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リュキアの小人  作者: 五十鈴 りく
2♦薄靄の夢
8/23

2-3

 ミアたちチームはキメラの襲撃に備える。今、ここを護れるのは自分たちだけなのだ。ミアは鋭く指示を飛ばす。


「エーディト、アヒムは彼女たちを護って。ヤン、デニスは一緒に外で迎撃して。さあ、行くよ!」

「え、あ、うん……」


 戸惑いつつも皆、それぞれに返事をする。ミアはもう振り返らずに屋敷の外へ飛び出した。脚は竦むどころか活力に溢れていた。この状況、不安に押し潰されてもおかしくはないというのに、ミアは恐れからは遠い場所に心を置いていた。

 それは何故なのか。クラインがついていてくれると思うからだろうか。


 外へ出るなり、太陽の光が目を刺すように飛び込む。けれどその中にいくつかの影が混ざった。ひとつ、ふたつ――全部で八体ほどいるだろうか。黄金色の皮膚は太陽光を照り返し、スパンコールのように輝いている。それとは不釣り合いに黒い蝙蝠の翼がその背で羽ばたく。

 なんとも奇妙な生き物だった。体が重いのか、高くは飛べない。それでも、長い体を空中で自在にうねらせている。一本線の入った瞳がギョロリと動き、赤く細い舌がちらついた。


「げ――」


 ミアに続いて来たヤンも顔をしかめて口元を押える。一体でも不気味である生物が八体もいるのだ。ごく普通の反応だろう。


「毒を持ってるかも。気をつけて」


 念のためにそう告げると、ヤンは更に顔を引きつらせた。


「ミア、こいつらに接近戦は無理だって。俺たちの腕とサーベルの長さを合わせたより体長があるだろ。近づけないって。デニス、全部撃てるか?」

「距離が近すぎて逆にやりづらいな。何体かは落せるかも知れないけど、仲間を撃たれたらこっちを襲って来そうだし……」


 デニスも弱気であった。そうなるのも無理はない。これだけの数を一度に相手にしたことなど今までにないのだ。


「フォローするから、デニスは集中して撃って」


 ミアは再びサーベルを構え直す。ヤンも覚悟を決めたのかサーベルを抜いた。サーベルの刃が光り、キメラたちにも敵意が伝わったのか、シャーと威嚇の声を上げた。

 喉の奥まで見通せるほどの穴。その闇――。

 あれほどの口なら、使用人の男の子くらいは丸飲みにできてしまいそうだ。


 ヤンが言うように、あの蛇型キメラのリーチはミアたちよりもずっと長い。だからこそ、速さで翻弄するしかないのだが、実際にそれをするのは考えるほどに簡単なことではないだろう。けれど、それでもできるとミアは自分に言い聞かせた。

 短く呼吸を整え、雑念は抱かない。目の前のキメラを退けることだけを考える。それができなければ、荒れ狂ったキメラは何をするかわからない。この非常時、ひとつの行動を誤っただけで命取りになりかねないのだ。


 サーベルの刃が陽光を受け、金剛石のように煌いた。ミアはサーベルをヒュッとひと振りして空を斬ると跳躍した。ミアのつま先が石畳から離れ、翼があるかのように滞空する。その中で、ミアは一体のキメラの尾を撥ね上げた。ほんの先、僅かに切れた尾が、粘り気のある黄緑色の液体をまとって飛んだ。悲鳴ともつかない振動が空気を震わせる。ミアは芝生を踏み締めて着地した。


「デニス!」


 呼ぶまでもなく、デニスはライフルを構え、そうして一体のキメラに狙いを定めていた。距離がないせいか、いつもよりも大きく空気の抜けるような音がして、デニスはダートを撃ち込んだ。虎のキメラを眠らせた即効性の麻酔薬である。

 薄っすらと白んだ腹に青い矢羽が突き刺さった。だというのに、蛇のキメラは怒り狂ってうねるばかりで、その翼も勢いを失わなかった。


「え……?」


 デニスは呆然と構えを解いた。今までにこんなケースはなかったのだ。大型のキメラでさえも昏倒する麻酔薬が、細長いだけの蛇に利かないとは思わなかった。それはミアも同じである。


