだねぃ」

 「まったくだ!だが、ファンの方がひどい!紅鴉宮は、こんな部屋が十もあるからな!」

 「じゅ、十はないぞ!九部屋だけだ!」

 「あんまし変わんないじゃん」


 部屋を埋めているのは、みっしりと詰まった本棚。

 背表紙を見ると、歴史関係の本が多い。


 「テムルは、歴史が好きなんだな」

 「はい。いろいろ教えてくれるです」

 「やっぱり、学者方面に行く人は、うんちく語るのが好きなんだねぃ」

 「それは否定しない」


 部屋の片隅には、しっかりした階段があった。段差は小さく、階段用の絨毯が敷かれている。小さなテムルの足でも上り下りしやすいようにって、配慮だろう。


 その先から、扉があいた音がした。


 「フレグ!どした!またしめだされたのか!」

 「ちがうのです。テムル、あのね」


 とんとんとん、という軽い音。

 まずは素足の、小さな細い足が見えて。

 それから、部屋着に包まれた、ポコッとした子供特有のお腹。


 最後に出てきたのは、大きな丸い眼鏡をかけた顔。

 その眼鏡の内側で、翠の瞳がこれ以上ないほど瞳孔を広げていた。


 「ウソだろ…え、ほんと、ほんものの、ファンあにうえ?」

 「ほんものなのです。テムル」

 「え、ちょっと、ちょっと待てよ!まだ、ココロのじゅんびできてねーし!」


 弟が兄に会うのに、心の準備って必要なのだろうか。

 いや、必要か。だって、ほとんど会ったことないものな。俺たち。


 「テムル、こっそり来ただけだから、そんな気にしないでくれ。むしろ、急に押しかけてごめんな」

 「そじゃなくて!あわわ、あの、来てくれて、マジ、すっげーうれしいんです!ファンあにうえ!でも、おもてなしできるようなもの、なんもなくて!あにうえは、オトナだから、茶より酒ですよね!?でも、うちに酒とかなくて!」


 階段の途中で座り込んで頭を抱えるテムルに、フレグがとことこと近付き、その頭を撫でる。


 「だいじょぶなのです。テムル。お湯だって、ただじゃないのです」

 「そりゃ、おまえんトコのババアどものいやがらせだ!」

 「ええっと、落ち着こう?テムル。俺は確かに酒も飲むけど、どっちかっていうと茶の方が好きだし…」

 「そうなんですか!あああ、でもでも、チェとか呼んだら大騒ぎになるし…!」

 「チェ?」

 

 テムルの侍従官だろうか。

 確かに、テムルに呼ばれて俺たちがいたら、普通は大騒ぎになるわな。


 「薬缶と茶葉の場所を教えてくれれば、兄ちゃんが淹れるぞ。お湯はある?」

 「お湯はあります!けど、おもてなしって…」

 「ファンだからねぃ」

 「うむ!ファンはそういうやつだ!諦めよ!テムル殿!」


 声を掛けられて、はじめてテムルはユーシンとヤクモの存在に気付いたようだ。

 また目が丸ーくなっている。

 

 「俺はユーシン!キリク王、シーリンが子、ユーシンだ!」

 「ぼくはヤクモ~。ええっと、いちお、シラミネの王子です」


 自己紹介も済んだところで、とりあえず上にあがろうか、という事になった。

 この「テムルのおうち」は、地下が書庫兼地下通路で入口、一階が普段過ごす居室、二階が本来の出入り口兼居間、三階が寝室になっているらしい。


 つまり、侵入者が入ろうとすれば二階からになり、地下通路から逃げるために時間を稼げるってわけだ。

 出入り口には魔導鍵がしっかりと施され、登録された人間にしか解錠出来ない。

 壁一面がほぼ硝子張りになっている部屋が一階にあるけれど、そこをぶち破ろうとすれば、強力な防御陣が発動するそうな。

 下手すると、雲熊宮より防御性能が高い気もする。 

 

 俺たちが招き入れられたのは、程よく散らかった一階。

 もう日暮れが近いからか、大き目の窓は分厚い緞帳に覆われ、光源は天井にはめられた魔導灯だ。

 分厚い絨毯の敷かれた部屋の片隅では、大きな魔導火炉(ストーブ)が稼働している。その箱型の天板の上には大きな薬缶が置かれ、しゅんしゅんと湯気を噴き出していた。

 絨毯の下にも、温熱の陣が仕込まれているんだろう。靴を脱いで絨毯に足を乗せると、ホカホカと暖かい。


 テムルがまだ「おもてなし…」と呟いているけれど、茶器一式の場所を教えてもらい、取り出す。水瓶もあるし、薬缶の湯を使ったら、ここから足しておこう。空焚きは危ないからな。


