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その島には、管理者と呼ばれる集団がいた。
「――ねえ、君と僕はきょうだいなんだよ」
「きょうだい?」
断崖に打ち寄せる波の音が響く。碧海に浮かぶ孤島。緑織り成す未開の地と見えて、その奥には収容施設がある。
打ちっぱなしのコンクリート、鋼鉄の柵を取り囲む鉄線には常に電流が流れ、生物の通行を遮っていた。管理者たちが常に監視するのは、『何』とも呼べない生物たちである。仮の名をキメラとする。
「そう、きょうだいだ。この狭い島の中で唯一の味方なんだよ」
「みかた……」
本土と切り離されたこの島、リュキア島は遺伝子操作の果てに異形となった生物たちの檻なのである。学者たちは失敗作と認めつつも、そうした生物の廃棄を許さなかった。生かしておけば有益なデータが取れることがあるかも知れない。
殺処分後に再び同じ組み合わせで遺伝子操作を行い、キメラを作り出す手間と歳月を思えば、失敗作のキメラを飼い殺しにしておいた方がよいとの判断だ。
「忘れないで、**」
「わすれない……」
けれどキメラは、作られた存在は、決して従順ではない。人の都合で作り出され、そのくせ打ち捨てた人を恨み、仇敵と定めたのだとしても不思議はなかった。
キメラ研究は国家事業として強靭な生物兵器の開発と、不老不死の追求を目指すものだと言う。
ただ、どんな偉人であれ、世の摂理に反してまでして生かすことに意味があるのか、その答えを持つ者はいない――。
◆
「ミア――、そっち行ったよ――!」
少女特有の甲高い声が、鬱蒼と茂る枝葉の隙間を縫ってミアの耳朶を震わせた。けれどそれを凌駕するのは獣の咆哮である。
ミアはカチリ、と親指の先で腰に佩いたサーベルの鍔を鳴らした。ふぅ、と短く呼吸を整えると、ポニーテールに結わえた長い赤髪が風になびいた。赤というよりも錆びついた色合いが、ミア自身好きではない。黒い軍服の裾が、ミアの動きに合わせて翻る。
踏み躙られた草の青い臭いを風が運ぶ。荒々しい物音が森林に溢れ、ミアがいたすぐそばの茂みが割れた。
ミアの茶褐色の瞳が見据えるのは、生物の複合体。いくつもの生物の遺伝子が不恰好にかけ合わされたキメラである。
虎が主体であったのだろう。特有の縞のある白い体は美しく、けれど美しいと収めるには余分なものがある。顔面には爬虫類のものと思われる鱗がびっしりと生え、目は虎のものではあったけれど、その鋭い牙の奥から覗く舌は細く長かった。
獰猛な唸りにもミアは顔色ひとつ変えなかった。どちらかと言えば華奢な少女である。それでも、眼前のキメラに恐れはない。つり目がちな顔立ちを更に引き締め、ミアはサーベルを引き抜く。
「悪いね」
短く、つぶやいた。
それとほぼ同時に、つま先が地面から離れた。軽やかに跳躍し、キメラの爪で繰り出された一撃を避けた。その爪が地面を抉った時、ミアはキメラの後ろに回り込み、その足の腱を断った。ギャウン、と叫びが上がる。血が、白かった毛皮に滲んだ。けれど、命は取らない。生け捕りで捕縛することがミアたちの義務である。
官営機関NPK、チームⅣ、管理者ナンバー080。それがミアを示す。
キメラ管理者はチームに分けられ、担当エリアが決まっているのだ。ミアたちのチームはこの森林の一角である。キメラたちは機知に富み、その爪や牙を使って柵を壊して逃走を計ることもしばしばなのだ。ただし、決して殺してはならない。それが厳格な掟であった。
腱を切られ、キメラの体は横倒しに倒れた。砂埃が舞う中、それでもキメラはミアに一矢報いようとするのか、前足を地面に叩きつけて吼えた。並みの人間ならばその猛りにすくみ上がるところである。けれど、ミアたちは幼い頃からこの島で訓練を重ね、慣らされたエキスパートである。眉ひとつ動かさずにサーベルを地面に突き刺し、深々と嘆息する。
「諦めなよ。あんたはここにしか居場所はないんだから」
憐れとも思わない。生とは生かされること。それは自分の意志ではない。そこに意志は必要ない。
パシュ、と気の抜けるような音がキメラの声を止めた。僅かな風がミアの背後からキメラに向かったのだ。それが麻酔銃の矢であることを、ミアは振り向かずとも知っている。
キメラの巨体が自らの意志に反して意識を手放した後、その場にチームの面々が集まって来るのだった。
まずやって来たのは、ミアと同じサーベルを佩いた少女である。ふわりと柔らかそうな薄茶色のショートボブ、優しげな面立ちの、ミアとは正反対のタイプである。プリーツスカート、ニーハイソックスに編み上げブーツ、着ている制服は同じでも、着ている人間が違えば印象はガラリと違った。
「ミア、怪我はなぁい?」
甘ったるい喋り方も、このエーディトにはよく似合う。
「ないよ」
ミアはにこりともせずに答えた。ミアは常にこうである。
そんなミアの背後からやって来たのは、スナイパーライフルを構えた垂れ目の少年、デニスである。ミアよりも頭ひとつ分背が高いけれど、かなりの痩身だ。パンツの太ももの部分がいつも余っている。
「今回の的は大きいからな。楽勝だな」
「うん、お疲れ」
