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30 お話はこれでおしまい

「……かつて民話は口承による伝播が主流だった。

 その名残りは『子どもと(K)家庭の(H)メルヒェン集(M)』の中の、一部の結びの言葉にもとどめられている。

『猫がおうちへ駆けていく。お話は、これでおしまい』『お話はこれでおしまい、あそこでねずみが歩いてる』といった、歌のような言葉で物語を終えるもの。

『主人公は、今から行ってもそこにいますよ』といった、現実と地続きである結び。

『私も主人公の結婚式に行きました。頭飾りは雪でできていましたが、太陽の日差しで溶けました。ドレスは蜘蛛の糸でできていましたが、茨に引っかけて破れました。靴はガラスでできていましたが、石につまずいて割れてしまいました』と、話者が物語に参加するような結び。『祝宴でビールをもらったが、全部髭をつたって一滴も口に入らなかった』のように、上手くいかない結末ばかりだが……。

 それから……後はもういいか。疲れた」


 ヤーコプはぐったりと横になったまま、口をつぐんでしまいました。


「兄さん、本当に具合が悪いんだね……まさか蘊蓄(うんちく)を途中でやめるなんて……」


 兄弟は、数人が乗れそうな舟に乗っていました。屋根や帆はありません。ヴィルヘルムは後部の席に座り、ヤーコプは中央に置いたマットレスとシーツの上で、寝巻きに毛布をかぶって寝ています。


 そこは一面の、どこまでも続く鏡のような水面でした。明るいので昼間のようでしたが、空と周囲は白銀の霞に包まれているので、遠くまで見通せません。ときおり霞の向こうに、島影がうっすら現れては消えていきました。


 舟は、帆もオールもエンジンもないまま、水面をナイフのように切って進んでゆきます。ほとんど変わらない景色の中、V字型の波紋だけが、舟が動いていることを示すしるしでした。


『疲れた。世界間移動にいちいち歩きたくない』と、珍しくヤーコプが駄々をこねたため、小世界群をつなぐ通路(コリドア)を、水面と舟に設定したのです。


「以前の『青髭』よりはマシだったが……。

 それでも死の経験はきつい」


 兄弟は実体化の際、自身ではなく分身(アバター)を創って小世界に同化させます。万一危害を加えられても、本体が肉体的ダメージを受けないように。


 ですが分身(アバター)は、死ぬか物語終了のタイミングで本体に統合されます。危害を受ければその経験も受け継ぎますので、精神的な傷は避けられません。


「まあ、ほとんど即死だったからね。

『青髭』の監禁凌辱虐殺フルコースよりはマシ──」


「言うな! 思い出す!」


 ヤーコプがベッドの上で、頭の上まで毛布をかぶって隠れます。


「その辺の記憶はちゃんと消したつもりだけど、まだ残ってる? もう1回処置しようか?」


「いや、記憶は消えている。ただ心的外傷(トラウマ)まで消えるわけではないから、辛いことは辛い」


「それでよく、白雪姫の前でキリッとしていられたね」


「痩せ我慢……主人公と物語への礼儀……」


「兄さん……。

 だから、もう実体化はやらない方が」


「いや。必要なら、何回でもやる」


 ヴィルヘルムの言葉を、しかしヤーコプはきっぱりとさえぎりました。上体を起こして、ヴィルヘルムを見ます。


「それが僕たち『ヤーコプ・グリム・ホムンクルス』シリーズの共通の性格設定だ。自分の危険よりも、小世界の観測と解析をせずにはいられない。それが人間にとって便利だからだ。

 お前だってそうだ、ヴィルヘルム。

 本物のヴィルヘルム・グリムは、童話集の改稿を担当した。

 だから『ヴィルヘルム・グリム・ホムンクルス』シリーズは皆、小世界の操作と改変に優れ、兄ヤーコプと行動を共にする。

 それが、人間に創り出される前から決まっている、僕たちの宿命だ」

 