 「お、茶葉が結構あるなあ」

 「ファンあにうえは、どれがお好きですかっ!オレは、白菊茶がすきなんですけど!」

 「いいね。俺も好きだよ。それにしよう」


 白菊茶は、その名の通り茶葉の中に白菊の花びらが入った茶だ。喉に良くて、この季節に飲むと乾燥してイガイガするのが治る。

 茶葉自体もほんのり甘い白茶だから飲みやすいしな。


 おそろいの硝子瓶に入り、綺麗な字で茶の名が書かれた札が貼られた中から、白菊茶を選んで取り出す。

 ん?なんか、この字…見たことあるような?まあ、雲熊宮から回ってくる書類もあるしな。

 

 小さな薬缶に茶葉をいれ、火炉の上の薬缶を持ち上げて湯を拝借する。まだたっぷり入っている重さだけれど、水を足して戻しておいた。

 お茶請けは、干し柿でいいな。うん。ちょうどいい。


 そうやって準備していると、テムルが足元でうろうろしつつ、こちらを伺っていた。話しかけたけれど、何と話したらいいかわからない。そんな感じ。

 小さな口を開けて、閉じて。そのたびに、まだ言葉になっていない声が「あー」とか「うー」とか漏れる。

 その様子に、なんだか…とてもホッとした。


 この子は、俺の事を嫌っていない。敵と見ていない。

 それだけで、まだ茶の湯気さえ口にしていないのに、胸と腹の奥が暖かくなる。


 「あまり、長居は出来ないんだ。だから、本当におもてなしとか気にしなくていいよ。そもそも、兄をもてなすなんて可笑しいしな。家族なんだから、茶の一杯でも飲んでけば、くらいが普通だよ」

 「え…もう、帰っちゃうんですか?」

 「お茶を一杯、貰ったらね。外にマナンとコロを待たせているから」

 「マナンと、コロ…」

 「俺の飛竜と、馬だよ」


 飛竜、という名前に、テムルの目がぱあーっと輝いた。


 「飛竜!いいなあ!」

 「今日はもう遅いから乗せて飛ばせてやれないけれど、天気のいい、ちょっと暖かい日に、乗ってみるか?」

 「ホント?!やったあ!」

 

 はしゃぐ弟を見ていると、抱きしめて頬ずりしたくなってくる。

 こ、これが、兄心か。でも、今は俺に対して何の警戒心もないけれど、そんなことしたらウザいとか重いとか思われてしまうかもだからな。我慢だ我慢。


 テムルは、フレグより小さい。

 フレグも年の割に大きい、というわけじゃないけれど、テムルは明らかに小さかった。

 身体が弱いというのは知っている。良く寝込むのも、体力がないのも。

 それが生まれた時に起因するものなのか、他の原因なのか、は推測にしかすぎないけれど。


 でも、はしゃいで笑うテムルは、ごく普通の、元気な男の子だ。

 成長と共に虚弱体質も治ってきているのなら、本当に良いんだが。

 マナンに乗せて飛ぶ日は、良く選ばないとな。上空は、地上よりもずっと寒いし風も当たるからな。


 茶の用意をして戻り、各々の椀に湯気を立てる白菊茶を注ぐ。芳香が湯気と一緒に揺蕩って、なんとはなしに全員の顔に笑みが浮かんだ。

 干し柿もすでにユーシンとヤクモによって、紐から人数分外されてた。


 「テムル。これがさっき話した、おいしい赤いやつ、なのです」

 「これかあ…」

 「干し柿って言うんだよ。とりあえず、齧ってみ?」


 テムルはワクワクした顔で俺の隣に腰を下ろし、干し柿を手に取った。

 前後左右上下から眺めまわし、ぱくりと噛みつく。


 「あまっ!」

 「あまいのです。おいしーのです」

 「うん!フレグの言ったとーりだ!あまい!」


 もぐもぐと干し柿を咀嚼しながら、テムルは嬉しそうに何度も頷く。うん。その気持ちわかるぞ。聞いて得た知識が「真実」だった時って、嬉しいよなあ。


 「これにて、仕事クエストは完了だな!」

 「良かったねぃ。ファン。テムル君も喜んでくれて」

 「そうだな。って言うか、いつの間にこんな家を…」

  

