第百十三話「まぁ、憎いとか、恨みとか、そういう目的ではなかったよ」
スケットンが出発の準備を整えた頃には、月が天頂に達していた。
捕えているサウザンドスター教会の教会騎士から制服を拝借したり、食料や薬などの準備や馬の手配など、やる事は多かった。
だが村長のフランや、ティエリたちの協力もあって、すんなりと終える事ができたのは、ナナシの人徳によるものが大きい。
村人は口々に「ナナシを助けるためならば」と進んで手を貸してくれたのだ。今回はバルトロメオの救出も兼ねていると説明はしているが、それ以上にナナシに対しての感情が大きかった。
スケットンは建てかけの元牢屋の前に座って、月を見上げながらその事を思い出していた。
ダイクたちに襲われて、あちこちに被害が出ていたオルパス村は、すでに元の風景を取り戻している。
もちろんまだそれなりに傷跡は残っているが、問題ないくらいに元に戻っていた。
その復興を、片づけの手伝いを、誰よりも頑張っていたのはナナシだった。
自分の同僚がした事だからと無理をするルーベンスをさり気なく休ませたり、空回るシェヘラザードをそっとフォローしたり。
それは村人たちに対しても同じで、ナナシは気が付いたら誰かの隣にいて、誰かの手伝いをしていた。
押しつけがましさなどなく、当たり前のように誰かの手を取るナナシは、村人から好かれていた。
スケットンがナナシの行動に気付いたのは、自分の時もそうだったからだ。
「…………いねぇと静かなもんだなぁ」
思った言葉が口からぽつりと漏れた。
ナナシと出会ってからまだ半年も経ってはいない。
けれどスケットンにはナナシが隣にいるのが当たり前のような感覚になっていた。
聞こえていた声が聞こえない。静か過ぎて落ち着かない。
人を嫌っていたくせにこんな気持ちになるなんてと、スケットンは自分に呆れていた。
「まぁ、そんなもん、いつもの事か」
「何がいつもの事なんだ?」
ふと、発した言葉に返答があって顔を上げると、そこにはルーベンスが立っていた。
ルーベンスは両手にワインの瓶とグラスを二つ持っている。
見えたワインの銘柄は、生前のスケットンが良く飲んでいたものだ。懐かしさを感じながらスケットンは口を開く。
「べーつにー。というかお前、まだ寝てなかったのか。シェヘラザードなんて早々に爆睡してただろうに」
「彼女は自分もナナシを助けに行くんだと意気込んでいたからな。少しでも体力を回復しておきたいのだろう。しかし、それを言うなら君もだろう?」
「俺は寝る必要がねぇし。昨日までのはレアケースだってダムデュラクも言ってただろ」
「それはそうだがな。眠る必要がなくとも、目を閉じるだけで大分違うと思うぞ」
そう言いながらルーベンスはスケットンの隣に腰を下ろす。
それから手に持っていたグラスの片方をスケットンに差し出した。
怪訝そうにスケットンはグラスを見て、
「それこそ必要ねぇんだが?」
「気分だよ。大事だろう?」
「気分ねぇ……。ちょっとの間にお前もずいぶんとゆるくなったもんだ」
スケットンはそう言うと、グラスを受け取る。
そのグラスにルーベンスはワインを注ぐと、次いで自分のグラスも満たし、持っていた瓶を地面に置いた。
スケットンはそれを横目でちらりと見ながら、手に持ったグラスを空に軽く掲げる。
紫がかった赤色が、月に照らされキラキラと揺れる。
「……スケットン、前に言いかけた話なんだが。私は君に、謝らなければならない事がある」
何となくそれを眺めていたら、ルーベンスがそう言い出した。
スケットンは空洞の目を丸くして、そう言えば前にそんな話もあったなと思い出す。
「そう言えば言いかけてたな、すっかり忘れてたわ。けどよ、別に俺は、お前から謝られるような事をされた覚えはねぇぜ」
「そうでもないと思うが……。今回は私ではなく、私の父の話だ」
「お前の親父?」
「ああ。……私の父の名前はルカと言う」
「ルカ……?」
聞き覚えのある名前にスケットンが少し考えると、生前、自分に何度も話しかけてきた人物の顔が浮かんだ。スケットンに「いつか刺されるぞ」と忠告をしてきた青年である。
説教臭くて眼鏡をかけている所がルーベンスに似ている――なんて身もふたもない感想を言ったのはいつだったか。
ルーベンスの話にスケットンが少し驚きながら、
「へぇ、お前があいつの子供ってわけか。そりゃまぁ、変な所は似るもんだなぁ」
「変とは何だ変とは」
