勝てない相手が見つかれば生きる意味になる。
寂しい事に狼犬は新しい飼い主にあっさりと懐いていた。ハザキの娘は父と同じく医師だ。父と違う点は人体解剖が趣味ではなく動物の方が好きという点だ。人が死んでも大してなんとも思わない割に、家畜ですら病死したら涙する性質だ。
多数の狼犬を前にして、いつまででも面倒を見ますと言われてしまった。正直寂しい。
「オオカミ君、次はこっちの本を読んでおくといいよ」
「あ、それもう読んだんで」
「……君、本当に頭だけはいいね」
「知ってます。自分よりも頭のいい相手に初めて巡り合いました」
学校の教師はすぐに馬鹿に見えて、国外からも教師を招いてくれたが一週間もすればおかえり願うことになった。もちろん城の書庫の本は全て読み切った。そもそも本を読む時間が人よりも極端に短いらしい。数学と科学、とりわけオーパーツの解体が趣味になり、いつの間にか神童等と馬鹿みたいに呼ばれていた。その頃、国内で女系を止める時期ではという不穏な話が出だした。だからと言うわけでも妹のためでもないが、国などぶっちゃけどうでもいいと世捨て人と呼ばれる立場になったのだ。
「ふっふー、安心していいよ。君がどれだけ賢くても、僕の神様にはなれないからね」
不可思議な生命体が言う。子供の頃、大人を凄い生き物だと思っていた。子供の間にそれが大したものでないと理解もしたが、もう一度、凄い生き物と思えるモノが目の前にある。それが久しぶりに生きている心地にさせた。
「あなたの神様が世界のハイテク機器を使用不能にしたんですね?」
問いかけると一瞬だがロミアの表情が固まった。
三つの厄災。隕石の落下も、最悪の兵器が人を殺したのも事実だろう。だが太陽フレアだけで全ての機械が使用できなくなるのには疑問があった。一定の地層を持つ地下や、特殊な防護壁を有した建物を作れば、人はそれに耐える機械を作れただろう。長らく神として眠っていたのは彼らへの損傷を与える太陽フレアの継続的な噴出は事実としてあっただろう。だが、それだけでは説明がつかない。300年以上前、ジェゼロができる前に、誰かが、まるで魔法を使って機械を使えなくしたようだった。
「君って、本当に賢いねぇ。もっと早くに会いたかったよ!」
「若い頃に会っていたら、次に世界を壊したのは自分になっていたと思うので、今くらいでよかったんですよ」
自分より馬鹿でも可愛い物があると知った。動物も純粋なだけでなく人と同じようなズル賢さや排他もあると知った。人間が醜いのではなく、綺麗なまま生きる人ほど歪なのだ。今なら、トウマ・ジェゼロでなくオオガミとしてならば、世界滅亡をさせないと思える。
「神様が選んだんじゃなく、人間が一度進化するのを止めることを選んだんだよ。神様は、知識と技術を無にするのが勿体ないって言って、僕らがそれに賛同したから、こんな役をしていたんだよ。まー、新しく知識と技術を得た人が世界を滅ぼしたら、仕方ないね。それこそ、何かの意思として諦めればいいよ」
世界が滅んでも諦めろと言うそれは、正しく自分の師に相応しい。
「もし、エラたちがパンドラの箱に鍵をかけることに決めていたら、どうされていたのですか?」
「……そーだね。もう三百年あとまで僕が生きていたらまた聞くかな。でも、ジェゼロ王以外には問うつもりがないよ。彼女たちが決めることに僕らは従うと決めているからね」
愛した子孫と言いながらも中々に酷い方だ。そこまで信じられるほど、人は優れていない。人の過ちをジェゼロ王に全て担がせると神は仰られるのだ。
「もう一個だけ聞いといてもいいですか?」
「なんだい?」
軽い調子のロミアに一拍置いて問う。
「ジェーム帝国の神官とやらは、シィヴィラをどこまで操っておられた? ジェゼロ王をジェームに引き寄せようとしたのか、それともジェゼロの神域に入り、エラの代わりに言葉を伝えさせるために操ったのか」
帝国の神官がロミアと同じそれならば、シィヴィラに対して本人にすら知られぬままなんでもさせられるだろう。修理されたと言うシィヴィラはまるで別人のようになっていた。それを示したのはロミアの失策だ。良くなると言うことは容易に悪くもなる。
「んー、君って頭が良すぎて馬鹿の部類だよね? 僕が悪い奴なら、大変だよ」
ロミアが悪戯っぽく笑う。不穏さも怖さも感じさせない不思議さがある。
「これは、君への課題にしようか。教えてあげていいけど、それじゃあ君の進歩に役立たず、簡単に終わっちゃうでしょ」
本来ならば詰問すべきかもしれないが、自分の口角が上がっているのは鏡を見ずともわかる。
