序文・プロローグ
これは嘗て東北の楽園と謳われた南相馬地方とその人々へ捧げる慟哭の鎮魂歌である。
未曾有の東日本大震災と、壊滅的な津波を被った上に、人災と呼ぶべき原発事故の猛威に為す術も無く全てを失った南相馬。
失われたのは人や物だけでなく、連綿と伝えられて来た彼の地の貴重で偉大な魂の記憶でもある。
[序文]
誰しも、今在る状況や光景に以前、あるいは昔に遭遇した経験が有るという確信に突然襲われる時がある。
既視現象と呼ばれる感覚、しかしながら我々は何時それを経験したのか見当もつかず、僅かな不安と共に日常生活に流しさってしまう。
我々はつね日ごろ当たり前のようにデジタルに物事を忘れては新しく記憶する行為を重ねているが、振り返ってみると何一つ確実性が無いのに慄然とする。
現代脳医学による分析では、人間の脳の情報収集能力および収容能力は無限と言えるほどの膨大な許容量を有しているが、脳の視床下部が収集蓄積されている情報を統合整理し直し、とりあえず生活に必要な厳選された極めて限られた情報のみが記憶として引き出されると言うことである。
そこで言えることは経験した事は全て記憶されてはいるが思い出すことのできるのはほんの僅かでしかないという事実であり、ほとんどは潜在記憶にとどまって無意識として存在しているらしいのだ。
ところが脳が適切でないと判断されてしまったはずの記憶が何らかの脳の手違いによって引き出されると、つまり非常識的な世界が間違って顔を見せると、事実の如何を問わずたちまち忘却のかなたに追いやられてしまい、辻褄の合わない夢や幻想として消えていってしまう。
人は創造することなど何一つ無い、ただ思い出すだけと言う。
人は全てを知っている、ただ思い出さないだけとも言う。
早朝五時。常磐線に乗るのは十八年振りだ。
乗車前に地震があり、始発である指定車の発車時間が三十分遅れとなった。震源地はこれから向かう福島の太平洋岸とある。
東日本大震災以来、天災人災が各所で頻繁に起きているが、大天変地異の前兆であろうか?
電光掲示板にニュースが流れる。
【新たな惑星発見か?しかも、地球の双子星】一平は足を止めた。
【南相馬、復興の力強い槌音。災害原発の跡地が自然力発電所の特別地区として指定】
【日本の領土問題に関する米国の不介入通告に伴う事項。日本政府は近隣諸国による日本領土切り取り分割の平和的対抗策として、近隣諸国に資金援助を倍額に議決した】
暫し、目を奪われていたが、一平は我に返ったように首を振った。
今日日、正体不明の錯綜した情報がごまんと氾濫している。
いわき行きの特急指定座席に座り、微かに霧が靄っている構内を見ていると、フェアリイテールの化石のように眠っていた思い出が鮮やかに蘇ってくる。
(あれは夏の早朝だった)