「説教臭くて眼鏡なところだよ」
スケットンがからかうように言うと、ルーベンスは「どこが変だ」と軽く睨む。
返ってきた言葉にスケットンはカラカラと笑って、
「俺はルカに何かされた覚えはねぇよ」
と言った。実際に、その通りだからだ。
生前のスケットンの身を(恐らく)案じて、色々言ってくれた事はスケットンも覚えている。
それを鬱陶しく思っていた自分が何かするなら別だが、逆はないだろうとスケットンは思っていた。
交流と呼べるほど親しいわけではないが、顔を合わせる度に小言や説教をしてきた位には付き合いがあった相手だ。
スケットンは自分に人を見る目があるかさほど自信はないが、ルカが悪い奴ではないという確信は持っていた。
だがルーベンスはそうではないらしい。
「……君が刺されて死んだ事についてだ」
「俺が死んだのは、俺が好き勝手やった結果さ」
「……違う」
スケットンの言葉にルーベンスは首を横に振って否定する。
「あれは私の父が仕組んだ事だ」
「見えねぇなぁ」
苦い声でそう言ったルーベンスの言葉を、スケットンは間髪入れずに否定した。
「事実なんだ。私は父が毎晩酒を飲みながら、誰かに謝っていたのを知っている。あいつが死んだのは私のせいだ、考えが至らなかったと、ずっと後悔していた。それが誰の事を言っているのか私には分からなかった。だが先日、君の口から父の名を聞いて確信した。あれは君に対しての謝罪であったと」
ルーベンスはそう言うと、額が地面につくくらい、深く頭を下げる。
「謝って許される事ではないのは分かっている。……本当に、申し訳なかった!」
「お、おい……」
その勢いに、さすがのスケットンも困ってしまい、上手い言葉が浮かばず詰まっていると、
「まぁ、憎いとか、恨みとか、そういう目的ではなかったよ」
などと、可愛らしい声が聞こえてきた。
ぎょっとして顔を向けると、いつの間にかルーベンスの隣にアルフライラが座っている。そしてその小さな手でちゃっかりと、ワインの瓶を抱えていた。
「いつ来たんだよお前、気配一つ感じなかったぞ」
「ふっふーん。そういう魔法は大得意じゃしー」
スケットンが半眼になって言うと、アルフライラは得意げに言って、持って来たらしきグラスにとぷとぷとワインを注いだ。
「未成年が飲むんじゃねぇよ」
「妾はもうとっくに成人しておるよ。見てくれが変わっても、年齢という意味ではそなた達より大分上じゃ」
なんて小さく笑ってワインをあおる。
スケットンは色々言いたい事はあったが、実年齢としては確かに成人を越えているのでとりあえず横に置いておくことにした。
今はそれよりも、気になる事があったからだ。
「良いんだか悪いんだか分からねぇが、まぁ、それはそれとして。お前、何か知ってるような口ぶりだな?」
「うむ、まぁ……の」
「自分で振っておいて歯切れが悪ぃな。つーか、おいコラ、ルーベンス。いつまでそうやってんだ、そろそろ顔を上げろ」
「いや、だが私は……」
「お前だけの話じゃ分からねぇ部分が多いんだよ。こいつが何か知ってるってんだから聞こうじゃねぇか。お前だってよ、知りてぇ事はあるんだろ」
そうスケットンが言うと、ルーベンスは息を呑み、それからゆっくりと顔を上げた。
先ほどまでの苦しげな表情に、困惑が混ざっている。
スケットンは「フン」と鼻で笑うと、アルフライラの方へ視線を戻す。
「それで?」
「何から話したら良いか……うむ、そうじゃの。スケットン、実はの、そなたを刺した女は……妾での」
「は?」
「はい?」
これにはルーベンスも目を丸くして、スケットンと一緒に聞き返した。
二人の視線にアルフライラは頷く。
「意味の分からなさがルーベンス以上なんだが……。お前の親父、こいつと知り合いだったのか?」
「いや、私も父の交友関係までは詳しくは知らないが……そうなのか?」
「……うむ。色々と、込み合った事情があっての。聞いてくれるだろうか?」
アルフライラは伺うようにスケットンを見てくる。その目を見ながらスケットンは「ふむ」と小さく呟いた。
なかなか衝撃的な発言が続いたが、不思議とスケットンは落ち着いていた。
怒りも、恨みも、特にまだ浮かんでこない。これがスケルトンとして蘇りたてなら別だっただろうが、今のスケットンの心は凪いでいる。
だからなのか、自分でも驚くほどに、穏やかな声が出た。
「いいぜ、聞いてやる。日の出まで、まだまだ十分、時間があるからよ」