目の前にある人にしか見えないモノを、過去に人が作ったというのならば、確かに製作者は神かもしれない。人の作り上げたモノを同じ人が超えられるイメージがわかないのだ。死ぬまでに達成できるかわからない難問にぞくぞくしている自分がいる。
不穏な会話が終わるころ、バタバタと王の寝室ルートから人が走ってくる。それは妹をも魅了した姪以外にない。馬鹿で可愛い代表で、自分がなりたいと思わなかった大役を産まれた時から決められた現ジェゼロ王。
「お前ばかりがその方を独り占めするのは卑怯だぞ! オオガミ」
エラがそれこそ命を懸けて入ったジェゼロの神域に、ベンジャミンも今では当たり前の様に入っている。自分もそうだが、既によそ者の王二人とその賢人二人も入室した。神が眠らないこの場は既に名ばかりの神域だ。
「……ベンジャミン、お前拾い食いでもしたか?」
くだらない事ばかり教えてやった悪餓鬼が変わらない嘘くさい笑顔を浮かべているが、張り付いている。体調でも悪いのか。
「少しばかり多忙だった所為でしょう。お気になさらず」
変わらないエラの犬は忠犬らしく言う。
「疲れているならちゃんと休め。ここでは私が看病をしてはやれないのだからな」
「……ここに居られる間は、少し体を休めておきますが、何かあればお呼びください。気遣いで呼ばれないとなれば、余計に私は心配してしまいます」
「ああ、わかった」
相変わらずの見事な主従関係だ。ベンジャミンは癖のある狼犬を上手く扱うが、奴自身が犬に近いからだと結論が出ている。まあ、こいつはいい飼い主に当たった。エラはちゃんと世話をしているらしい。まあ、少し鈍感だが。
エラがロミアの許へ行ってから、椅子に座るベンジャミンの近くによる。
「休憩中ですので、無駄話をしたくありません」
うんざりとした口調だ。これはエラ以外にはつくづく懐かない。
「あれだろ? エラが結婚しないってきっぱり言ったからショックなんだろ」
笑いながら言うと睨まれる。
「これまで、エラ様と婚姻関係を結ぶなど考えが及んだことなどありません。そのような事が有り得ないと言うのに、どこかの馬鹿な国の長が頭の悪い発言をしたまでの話です」
「産まれの呪いを上手く使えば、現実にできるだろ?」
ロミアから人の固有情報の解析を見せてもらった。エラは審判の時に血を取られそれで検査が行えた。ベンジャミンから毟った髪を使い、他の二人も髪の提供を受けた。別に血でも良かったが、フィカスがもってきたのは大量の髪で、便宜上同じものを使った事にした。ナサナの王は姉の使用していた櫛だけでなく、姉の両親の髪に他にも何人もの男の髪を持ち込んでいた。この中にベンジャミンの父親がいないか探せとのことだったが、不要な努力だ。
もっと後での検査ならば手心を加えで改ざんできたが、今のオオガミにはそれだけの知識がない。一応、黙っていられないかとは聞いておいたが、ロミアはだめだよーと軽く一蹴した。
「あんたが父親の方がまだマシなんて事があるとは思わなかった」
「おいおい、ジェゼロは従兄妹なら結婚できるだろ?」
それだけの意味だとでもと目が言ってくる。
「ロミア様の弟子とは、社会不適合者のあなたがやっていけるので?」
「それに関しちゃ、お前も似た様なもんだろ?」
「あなたと比べるなど御冗談を」
ははと短く笑いを返される。
「エラ様と……一緒に居られるならば、それ以上を求めては罰が当たる。あの方が日々を楽しく幸せに過ごせるよう考え行動する以外に、私に生きる道がないのは認めますが」
エラに重いと思えば終わる関係だが、エラは産まれた時から重い使命と宿命を背負わされている。今更ベンジャミン一人増えた所で大した重荷でもないのかもしれない。そういう面で、ジェゼロ王の家系は丈夫でもある。まあ、エラもなんだかんだでベンジャミンを好きならば公式の変態としてベンジャミンも日々慎ましく暮らしは出来るだろう。何よりも、これは節度を知っている。そこは評価に値する。
「ああ、いっそお前が四六時中女装したら妻として結婚できるんじゃないか?」
冗談半分に言うがベンジャミンがハッとした顔をする。
「冗談だ、辞めとけ」
「やはりこの歳からでは無理でしょうか」
こいつに馬鹿呼ばわりされるのはどうだろう。
「そう言えば、ホルーがキングを迎えに行ったらしいぞ。エラの馬もホルーの指示には従うからな」
「ええ、それでハザキの娘があいつを婿にしたいと思ったそうで」
「……お前が手引きしたのか?」
「はは、他人なら簡単に嵌めて結婚させられるんですけどね。因みにあなたは生活能力が乏しいので候補から除外したそうです。狼犬は以前から狙っていたようですから、気兼ねなくこちらでお遊びください。彼女、人間以外の動物に対しては聖母のような方ですから」
ベンジャミンが同情気味に言う。