 本当に雲熊宮に忍び込むなら、今頃はまだ、抜き足差し足忍び足で進んでいただろう。あっさり目的を達成できたのは、この「テムルのおうち」の存在が大きい。


 「前の冬にたてはじめて、春が来るちょっとまえに、ひっこしました!」

 「じゃあ、俺が出て行った後かあ。そりゃ、知らないな」

 「オレのきょーいく係が、そうしたほうがいいって言って」


 半分ほどの大きさになった干し柿をしゃぶりつつ、テムルはズレて下がってきた眼鏡を押し上げた。

 

 「教育係かあ。ファンとユーシンにもそういうひと、いたの?」

 「多分いたと思う!」

 「ユーシンの先生に、ぼくは心底同情するよ。大変だったろーなあ…」

 「でも、こいつ、きっちり西方語話せるし、メルハ語もそこそこわかるからな。カーラン語とかは全然だけど…」

 「確かに。読めないし書いた字はユーシンにしかわかんないけど。でも、絶対大変だったと思う」

 「なに、ユーナンに手がかからんから、ちょうど良いのだ!」


 わはは、と笑って干し柿の最後の一口を飲み込む。もう一個に手が伸びてきたので、はたき落としておいた。二個までって言われたろ!


 「俺にもいたぞ。その人が博物学者だったから、俺もこの道に進んだんだし」

 「いろんな元凶になったひとかあ…」

 「元凶言うなよ。すごい人なんだぞ。師匠」

 「へー。今、どこにいるのぅ?」

 「今はメルハ南部で採集している…と思う。最後に来た手紙がそうなってたし。でも、あの人なら真逆の氷海にいてもおかしくないしなあ」


 興味がそそられれば、それこそ月の門にだって行っちゃいそうな人だし。

 

 「やっぱり、元凶だと思う」

 「まったくだ!」

 「だから元凶言うなし…ええっと、テムルの先生は、どんな人なんだ?」

 

 歴史が専攻なんだろうか。まあ、太子の教育係としては、博物学より相応しい気もする。


 「あくにんがおです!」

 「…悪人?」

 「はい!ぜったい、何かわるいことたくらんでる顔してます!」

 「そ、そっか。本当に悪い事企んでなきゃ、顔は別に良しな。俺の旧友にもそういう奴いるけれど、すごく良いやつだよ」


 どちらかというと、善人の顔をして腹の中はって方がたちが悪い。

 そういう奴は、意図的に「善人」を装うから余計にな。


 そんなこんなで話をしているうちに、茶は飲み干され、干し柿はへたを残して胃に収まった。そろそろ、引き上げ時だろう。


 「さ、今日はもうお暇するよ、テムル。今度はもっと早い時間から来るな」

 「あ、じゃ、じゃあ、ちょっと待って!あにうえ!」


 とたたた、と早足でテムルは部屋の隅に向かい、備え付けられた箪笥の引き出しから、何か取り出してきた。


 「これ、このゆびわで、トビラが開くから!」

 「ありがとう。貸してもらうよ」

 

 指輪を受け取り頭を撫でると、きゅ、と目を閉じて笑う。照れ臭くて、でも嬉しい。そんな顔。

 俺はたぶんこんな顔しないけれど、そりゃ弟がこんなかわいい顔してたら、ぎゅーっと抱きしめたくもなる。

 が、そこで実行すれば二度と兄貴を批判できないので、ぎゅーではなく、そっと抱き寄せて背中を軽く叩くにとどめた。

 

 「テムルも、フレグも。誰がなんと言おうと、二人とも俺の弟だ。何か困ったこと、助けてほしいことがあれば遠慮なく呼んでくれ。兄ちゃん、頑張るから」

 「あにうえ…」

 

 テムルを離し、視線を合わせる。綺麗な翠の瞳は、母親であるルシアラ殿にも似ていない。

 春の色だなあ。この色に草原が染まると、春が始まる。タタルの草原が、もっとも命に溢れかえる季節。


 「じゃ、じゃあ!さっそくいっこ、いいですか!」

 「もちろん」

 「フレグを…フレグを、たすけてください!」

 「え?フレグを?」


 思わずフレグを見ると、ユーシンの膝に乗せられたフレグは、急に名前を呼ばれてびっくりした顔をしていた。


 「フレグ、このままじゃ、ダヤンあにうえみたいになっちゃう!フレグも、たすけて!あにうえ!」

 「どういう事だ?説明できるか、テムル」


 ダヤン兄上のようになる。

 つまり、餓死寸前になるって…そういう事か!?


