第百六話「……本当に、救いようのない、馬鹿ですわ」
「……仰る意味が分かりかねますわ」
フランデレンは眉間にしわを寄せ、不可解だとスケットンに言う。
「あのデュラハンの事でしたら、前にもお伝えしたはずですわ。主様の素晴らしいお力で、再び生を受けたにも関わらず、恥知らずにもこの国のためなどと反抗的な態度を――――」
「取ったからって何だってんだ?」
スケットンはフランデレンの言葉を遮り、言う。フランデレンはますます分からないと言うように「はい?」と聞き返した。本当にスケットンが言っている意味が分からないのだろう。スケットンが何を言おうとしているのか察したのは、この場ではナナシとルーベンスの二人だけだ。あの場で、共に戦った二人だけが、スケットンが何を言おうとしているのかを直ぐに理解した。
「死霊術師によって蘇ったアンデッドは、術者の命令に逆らえばのた打ち回るような苦痛を与えられるんだろ。それならよ、お前さんが躾だとか抜かして痛めつける必要がどこにあったんだ?」
「ですから、それは」
「お前さんが痛めつける以上の苦痛を、デュラハンは感じていたんだろう」
「――――え」
フランデレンが大きく目を見開いた。
アンデッドとして蘇らされた者が術者の命令を背けば激痛に苛まれる。スケットン自身は体験したことがないので分からないが、あのデュラハンにせよ、司祭にせよ、その様子を見れば何となくは分かる。
主に心酔しているフランデレンだ、その事を知らないはずがないだろう。
けれど彼女はこうして驚愕の表情を浮かべている。それはつまり、知ってはいても無意識でそう行動していたという事だ。
激痛の度合いはスケットンには分からない。けれど、それは魂に作用する類のものだ。激痛などという言葉では表現しきれないほどの苦しみを与えるもののはず。そしてそれは、フランデレンが躾と称して痛めつける必要がないほどのもの。
「で、ですが、それは……」
「お前は」
狼狽えるフランデレンを見ながら、スケットンは一度言葉を区切り、
「お前自身の恨みを、あのデュラハンにぶつけたんだ」
そうはっきりと言い切った。
フランデレンは動揺を隠しきれず、視線を彷徨わせる。だいぶ揺らいできているようだ。
そこに、ため息が聞こえた。隣に立つシャフリヤールだ。わざわざ聞こえるように大きく息を吐いて、彼は会話の間に割って入る。
「口だけは良く回るようですね、あなたは」
「馬鹿言え、俺は頭も回るんだよ」
「どうだか。……フランデレン、気にする事はありませんよ」
「いいや、気にするべきさ」
フランデレンを気遣うようなシャフリヤールの言葉を、スケットンは間髪入れずにぶった斬る。
ここで落ち着きを取り戻されるわけにはいかない。スケットンは魔剣で、音が出る程に強く障壁を押し続けながら言葉を発する。
「誰かのためにやったんじゃない。お前は、お前のためにあのデュラハンを痛めつけたんだ」
「――――ッそれの何が悪いと!」
「話が違うって言ってんだよ。お前の怨嗟も、憎しみも、怒りも、その原因は確かにお前が憎む相手だろうさ。けどな、灰狼の団長さんよ。お前の復讐なんだよ、それは」
その台詞を聞いた時、フランデレンは雷に打たれたように身体を硬直させた。
シャフリヤールが僅かに顔を顰めたのを横目に、スケットンは畳みかける。
「誰かのためじゃねぇ。お前は自分の復讐心のままに、あのデュラハンを痛めつけた。デュラハンが反抗的だからって、格好の言い訳を手に入れてな」
「ふ……復讐心が混ざって何が悪いんですの? 例えどんな感情であっても、私は……」
「理解されねぇのが復讐だ。誰かのためってのは、都合の良い免罪符じゃねぇ」
「――――」
フランデレンの目が揺らぐ。僅かに震えているようだ。小さな声で、違う、と呟きながら、彼女はくしゃりと顔を歪ませる。
スケットンには彼女がまるで泣いているように見えた。
「……なら。なら、あなたはどうなのですか、スケットン様。あなたは、あなたのご両親を陥れた相手を恨みはしなかったのですか。あなたを殺した相手を憎まなかったのですか。飢えもしない、熱も失い朽ち果てた、乾いたその身体になってまで本当に――――本当に、どうでも良いとだけしか思わなかったのですか」
「……ああ、思ったさ」
スケットンははっきりと肯定した。
その時、自分の背中にナナシ達の視線が集まるのを感じた。
それが不快ではない事に、何とも言えない感情を抱きながらスケットンは言う。
「親父とお袋が殺されて、騙されて、それで俺も刺されて死んでスケルトンになって、財産は国に取られて、過去の色々を面白おかしく言いふらされて馬鹿にされ、そりゃ腹は立って仕方ねぇ。つーか、そもそも何が教訓だよふざけんな」
言葉で並べれば酷いものだ。
思い出したら何だかムカムカしてきたが、それは後だとスケットンは言葉を続ける。
「だけどよ、そいつは全部、俺が好きにやって好きに生きた結果に残ったもんだ。色々あったが、それ以外の全部は俺が選んでやった事だ。だから俺様は復讐なんてしねぇ。怒りはするけどよ」
「あまり変わらない気もしますけどね」
「うっせ」
ナナシからのツッコミにスケットンはケッと悪態を吐く。くすくすと零れるような小さな笑い声が聞こえて、妙に照れ臭かったが。
「…………あなたは」
フランデレンは唖然とした顔で呟く。
「あなたは馬鹿ですわ。人生を変えるほどの事をされて、それを赦すと仰るのですか」
「復讐したらスッキリはするだろうけどよ。……そういうの、もう、面倒なんだわ。多すぎて、広すぎて、関わる連中を考えたら、死んでからも復讐なんて終わらねぇ。俺は俺のために生きてんだ。他人の事を考えて一生を過ごすなんて……御免なんだよ」
スケットンはもうひと押しと言わんばかりに魔剣を振り上げる。
そこへシェヘラザードとティエリの魔法の矢が飛び、援護する。
光と氷の矢、二つの鮮麗な輝きの中で、スケットンは渾身の力を込めて魔剣を振り下ろした。
ガラスの割れる音が響く。
障壁が粉々に砕かれる。
シャフリヤールは舌打ちしたが、そんな小さな音など直ぐに掻き消された。
ただ。
「……本当に、救いようのない、馬鹿ですわ」
フランデレンの声だけは、よく聞こえた。