第百八話「いやぁすまんなぁ、勇者サン達」
傭兵のガロは元々、凡庸な男である。
何事もそつなくこなすものの、武術の腕や学問など突出した才能はない。良くも悪くも平均的で、それが幸いしてか癖の強い灰狼の中では、団長のフランデレンに次いで二番目の副団長という役割を務めていた。
ガロが所属している傭兵団『灰狼』は人間と魔族の混血以外にも、多くの種族の混血達が身を寄せ合っていた。
他者から虐げられ、忌避され、爪弾きにされ続けた彼らはお互いをとても大事に思っており、仲間を裏切る事を何よりも嫌悪していた。
絶望を知った記憶を、傷ついた心を、自分達は奴らと違うのだと奮い立たせて彼らは戦場に立ち続けた。世の中は奴らのような醜悪な連中だけではないのだと信じて。
そしていつか良い人と出会って、その隣に立ち笑い合う事が出来たなら――――どれほど苦しい過去であっても友人のようになりたいと思っていた。
けれど生きている間に良い人に出会う事はなく、ガロ達は戦場で死に、シャフリヤールの手によってアンデッドとして蘇った。
シャフリヤールは手を差し伸べて「辛かったですね」「もう我慢なんてしなくて良いのですよ」と微笑んだ。今まで仲間以外には、ゴミを見るような目しか向けられてこなかったガロや仲間達にとっては、シャフリヤールは生まれて始めて出会った『良い人』であった。
シャフリヤールと出会いフランデレンや仲間達は良く笑うようになった。その事だけでも感謝しているし、この恩を返したいとも思っている。
けれどある時、任務の最中に訪れた小さな村で、ガロは驚くべき光景を見た。
その村では人とアンデッドが手を取り合い、笑い合い、共に暮らしていたのだ。
憧れて、焦がれていた夢の形。それが小さな村の中にあった。
言葉で言い表せないくらいの衝撃だった。
それを目にした時、涙一つ流せない朽ち果てた身体で、ガロは嗚咽を漏らした。
苦しいわけではない。悲しいわけではない。ただただガロは嬉しかった。
そしてこんなものを見なければきっと、ガロは何も考えずに仲間と共に、主に仕えていられただろう、と。
◇
倒れたナナシと反対に意識を取り戻したトビアスは、よろよろと頭と体を動かし周囲を見回す。
周りの惨状に幾分青ざめたようだが、その先にティエリの姿を見つけて、安堵の表情を浮かべる。
涙目のティエリを見て、改めて「お嬢様」と声を掛けようとした時、ぐい、と首根っこを掴まれて軽々と持ち上げられた。
ぎょっとして後ろを見ると、ガロであった。ガロはにこーと――顔は見えないので雰囲気だが――笑うと、
「舌噛むで」
「え?」
何て短く言って、ひょーい、とティエリの方へ向かって放り投げたのだ。
それほど高くは上がらなかったし、距離もあったわけではないが、突然の事に受け身がとれなかったトビアスはそのままべしゃりと開いた床へと顔から落ちる。
ティエリは大慌てで駆け寄ると、服の袖でトビアスの顔を拭いてやる。
スケットンは呆れた様子で半眼になった。
「乱暴すぎるだろ」
「悪ぃ悪ぃ。でも、安全やろ?」
近づくよりは、と暗に言ってガロはシャフリヤールの方へ向いた。
スケットンに腕を斬り飛ばされたシャフリヤールは、涼しい顔で落ちた腕を拾い上げている。まるで痛みなど感じていない様子だ。
「乱暴とはこういう事を言うのだと思いますがねぇ」
しれっと言いながら、シャフリヤールは拾った腕を本来の場所へと近づける。
すると傷口の方から細い光の帯が現れ、しゅるしゅるとその二つに巻きつき――やがて何事もなかったかのように、元の状態へと戻った。
スケットンはそれを見て上の屋敷でアンデッド達が再生するのと似ていると思った。
(――――こいつは)
空洞の目を細めるスケットンの目の前で、シャフリヤールは元に戻った手を握ったり開いたりしながら、調子を確かめている。
それから、ぐっ、と手を握ると、シャフリヤールは倒れたナナシの方へ顔を向ける。
ルーベンスに抱えられたナナシは、相変わらず意識はないが苦悶の表情を浮かべていた。
「多少不完全ですが、まぁ、追々何とかするとして。――――さあ、魔王様。こいつらをぶちのめしてやりましょう?」
シャフリヤールがそう高らかに言うと、ルーベンスが抱えていたナナシの目がカッと開いた。
突然動き出したナナシにルーベンスはぎょっと驚く。
だがナナシは何も言わず、自身を支えるルーベンスの手を払うと、す、と立ち上がった。
「な、ナナシ? どうしたんだ、もう体は大丈夫なのか?」
「…………」
ルーベンスは声を掛けるが、ナナシは何も反応しない。
それだけではなく、開いている目もまた虚ろで、理性や知識を宿しているようには見えなかった。
泥のように淀んでいる。離れた位置にいたスケットンでも分かるほどに。
そして同時にスケットンは理解した。
まずい、と。
「ルーベンス、離れろッ!」
「ガロ」
スケットンがそう叫ぶのと、ナナシが淡々とガロの名を呼ぶのは同時だった。
名を呼ばれたガロは床を蹴り、ルーベンスの目の前へと跳躍した。
速い、とルーベンスは目を剥く。咄嗟にルーベンスは剣に手を伸ばしたが、その前にガロの大鎌の柄で殴りつけられ、倒れる。
「ルーベンス! ガロ、あんた!」
きっと目を吊り上げたシェヘラザードが、ガロ目がけて氷の矢を放つも大鎌で振り払われる。
ガロは視線だけで笑ってみせると、ナナシを肩に持ち上げた。ナナシはされるがままで、何も反応しない。
スケットンは低く走り、ガロの足目がけて魔剣を横に振り抜いたが、再び跳んで躱された。
そしてガロはそのままシャフリヤールの元へと歩き、スケットン達の方へ向き直る。
「いやぁすまんなぁ、勇者サン達。俺の今の術者はこのお嬢ちゃんや」
「お前、最初から……!」
スケットンの言葉をガロは「ああ、そうや」と肯定する。
「初めから俺はこのつもりやった。魔法を上書きしても、主の支配下にある嬢ちゃんを介してならば命令は受けられる。そう言う事や」
「ええ、想定外ではありますが、良くやりました、ガロ」
種明かしとでも言うように話すガロにシャフリヤールが労いの言葉を掛ける。ガロは「いやぁどうもぉ」などと答えていたが、スケットンはふとシャフリヤールの言葉に違和感を感じた。
彼は『想定外』だと口にした。
で、あれば、ガロが取っていた行動はシャフリヤールの指示ではない。
――――何故。
その理由を考えながらスケットンがシャフリヤール達を睨んでいると、ふと、ナナシの口が小さく動いている事に気が付いた。
最初は何かを訴えかけているのかとも思った。
だが、違う。
まるで歌うように、語るように、滑らかに紡がれるあれは。
――――魔法。
そう理解した時にはすでに遅く。
ナナシを中心とした魔法による爆発が起こったのは、間もなくの事であった。