 「それは、小生からご説明させていただきます。ナランハル」


 急に投げられた声に、全員の視線が上階へと続く階段へ向けられた。

 かつんかつんとなる足音は、二つ。


 現れたのは、長身じゃないけれどがっしりした体格の糸目の男と、その後ろから目を限界まで見開いてこちらを注視している、女の子。

 その、ナナイたちと同年代かな、と思われる女の子に見覚えはなかったが、もう一人、朝飯食べるような気軽さで人を殺してそうな顔は、ばっちり記憶にある。


 「えええ~!!もしかして、悪人面の教育係って、お前だったのか!エルデニ!」

 「ふふ、ナランハル。いや、ファン氏、と昔日のように呼ばせていただきましょうか。泣きますよ?」


 そっかあ。悪人面だけどいいやつ、同一人物だったかあ。

 

 「ファンのお知り合い?」」

 「ああ。町の学校に通ってた頃からの友人で、士官学校も同期なんだよ。そっかあ!お前がテムルの!はは、心強いよ!」

 「ふ…四太子付と言うのは、実に得難い立場でしてな」


 ニチャア…と唇の端を捲り上げる。ほら、そんな顔するから誤解されるんだぞ。ヤクモがやや引いてるし。


 「小生にとって得。ゆえに引き受けたまで」

 「うんうん。教育に必要って言えば、王室の史書も読めるもんなあ」

 「ええ。それどころか、ふふ…サライのザイダルの塔にも入る許可を得ましてね」

 「あー、そっか。中見れたのかあ」

 「小生の一生で得た知識のうち、もっとも貴重なものは、『あれ』でしょうな。ククク…」


 サライにある、シムルグ大橋の原型ともいわれるザイダルの空中回廊。その空中回廊が結ぶ塔の内部には、シムルグ大橋の設計図やらが保管されている。

 設計図があれば、あの大橋を効率的に破壊することも可能だ。なんでまあ、塔の中に入るには、王の許可がいる。


 しかし、この悪意に満ちた笑み…実際には、無垢な笑みなんだけれど…を浮かべる我が旧友が言う『あれ』とは、設計図じゃない。

 ザイダルの友人が彫り上げた、五代ジルチ王の裸像のことだろう。

 何せ、史学者であるエルデニの専攻は、五代ジルチその人なんだから。


 街の学校で知り合った時から、エルデニはジルチ王を崇拝していた。アスラン人として珍しいわけじゃないけれど、その武勲にあやかりたいとかではなく、ジルチ王の生涯そのもの魅せられていた。

 だから史学者を志し、学校を卒業したらジルチ王が生まれ育ち、初陣を飾ったトルファン地方へ行くのだと、ニチャアっと笑いながら語っていた。


 しかし、そのことにエルデニの両親は反対で、おまけに旅費も結構な金額が必要になる。学校を卒業して何年も働けば貯められるけれど、それは同時に史学者への路から遠ざかることを意味する。

 悩むエルデニに、「なら士官学校行って騎士になれば?勉強も続けられるし、準騎士になれば給金貰いながら研究できるぞ」と勧めたのは、何を隠そう俺である。


 騎士になると言う息子を止める親はあまりいない。

 まして史学者から騎士なら、よくぞと褒めたたえられる事だ。史学は博物学と並んで金にならない学問だからな。これにはエルデニのご両親もニッコリだった。

 まあ、騎士資格取って配属から最短の一年で辞めて準騎士になった時、どんな顔していたかはわからないが。


 「ジルチたまの足跡を辿る旅は…筆舌に尽くしがたい経験でありましたな。ふふ、今思い返しても、いきりたつ」

 「良かったなあ。論文は書けた?」

 「十本ほど。ですが、何故か認められず、史学者とは名乗れぬ身ですがね」

 「うんうん。やっぱり、論文の途中にジルチ大王の匂いの想像とか混ぜ込むのはよくなかったんじゃないか?」

 「ええ。言われましたね。それは仮定ではなく想像なので、これは論文ではなく物語だ、と」


 残念ながら当然の結果だなあ。


 「ま、それでまた旅に出ようかと考えていたところ、八代大王御自ら招聘くださいまして」

 「親父から?」

 「ええ。ファン氏がおもしれーヤツと言っていたのを思い出したのだと仰せに。そして今、こうして四太子のおそばにおる、というわけですよ」

 

