九日目~迷い~
彼の視界に飛び込んできたのは、昼頃のように明るい周囲の景色。
鳴滝はまだはっきりと意識をつかめていないままぼんやりとその景色を見つめる。
そこは、学校から北にある駅と隣接するショッピングモールを繋ぐ橋だった。
人通りの多く、鳩の群れがベンチの傍で食事のために地面をついばむ普段の光景は今は無く、
下に見えるタクシー乗り場にも、車の姿は一切見えない。
彼の目に映る生物といえば、道の左端に植え込まれた植物だけ。
明らかに不自然な、静寂。
だかそれによって彼は自覚した、あぁ、あの夢に僕はまた迷い込んでしまったのか。
(……やっぱり『声』の仕業なのかな、でも一体、あの声の正体ってなんなんだろう)
自身の勘は冴えない、と思いながらも今考えつくことをどうにか搾り出したかった。
塚本のためにも、まだ被害に遭っていないほかの部員のためにも。
(えっと……悠斗は塚本の近くに居て、結城も宮内の近くで倒れてたんだよね……
ってことは、僕の傍にも……例えば、海部さんとか……)
だが、遠くまで見渡せるこの場所から海部はおろか人の姿は一切無い。
小さな心の陰りを感じながら俯く、いつの間にか手に握られていた槍が視界に入った。
(そういえば、海部さん悠斗の作戦に反対してたよね……)
考え込む前に辺りを少しだけ確認する、人の姿もなければ幸い獣の姿もそこには無い、
突然暫く襲われることは無いと安心しながら彼は数日前の言葉を思い出していく。
(疑いたく、無い……だけど、夢に居る回数が明らかに少なかった
最初の夢にだって、居なかったのは僕と海部さんだけで……)
そこまで考えたところで左右に首を振る、もう自分は誰も疑わないと決めたのだ。
海部だってこんなことを望んでいない、純粋に部員の心配をしているだけだ、そう言い聞かせた。
ため息を吐いて空を見る、今何をするべきかの優先順位がスッと思い浮かばない。
それでも、ここでじっとするのが誰にというわけではないが申し訳なくなり、駅のほうへと歩いていく。
(それより、えっと……『聞いたことのある声』に気をつけないといけないのと、誰かを探さなきゃ行けない……難しいな
でも、他の誰かももしかしたら助けを求めているかもしれないし……)
開け放たれた駅の入り口の扉に当たらないように少しだけ前方に注意を払いながら考え事を続ける。
(ここで僕が洗脳、って言って良いのかな?それに巻き込まれたら困るわけだし他の誰かが居ても困るから……
やっぱり誰かを探すのが一番良いのかな、でもそうしたら多分……
あ、悠斗が見失ったって言ってたし、もしかしたら動かない方がよかったのかもしれない
もしかしたら僕が誰かを見逃していただけかもしれないし……)
駅に入って中程、改札の前で立ち止まって先ほどの広場に引き返そうかとした時。彼の耳に音が届く。
とても聞き覚えのある、彼にとってだけ親しみのある、生き物の動く音が背後から。
意識を覚醒させて槍を両手で握り刃を向けられるように、相手に警戒されないようにゆっくりと振り向く。
……彼の従えた事もあるカマキリが、二匹。
だが、彼はそこにかつての忠実な従者ではなく、獲物を狙う狩猟者の雰囲気を感じ取った。
「僕が操ってるわけでも無いのに……どうして……」
抱いた疑問を解決する時間は無い、大きく振り上げた腕は、確実に自分を狙っている。
一匹が彼を挟み込むように鎌を両サイドから振り下ろす。
鳴滝はソレを避けるように後ろに下がるが、後ろに大きくしりもちをつくように転倒し、反動で槍を手から離れてしまう。
彼の視界が、緑の刃に支配され、心臓が握りつぶされるような感覚が彼を襲う
だが、その衝撃に浸っている暇を与えるはずも無い。
彼は萎んでしまった自身の心をどうにか落ち着かせようと、半ば手足四本で這い蹲るように距離を置く。
背後で、獲物を吟味するように、武器を失った相手を仕留めたと確信した刃がジリジリと距離を詰める。
幸いその図体のおかげで、二体同時に遅い来るということができなかった。
(どうしよう、槍が、槍が……!!)
