19 あの毒林檎の王妃が
翌朝。
木の幹の中にある食卓で、兄弟はパンと牛乳の朝食を摂っていました。
「あと2日くらいで、城から王冠と王笏がやって来るんだよね。それまではみんな待つだけかあ」
ヴィルヘルムが、パンを牛乳に浸しながら言います。
「王と王子は、それぞれ使者を自国の城に遣わしている。
使者たちは単独で移動しているから、アリバイがない。彼らのどちらかが犯人である可能性はある。
その確認もしておきたかったが、脇役の現在地は探知できないのが痛い……」
「ま、予定より遅く帰ってきたら怪しいよね。
そうだ。予定通りの時間に使者が来るか、城で待っていようか。ついでに王妃の言動も見張っておくよ」
「そうだな。それでは頼む、ヴィルヘルム。
僕はここで一行の行動を監視しておくよ」
朝食を終え、着替えと身だしなみを整えると、ヴィルヘルムの姿はかき消えました。城に向かったのです。
残ったヤーコプはあちこち天幕を回って、なにか重要な話がないか聞き耳を立てていました。
ところが。
「兄さん! 大変だ!」
30分と経たないうちに、外からヴィルヘルムの叫び声が聞こえてきました。
「どうした、ヴィルヘルム? 戻ってきたのか?」
外に出てみると、城に行ったはずのヴィルヘルムが、青い顔でこちらに駆けてきます。
「王妃が死んだ!」
「──!?」
信じがたい知らせに、ヤーコプは愕然と目を見開きました。
「…………なんだって?」
「あの、毒林檎の王妃だよ!
今朝急死したって!」
ヴィルヘルムは興奮した顔で、腕をぶんぶん振り回しながら叫びます。
「そんな、馬鹿な……。
いや、すぐに城にいくぞ、ヴィルヘルム!」
普段は静かな城内が、混乱に包まれていました。
何人もの貴族がそこここで話し合い、侍女が泣き、従者が走り回っています。
「陛下はいつお戻りになるのだ!」
「葬儀は調印の後でなければ──」
「ご遺体は寝室に安置してございます。死装束を取り寄せてお召し替えを──」
情報を求めて、兄弟は城をあちこち歩き回りました。
ですが、結果ははかばかしくありません。
『今日の朝か午前中に急死した』『侍女の見ている前で亡くなった』『病気による自然死らしい』といった、ぼんやりとしたことは分かったのですが、具体的な状況までは伝わってきません。
「狩人の様子は見たか、ヴィルヘルム?」
「覗いてみたけど、普通に生活してる。
城から離れた森の近くに住んでるから、王妃が死んだことは知らないはずだよ」
「身分がかなり違うからな。
王妃の方から接触しない限り、全く接点が生じない。この事件に関係しうるか……?
王や王子も、関わるにはあまりに距離が離れている。
今日の午前中なら、王と王子の一行は、白雪姫のガラスの棺を挟んで相互監視していた頃だ」
「白雪姫が見つかったから、昨日ほど険悪じゃなかったけどね。
ガラスの棺の警備以外は、わりと監視はゆるかったと思う」
これから来るエンゲルラント国王夫妻をどう迎えるか、夫妻が城に到着するまでに王は帰ってくるのか、王妃の葬儀をどうするか──積み上がった問題をどう処理するかで臣下はてんてこ舞いです。最初の一報が『病気による急死』であったため、皆、王妃の死因を今のところ深く追求する余裕はないようでした。
「王妃の亡骸は寝室にあるんだな。
とりあえず、そこに行こう」
天蓋つきの豪華な寝台の上に、王妃は横たえられていました。
王妃はなぜか下着姿でした。豊かな金髪や美しい顔はそのままですが、肌は土気色に変わってしまっています。
それは白雪姫とは違う、本当の死者の顔でした。
「なるほど、見たところ怪我のたぐいはない。
毒か何かか?」
「お妃さま……!」
侍女たちが、寝台の横にひざまづいて泣いています。
「いつ王妃は亡くなったんだ。どういう経緯で発見されたんだ。死因は何だ」
「だから聞こえてないんだって」
ヴィルヘルムの突っ込みにも気づかずに、ヤーコプは興奮に頬を上気させながら、誰にともなく語り続けます。
「王妃は魔女だ。設定からしても、ストーリー展開からしても、ここで自然死するはずがない。
誰かが殺したに違いないんだ!」
言ってヤーコプは身を翻すと、魔女の小部屋を隠すタペストリーに突っ込んでいきました。あわててヴィルヘルムも後を追います。
ヤーコプは旅行鞄から明かりを出すと、黙々と室内を調べはじめました。
ですが、兄弟の目から見ても、特に前と違うところはありません。薬も毒も、魔法の小物もきちんと片付けられています。争った跡も、何かが盗まれた様子もありません。
「ヴィルヘルム」
ヤーコプの声音には、決意がありました。
「まさか、兄さん……」
「実体化する」
「!!」
ヴィルヘルムが驚愕した顔で兄を見ます。
「兄さん、本気!? 危険だよ!