 ああ、そう言えば話したことあったなあ。面白いやつと友達になったんだよーって。


 「報酬に、ふふふ、ジルチたまの身につけられていた短剣の鞘の匂いを嗅がせていただけると言われればね?」

 「さすがにもう匂いなかったろ?」

 「いえいえ。人の嗅覚では辿れぬ百年を超えるのが、人の妄想おもいというもの」

 「なんとなくわかる。ほら、骨しか見つかっていない、アヤロハシリガモって鳥がいるじゃん?あの鳥、鴨の一種と思われていたんだけれど、鴨にしては脚の骨の形がおかしいってゴドー博士が唱えてさ。それで…」

 

 さらにゴドー博士の偉業について語ろうとした俺の肩を、がっしりとユーシンが掴んだ。フレグは肩車になっている。


 「口を挟むぞ!ファン!それと、そっちの御仁よ!」

 「すごいねい。やっぱり学者が二人になると、どんどん本題からそれてくねぃ。その骨とかニオイとかよりさ、なんでフレグ君をたすけてってことになるのさ」


 ア、ハイ。すみません…。

 

 「おお、これはしたり…。旧友との語らいは、口当たりの良い酒のようなもの故、ついつい過ごしてしまいますな」

 「センセ、下戸なんに?」

 

 呆れた顔をして、女の子がエルデニに突っ込む。

 そいや、この子は?


 「こいつは、チェ。うちの女官です」

 「さっき言ってた人か。弟が世話になってます」


 ぴょこりと会釈すると、チェさんは顔色を一気に赤く染めた。ええと、血管とか大丈夫?


 「ひええええええ!!そんな、ナランハルに頭下げられるよーなこと、してはりませんわ!!ウチ、センセにくっついてきただけで、王宮付きの女官なんてたいそーなもんでもあらしませんし!」

 

 キャーっとちょっと訛ったタタル語でまくしたてる。なんかその訛り、某騎士神を思い起こすなあ。


 「でも、この家にはいれているんだから、テムルは君の事を信用している。そうなんだろ?テムル」

 「チェはうっせーし、そそっかしいですけど、悪いやつじゃないんで」

 「しゃあないですやん!生ナランハルどすえ!?」

 「まあ、きもちわかる。オレも、ココロのじゅんびできてなかったから、ちょうあせった」

 「でっしゃろ!?」

 

 チェさんの喋りにうんうんと頷いていると、肩をエルデニに叩かれた。

 視線を旧友に戻せば、地下の書庫へと続く階段を示している。


 「テムル様。ファン氏に著書を見せてまいりますね」

 「それはいーけど、おしつけんなよ?お前の本、ひとをなぐりころせる厚さなんだから」

 「ふふ…一考はいたしましょう。チェ、お客様の接待を」

 「はい。いやあ、御付きの方もシュッとしてはるねえ~。ええ男さんやわあ~」

 「ばかっ!チェ!このかたがたは、キリクのユーシンでんかと、シラミネのヤクモでんかだぞ!!しつれーだろっ!!」

 「ひ、ひえええええ!!?」


 階段を降りる直前に、チェさんの絶叫が聞こえたけれど…エルデニも気にしてないし、ユーシンもヤクモも、俺の御付き呼ばわりされたことに憤慨するような奴らじゃないから、問題ないか。


 「チェは気立ての良い娘なのですが、ククク…あのように、ね?」

 「お前の推薦?」

 「ええ。ジルチたまをお尋ねする旅の終わりに、なし崩し的に拾いまして。恩を売りつけてありますので、裏切る恐れはない。便利な娘です」


 事情は分からないけれど、つまりどっかに繋がってたりする恐れはないって事か。

 コイツがこういう事を言うって事は、いわゆる武勇伝とか善行の結果なんだろう。エルデニは、褒められたり感心されたりするのを嫌うからな。


 地下書庫に降り立つと、エルデニは迷うことなく一つの書架に歩み寄り、そこから辞典かと思うような分厚い本を引き出した。


 「著書です」

 「ありがとう。借りていくな。で、弟たちの耳には入れたくないのか?」

 「ククク…ファン氏。察しがよろしくなられましたな」

 「まあ、大人になったってことさ」


 分厚い本…もちろん、すごく重たい…を受け取り、エルデニの叛乱でも企ててそうな顔を見つめる。

 

