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リュキアの小人  作者: 五十鈴 りく
1♦管理者
5/23

1-5

 ミアは昨晩の夢の内容を咀嚼しながら制服に袖を通した。

 寝覚めはよくないけれど仕方がない。ミアは軽く首を振って意識を研ぎ澄ませた。


 今日の午前八時二分、エリアA-2にて被検体M-57が抜け出す。

 クラインは夢の中でそう語った。詳細すぎる情報だ。何故ミアは自分がそんな夢を見るのかがまるでわからない。ベッドに備えつけてある時計を見た。午前六時五十一分の数字が浮かんでいる。


 ――まさか、と一人で失笑した。

 髪を束ね、食堂へ向かう。すでに大半の管理者たちがそこに集まっていた。どの顔にも疲れは見え、睡眠が十分とは言えない。不安から熟睡などできないのだろう。宿舎の動力はまだ落ちておらず、食料も今すぐ切れることはなくとも、この状態が長引くことを皆が恐れている。


「アヒム、メインコンピューターの具合は?」


 ミアがパネルに食い入っているアヒムに声をかけると、アヒムはミアを見向きもしないでかぶりを振った。少し荒れた唇がぎゅっと引き結ばれる。そんな様子を尻目に、エーディトが嘆息した。


「これじゃあキメラたちがどうしているのかわからないわね。ねえ、もしよ、もし。もしキメラの檻まで操作ができなくなって、この島がキメラで溢れたらどうする?」


 そのひと言に、アヒムを囲んでいた管理者たちがざわついた。皆がそれをどこかで危惧していた。口に出すこともできないほどに。


「さすがにそこまでメインコンピューターが復活しないとは思わないけど、まあさすがにそうなったら生け捕りとか言ってられないからな。られる前に殺るよ」


 朗らかなヤンまでもが厳しい面持ちだった。ただ、デニスは更に厳しい目をヤンに向ける。


「そう言うけどな、メインコンピューターからの情報もなしにどうやってキメラを見つけるんだ? あいつらは知能が高くて擬態が得意なヤツも多い。森に逃げ込まれたら厄介だ」


 デニスの言葉に、ミアはハッとした。クラインの言葉が蘇る。


 ――猿の体に森によく似た緑色の翼、とても素早い子だから気をつけるんだよ。


 クラインはそう告げた。ミアは手首のリングについた時計を見遣った。管理者皆に支給される品である。浮かび上がる時刻は午前七時八分。

 時計に見入っていると、自分のチームメイトを引き連れたケヴィンがそばに来ていた。男子ばかりの、どちらかと言えば大柄なタイプが多い。


「僕のチームは今から担当のの管理官のところへ行こうと思う。ミア、君はどうする?」


 ケヴィンにそう問われ、ミアはとっさに言葉に詰まった。ミアの担当はエンリヒだ。現在どうしているのかも不明なのだから、会いに行くべきではあるのだろう。けれど、とっさに返事ができなかったのは、クラインの示した時刻が近づいて来るからだ。どうししても、気がそぞろになってしまう。


 気になるならいっそ、エリアA-2へ向かうべきなのか。

 そう考えてミアは、自分があの夢に振り回されていることに愕然とした。

 あれは所詮夢。目覚めて時間が経てば経つほどに、夢を信じていた自分が馬鹿らしく感じられる。ミアは一人でいるわけではない。チームリーダーだ。この状況で勝手な行動ができるはずもなかった。


「……あたしも管理官のところへ向かうよ」


 この非常時だ。一人でエンリヒのもとへ向かって何が起こるかわからない。チームのみんなと共に行くことにした。支度をして、宿舎の扉を潜る。手元の時計は七時三十八分。

 あの夢が明確に示した時間――どうしてだか、気にせずにはいられない。チラチラと時計ばかりを見ているミアにエーディトが小首をかしげた。


「ミア?」


 ミアは苦笑して首を振る。


「なんでもない。行こう」


 指示のない状態で宿舎の外へ出たことなどない。自由だけれど、その自由が覚束ない。ミアの背後に立つチームメイトたちもそうだろう。生ぬるく風が吹き、デニスがライフルを担ぎ直した音がした。ミアたちもサーベルの柄から手を離さずに歩く。木の葉に紛れたキメラがいるのではないかと、それは注意深く――。


 チームの五人は音をなるべく立てないように、それでも迅速に進んだ。土の匂い、草の匂いに異質な獣の匂いはないか、五感を研ぎ澄ませていた。

 急いでエンリヒのもとへ――けれど、ミアはもう一度時計を見た。時刻は七時四十九分――。後、十三分でクラインが示唆したことが真実かどうかがわかる。

 ただ、もしもそれが本当に起こり得た場合、ミアが対処しなかったら何が起こるだろう。逃げたキメラは森に溶け込み、島からの逃走を計る。


 けれどそれは簡単なことではなく、連れ戻されることに怯えて潜むのだとしたら、そばを通りかかった人間に先手必勝とばかりに襲いかかるのではないだろうか。

 ミアはハッとして足を止めた。そうして端末を胸に抱えたアヒムに問う。


「アヒム、ケヴィンたちの管理官はどこにいるんだった?」

「エルネスタ管理官はエリアA担当。だからエリアA-6だったと思う」


 アヒムは人一倍記憶力がいい。端末で調べることもなく淡々と答えてくれた。エリアA-6ということは、エリアA-2を突っ切った先ということになる。それなら、十分に遭遇する確率がある。