「まさか、体内で中和しているのか?」


 ショックを受けて固まっていたデニスを突如、ヤンが突き飛ばした。太い蛇の体がデニスのいた場所に丸太のようになって振り下ろされたのだ。石畳が割れ、下の地面が露出する。デニスの頭くらいは割れていただろう。けれど青ざめている暇すらない。ヤンはいつになく鋭く怒鳴った。


「ボサっとすんな!」

「――っ!」


 デニスは起き上がろうとしたけれど、デニスの僅か手前に飛んだライフルをキメラの尾が払い除けた。ガシャン、と音を立ててライフルは吹き飛ぶ。デニスがライフルのところに駆けつける前にキメラに首の骨をへし折られそうである。


「……デニスは下がって。ヤン、不利だったら建物の中へ走るよ」

「不利だったらって、すでに不利じゃないか? 無理だろ、この数!」


 サーベルを構えつつ叫ぶヤンと、丸腰のまま不安げにしているデニス。ミアはキメラたちを見据えたまま、極度の緊張を感じつつ考えた。


 クラインはミアを護ると言った。勝てない相手に遭遇するような場所へ足を向けさせたのは何故か。クラインの目的はなんなのだろう。本当にミアを護ろうとしてくれているのか、それとも抹消しようとしているのか。ふと、そんな風にも考えてしまう。


 ――疑うなと、クラインは言った。

 どうする。このままここで防戦するか。そうしたら救いが来るのだろうか。


 空気をキメラが支配する。ミアたちはその重圧に耐えつつ、ジリジリと後退していた。その時、風が吹いた。その風が僅かな音を運んで来る。その音は、プロペラの音。

 ハッとして顔を上げたミアと同じように、ヤンとデニスも顔を上げる。


「何か来る。ヘリか?」


 僅かな音と認識したすぐ後に、プロペラ音はかなりの轟音になった。

 森と同じ深緑色をしたシングルローターの機体が晴天の青に浮かぶ。小型のヘリコプターは小さく旋回し、けたたましいプロペラ音を鳴らしながら飛んでいる。蛇のキメラたちも敵はミアたちばかりではなくなり、むしろ自分たちの上空を浮かぶヘリコプターに意識が集中しているようだった。


 ただ、それでも不用意に動けばキメラたちはミアたちに集中攻撃をしかけることだろう。緊張を保ったまま、ミアは動向を見守る。前面百八十度に取りつけられたヘリコプターの窓には薄っすらと人影があった。


 ヘリコプターは空中停止ホバリングしながら側面をミアたちの方に向け、そうして扉をスライドさせた。鋼鉄の機体に隙間ができる。そうして、そこから黒い影が見えた。――それは影ではない。黒衣の人であった。

 艶やかな黒髪は風に乱れ、それでも美しくはためいている。黒いジャケット、パンツ、グローブ、クリップ型ヘッドフォン。その姿にミアは一瞬息を飲んだ。


 リーンハルト・グレーデン。

 この島を総括する存在。


 高貴なその顔が、上空から現状を睥睨している。光を背にしているというのに、自身が光り輝くような存在感であった。ミアは彼を見た途端、まるで魂が震えるような感覚がした。見惚れていたとも言えるかも知れない。神々しいと呼べるほどの美しさに、この危機的状況の中でさえ――。


「ミア!」


 デニスの声がミアを現実に引き戻した。プロペラの音がキメラの立てる音を掻き消し、ミアには突然目の前に湧いて出たようにさえ感じた。ミアのとっさの悲鳴も音を伴わないものになった。ヤンは他のキメラと対峙しミアには背を向けている。ミアのサーベルを太い尾が払った。その衝撃に堪えられず、サーベルがミアの手から離れる。次の瞬間に、ミアは頭から食いつかれても不思議はなかった。殺される、と瞬時に冷や汗が噴き出して体が硬直した。