 彼らは人造人間、ホムンクルスです。


 本物のグリム兄弟は、存命中から民話の収集者であり童話作家として高名でした。彼らから供出された細胞を素材に、何体ものホムンクルスが創造されました。

 

 さらに、『白雪姫』や『シンデレラ』などが架空の物語世界であるのに対し、『グリム兄弟』は、実在の偉人に対する集合的認知として下位世界に存在します。


 この『グリム兄弟のイメージ』を下位世界から抽出して人格に加工、グリム兄弟の細胞を素体とするホムンクルスに移植し安定させたものが、彼ら『グリム・ホムンクルス』シリーズなのです。


 倫理規定によって、オリジナルとの完全な同一個体はなく、容姿や性格に、それぞれ一定の改変が義務づけられています。


『グリム兄弟なら民話伝説に詳しく、物語世界を自在に収集し編集するであろう』という集合的イメージに力を与えられた、物語収集者グリム兄弟のコピーなのでした。

 

「下位世界に分身(アバター)を創り出せる僕たちもまた、本物のグリム兄弟の分身(アバター)に過ぎない。

 精神(ガイスティ)動力(ヒクラフト)収集のノルマを課せられ、下位世界に閉じ込められて、半永久的に世界をさまよっては滅ぼしていく……」


 押し殺した声で語るヤーコプに、ヴィルヘルムが心配そうに声をかけます。


「この永遠の旅が嫌なの、兄さん?」


「嫌いではない。ヴィルヘルム、お前がいる。

 それに、人間に設定された感情であっても、小世界を巡り、観測し、分析して記録するのは楽しい。

 背徳的だとは思うが、精神動力を抜き取った世界を蒐集することも……ただ、この命令さえなければ、世界を刈り取らずに済むのに……」


 ヴィルヘルムは靴を脱いで、ヤーコプのベッドの上に乗りました。


「ボクはこの旅が好きだよ、兄さん。

 兄さんと一緒に旅をして、兄さんと一緒に世界を解析して。兄さんの蘊蓄(うんちく)を聞くことだって、本当は大好きだ。永遠にこの旅が続けばいい。

 小世界だって、本当に滅ぼすわけじゃない。元々不安定な世界なんだから、圧縮保存はむしろ自然崩壊から守ってるのと同じだ」

 

 ヤーコプは起き上がって、ベッドの横の旅行鞄(トランク)を開けました。中から圧縮した小世界『白雪姫』を取り出します。

 

 それは手の平ほどの大きさの、ガラスの棺でした。


 透明な棺はきらきら輝いて、中はよく見えません。ですが角度を変えながらのぞきこむと、そこにときおり尖塔をそなえた白亜の城や、深い森や、豪華な大広間の祝宴の風景が、万華鏡のように移り変わりながら現れるのでした。


 鞄の中には、精神動力を抜き取られて結晶化した世界が、他にもいくつもいくつも収められています。ガラスの靴、血のついた鍵、胡桃(くるみ)に入ったドレス、小さな鳥籠の中の、ぴょんぴょん跳ねながら歌うヒバリ……。


 ヴィルヘルムは、寝巻きに着替えながら喋り続けます。


「兄さんを殺した『白雪姫』なんか、バラバラにしたまま捨ててしまえば良かったんだよ。

 処置条件の『倫理的に問題がある』『子供の教育に悪い』『標準的民話から著しく逸脱している』のフルコンボなんだから」


「でも僕は、この世界が嫌いではなかった」


 ヤーコプは、ガラスの棺をためつすがめつ眺めます。


「主人公である白雪姫は、現代においてはネガティブな評価を受けることが多々ある。

 何の脈絡もなく、3回も生き返ること。ラストシーンで、継母が焼けた鉄の靴を履かされるという残酷な目に遭うのに、それに反対する描写がないこと。

 だから、白雪姫を下敷きにした二次作品では、白雪姫が人外であったり残酷な性格であったりすることも珍しくない。

 この世界の殺人者としての白雪姫も、その系譜に連なっていたんだ」


 小さなガラスの棺は、彼の手の中で美しくきらめいています。


「ここには不具合のある世界で生き抜く、人間の努力と欲望があった。善人が報われない理不尽さも、現実を反映していて愛おしい。そう、造り物の僕たちにだって愛はあるんだ。

