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二話

  

 表彰式の後、「佐々木君!」と、呼び止められた。

 戸田隼人が笑みを浮かべ、手を差し出している。

 一平は握手して優勝者を称えた。


 「否、今日は俺の完敗っす」と、戸田は応えた。


 二人は歩きながら話す。

 「逆胴には参ったぜ。胴体を叩き切られたって感じだ」

 「でも、一本にはなんなかった」

 「……何で一本になんなかったんだべ?」

 「そりゃ、僕の方が聞きたい」


 戸田は屈託ない。

 「又、やりたいっすね。それまで、このカップ預かりってごと」


 一平は気さくで磊落なチャンピオンに好感を抱いた。

 「今度は日本選手権で」


 戸田が肩を竦めた。

 「俺は、日本選手権は駄目なんよ。昇段をサボってたんで、段が中ボウの時のままなんだ。

 日本選手権って、五段以上で無いと出場資格が得られない規約になったんでしょ」


 「戸田君は何段なの?」

 「初段っす」


 一平は絶句した。毎年昇段したとして四年はかかる。


 「段に興味が無かったのが祟っちゃった」

 「最強の王者が日本一に挑めないなんて」

 「君には言われだくねえって。今日はマジに完敗。真剣なら二回以上は斬られてる」


 一平は苦笑した。

 「僕の師匠が言いそうな台詞だ」


 「美田村先生に?」

 「美田村を知ってんの?」

 「高校の時、福島の富岡の道場に先生が来訪されて稽古をつけて頂いたんだけど。少々天狗になっていだ俺は先生にボコボコにされちゃった。ありゃあ、メッチャ怖がった」

 「今でも十分怖いよ」一平は笑った。


 「間近に見ると、君は本当にカッコいい。女子部の間で佐々木一平ファンクラブがあるらしいげど、……」

 「君こそ、戸田剣道ファンの会があるって聞いてる」

 「ズンドウクラブなら分かるけど。ビジュアル的に無理だべ」

 「何っすか、そのズンドコって言うのは?」

 「ズンドコじゃなぐて寸胴。胴長短足って意味」


 二人は和気藹々、知己のように話しながら、控え室に向かっている。


 「富岡って福島の何処にあんの?」

 「浜通り」

 「じゃあ、南相馬の大悲山道場って知ってる?」


 戸田は目を丸くした。

 「知ってるも、俺の師匠の師の鈴木七郎大先生の大道場だ。時々出稽古をさせてもらうげど・・?」

 「ある人のお供で、その大悲山に暫くの間滞在しなくちゃならない羽目になったんっす」


 「んじゃあ……合わせて俺も行きますよ。佐々木君とは一緒に稽古をしてみたがったし……」

 「そりゃ、願ってもない。戸田君との申しあいは逃せない」


 「君と大悲山道場で会うのは楽しみだ」

 戸田隼人は大悲山での再会を約した。




 帝応大指定の控え所に入ると、拍手で一人一人の選手を迎えて、今日の健闘を称える。

 帝応大は男子団体戦三位、男子個人戦準優勝、女子個人戦三位、団体戦四位入賞と大健闘だった。


 控え所の雑多な人々が行き来する中、チーム・マネージャー時田が叫んでいる。

 「帝応大剣道部!打ち上げ会は七時、新宿北海食本舗二階です。遅れないで下ださーい!」


 着替えを終えた一平の肩をたたく者が。振り返ると師の美田村義之が微笑んで立っていた。

 一平は息を呑んだ。「先生どうして?」


 「大会の審判を仰せつかってのう、ずうっと陰ながら試合を見とったよ」

 「全然気付きませんでした」

 「今日は素晴らしかった!百合ちゃんも女子で優勝したし、わしにとっても、三島武錬館にも最高の日だった」

 「僕は決勝で負けちゃったけど……」

 「冗談はよしこさん。あれはお前の完勝じゃ。鮮やか過ぎる左胴に吃驚らこいて審判がトチ狂ったとしか思えん」

 「品の無い行為と、御叱りを受けました」

 「笑わしちゃ遺憾。剣を落とされて地面を這いずり回る方が、よほど品が無い」


 美田村は言った。「真剣ならお前は少なく見ても二度は戸田を斬っとる」


 一平は可笑しさがこみ上げてきた。「戸田君も言ってました」


 「隼人が?」

 「高校時代、先生に苛められたって」

 「奴は当時からまるで爺のような小狡い剣を使いよったので、前途ある少年のためにグシャグシャに打ち据えてやったんじゃ」

 美田村は得意げだ。


 「彼の今日在るのは、先生のお陰でもあるんですね」

 「あの小狡さは変わっとらんがな」


 「大悲山行きの件を話したら、吃驚してました。彼も道場に来るみたいです」