 「エバンご夫妻についてはご存じですかな?」

 「フレグを養育してくれてる、元騎士のご夫妻だよな」

 「ええ。そのエバンご夫妻…お亡くなりになりました」

 「!!」


 そうか。それで。

 それでフレグは、一人で…。


 「春が訪れて間もない頃。ウロフ王国より帰参せよとの命が下りましてな」

 「無視はできないか…」

 「ええ。フレグ様のお世話をする女官や侍従官もおり、一時帰国ならば…とお二人は帰路に就かれたのですが、その途中、凶賊により命を絶たれました」

 「…それは、本当に」

 

 ゆっくりと、首が振られる。


 「不審に思い、大王に具申いたしましたところ、密偵を出してくださいまして。その結果ですが、ウロフではティエリア夫人ウジンを責める声があがっているそうです」

 「責める声?」 

 「せっかく男子を産んだというのに、寵愛遠ざかること甚だしい。それならば、離縁を申し出て、別の姫君をアスランへ送り込むべきでは、と」

 

 反吐が出そうな理由だ。

 けれど、政略的に見れば正しい。アスランに恭順することで、ウロフ王国は周辺諸国から守られている。

 ウロフに攻め入るって言うことは、アスランの反撃を食らうって事だ。北方諸国最大の国土と戦力を誇ったフェリニス王国がどうなったか、たった三十年じゃ忘れられないだろう。


 だが、逆に言えば。

 アスランから見捨てられれば、ウロフは大した戦力がなく、その割に交易で儲けている肥え太った羊に変わる。あっという間に周囲から牙をたてられ、骨まで噛み砕かれる。

 

 そして、アスランから見れば、ウロフもその隣国であり、同じく娘を差し出しているメラルも、何が何でも繋いでおかねばならない国、ってわけじゃない。

 だからこそ、その寵愛を受ける夫人を強引に送り込んだわけだし、任務が果たせないのなら、交替させる必要がある。

 

 だけど。だけどさ。

 そんなの、勝手な都合だろう。理屈はわかる。理由もわかる。民の命数万がかかっていることだって、わかる。


 わかるけれど…それはあまりにも、俺たちを、アスランを見縊っていないか?

 親父の寵愛がなければ見捨てているのなら、何故二年前、兄貴は軍を率いて救援に向かった?

 寵愛どころか同情ですら、ティエリア殿にはなかったのに。


 アスランが何より重んじるのは、信義だ。だから裏切りは絶対に許さないし、庇護を求めて交易合意をした国を見捨てない。


 「エバン夫妻が国に戻れば、ティエリア夫人の現状が明らかになる。それでは困る者どもがおりましてね。ティエリア夫人の同腹の兄が王太子となっています。しかし、現在、第三王子の人気が高まっておるのですよ。しかも、彼の母は正妃だ」

 「つまり、王太子側が手を出したって事か」

 「然り。まあそのような、悪臭放つ思惑はどうでも良い。問題は、フレグ様が庇護者を喪った、ということなのです」

 

 フレグの健康状態は良かった。ちゃんと食べて、ちゃんと寝ている。けど。

 まともな大人が側にいたら、あんな小さな子を冬に一人で外に出さない。

 

 「世話をするものはおります。しかし、エバンご夫妻のような、愛情をもって育てる者はおりません。エバンご夫妻の訃報が届くとともに、ご夫妻と共にフレグ様を育てていた者たちは、罷免されて追い出されましたのでな」

 「なんでそんな…」

 「言う事を聞かず、生意気だから、だそうですよ」

 「は…」


 思わず、引き攣った笑いが漏れた。


 「この宮が完成してしばらくたったころでしたか。フレグ様が泣きながら歩いているのを、テムル様が見つけたのです」

 「そういえば、なんでここを建てたんだ?」

 「広い部屋は暖房効率が悪く、小さな窓では日光の恵みを受け取り切れませんのでね」

 「なるほど」

 「窓の外を眺め、もっと身体を丈夫にして、その場所へ行く…それが、テムル様の目標となっておられる。春先、ここへ移られた時には、歩くのがやっとでしたがね。現在は、あの通り」