 物語はいつだって揺らいで、変化していくものだ。

 むしろその揺らぎ、時代性や民俗性──地理、歴史、言語、宗教、慣習──あらゆる要素を反映し続け、変化し続けていくべきだ。そこに子供の教育だとか、倫理的であるだとかいった考慮は必要ない。善いものも悪いものも、ただ全てを記録して、後世に伝えていけばいい。

 僕はそれを望む」


 言って、ヤーコプはガラスの棺を鞄に片付けました。


「疲れた。ヴィルヘルム、一緒に寝よう。

 やっぱり、ヴィルヘルムに触れるのが一番癒される」


 ヴィルヘルムは笑って、ヤーコプの横に寝転びました。


「ボクもだよ、兄さん。

 本物のグリム兄弟も、すごく仲が良かったんだよね。子供のころは、同じベッドで寝てたそうだし。

 次の世界に着くまで、ゆっくり休もうよ」


 静かな世界に、シーツの擦れる音と2人の小さな笑い声が響きましたが、すぐにそれらは2人の寝息に変わりました。


 


『白雪姫』のお話は、これでおしまいです。


 次はどんなお話なのか。それを知るには、兄弟が次の世界を訪れるまで、待たなければいけません。

 

 猫がおうちへ かけていく

 それではみなさん ごきげんよう

 

 お読みいただきありがとうございました。


参考文献 

・『完訳 グリム童話集』金田鬼一訳 岩波書店

・『白雪姫(日本語)-Schneewittchen(ドイツ語)』Grimmstories.com

・『グリム童話考「白雪姫」をめぐって』小澤俊夫 講談社

・『ねむり姫の謎 糸つむぎ部屋の性愛史』浜本隆志 講談社

・『金枝篇(一)』フレイザー 岩波書店

・『グリム童話と日本民話─比較民話の世界─』高木昌文 三弥井書店

・『グリム童話の世界─ヨーロッパ文化の深層へ』高橋義人 岩波書店

・『グリム・ドイツ伝説選:暮らしのなかの神々と妖異、王侯貴顕異聞』鍛治哲郎 選訳 鳥影社

・『グリム童話における七の数字について─不運な七の出現を巡って─』野口芳子 『グリムと民間伝承 東西民話研究の地平』グリムと民間伝承研究会/溝井裕一編 麻生出版より 

・『グリムと民間伝承 はじめに』溝井裕一 『グリムと民間伝承 東西民話研究の地平』グリムと民間伝承研究会/溝井裕一編 麻生出版より

・『ヴィジュアル図鑑 魔導書の歴史』オーウェン・デイヴィス 河出書房新社


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― 新着の感想 ―
最後まで非常に面白かったです。 メルヒェンならではの設定とミステリとしての整合性を両立させるバランス感覚が絶妙でした。 トリックはあり得ないのですが、論理的に考えればそうにしかならないように作られてい…
人が作り出した二次元物語を、大樹の一葉として観察していく超次元的な兄弟、でもその超次元すらも人が作り出したモノ…というSFとお伽噺の融合が、幻想的で恐ろしくも、美しい! 略奪者を英雄にし、犠牲者を妖…
ラストまで、ミステリとしても物語としても、めっちゃ面白かったです。 密室での小人殺し、消去法的なアレでいけば、白雪姫しかおらんじゃろ、でも動機ないし、なんなん…?と思っていたら、姫の死体が戻ってるって…
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