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愛しています、死んでください。  作者: 賀田 希道
停滞トランジット
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エピローグ

 白い病棟、清潔な空間、白い制服を着た医師や看護師とすれ違う廊下をレアリティ・トゥルク・オールレアは歩いていた。アレンジメントされた色とりどりの花々のブーケを抱き抱え、かすかに鼻腔をくすぐる消毒液と花の香りに彼女は微笑を浮かべる。


 慣れ親しんだ豪奢なドレスではなく、清貧そうなイメージを抱かせる地味目なブラウスとロングスカートを着ている彼女はその美貌と流線的な肢体にさえ目を瞑ればどこにでもいる町娘のように飾り気がない。だがやはり世界は残酷、世界は不平等であり、紅いポニーテールの炎髪をたなびかせる美女を前にすれば10人中10人が彼女に対して振り返ってしまう。


 ああ、やはり世界は不条理だ。世界は人間には優しくない。数多の巨匠が美を求めたとて、それは人類の美の到達点に過ぎず、すべからく人外の美の極地には及ばない。どれほど色合いに対しての表現を、美辞麗句を並べ立てようと一度その場に現れた天使とも悪魔とも死神とも称される彼女が目の前に立つだけで芸術観が壊れる。


 清貧的イメージを抱き、うら若き乙女を演じている彼女は確かに美麗である。穢れを一切知らず、異常なまでに犯しがたい。触れれば薄氷の如くあっさりと崩れそうな嫌いがある。だがあまりにも冷ややかで目先のこと以外に興味がなさそうな瞳を見ればわずかにだが描いていた彼女のイメージにヒビが入った。


 「ヘルガ君、お久しぶり」


 院内のとある部屋の扉を開け、レアリティは朗らかな笑みを浮かべた。その声に反応して病室の一角に寝ていた少年が顔を上げた。彼以外に病室内に人はいない。意図的に人払いがされ、室内には澄んだ空気が流れていた。それもこれもすべて少年の瞳を他の人間に見させないためだろう。


 レアリティが部屋に入り、声をかけたと同時に少年の両眼が爛々と光り、螺旋を描いた。赤、青そして緑の螺旋はどう見たところで日常的には迂遠にすぎる色であるし、彼の事情を何も知らない人間からすれば青い肌の人間を見るよりも気持ちが悪いことだろう。


 当の本人も瞳が気持ち悪いだろうことは自覚しているのか、自嘲気味な笑みを浮かべていた。それでも自分の来訪をことさら喜んでいるようでその笑みには温かみが感じられた。彼の笑顔を見てレアリティは心が安らぐように感じられた。有り体に言えば保護欲が満たされた。


 「体の調子はどうかしら。折れた左手はもう大丈夫?」

 「なんとか、ね。折れ方がよかったみたいでもうあと一週間もすれば動かせるようになるって」

 「それは良かったわ。でもこれからはこういうことはしないでね。君の体はどこまでいっても人間なのだから」


 事実を突きつけられ、少年は表情を暗くさせた。彼のなんとも言えない表情を見ていると罪悪感を感じてしまう。しかし罪悪感は必要だ。これから先、彼を巻き込むことがないように努めるためにも。


 「僕はレアにとってお荷物?」


 「そうね、多分。ヘルガ君の両眼も右手もすごく便利。それこそジョーカーみたいに盤外から使うことだってできる。でもジョーカーは盤外にいた方がいいの。存在するだけで場を引っ掻きまわすだなんて迷惑千万ですもの」


 「結果的にハッピーエンドが迎えられるならそれでもいいと僕は思うけどね」


 「ダメよ、ダメ。結果的にハッピーエンドなんてこの世にはないもの。常にベターエンド、常にグッドエンド。すべからくこの世にハッピーなんてものはない。ほとんどの物語の終わり方はビターエンドよ」


 レアリティは窓の向こうへ視線を走らせた。見ているものは窓だが、彼女はもっと遠くを眺めていた。スピネルにも例えられる紅玉の瞳を潤ませ、もの悲しげにため息をつく彼女を少年は気遣ってか、声をかけた。


 「僕にとってのハッピーエンドはいつだってレアが生きてることなんだよ。それ以外のエンドはないし、それ以外のエンドは想像できない。ああ、想像できないとも」


 「嬉しいわ。長い間この世界に存在しているけど、誰かに想われたことは初めてだし、初めての真摯な告白を受けた時、心は揺れ動かされた。シェイクスピアのロミオとジュリエットを生で見た時は人間の心ってわからない、と思ったものだけど存外恋に落ちてみるのも悪くはないのかもね」


 もちろんそんなことはありえない。目の前の少年に恋すること、愛することはレアリティにとってありえないことだ。大事な存在、守ってあげたいとは思うし、極力彼に傷ついてほしくはないとも思っている。だがそれは恋慕ではなく、庇護欲と保護欲が入り混じった歪んだ母性とも呼ぶべき代物だ。人間を堕落させ、歪ませ、体から生気を奪う恐るべき欲だ。


 レアリティはそんなヘルガ・ブッフォを望まない。そんなヘルガ・ブッフォは見たくない。ことごとく彼に対する感情は彼を堕落させ、人間としての正道から外させる。今こうして喋っていることすら正道を外すよう誘導しているようなものだ。本来ならば自ら堕ちた魔術師や元々堕ちている超能力者でもない人間が死神と称され、自称するレアリティと会うことすらスロットでジャックポットを当てるような確率であってはならないことだ。


