第百四話「そんなもので怖気づくとお思いか」
蛍光のような光の粒が、ホムンクルス達の体から立ち上り始める。
何だ、とスケットンが空洞の目を細め警戒していると、その光は真っ直ぐにナナシに集まり始める。
そして吸い込まれたその刹那、ナナシの身体が硬直した。
「ナナシ、どうし――――」
スケットンが声を掛ける目の前で、ナナシは身体の力が抜けたように崩れ落ち、両手を地面につく。
吃驚したスケットンが駆け寄り、顔を覗き込めば、彼女は青褪め苦悶の表情を浮かべていた。ぽたり、と噴き出した脂汗が顔を伝って床に落ちる。
スケットンがナナシの肩を掴むと、目がそちらを向いた。ナナシはスケットンに何かを言おうと口を開いたが言葉にならず、代わりに苦痛に耐えるかのような呻き声が漏れる。
明らかに異常な状態だ。何が起きたのかは分からないが、シャフリヤール達が何かをしたのは分かった。
「てめぇ、ナナシに何をしやがった!」
「いやはや、人聞きが悪いですねぇ。この短い時間に、私が何かをするようなタイミングがありましたか?」
そもそも、とシャフリヤールは目を細める。
「何かしたのはあなた方でしょう?」
シャフリヤールは含みを持たせてそう言うと、今し方倒したばかりのホムンクルス達を「それですよ」と指差した。
倒した事に何の意味があるのか――スケットン達が分からないでいると、シャフリヤールはその指を上に向け、にこりと冷笑を浮かべる。
「私は魔王様を蘇らせるために、たくさんのホムンクルスを創りました。ですが彼女以外は全て失敗でした。その身体に魂が宿らなかったのですよ。何故だかわかりますか?」
「てめぇのやり方がクソみたいだったんだろ」
「知性の無い回答ですねぇ」
スケットンが吐き捨てると、シャフリヤールは馬鹿にしたように肩をすくめる。すい、とそのまま見下すとその月のような目に異様な光が灯った。
「記憶ですよ」
「……記憶だと?」
「ええ。私はホムンクルス達を育てる初期の段階から、魔力に記憶を混ぜて植えつけていました。ですが、それがいけなかった。魔力と記憶を混成させた事で、その身に宿るはずであった魂が定着しなかったのです」
ですので、とシャフリヤールは続ける。
「魂が宿らなかっただけで、それには記憶はたっぷり、詰まっておりますとも」
「――――てめぇ」
その言葉でナナシの身体に何が起こっているのかを理解した。
つまり魔剣を回収した時と同じだ。魔剣に込められた戦いの記憶――魔王に関する記憶を植え付けられていた時と同じ事を、ホムンクルス達で行ったのである。
だがその量は比べものにならない。魔剣よりも遥かに多い量の記憶が、今、ナナシに流れ込んでいるのだ。
「……まさか、あんた最初からそれが狙いだったの……!?」
「失敗作でも有効活用しなければ勿体ないでしょう?」
「いい加減にしなさいよ! どれだけ他人を利用したら気が済むの!?」
さらりと答えたシャフリヤールにシェヘラザードが怒気を発する。その言葉に、さもおかしいと言わんばかりにフランデレンがクスクス笑う。
「あらあら、他人ではありませんわよ? だってどれもこれも皆、主様のものなんですもの。家族、とも言うでしょうか?」
「そのような扱いをして家族も何もないだろう! そもそも、ナナシはものではない!」
ルーベンスも憤慨した様子で怒鳴る。
――――その時、掠れた声が、ナナシの口から漏れた。
「じょう、だんじゃ、ありませんよ……」
会話の間――途切れた僅かな一瞬に、ナナシの声は静かに響く。
ナナシは顔を上げ、その血のような赤い目を真っ直ぐにシャフリヤールに向けた。
ヒュウヒュウ、と苦しげに呼吸をしながら、ナナシは腹に力を籠め、言葉を発する。
「そんなもので怖気づくとお思いか」
「何?」
怪訝そうに聞き返すシャフリヤールに、ナナシは口の端を上げた。
そして視線を逸らさずにスケットンに話しかける。
「スケットンさん、トビアスさんが先です」
「だが、お前……」
「私が仮にそうなっても、私は勇者ですから当たり前に強いですよ」
そして自信たっぷりにそう言った。スケットンは一瞬、虚を突かれたように空洞の目を丸くする。
「ですがトビアスさんはそうじゃない。完全に乗っ取られても私達ならば倒せます。倒さざるを得ません」
断言するナナシにティエリの顔色が悪くなる。
だがナナシは構わず「だから」と言葉を続けた。
「トビアスさんが先です。まだ間に合う」
「…………」
「どうなっても、私は簡単に死にやしません。まぁ、それで、スケットンさん達と戦う事になっても私が勝ちますが」
苦しいだろう、だが、ナナシは晴れやかに笑う。
迷うなと、いいからさっさとやれと、丁寧な言葉の裏で彼女は言い放つ。スケットンを挑発するように。
(こいつ、いい度胸してるわ)
スケットンは心の中でそう呟いた。状況は悪い、だが、こうまで言われて尻込みしているような情けない真似はできない。
だからスケットンも同じように、ニヤッと笑って見せた。
「……ヘッ。返り討ちにしてやるよ」
「はい」
ナナシが頷くと、スケットンは立ち上がった。
それからルーベンスに向かって「そいつ見といてやってくれ」と言うと、床を蹴り、シャフリヤール達に向かっていく。
ティエリとシェヘラザードもスケットンを援護するために魔法の詠唱を開始した。
――――ガロは、ちらり、とナナシを見下ろす。
「……ああ、やっぱりあんたで良かったわ」
そしてぽつりと聞き取れないくらいに小さな声で呟くと、その後に続いた。