第49話 栄光 その3
初めて侯爵の慌てた姿を見たと言って、帰りの馬車の中でカイルは上機嫌だった。
「両親にリュシーと呼ばれているんだな」
「ああ…小さいころ舌が回らなくて、自分の名前が言えなかったのよ。それで自分のことをリュシーと言っていたの。家族の中でそれが定着してしまって」
「可愛い呼び方だな。俺もそう呼んでいいか?」
「別に…いいけど」
「リュシー…」
突然耳元でささやかれて、また顔が赤くなってしまう。もう、からかうのはやめてほしい。突然普通の恋人のように甘くなったのも、本当に勘弁してくれと思う。
カイルがリュシェンヌの左手を取り、傷跡に口づけをしてから握ってくる。しばらく二人とも黙って馬車に揺られていた。
「お前は今どこに寝泊まりしている?」
「王宮の第二庭園を挟んだ別棟に独身の文官たちの住まいがあるので、私もそちらに。もちろん男性と女性の棟は分かれているわよ」
「そうか。戻ったらすぐに城の内殿に部屋を用意させるから、今日からそちらに移れ」
「今日から?」
「警護のためだ」
すでにカイルがそこまで考えていると知り、思わずつないだ手に力が入ったが、カイルがしっかりと握り返してくれたので安心する。
「わかりました」
「今の護衛は男ばかりだから、これから考えないといけないな」
リュシェンヌはそこで思いついたことをカイルに頼み、了解を得ることができた。
城に戻ると出迎えた侍従長から大臣たちが説明を求めていると伝えられた。
「すぐに主だった者を招集して王妃選定の会議を開く。教会にも連絡を忘れるな」
カイルはそこでリュシェンヌの顔を見て、笑顔で言い切った。
「心配するな。お前以外の誰も后として迎えるつもりはない」
広い会議室には枢密院に属する大貴族たち、宰相、神官長やその他の重職にある者たちが集まって、それぞれ小声で情報収集をしているようだった。カイルが入っていくと、一斉に立ち上がり礼をとる。カイルは用意された椅子に座ると皆にも着席を促して話し出した。
「急なことですまない。皆もう聞いていると思うが、私は即位にあたってリュシェンヌ・リード侯爵令嬢を王妃に迎えることを望んでいる。それについて話し合ってくれるとありがたい」
大法官を務める公爵が口火を切った。
「皆を代表いたしまして、まずはお祝いを申し上げます。殿下のご即位に加えこれ以上の喜びはございません」
他の者たちも口々に祝いを述べるが、カイルが即位当日に結婚式も挙げると言うと、また別の驚きと困惑が皆の顔に浮かんだ。宮内の任にある大臣が咳払いをして話し出した。
「恐れながら、王族方のご結婚に際しては婚約決定から少なくとも半年から1年を置くのが通例でございます。特に王妃様ともなりますと、お妃教育の重要性から1年以上間を置く必要があるかと…」
「リード侯爵令嬢にお妃教育が必要だと思うか?」
そこにいるほぼ全員が彼女の経歴に思い当たり、考え込んでいる中、一人の子爵が声を上げた。
「確かに侯爵令嬢でいらっしゃる以上、貴族としての教育は受けていらっしゃるでしょう。しかし未来の王妃様は国の様々な事情や外交問題などに通じている必要がございます。そこはやはり専門の教育係をつけていただいかなければ、何かあっては国の恥となりましょう」
さかしげに述べ立てる子爵は、ある国と深い関係にあるとされていて、おそらくその国の利を図って時間をかけようとしているのが明らかだった。カイルはその子爵の顔を黙って眺めている。子爵は調子に乗って発言を続けた。
「加えてお妃候補がお一人とはこれも前例のないことではございませんか。いかがでしょう、各国からの美しい姫君を迎えてご一緒に教育を受けていただくというのは。侯爵令嬢にも見分を広げる良い機会になると思いますよ」
「子爵、実はあなたの領地で行われる予定の治水工事について大変興味があるのだが」
子爵はいきなり別の話題を振られてうろたえていたが、思い出したように早口で話し出す。
「はい、殿下。以前から大雨になると氾濫を繰り返す河川がございまして、工事のお許しと国の支援をお願いしていたところ、つい先日認可をいただきました。私の領地にまで目をかけていただき、このような場をお借りしてではございますが、殿下には厚くお礼申し上げます」
「そうか、私の聞いた話では川の氾濫は10年以上放置されていたそうだ。領民からの嘆願もなぜか国までは届いていなかったらしい。そちらからの要請ではなく、国から持ち掛けた話だと思うのだが、その辺はどうなのだ?」
子爵は真っ赤になって、ますますしどろもどろになる。
「は、はい…領民からの嘆願につきましては…こちらの手違いでして。誠に…その…不徳の致すところでございます…」
「その治水工事の提言を出したのは誰だと思う」
子爵以外のほぼ全員がはっと思い当たる顔をした。
「は?誰…と申しますと?お話をいただきましたのは、もちろん宰相閣下のお名前でございましたが」
「その提言の大本となる原案を策定したのが、私の秘書を務めていたリュシェンヌ・リード。すなわちリード侯爵令嬢だ。子爵、これでも彼女にお妃教育を受けて見分を広げる必要があると言えるのか」
子爵はあまりのことに声を失い、震えながら椅子に力なく腰かけると
「いえ…私の心得違いでございました」
とだけ言うのがやっとだった。他国を支持する貴族たちもすでに声を上げられなくなっている。
別の伯爵が立ち上がり、一応念のためと述べてカイルに尋ねる。
「失礼を承知でお伺いいたします。リード侯爵令嬢が大変優秀な方であることは、ここにいる全員が認めるところでありますが、秘書として働いていらっしゃる間に見初められたということでしょうか」
暗に公私混同と受け取られることを心配しているようだった。
「その点は心配ない。彼女に初めて出会ったのはずっと前の子供のころだ。その時から私の想いは変わっていない」
出席者は今日だけで何度も驚かされてしまい、会議の記録をとる文官の手も一瞬止まっていた。
カイルはそちらを見て、軽い口調で言う。
「今のは記録に取らなくてもいいぞ」
伯爵が微笑んで腰を下ろすと変わって公爵が立ち上がり、会議を締めくくる言葉を発した。
「皆様方、リード侯爵令嬢を王妃としてお迎えすることに異存はございませんな」
全員が異議なしと答える。公爵はカイルの方を向いて、笑顔で再度祝辞を述べる。
「殿下、この上ない伴侶を見つけられましたこと、我々臣下一同心よりお慶び申し上げます」
「ありがとう、公爵。時間がなくてすまないが、準備をよろしく頼む」
全員が立ち上がり礼をもって見送る中、カイルは退室する。廊下を進むと後ろから宰相が追いかけてきた。何か言い忘れたことでもあるのかと立ち止まると、宰相は困ったような、情けないような顔で話し出した。
「殿下、実はひと言苦情を言わせていただきたいと思って追いかけてまいりました」
「苦情?何か忘れたか?」
「いいえ、私はリード侯爵令嬢に大いに期待していたのです。将来有望な文官を一人殿下に横取りされてしまいました」
カイルは苦笑すると自室に向かって歩き出す。宰相はその後ろ姿に頭を下げて見送った。




