第百十四話「――――正直よ、そこまで心配されているとは思わなかったわ」
「察しておるようじゃがの、妾はあの日まで、そなたと面識はなかったよ」
アルフライラはグラスの中のワインを揺らしながらそう話し始めた。
面識が無かったと聞いて「だろうなぁ」とスケットンは頷く。
いくら当時のスケットンが他人への興味が薄かったとは言え、さすがに好みの容姿をしていれば、多少なりとも記憶には残っていただろう。
けれど刺されたあの時に、刺した相手の顔に見覚えはなかった。
他人に興味がなかったからこそ、痴情のもつれなんて言われた言葉に「そうかもな」と納得してしまったのだ。
「だけどルカとは知り合いだったんだろう?」
「うむ。ルカとは人間の町の様子を見に来た時に偶然出会っての。無一文で空腹にあえいでおった妾に、食事をおごってくれたのじゃ」
「無一文ってお前……」
さすがにスケットンが呆れ顔になると、アルフライラが慌てだす。
「し、仕方なかろう!? 直ぐに戻るつもりじゃったが、人間の町があまりに楽しくて、ついつい時間を忘れてしまっただけじゃ!」
わたわたと言い訳をするアルフライラの白い頬がポッと赤く染まったところを見ると、明らかに『だけ』ではないのが伺える。
スケットンが「初々しいねぇ」などと茶化すと「そんなんじゃないわい!」とアルフライラが口を尖らせた。
「ルカに正体はバレなかったのか?」
「妾がそんなヘマをすると思うか?」
「思う」
「大きく頷くのではないわ! まったく……まぁ、バレぬように、もちろん隠しておったがの。……当時の妾は人間がどういうものなのか、あまり、知らなかったのでな。人間にも良い奴がいるのだなぁと思ったものだ」
「……そうか」
アルフライラの言葉にルーベンスは小さくそう呟いた。
表情は若干複雑そうであったのは、子供としては仕方ないことだろう。
「まぁ、それでの。それからルカと会うようになって、しばらくして、スケットンのことを相談されたのじゃよ。……今のままでは恨みを買った末に、いつか本当殺されかねない。いくらスケットンが強くても、人の感情がどんな凶器になって襲い掛かるかなんて分からない。だから、少しでもそのことに気付いて欲しい、とな」
アルフライラの声に、かつて友と自称していた男の声が重なって聞こえた。
スケットンはふと、刺された箇所に手を当て、僅かに空洞の目を細める。
ルカといい、ナナシといい、自分が距離を取って突き放していたのに、どうして歩み寄って来ようとするのだろうか。
そんな言葉を心の中で独り言ちたが、胸に広がったのは温かなものだった。
「スケットンを刺したのは"仮初の死"という魔法の刃じゃ」
そう言って、アルフライラは手は片方の手を夜空へ向ける。
そして魔法の言葉を紡ぐと、キラキラと輝く、氷のような刃が現れた。
「これで相手を一突きすると、一時的に仮死状態にすることができる」
「へえ、そいつは物騒な魔法もあったもんだ」
「そうか? 実際に死ぬよりはマシじゃと思うがの」
そう言うと、アルフライラは"仮初の死"をぐっと手で掴む。
するとそれはパキン、と音を立てて粉々に砕け、パラパラと地面へ降りそそいだ。
雪とするには少々大きい欠片のそれは、落ちて直ぐに溶けて、すう、と土へ吸い込まれて行く。
それを見ながらルーベンスは疑問を口にする。
「しかしスケットンは仮死状態にならず、死んだのだろう?」
「いいや。魔法自体は正しく発動し、スケットンは仮死状態になっていたのだ。ただ、その後に問題が起こった」
「問題?」
アルフライラは「うむ」と頷き、続きを話す。
「シャフリヤールが死霊魔法を施したのじゃ」
「何だって?」
さすがに怪訝そうにスケットンが聞き返す。
「待て待て、おかしいだろう。死霊魔法ってのは、死んでる奴に使うモンじゃねぇのかよ?」
「うむ、本来であればそうじゃの。実際にシャフリヤールは仮死状態のそなたを本気で殺そうとした。あやつのことだ、恐らく勇者の存在を何らかの形で監視しておったのじゃろうな。それでちょうど利用できそうだからと近づいた。――だが妾の結界魔法が、それを跳ね除けたのだ」
「なぜ、そんな魔法まで」
「ルカに頼まれたのじゃ。仮死状態で無防備になったスケットンに何かあって、本当に死んでしまったら困るからと。それで妾は、スケットンの身体に守りの魔法をかけた」
「……父が」
ルーベンスが呆然とした様子で呟く。
それからアルフライラは再びスケットンの方に目を向けた。
「だからシャフリヤールは、仮死状態のそなたを"死んでいる"と"仮定"して、死霊魔法を施した」
「定義の拡大解釈って奴か」
「そうじゃ。そしてそれは成功した。結界に反応があって様子を見に戻った時にはすでに――――どうにもならぬ状態だったのじゃ。何とかしようと試みたが、魔族と人間の争いも激しくなり、召集が掛かって戻らざるを得ぬ状況になってしまった。その後、妾はシャフリヤールに核を奪われ、この状態になって逃げ回って、結局そなたを放置することになってしまったのじゃ」
そこまで話すと、アルフライラはグラスを地面に置き、スケットンに向かって深々と頭を下げる。
「そなたの死は、妾が原因じゃ。謝って済む問題ではないのは妾の方だ。本当に―――本当に、すまない。……本当に申し訳ないことをした」
静かに、そして何か覚悟した様子でアルフライラはそう謝る。
それを見ながらスケットンはふー、と息を吐く。
「ちなみによ、俺が三十年先に目を覚ました理由は何だったんだ?」
「"仮初の死"に無理に死霊魔法を施したせいで、二つの魔法が変異したからだと考える。"仮初の死"の効果が伸びたことで、そなたの身体が衰弱していくと同時に、死霊魔法が効き出したのじゃろう」
「なるほどなぁ……」
ようやく色々が腑に落ちた。
そんな事を思いながら、スケットンは手の中にあるワインに目を向けた。
紫がかった美しい赤の中に、天上の月が映る。
しばし静かな時間が流れたあと、
「――――正直よ、そこまで心配されているとは思わなかったわ」
と、スケットンは笑った。
ルーベンスが目を瞬き、アルフライラが僅かに顔を上げる。
彼らの目に映ったのは、どこか穏やかな表情をしたスケットンだった。
「放っときゃいいのに、どいつもこいつもお人好しなこった。お前らも、それ、言わなきゃ分からなかっただろうに」
「……言うつもりはなかったよ、ルーベンスが言い出すまではな。全て終わるまで言わぬままの方が、都合が良いとすら思うておった」
「そうか」
スケットンは軽く頷くと、グラスを天に向かって掲げる。
「まぁ、良かったわ」
「え?」
「この歴代最強の勇者スケットン様の死因が、痴情のもつれなんてもんじゃなくて良かったってことだよ」
「そなた……」
そう言ってスケットンはニッと口の端を上げる。
「おいルーベンス。色々落ちついたらよ、勇者博物館諸々、ちゃんと訂正させとけよ。特に歌劇のラストだ!」
「歌劇の件、まだ気にしていたのか」
「当たり前だ!」
スケットンはフン、とは鼻を鳴らす。
それから少し間を開けて、スケットンは二人に向けて、
「……ありがとよ」
などと不器用そうに言ったのだった。