 「富岡至誠館が親子道場だからな。至誠館の佐藤勉君は大悲山の七郎大先生の愛弟子なんじゃ」


 師は徐に言った。

 「大悲山行き、すまんな。本来ならわしが行かなくちゃならんのだが、……。牧野先生は大恩ある方なんで、宜しく頼む」


 「知れば知るほど、牧野先生ってスケールがデカ過ぎて驚きっす。お供して僕は一体何をするんですか?」


 美田村は話し始めた。

 「我等は先生をライオンさん等と呼んどるが、彼はあらゆる国の言語に精通し、科学から、芸術、哲学等に至るまでその博覧強記ぶりは桁違いで、知る人ぞ知る天才中の天才じゃ。ちっとばっかプレイボーイだがな」


 「プレイボーイ?」

 「女にちっとだらしない」


 一平はホッと溜息をついた。「共通点が見つかったりして」


 「それがだな、今年の夏、故郷の山野を昔の記憶に沿って辿ってみると言い出したんじゃ」

 「何のためにですか?」

 「彼の独創的発想は、全て故郷の山野での特異な体験から来ていると、何かに書いとった。因みに、知り合いのかぶれもんが、あの辺は日本でも有数の霊的ゾーンとか言っとる」


 「霊的ゾーン?」

 「大悲山を始めとして神社仏閣、野や山に至るまで随所に奇妙な言い伝えに彩られてはいる。ま、ライオンさん、七郎先生と言い、あそこはスケールも弩外れてはおるがな」

 「牧野先生は、今、何をしているんですか?」

 「一応は京都の大学の客員教授なんじゃが、本人は自らを魔法使いとか錬金術師などと吹聴しとる」

 「魔法使い?錬金術師!」


 「それがじゃな、皆が心配しとるのは、山野の散策中に倒れて救急車で運ばれたことがあったらしい」

 「待ってください。もし僕のお供と言うのが事故に備えての救助要員でしたら見当違いっす。専攻は歴史ですし、取り柄は剣道ぐらいなので、いざとなった時の助けには……」

 「お前は、その当てにならん何とか遺跡のフィールドワークとかの経験もあるし、野歩きではわしよりよっぽど頼りになるはずじゃ」何時もながら美田村は強引だ。


 一平にとって、美田村は師匠と弟子という関係だけでなく、亡き父の親友でもあったので、多分に父親にダブらせている。

 美田村もまた一平を息子のように慈しんできた。


 「立ち入った質問をしてもよろしいっすか?」

 「お前は何時も十分に無遠慮じゃ。ほれ、荷物の整理をしながら」と、道具や荷物着の整理を一平に促した。

 「その……先生の受けた大恩って?」


 「十年前死んだわしの親父、お前も知っとる前館長が五十台で不治のアルツハイマーの宣告を受けたんじゃ。その時、親父が剣友として親交のあった大悲山の七郎先生が苦境を見かねて、ライオン先生を紹介して下さったんよ。で、さほどボケる事無く。無事往生する事が出来た」

 「アルツハイマーを克服?」一平は荷物整理の手を止めていた。

 「わしは東体大に在学中だったので、そのまま親父がボケて行ったら、四百年以上続いた我が武錬館の力信流も潰え果てていた」


 美田村は、我に返ったように言葉を締め括った。

 「それでじゃ、お前の特急の指定券と、ライオンさんに渡してもらいたい手紙と古本があるので、お前のところの剣道部マネージャー君に頼んでおいたから受け取ってくれ。とにかく、今日は頑張った。わしも鼻が高い」

 師は行きかけてから立ち止まり、「お前の面倒を見てくれている、何と言ったかな?絵描きの先生」


 「恵子ママですか?」

 「そのママさんは……お前の大悲山行きについて、何か言ってなかった?」

 美田村は聞き難そうである。


 「そう言えば、恵子ママは小学時数年間、大悲山の小高町で暮らした事があるそうです」

 「小高に?」

 「恵子ママのお父さんが相馬の小高生まれの有名な画家で、家系が歴代の藩のお抱え絵師だそうです。七郎先生、牧野先生と幼なじみと言ってました」


 美田村は唸った。「お前は南相馬に縁があるんかも。・・わしの勘では、あの辺りとお前には何かが在るな」

 「先生の勘は当てにして良いんですか?」


 師は笑った。

 「当てにはならん。……で、お前に連絡する時は、その先生の所でいいのかな?」


 「はい、相馬に行くまではママのアトリエの方にいます」

 一平は美田村を武道館の正面口まで見送った。


 師は奔放な噂のある、親子ほど年上の女性と一平が付き合っているのを好ましいとは思っていなかったし、半同棲の現況を憂慮しているのは明らかだった。



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