もつれながら立ち上がってカマキリの方を見ながら後ずさりをする、
槍は巨体に封鎖された向こう側だ、腕をかいくぐればあるいは……
(ど、どうせ死んだって、刺されるならいいんだよね?うん、そうだ、大丈夫
本当に死ぬわけじゃない、死ぬわけじゃない……!!)
それでも目の前の巨大な武器に対する恐怖は消えない、
加えて、たとえ動きが鈍重であっても、一気に畳み掛けられてしまえば自分は終わってしまうという事実もまた
彼の恐怖を加速させ、肩に現れた呼吸を激しくさせた。
ここから逃げるのも手だろうか、誰かに見つけてもらって、助けてもらえるだろうか。
だけど、その誰かは洗脳されてしまうのではないか。
駅の出口はすぐ傍、この状況を打開するには……どちらがいいのか。
四本の武器が振り上げられる、死刑宣告の直前のような、張り詰めた空気。
「うあああああああああああああああああああああああああ」
叫びながら、彼はカマキリに向かって走っていく。
そこに向かって無慈悲な刃は勢いよく振り下ろされる。
怖い、その一色で染まった頭のまま、二匹の隙間だけを見つめた。
自分の頭頂を刃が捕らえるかどうかの刹那……
彼は懸命に地面を蹴り、刃は鳴滝の輪郭をなぞるように空を裂く。
二つの巨体の僅かなを真っ白な頭で駆け抜け、彼はその後ろに飛んだ槍を慌てて拾い上げて振り向いた。
「はぁ……あぁ、もう、手を離さないように、しないと」
武器を手に入れた事により少し落ち着いた頭で敵を見る。
カマキリは互いに場所を譲りながら方向転換をして後ろを向くのに手間取っている
「…卑怯だけど!!」
鳴滝は後ろを向きかけた一匹の長いその腹に乗り、一気に貫いた
シャァァァァと空気の抜けるような叫び。
嫌悪と憐憫で耳をふさぎたくなるが、手に力を込めることで耐えしのぐ。
もう一匹は、彼を倒すという目的しか思考に無いかの如く同類の腹に乗った彼に狙いを定めた。
意図しなかった相手の行動に驚き反射的に迎え撃とうと槍を引き抜くが、バランスを崩して落下する。
同時に彼を捕らえようとした鎌は同類の体を引き裂くだけで、
空に黒い霧を噴射するやいなや、断末魔とともに一体が消滅する。
全身の痛みをこらえフラフラになりながら立ち上がる、
どうにかその右手に持ったままの槍を左手でもつかみ相手とにらみ合う。
「はぁ、はぁ……な、なんかよくわかんないけど……
これなら……うん、僕一人でも!」
ほんの少しの安堵ではあったが、彼に勇気を振り絞らせるには十分だった。
一度自身の言葉に対して頷くと、狙いを定められる前に一気に距離を詰めて、
目の前にある無防備な身体を支える節を槍で引き裂いた。
二つに分かれたその体は、それでも相手を仕留めようとモゾモゾと動きを止めない。
鳴滝はその動きを見ていたいという思いが一瞬浮かんだが、万が一のことを考えて駅の外へ走る。
少し長い階段を下りた先、直接太陽の光が射す。
それを手で遮りながら辺りの風景を見渡す、そこにも獣も人の気配も無い。
「どうしよう……」
ショッピングモールに身を潜めているのだろうか?
しかし引き返してあの体がそのままであるかもしれない。
再びその場でじっと考え事に没頭してしまう、その直前。
自分を呼ぶ声が自分のすぐ後ろに聞こえる、聞きなれた、なじみのある声。
あぁ、自分の姿を見つけて追いかけてきたのだろう、彼は深く考えずに仲間に会えた安堵で振り向く。
「あぁ、よかった―――」
彼が相手の名を呼んだ瞬間、その相手も彼の安堵に応えるように微笑んだ。