 まして彼女自ら、無意識にとはいえ目の前の少年を自分達の領域に堕としてしまった。それは一生をかけても償いきれない彼女の罪だ。体を切り刻まれ、力の大半を今なお失ってしまっていることは罰にすらならない。


 「——ヘルガ君。また来るわ」


 さようならとは言わなかった。手に持っていたブーケをベッドの隣にある机の上に置き、レアリティは病室から出ていった。


✳︎


 病室を出ていく美しい彼女、その後ろ姿は()()()()()()()物悲しさを感じさせた。なぜそう思ったのか、と問われればドヤ顔で愛ゆえに、と答える自身がヘルガにはあった。それくらい彼はレアリティのことを知りたかったし、知っていた。


 そして彼女と入れ替わりに長身の神父、アルバ・カスターが現れた。左腕を骨折し、その他体のあちこちに包帯を巻いている彼と同じくらいアルバもボロボロだったが歩くことに支障はないようで軽快な足運びでヘルガのベッドの隣まで歩いてきた。


 ヘルガの両眼を一瞥し、アルバはつぶやく。


 「その眼、どこまで見える?」

 「ほとんど何も。全く引っ込まないし、ずっと痛いよ」


 絶えず視神経に激痛を走らせる両眼を忌々しく思いながらヘルガは吐き捨てた。デイルアート市から生還し二週間と少し、初めは夜も眠れないくらい痛くて痛くてたまらず、もうこのまま眼を潰そうかと思ったほどだったが10日も経過すれば自然と痛みには慣れ始めた。痛いことは変わらないが、慣れれば日常生活に支障はない。


 ただ唯一、常時瞳が三色(まだら)の螺旋を描いていること以外は。初めて鏡で見た時、ドラッグのやり過ぎで乱離骨灰となった人間でももうちょっとマシな瞳の色をするだろうという感想しか出てこなかった。


 「前にも話したかもしれんがその眼は一種の暴走状態になってんだろうなぁ。おそらくだが世界一つの形を捉えた反動だろうな。いくら『異能殺し』といっても世界一つの形を捉えたとなればそれは埒外の話だ。あれだ。人間が耐えられる限界のGを浴びたら死ぬこともあるだろ?あれと同じだ」


 「アルバの例えはなんかわかりにくいのばっかだね」


 「そりゃ悪かったなぁ。オレはお前らみたいに電子板ひとつで世界の裏側のやつと通話できる時代の人間じゃぁねぇんだよ。電話交換手って職業がまだあった頃の人間なんだよ。これでもおじさんは文明の利器には熱心な方だぜ?」


 もうおじさんって歳じゃねぇだろ、とツッコみたくなったが、口には出さなかった。言ったら言ったで面倒なことになる未来しか見えなかった。


 「——前までは少しは見えたんだよなぁ」

 「そうだよ。でも今はもうダメ。視点を合わせるよりも早く黒が世界を侵食してく。それと以前にも増して殺意が溢れてきてるんだ」


 「その結果がこれ、か」


 アルバが指を弾くと黒い炎が出現した。炎はヘルガの右手へと落ちていき、触れる手前でガラスの破砕音と共に消え去った。


 「常時右手が機能している状態、か。こりゃ面白いな。どういう仕組みなのかすっげー気になる」

 「僕の腕、切断したりしないよね」

 「してほしいか?」

 「やめてよ。僕の利き手は右手なんだから」


 そんな冗談めかしたことを口にするが、アルバの眼だけは本気だった。もう一生レアリティの姿が見えないのならばその選択も悪くはないのかもしれない。例えば眼だけを差し出し、右手の力が消失するのならばそれはヘルガが真人間になったことの表れだ。視力を永久に無くす、というリスクはあるが少なくとも痛みからは解放されよくわからない右手ともおさらばできる。それも右手の力がなくなれば、の話だが。


 もう拝むことができない女性を求めるよりも新しい恋を、新しい愛を求めるのはきっと賢い。己の劣情と下半身のうずきだけを頼りに生きるのならば満点の回答に他ならない。どうせ実りのない恋路だ捨ててしまえ、と人は言う。だが待てよ、僕。


 決して手に入れられないものを手にすることほどのロマンはない。へクスもきっとそのロマンを理解していた。ドッペルゲンガーだとすら思える彼女、彼女は叶わないと知っても自分の恋路を突き進んだ。ノーを突き立てたのはまごうことなきヘルガだが、やはり同類同士だからか、進む道に大差はなかった。


 ——求め続けるしか道はない。進み続けることでしか少年は自己を保てない。自分が自分たる確固たるアイデンティティを確立させ続けるためにヘルガ・ブッフォはレアリティ・トゥルク・オールレアを求め続けるしかなかった。


 「それでどうする?これからも彼女と、レアリティと接する機会はあるだろう。その都度お前ぇは苦しむぞ。厄介な女に恋をしたなぁ」


 「見える。視えているよ」


 「影法師を愛するってのか?オレには理解できねぇ。なんでそんな茨の道を行く?」


 「僕は所詮そういうことでしか自分を確立できない。記憶の中の彼女にすがるしかないんだよ」


 それは絶対原則。ヘルガ・ブッフォがあの日自分を見つけた時に初めて気づいた彼の本能とも性格とも呼ぶべき呪いだ。


 「僕はレアを愛してる。それはきっと長い人生で永遠に」


ついに、第一章完結!長かった!ここまで読んでくれた方には感謝申し上げます!この先も「愛しています、死んでください」は投稿し続ける予定ですので、末長くお付き合いくださると幸いです。次章のタイトルは「黄昏デカダンス」です。


次話投稿は8月22日19時を予定しています。

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