『青髭』世界でどんな目に遭ったか忘れたの!?」
悲鳴のように、ヴィルヘルムの声が裏返ります。ヤーコプに飛びついて、その身体を揺さぶりました。
しかし、あれほど恐れていた『青髭』という言葉を聞いても、彼の決然とした表情は変わりません。
「危険は承知の上だ。
東洋のことわざにもある。虎のいる洞窟に入らなければ、虎の子を得ることはできないと」
「だからって、そこまでしなくても……。
殺人犯がいるんだ。最悪命を落とすかもしれない!」
「そこまでしなければ、この謎は解けない。
実体のないこの身体では、登場人物に質問することも、そこの引き出し1つを開けることもできない。
どうしてもこの世界で実体を得て、自分で調べる必要があるんだ。
もちろん物語への干渉は最小限にする」
「でも兄さん……」
ヴィルヘルムが眉をひそめて、さらに心配そうな声になります。
「言っちゃなんだけど、兄さんって、内向的な性格じゃない?
僕相手なら普通に話せるしむしろ話が長いけど、初対面の城の人に聞き込みをして、上手く情報を引き出すなんて器用なことができるの?」
ヤーコプの目が若干泳ぎました。
「そ、それは……。気合いで……。
ほら、僕は、人と話すのに勇気が要るだけで、実際にはちゃんと喋れているらしいから。多分何とかなるいやそうであって欲しい」
「命の危険の話をした時より動揺してるけど?」
ヤーコプは優しく弟の両肩に手を置き、かがんで目の高さを合わせました。
「ヴィルヘルム、実体化の時に設定も追加してくれ。
『ヤーコプは内向的だが独特の魅力があり、相対した者はつい本当のことを言わずにはいられない』と」
「なんか急にズルのおねだりをしてきたよ、この人」
思わず半眼になって、兄を眺めるヴィルヘルムでした。
「それなら、ボクも実体化するよ」
「!?」
ヤーコプが目を見開きました。
「駄目だ!
僕が危険にさらされるのは構わないが、お前が危ない目に遭うのは耐えられない!」
「それはボクも同じだよ。
だいたい、事件は小人の家とこの城と、遠く離れた2ヶ所で起こってるんだ。二手に分かれて捜査しないといけないんじゃない?」
「それなら、僕1人でもできる。
いずれ王の使者がこの城に到着する。そうすれば、こちらから王冠や王笏、その管理者、護衛の騎士、王のための食料や着替えや──要するに家来が大挙して王の元へ向かう。
その一員に紛れ込めば、城と小人の家の両方を捜査できる」
「でも……」
「小世界の情報収集は僕の仕事だ。
ヴィルヘルム。お前の仕事は、僕が入手したデータを俯瞰的に判断し、適宜操作すること。
そして、僕の受けたダメージの回復。
ここでお前も実体化してダメージを受けたら、結局共倒れになってしまう」
ヴィルヘルムは、下を向いて、唇をかみました。
「……分かったよ、兄さん」