 その刹那、プロペラの轟音を凌駕し、甲高い発砲音がミアの耳にも届いた。デニスのライフルではない。その引き金トリガーを引いたのは、リーンハルトだった。風の抵抗を受けながらも、ライフルの黒光りする銃身を構え、涼しい顔で下を見下ろしている。ミアに踊りかかったキメラの頭が吹き飛び、黄緑色の液体を撒いてのたうつ姿が目の端に映る。ミアは痛みを感じるほどに激しく鳴り響く心臓に鞭打って動いた。


 転がりながらサーベルを拾い上げる。そうして、一時の失態を取り繕うかのようにサーベルを繰り出した。

 リーンハルトがキメラを撃った。それが上層部の意向である。この非常時にキメラの飼い殺しはできない。今は人命を優先しなくてはならない。ミアはそういうことなのだと判断した。


 ミアは襲いかかるキメラが牙を剥いて頭を低く落とした時を狙った。サーベルでまず目を斬り、目を潰されて苦悶に唸りながら大きく口を開いた瞬間に、その中を横に一閃する。首を落すよりもその方が確実であった。ただ、粘性のある血は二体が限界であった。三体目と対峙した時、それに気づいた。ミアは三対目のキメラの喉にサーベルを押し込むように突き刺した。次のことを考えているゆとりはなかったのだ。


 リーンハルトの援護射撃がその後も続いた。ヤンの奮闘もあり、絶望した八体のキメラを撃退することができた。すべてのキメラが地に落ちた時、石畳はキメラたちの粘つく血で汚れ、頭や尾の欠けた骸が散乱するばかりの凄惨な状態であった。


 だというのに、ミアは肩で息をし、汗を流しながらも心のどこかに昂揚するものを胸に抱えていた。上空を見上げると、銃口を上に向け、ライフルを抱えるリーンハルトの姿が見える。どこか物悲しげな儚い面持ちがミアに向けられた。少なくともミアはそう感じた。リーンハルトの瞳がミアを見据えている。



 ――君には僕がついている。

 どんな危険からも君を護るよ。



 夢の中でそう告げたクライン。

 子供の姿で夢に現れるけれど、あの夢の中ではミアも子供だ。クラインはミアと同じ年頃だった。

 声を。声を聞けばわかる。

 成長して声が変わってしまっていても、声を聞きさえすればクラインならわかるとミアは思った。


「声を――」


 声を聞かせて。


 ミアは空に向けてそう零した。けれど、プロペラの音はすべてを掻き消す。リーンハルトが何かを言ったとしてもミアには聞こえない。

 それでも、この場に駆けつけてくれた。ミアの窮地を救ってくれた。それこそが、リーンハルトがクラインである証拠ではないのだろうか。


 すべてをるのは、この島の最高責任者であるから。

 夢の中のクラインの言葉、どれをとってもリーンハルトに結びつく。


 リーンハルトがクライン。

 ミアの、きょうだい――。




 ホバリングを続けていたヘリコプターを自動操縦に切り替えたのか、操縦席にいたらしき人物がリーンハルトの背後から顔を覗かせた。それはエンリヒである。いつもよりも更に厳しい面持ちを上空からミアに向けた。陽を受けて陰になっているのに、どうしてだか厳しい顔をしていると思えた。そんな顔しか知らないからかも知れないけれど。


「バルツァー管理官!」


 ミアは声の限りに叫んだ。本当に呼びたかったのはクラインの名であるけれど。リーンハルトに向けてそう呼びかけたかった。けれど今はエンリヒに指示を仰がねばならない。

 ヘリコプターの内部で、リーンハルトはエンリヒと、ひと言ふた言言葉を交わした。エンリヒは力なくうなずく。そこからエンリヒは拡張機を使っているのか、プロペラの音とは違う周波のよく通る声を地上のミアに向けて張り上げた。


「指示があるまでここで待機しろ!」

「管理官!!」


 詳しい説明をしてもらえる状況ではない。けれど、もう少しくらいは何が起こっているのかを知りたかった。少なくともミアたちもこの島にいる以上は当事者だ。


 それでも、ヘリコプターは着陸する気配を見せず、エンリヒは操縦席へと消えた。続いて背を向けかけたリーンハルトの瞳に、ミアに対する後ろめたさが見えたような気がした。詫びるように、僅かに細められた眼に、ミアは更なる確信にも似た思いを抱いた。