 ただの夢だ。確実な根拠としてみんなに説明することはできない。できないけれど、この時の判断を後に後悔することにはならないだろうか。七時五十一分。


 ――僕の言葉を疑わないで。


 クラインは、ミアを護ると。あれはすべてミアのための言葉だと。

 疑うな。迷うな。頭の中で何かがそう告げる。

 ミアはヒュッと息を吸うと覚悟を決めた。


「ごめん、バルツァー管理官のところへ行くのは後。エリアA-2に行くよ。もしかするとそこに逃げたキメラがいるかも知れない」

「は? どういうこと?」


 ヤンが目を剥いた。けれど、丁寧に説明しているゆとりはない。


「行くよ!」


 ミアは皆について来いと目で語り、そうして駆け出した。腱の柄を強く握り、跳ねるようにして道を逸れて行く。時間の短縮のために歩きやすい道を捨て、草木を掻き分けてエリアAへと急いだ。

 エリアA-1へ踏み入った時、すでに七時五十九分。三分ではA-2までは厳しい。ミアは走りながら、必死で後をついて来たチームメイトの中でアヒムに次いで遅いデニスに向かって叫んだ。


「デニス! エリアA-2に緑の翼を持つ猿のキメラがいるかも知れない。枝葉に潜んでないかよく見て、ちゃんと狙って!」


 ミアが辿り着けずとも、デニスの狙撃の腕ならば到達するかも知れない。この時のミアにはクラインの言葉はすでに夢の産物ではなかった。確かなものとして、鮮明な声が脳裏に奔る。


「なんだ、それっ――」


 息を切らせ、汗を流しながらデニスは怪訝そうに眉根を寄せた。


「いいから!」


 ミアの剣幕にデニスは尋常ではないものを感じたようだ。スナイパーの眼力を持って虚空を見つめる。ミアはひたすらに走った。八時一分。未だエリアA-2へは到達できない。


 それでも時間は進む。クラインの言葉を信じてもっと早くに対処すればよかったのに、ギリギリまで判断ができなかった。それを悔いる。


 八時二分。計ったようなその時刻に、キー、と甲高い猿の声が轟いた。鳥たちがいっせいに飛び立つ。その羽音がミアたちの足音を掻き消すほどだった。それに遅れて人の悲鳴が上がった。


「うわぁあああ! 来るな!!」

「落ち着け、イーヴォ!」

「くそっ!!」


 ケヴィンの声だ。走るミアの視界に、緑の羽のようなものが一瞬よぎった。その途端、送れて走るデニスの声が飛んだ。


「ミア、伏せろ!!」


 振り向くよりも先に、ミアは反射的に地面に伏した。受身を取った瞬間に、デニスがライフルを発砲したのだと音でわかった。遅れて地面にその振動が伝わる。ミアはすぐさま飛び起きて再び駆け出した。デニスの腕を信じている。ダートはキメラに当ったはずだ。


「待って、ミア!」


 エーディトがそんなことを叫んだけれど、ミアは立ち止まらなかった。チームの誰よりも先にエリアA-2へ到達し、木々の奥でへたり込む管理者たちのもとへと駆けつけた。堕ちたキメラが口から泡を吹いて伸びている。デニスが撃ったのは麻酔銃に過ぎないけれど、落下の際に頭を打ったのだろう。息があるのかどうかはこの際問わない。猿の体でも、そのむき出しの腹にはびっしりと緑の羽毛がある。その脇腹に麻酔銃のダートが突き刺さっていた。

 キメラ――M-57を囲み、青ざめたケヴィンは立ち尽くす。やって来たミアに向かって呆然と唇を震わせた。


「ミア……どうしてここに?」


 ミアたちが向かったのは、エリアBだ。方向は真逆である。

 けれど、上手く説明できるはずもない。


「嫌な予感がして……」


 あやふやな答えにケヴィンが満足したとは思わない。けれど、彼も突然のことに驚き、疲れていたのだと思う。今すぐにそれ以上の追求はしなかった。


「このキメラをどうすべきだと思う? 管理官へ報告に行きたいけど、行こうとした矢先にこれだ。こうしてキメラに遭遇しても、僕たちだけで捕縛しておくことは難しい。最悪、息の根を止めるしかない状況にもなると思う」

「うん……」


 檻に戻せないキメラは危険だ。管理者たちが逆に殺傷される恐れがある。管理官たちも緊急事態とあってはキメラの生死にこだわっている場合ではないはずだ。


 その時、白目を剥いていたM-57の体がピクリと動いた。その刹那、ケヴィンはサーベルを抜き去り、M-57が体を起こす前に、全体重をかけその心臓をサーベルで地面に縫い止めた。憐れな標本のように、キメラは動きを封じられ、そうして果てた。ただ――。


 ケヴィンの素早い動きは、仲間たちを護ろうとしての行動であっただろうか。それは防衛本能と言うべきものなのか。あまりに自然に、それは迅速に、ケヴィンは動いた。力強くサーベルに向けて体を沈める彼の横顔――。乱れた髪が目元を隠す。けれど、その口の端はくい、と持ち上がった。あれは、笑っていたのではないだろうか。


 何故、今、この瞬間に笑うのか。

 穏やかで優等生のケヴィンの中に、こうした非日常によって眠っていた残虐性が呼び覚まされたとも言えなくはない。ミアが愕然としていると、前髪を振り払って顔を上げたケヴィンが苦悶の表情をミアに向けた。


「仕方ない。こうしておかないと危険だから……」

「そう、だね」


 エーディトが不安げにヤンの制服の袖をつかんでいた。それは水面の波紋のように広がる不安。

 危険な非日常。狂い出すのは獣か、人か――。



 【 1♦End ――To be continued―― 】


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