 「…改めて、礼を言わせてくれ。ありがとう。エルデニ」

 「なんの。小生は提案したのみ。王命にて建設を進め、ルシアラ夫人に口も挟ませなかったのは、大王ですよ」


 そっか。親父、ちゃんと弟を気にかけてたんだな。

 そもそも、コイツを召し出して弟の教育係にする時点で、相当考えてるか。


 「残念ながら、ルシアラ夫人が愛しておられるのは、四太子ウルバーウガイであってテムル様ではない。ですが、大王はテムル様を気にかけていてくださる」

 「かといって、大っぴらに可愛がれば、色々と動き出す連中がいる、か」

 「然り。フレグ様もお気になさっておいでですが、ティエリア夫人を刺激すれば何をするかわからぬ、という懸念もありましてね。エバンご夫妻が庇護しているのなら、問題ないと考えておられたようですが」

 「その、エバンご夫妻は帰ってこない…か」

 「健康を損ねぬ程度の食事は与えられ、暖かな寝床もある。しかれど、添い寝する暖かい腕はなく、共に食卓を囲む者もいない…それが、現在のフレグ様です」

 

 それでも、恵まれているというものはいるだろう。

 碌な食事もなく、自分の体温だけを寝具にして、路上で眠って凍り付く子供もいるのだから。

 けど。他所の子より恵まれているからと言ったって、じゃあ、俺や兄貴の子供のころと比べてどうだって話だ。

 

 毎日、家族で同じものを食べて。母さんか親父に引っ付いて眠って。

 一人なったことなんて、ほとんどなかった。


 そんな日々と比べて悲惨だというのなら、今、フレグが置かれている境遇は悲惨だって事だ。どうにかしなきゃいけないって事だ。


 「さらに、証人の招聘に失敗した正妃と第三王子が、エバンご夫妻の代わりに人を寄越してきましてね。そ奴らからすれば、フレグ様は」

 「…言わなくていい。言うのも嫌だろう」


 そしてつい先日、三太子を餓死寸前にさせた罪で、第二夫人トラキナが処された。

 ティエリア殿を廃し、自分たちに有利な娘を送り込みたい連中にとって、いいお手本になっただろう。


 「わかった。フレグは紅鴉宮に保護する」

 「テムル様もお喜びになるでしょう。羨ましがるかもしれませんが」

 「それじゃあ、テムルも遊びに来たらいいじゃないか」


 弟を慈しみ、導くことは推奨こそすれ咎めないって、后妃かあさんも言ってたし。

 ただ、俺はその後またアステリアだしなあ…。

 うん。これはもう、兄貴巻き込もう。上手くすれば、「弟ぉおお!!」が三等分になるかもしれんし!

 ダヤンも元気になって合流出来たら、四等分だ!

 

 「羊肉は熱いうち。まずは今日、二人とも…お前もチェさんも含めて、紅鴉宮に泊まりに来ない?明日から仕事だしさ、お前の旅をゆっくり聞きたいよ」


 休暇の最後を過ごす方法として、旧友との語らいは悪くない。

 俺もアステリアで記述してきたいろんなこと、語れるしな!


 「良いですな…なぁに、ここが蛻の殻となっていようと、ルシアラ夫人は気付きもしませぬさ」


 ニチャァ…と笑う顔に、俺も少しばかり悪い笑顔で笑う。

 さて、じゃあ、次の段取りを考えなきゃな。


 まず、今日の晩御飯は紅鴉宮で食べるよって伝えに行って、あと…一応、顛末を親父と母さんの耳に入れておいた方が良い。

 兄貴も紅鴉宮に招待するとして…そっちは、ユーシンにでも行ってもらうか。

 

 うんうん。我ながら、完璧な計画だ!

 よし、晩御飯は何にしよう。あの子たちの好物がいいよな。うちにある材料で作れるものを教えて、何がいいか聞いてみよう!


 休暇の最後を飾るに相応しい計画に、悪い笑みが深くなる。

 明日からどれほどつらくても、あの夜は楽しかったなと思い出して頑張れるような、そんな夜にしよう。


 俺とエルデニは、意味もなく悪い笑みをグフグフと浮かべたまま、皆が待つ一階に戻るため、階段に脚を掛けた。

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