 護ると言った。けれどそうした言葉は夢の中でしか聞けないのか。

 ヘリコプターのドアは閉じ、メインローターのプロペラを旋回させ、飛び去って行く。取り残されたのはミアたちと、キメラの骸。ひどい胸騒ぎと虚無感。この現状をどうしたらよいのだろう。

 呆然と立ち尽くしていると、ライフルを拾い上げたデニスが、遠ざかるヘリコプターの音の中でそっとミアに告げた。


「中に戻ろう。管理官が中で待機しろって言ったし」

「う、ん……」


 乾いて張りついた喉で返事をする。振り返ると、いつの間にか館の玄関先にエーディトが立っていた。不安げに胸の前で手を握り締めている。


「エーディト。大丈夫、終わったから」

「みんな怪我はない? ねえ、窓から見ていたんだけど、ヘリが来てたわよね?」

「うん。バルツァー管理官が来た。それで、指示があるまでここで待機しろって」

「ここで?」


 ミアの説明に、エーディトは少しも安堵しなかった。柳眉をきゅっと顰めた。それも仕方のないことかも知れない。表には蛇のキメラの骸が散乱し、セキュリティにも不安がある。開きっぱなしの門を振り返り、ミアは少し考えた。


「せめてあの門を閉じないとね。コントロールルームに行こう」


 簡単な開閉なら書斎の扉からでも行えていた。けれど電力の供給レベルを見るからに、この館のシステムコンピューターも異常をきたしていると思えた。


「そんなの、勝手に触ったらバルツァー管理官が激怒するんじゃないのか?」


 ヤンが心配そうにつぶやいた。


「ここに残れって言ったのは管理官だ。大体、今はそれどころじゃない」

「そうだけど……」


 胸の奥がチリチリと焦げつくような感覚がする。戦闘の後で気が昂っているせいと、それから、リーンハルトのせいだ。真実を知りたい。何故、ミアに夢という形で告げるのか。そこにはどんな意味があるのか。


 腰に手をやると、そこにサーベルはなかった。キメラの粘ついた血に塗れ、もう使えそうもない。手入れをすれば蘇るだろうか。

 仕方なく、サーベルを飲み込むキメラの体を踏み、力一杯サーベルを引き抜いた。ゴボリ、と嫌な感覚がして怖気が走る。えずきそうになるのを必死で堪え、ミアはサーベルを鞘に収めずにぶら下げて玄関先に置いた。手入れは後回しだ。


「コントロールルームはどこ? ミアは知ってるの?」


 エーディトも視線がさまよう。どこを見てもキメラの血が視界を汚すのだ。


「知らない。でも、いつも通された書斎の隣くらいだと思う」


 主以外の者が近づけるような場所にはないと思う。


「使用人の子たちに訊いてみる?」


 訊ねて答えてくれるかはわからないけれど、訊くだけ訊いてみてもいい。


「うん。どうせアヒムにも頼まないといけないし」


 ミアはサーベルを振り回すことはできても、端末の操作は苦手である。そういうことはすべてアヒムに担当してもらっている。

 そこでデニスは肩に担いだライフルをじっと見つめてつぶやいた。


「麻酔銃じゃ効果がない場合もあるんだな。ここに何か実弾とライフルがあるといいんだけど、ないかな」


 今回が特別で、他のキメラには利くかも知れない。けれど、装備は多い方がいいだろう。デニスに扱えるものがあるといいのだけれど。

 するとそこでヤンがため息混じりに言った。


「あの副総帥があんな腕前だったなんて知らなかったな。正直、お飾りかと思ってた」


 そのひと言にミアはドキリとした。銃を構えるリーンハルトの姿が脳裏に蘇る。


「……そうだな、いいタイミングだった。でも、なんで御自おんみずから?」

「さあなぁ」


 エーディトが、え、と声を漏らす。ミアはその話題を変えたかった。軽はずみに語りたくなかったのだ。


「急ごう」


 髪を翻し、ミアは館の奥へと向かった。そんなミアの心を誰が知れただろうか。


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