第48話 栄光 その2
城の正面玄関脇には大急ぎで引き出されてきた馬車があり、こちらもかろうじて間に合った護衛の騎士たちが馬に乗るところだった。カイルとリュシェンヌが馬車に乗るとすぐに動き出したので、放り込まれるように乗り込んだリュシェンヌは座席から転げ落ちないように慌てて座りなおす。カイルの横顔を思わず眺めていると、不意に彼がこちらを向いて軽く口づけをしてきた。慌てるリュシェンヌを見て笑っているようで、腹が立ってきた。
「いきなり行っても父がどうするかわからないわよ」
「誠意をもって申し込むだけだ。まあ、さすがに断らないだろうと思うけど」
さあ、どうだろうとリュシェンヌは考える。父は表舞台から退いているとはいえ、兄たちが武官と文官として重用されているのだから、これ以上目立ちたくないと思うかもしれない。なにせカイルと結婚ということは王妃になるということだ。父本人はどう考えていても、これではリード家で新王を囲い込んでしまうように見えるから、周りがうるさく言って放っておかないだろう。ましてこれまで結婚どころか付き合っているような事実もなかったのだから、両親の受ける衝撃を予想して嬉しいどころか気が重くなってしまった。
アーチボルトが先ぶれをしたので、屋敷の玄関ホールには両親と執事、主だった召使たちが勢ぞろいして出迎えていた。皆が大急ぎで揃ったのが目に見えてわかり、いったい何を言いに来たのかと不安も感じている様子だった。二人が入っていくと父である侯爵が進み出る。今のところ父の態度は落ち着いて見えた。
「侯爵、久しぶりだな」
「殿下、わざわざお越しいただき光栄に存じます」
「突然ですまない」
「はい、ダガード殿からお話があるとは伺っておりますが、お仕事の事でしたらこちらから参りましたのに」
そこでカイルはリュシェンヌの手を取って自分の隣に立たせる。彼女の手に口づけしてから、はっきりとした声でこう言った。
「リード侯爵、今日はお願いがあって伺いました。どうか私とリュシェンヌ嬢との結婚を認めていただきたい」
そこにいる全員が固まる。
(そうよね…)
リュシェンヌは再び心の中でつぶやいた。
「あ、あの、け…結婚とは、誰と誰が?」
さすがに父も驚かされてしどろもどろになっている。カイルは落ち着いて続けた。
「リュシェンヌ嬢と私のです。侯爵、できれば二人だけで別室でお話したいのですが」
「ああ、はい…それではこちらへどうぞ」
父は何とも言えない表情でリュシェンヌの顔を何度も振り返りながらカイルを応接間に案内していく。執事のシェルドンがハッと気づいて、慌ててついて行った。
リュシェンヌを含めそこに取り残された全員が動き出すまで、かなりの時間がたったような気がした。真っ先に動いたのは母で、いきなり両手でリュシェンヌの肩をつかんで叫びだす。
「リュシー、リュシー!まあ、あなた!なんてこと!」
「お、お母さま、肩が痛いです。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか!ええ、リュシー、いきなり殿方を連れてきて、けっ、結婚だなんて、しかもあなた、お相手が…」
混乱した母にガクガクとゆさぶられてしまう。
「そうなんですけれど…私もまさかこうなるとは思ってなくてですね。驚かせて申し訳ありません」
母が手を額にあて、わかりやすく倒れそうになったので周りにいた女中たちが慌てて支えに来た。とりあえず母を長椅子に座らせると、水を持ってくるように言う。ここまで来ると反対にリュシェンヌは開き直って、まるで他人事のような気になってしまう。
気息奄々といった風情の母が、水を飲んでようやく人心地がついたようだ。リュシェンヌの方に手を伸ばしてきたので、傍らにかがみこんでその手を取る。
「リュシー、本当なのね?あなたは…大丈夫なの?大変な立場になるのよ」
母が心配してくれるのがありがたかった。リュシェンヌが一般的な貴族令嬢としての暮らしを嫌がっていることを理解しながらも、それでもなお、令嬢として恥ずかしくないようにと精一杯の教育を与えてくれた母が、王妃というとてつもない重責を担おうとしている娘を心配してくれている。
「はい、お母さま。私はカイル殿下を心から愛しています。妻として殿下を支えていきたいと思っております」
母の目を見てはっきりと言う娘に、初めて母も笑顔になった。リュシェンヌを抱きしめてささやくように言う。
「おめでとう、リュシー。これほど嬉しいことはないわ。こんな幸せをくれてありがとう」
「お母さま…ありがとうございます」
召使たちも口々に声をかけてきた。
「お嬢様、おめでとうございます!」
「素晴らしいことですわ、本当におめでとうございます」
アンナはもう泣き出してしまって、声も出せないようだ。リュシェンヌも胸がいっぱいになって、アンナと抱き合ってしばらくじっとしていた。小さいころを思い出す。私塾に行くのにアンナの名前を借りたこと、お転婆なリュシェンヌがいつも心配をかけたこと。
その時奥から足音が聞こえ、カイルと父が戻ってくるのがわかった。カイルはリュシェンヌに気づいて、笑顔を見せる。若い召使たちが小さくどよめくのがわかった。リュシェンヌは心の中で苦笑いするしかない。全くこの人は自分の容姿が女性に与える影響に無頓着なのだから。
「リュシェンヌ、侯爵には我々の結婚に許可をいただいた。少し忙しいが、戴冠式の当日に結婚式を行うつもりでいる。城に戻って準備に取り掛かろう。それでは侯爵、侯爵夫人。慌ただしくて申し訳ないが、これで失礼します」
カイルは両親にきちんと別れの挨拶をした。リュシェンヌが父の前に立つと、父がしっかりと抱きしめてきて言う。
「リュシー…おめでとう。体に気をつけるように」
「ありがとうございます。お父さま、お母さま」




