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第1章:理系学生、経済に触れる【結】


窓の外では、武蔵野の面影を残す木々が夕闇に溶け込み、書斎のランプの明かりがモニターの数字をいっそう鮮やかに浮かび上がらせていた。


 ボクは、今日一日で書き殴ったノートを見返した。


そこには、生物学の講義で取るような整然としたスケッチの代わりに、マクロ経済の循環、企業のバリュエーション、そして複雑なオプション価格の数式が、細胞のシグナル伝達経路のように矢印で結ばれていた。


「……結局、経済も『生き物』なんだね、おじさん」


 ボクがそう呟くと、叔父は最後の一口のコーヒーを飲み干し、深く椅子にもたれかかった。


「そうだ。それも、何十億という人間の欲望と恐怖が、複雑なフィードバック・ループを形成している巨大な生命体だ。VIX指数が19.07という今の数値は、一見すれば平穏に見えるかもしれない 。でも、その裏側では、0DTEのような超高速の適応を遂げた新種の取引が脈動し、見えないところでストレスが蓄積されている 」


叔父は立ち上がり、本棚から一冊の分厚いリポートを取り出した。


「エコノミストが環境を読み、アナリストが個体を調べ、ストラテジストが生き残るための戦術を練る 。君が今日学んだこの三位一体の階層構造こそが、市場という過酷な生態系でホメオスタシス……つまり恒常性を維持するための知恵なんだよ 」


「明日からは、もっと具体的に『環境』の話をしよう。まずはエコノミストたちが血眼になって追いかける、経済の『血流』と『体温』……GDPやインフレ、そして金利の正体についてだ 」


 叔父の言葉に、ボクは小さく頷いた。


玄関を出ると、夜の風は驚くほどひんやりとしていた。


 駅へ向かう道すがら、ボクは無意識にスマホの画面でVIXのリアルタイムチャートを開いていた。19.07。その数字が、暗闇の中で静かに、しかし力強く拍動しているように見えた 。


 理系生物学科の学生として過ごすボクの日常に、今日、もう一つの新しいレンズが加わった。

 社会という巨大な実験室の中で、ボク自身もまた、その「心拍数」の一部を担う観察者になったのだ。


翌日からの講義――いや、叔父との「対話」が、ボクのこれからの4年間を、そして世界の見方を根底から変えていくことになる。その予感を抱きながら、ボクは夜の住宅街を歩き続けた。


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