うなずいて労う。ミアはチームⅣのリーダーなのだ。チームの平均年齢は十七歳程度である。機関上層部でもない限り、実戦のどのチームもそんなものなのだ。
そうこうしていると、草木を掻き分けてヤンとアヒムがやって来た。
ヤンはミアたちと同じように剣術で戦う少年である。茶色の短髪で中肉中背。表情のよく変わるヤンは、気をつけていないと先走ることもしばしばである。
「うわぁ、すっげぇ爪! こんなのに引っかけられたら痛いだろうなぁ」
そんなのん気なことを言っていた。背が低く華奢なアヒムはノート型の端末のパネルに指先を滑らせて操作し始めた。上層部にこのキメラの位置を伝えているのだ。正確な座標を報告しなければならない。白いまっすぐな髪のアヒムはその髪で顔の半分を隠してしまっているので表情はほとんど読み取れない。口数も少ない方だ。
「……任務完了」
それだけをボソリと言った。自分のやるべきことは終えたということだ。
「ありがとう、アヒム」
ミアもささやく。
すると、エーディトが頬に手を当ててため息をついた。
「まったく、檻を強化してもすぐにまたこうして逃げ出しちゃうんだもの。ほんとにキリがないわね」
キメラたちは順応する。こちらの予想を超えた力を発揮しては逃走を繰り返すのだ。この攻防に終わりはあるのだろうかと思ってしまうほどに。
そうした成長を見せるからこそ、研究の対象になり得るのだろうけれど。
速やかに、捕獲用の強化ネットを搭載したヘリコプターがミアたちの頭上に到着する。バラバラとプロペラの音がうるさく響く。鉄臭さが風に混ざり、その風は散った木の葉を巻き上げる。ミアは顔にかかる髪を押えながら上を見上げた。そうして、腰のベルトに差してあった通信用のライトを点滅させる。特殊なライトは昼夜問わず森林の中でもよく輝いた。
ヘリコプターが着陸できる開けた場所はなく、ヘリコプターから降って来たネットをキメラの体の下に通す。今回の獲物は大きく、五人がかりでも持ち上げることなどできない。なんとかして胴回りに通すのがやっとだった。きつくベルトを締めて鍵をかけ、外れないようにするのがやっとだ。大きな獲物に当ると最後の後始末が大変である。
完了のサインを再び送ると、フックのついたワイヤーが数本下ろされ、それをネットに装着して再びサインを送る。ゆっくり、少しずつ持ち上がるキメラの巨躯。その影が小さく、薄くなり、運ばれて行く中、ミアたちは空を見上げていた。足の乾き始めた傷跡から落ちた一滴の雫が地面に色濃い染みを残す。それを見つめて、アヒムはつぶやく。
「無駄なのに」
逃げたところでここは孤島。本土まで泳ぐことはさすがのキメラにも難しいだろう。溺れ死ぬために逃げるのかとアヒムは言いたいのだろう。
それでも、ミアがその問いの答えを持つわけではない。
「うん……」
それしか言えなかった。それに、知ってもいいことなどないと思えた。だから知りたくなかったのかも知れない。
「ミア、もう戻る?」
エーディトが可愛らしく小首をかしげた。ミアはそれにうなずく。
「報告もあるし、戻るよ」
チームリーダーであるミアには上官への報告義務がある。宿舎に戻る前に皆と別れて別棟へ向かう。その区域だけは他とは違う佇まいであった。ミアたちのような末端はキメラの収容施設とそう変わりのないコンクリートのアパートメントが宿舎である。
けれど、上官たちは一戸建ての邸宅を与えられている。本土を知らないミアたちには例えようもないけれど、それらは小さいながらに立派に見えた。上官たちは島の外からやって来る。そうして、昇進が決まればまた本土に戻る。その間に住むだけのことだ。上官は要するに研究者である。島でのデータから有用な何かを導き出せた時、この島から開放されるのではないだろうかとささやかれていた。
いったん徒歩で戻った宿舎の手前には別のチームのメンバーがちらほらといた。男子ばかりだ。ミアとエーディトを見かけると、ヒュウ、と口笛を吹く。女子は末端管理者の割合としては二割程度で、それでも女子の中で特に能力値が高いとされたミアがリーダーに決定した時、次いで優秀だったエーディトと組むことになった。女子が二人同じ班にいるのは珍しいことである。
それだけでなく、エーディトは目立つ。花に虫が群がるように男子が常に視線を向ける。それがわかるからか、エーディトはミアの腕に自分の腕を絡ませ、そうして柔らかい体を寄せて来る。
「ねぇ、先にシャワー浴びない? 一緒に行きましょうよ」
必要以上に親しげにして来るのは、男子へのけん制だろう。ミアにとっては男子に敵視されるもとになるので面倒なことこの上ない。
「共同でシャワー室使うのは禁止だって知ってるでしょ。大体、石鹸の匂いさせて報告に行ったら、バルツァー管理官にいいご身分だとか嫌味を言われる。エーディトは先に入ってたらいい」
「えー」
拗ねた顔も可愛らしい。ミアにはない可愛らしさである。
その腕をすり抜けて、それからミアはデニスやヤンにエーディトを託すように押しつけてから一人方向を変えた。
「ついて行こうか?」
そう言ったデニスにミアはポニーテールを揺らしてかぶりを振る。
「いい。一人で」
ため息をついたデニスにも背を向け、ミアはそこから離れた。