岐阜編第二話:秋風の高速路と、郡上の風に包まれて
Z900のエンジン音は、秋晴れの空と相まってまるで旅そのものの旋律のようだった。
パニアケースに詰め込んだキャンプ道具の重みが、リヤサスにしっかり乗っているのを感じながら、自然と背筋を伸ばした。
「そういや……奥美濃ってのは初めてだな」
ヘルメット越しに漏れた独り言は、排気音に掻き消された。
午前十一時を過ぎた頃、郡上八幡ICで高速を降りた。標識の文字が「郡上八幡」となるだけで、胸の奥が少し高鳴る。歴史の町、そして水と踊りの町。ツーリングマップルに赤線を引いたのは一週間前だが、心はもう数年前からここを走っていた気がした。
「また腹が減ったな……やっぱりあそこで昼にしよう」
旧市街にバイクを停めると、Z900のエンジンのアイドリング音がやけに響いた。
やって来たのは『そばの平甚』。調べて気にはなっていたが、そこはソロならではの気楽な旅、寄るか寄らないかは当日決めようと思っていた店だ。築百年超の町屋を改装した老舗蕎麦屋で、地元産の蕎麦粉と名水を使ったそばが名物だ。
「いらっしゃいませ、バイクで? 今日は良い天気ですねぇ」
女将の笑顔が柔らかく、疲れが一気に抜けた気がした。
注文したのは『飛騨牛自然薯ランチ』
店は混んでいたが、割と早く提供された。
まずは蕎麦を何もつけずに2本ほど口に入れる。蕎麦は太めで、しっかりとした歯応えがある。噛むごとに蕎麦の香りが鼻から抜けてくる。
いい蕎麦だ
次は蕎麦つゆに浸けて一口、蕎麦つゆも変な後味が残らず旨い。もう一口、もう一口と蕎麦を啜る。そして、昔から大好きな自然薯。この自然薯と蕎麦の組み合わせがまた最高。蕎麦に自然薯を絡めて食べると、最強コラボ。
蕎麦に夢中で存在を忘れていたが、飛騨牛丼は肉が柔らかく、しつこくない味付けだ。
「飛騨牛うまっ」
思わずこぼれた声に隣を通った女将がクスッと笑う。
意外だが薬味のわさびが思いのほか美味しく、爽やかな辛さが蕎麦の香りをひきたてて旨かった。
「こりゃ……嫁にも食わせてやりたいな」
思わず呟くと、奥の席にいた年配の男性がニヤリとこちらを向いて言った。
「うちの孫はここに来ると『水が違う』って言うんだ。ガキのくせに生意気でな」
男性の声に笑いながら、蕎麦を啜った。遠くにいる家族のことが、ふと胸をよぎる。
満足だぁ…
食後は郡上八幡の町並みを歩く。郡上八幡城の麓、「やなか水のこみち」では、玉石を敷き詰めた道とその脇を流れる水路、柳の並木、風情を感じさせる大きな家屋敷が、町なかの一服の清涼剤となっている。観光客が足を止めては写真を撮っていた。水は透き通り下がはっきり見える。
この景色、なんともいい感じ。俺好みだ
こうして一人の時間を噛みしめる旅は、育児や仕事に忙殺される日々の裏返しかもしれない。
けれど、ここで一息つくことで、また明日からの生活に背を向けずに頑張れる。まぁ俺一人でこなしているわけではないんで、多少の罪悪感はあるが…
午後二時、Z900のセルを回し、郡上を後にする。
目指すは『ダイナランド ベースキャンプ』、なんでも冬はスキー場をやっていて夏場はキャンプ場らしい。標高も高く、景色がいいらしい。
期待しかないな
郡上から北上すること40キロ。国道156号線は長良川に沿った比較的平坦で信号も少なく走りやすい道だ。国道から分かれたらゲレンデ・キャンプ場方面へ登る。標高1,000m付近まで一気に登るため、ワインディングが続く。
やっぱこういった道を自分のペースで走るのが最高だ。ソロの醍醐味の一つだろ。
1時間程走ると目的地に到着した。
チェックインを済ませ、オートサイトにZ900を滑り込ませる。
荷下ろしの途中で、思わぬハプニングが起きた。
インナーテントを広げていた際に、突風が吹き、思わず飛ばされた。
「うわっ、待てコラぁ!」
慌てて追いかけようとして足を引っ掛けてしまい派手に転んだ姿に、隣サイトの家族連れが大笑いした。インナーテントは20メートル程飛ばされたが何とか回収して戻ってきた。
母親らしき人が声をかけてくれる。
「うちの息子も昔、初めて一人で張った時に飛ばしてましたよ」
見ると、小学生くらいの男の子が、嬉しそうにこちらに手を振っている。
恥ずかしさで思わず笑って、手を振り返した。
「なんとか怪我もせずに済みました。今日はよろしくお願いします」
張り直したテントが無事完成すると、ひとまず椅子に腰を下ろして。
プシュッ
冷えた缶ビールを一気に流し込む。
「かぁーっ……チョーうめぇ」
軽く汗ばんだ身体に冷えた液体が心地いい。なにより遮蔽物のない広々とした立地、正面の綺麗な山々の景色が相まってより一層ビールが美味く感じる。
夕食は、地元のスーパー「バロー八幡店」で買った『鶏ちゃん』と地酒『三千盛』の純米酒そして飛騨高山のクラフトビール。
スキレットに乗せた鶏肉から、にんにく味噌の香りが立ち上ると、腹の虫がもう抑えきれないと主張してきた。
「ヤバい……ニオイでビールが空になる……絶対旨いやつだ」
はやる気持ちを抑えつつキャベツと共に焼いた鶏肉を口に頬張る。
「うまい……やっぱ岐阜の味は素朴で、ちゃんと芯がある」
次にビール…が空になっていた。慌ててクラフトビールの栓を空け喉に流し込む。
「えっなにコレ、フルーティーって、んっ? ジャスミン!?」
ラベルを確認すると確かにジャスミンを使ったエールのようだ。
「面白いけど鶏ちゃんとスッゲー合う。どっちも旨すぎ」
鶏ちゃん→ビール→キャベツ→ビール→鶏ちゃんの無限ループだ。いくらでも食べられる、呑める。まさに至福の時だ。一口ごとに、地元の空気が体に染み込んでいくようだった。
一息付くと焚き火の音、遠くに見える町の光、そして星空。
そして思い出す。
この旅の目的は、ただの癒しや脱日常だけじゃない。
誰かに語りたくなるような“時間”を、自分自身で作ることなのだ。
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