第96話 想像を超えた何か
※ 第7大隧道のほど近く、とある鳥人族の集落
「ま、こんなモンでいいだろ。大したキズでもねえし、どの道命に別状はねえやな。勲章が増えたくれえに思っときゃいいぜ」
キャラバは高らかに笑い、包帯を巻き終えたばかりの肩を大きな手のひらでバシンと叩いた。治療を受けていたひげ面の剣士は、思わず甲高い悲鳴を上げる。
「お、お手柔らかに頼むぜ、先生!」
「なんだ、顔の割に意気地のねえ……言っとくがな、お前らなんて幸せな方なんだぞ? たまたまこの村に辿りついて治療を受けられたから良かったようなものの、無人のルートを辿ってたら――いや、或いは、敵対的な部族の村にでも迷い込んでたら、今頃こうして楽しくお喋りなんかしてられねえとこだ」
「恩着せがましいこと言ってんじゃないよ。こっちだって、仕事でやってるんじゃないかね」
背後から、細身の女が笑いながら声をかけてきた。鄙には稀な――という言葉がしっくりくるだろうか。艶やかな黒髪に銀縁眼鏡、右腕だけに黒革の長手袋を嵌めている、端正な顔立ちの女性――アラム・ヴィランダンである。
彼女らが居るのは板張りの殺風景な部屋で、広さはちょっとした商店程度だろうか。「掘っ立て小屋」とでも形容するのが適当そうな建物である。床にも敷石などはなく、叩き固めた黒い粘土質が広がっているばかりである。所々に敷き藁が敷かれ、その上には手当てを受けた冒険者たちが思い思いの姿勢で横たわっている。つい先ほど、遺跡から負傷して帰っていくところを、偶然キャラバたちに見つけられて連れ込まれたところであった。
キャラバとアラムのコンビは、大竪穴の各所を転々としたすえ、今は第7大隧道よりやや降りた場所にある小洞窟に拓かれた鳥人たちの隠し里に腰を据えていた。鳥人一族は染物に長けており、染料を扱う習慣があることから、その原料となる薬草や薬種の類にも造詣が深かった。ギルドの庇護を失くしたキャラバたちにとっては、医薬品を調達するのにうってつけの取引相手だったわけである。
寝床と薬を提供してもらう代わりにキャラバが差し出した見返りは、医者の仕事で得た収入の一部と、それからもう一つ、小さな面倒ごとをこなしてやることだった。それは――
「ちょっ……ちょっと先生! この子を何とかしてくれよォ!」
土間の奥で悲鳴が上がった。見ると、もろ肌脱ぎになった冒険者の一人が、右腕を押さえて転げるように駆けてくる。後ろからは10かそこらの少女が、手に鉢のようなものを抱えながら追いかけきていた。顔かたちは純粋人類だが、着ているものは『うちびと』風の紋様が染め抜かれたドクイバラ織のうわっぱりである。
「おいおい……ユノー! 何を遊んでるんだね!」
アラムが呆れ顔で間に入り、少女の襟首をつかんで引き止めた。少女――ユノー・リステッロは悪びれぬ顔でアラムを見上げ、鉢の中に入ったドロドロした塊をヘラで練りながら答えた。
「だって、この人が逃げるんだもの。手術の痕に膏薬を塗らなきゃいけないのに……」
「ンなこと言ったってよ、滅茶苦茶に沁みるんだもんよ! まるで焼けた鉛を塗ったくられてるみてえによ!」
口を尖らせて言う半裸の冒険者に、キャラバは舌打ちしながら立ち上がった。
「大げさなこと言いやがって。ま、多少痛い目を見ることァ確かだろうがな。何しろ鉄サソリの尾にドクイバラの毒棘、電気蛾の鱗粉なんかもちっとは入ってることだし」
「な……なにをォ!?」
聞くだにおどろおどろしい材料名を教えられ、剣士の顔がみるみる強張る。そんな相手にキャラバは、意味深な微笑みを顔に湛えながら近づいていった。
「ここらの部族に伝わる化膿止めの膏薬でな。こういう場所で手術をする時ゃ、傷口が膿むのが一番怖いんだよ。
心配しなくとも、効き目のほどは確かだ。何しろこの俺が自分の体で何度も確かめたんだからな」
おもむろにキャラバは腕をまくり、太い前腕をあらわにした。無数の古傷が格子模様のように肌を飾り立てている。剣士も低く唸り、少なからぬ畏敬の念と共にまじまじと傷跡を見つめた。いずれも深く年季の入った傷ばかりで、潜った修羅場の数を想像させられる。
「なるほど、こいつァ大したもんだ……」
「だろう? ほら、この、肘ンとこのキズな。これは大型のドクトカゲに噛まれた時のもんでよ。慌てて振り払おうとしたもんでかえって肉が裂かれて、牙が肉に喰いこんじまった。普通だったらその傷から腐れ毒が回ってくもんだが、この軟膏を塗ったお陰でな……」
と、相手の注意を傷口に引き込んだところで、キャラバは不意に身を翻した。首を突き出して無防備に傷跡を眺めていた剣士の背後を奪い、あッと言う間さえ与えずに太い腕を回して羽交い絞めにする。
「今だ、ユノー! やれーッ!!」
キャラバがそう叫ぶが早いか、ユノーはアラムの手をするりと潜り抜けて走り出し、鼠に襲いかかる猫か何かのように剣士に飛びかかった。手にしたヘラが軟膏をたっぷりとこそげ取り、剣士の傷口に叩きつけられる。
掘っ立て小屋の梁まで揺すぶりそうな悲鳴に耳を塞ぎ、顔をしかめながら、アラムはぐったりとため息をついた。
「これじゃ、子供を2人も育てるようなもんだ……身が持たないよ、まったく」
子供を育てる――これが、鳥人族がアラム達に課した「見返り」であった。ユノーに教育を施し、純粋人類の社会で暮らせるようにすること。
赤ん坊のころに事故で両親と死に別れた彼女を拾い、部族の子として育て上げた彼らであったが、この先彼女が成長して「自らと同じ姿かたちの者たちと暮らしたい」と思ったら、という憂いを常に抱いていた。
そうなった時に困らぬよう、純粋人類の社会で食っていけるだけの医術と、純粋人類流のモラルや考え方を仕込んでほしい、というのが彼らの依頼だったが、ことキャラバに関して、その「モラル」とやらを御大ご自身が持ち合わせているのかそもそも甚だ疑問であった。
しかし、うんざりして座り込んでいたところで事態は好転しない。約束は果たさねばならない――渋々ながら2人の『子供』の狼藉を止めようと、アラムが歩き出した時だった。
けたたましい音と共に、掘っ立て小屋のドアが文字通り吹き飛んだ。
板を釘で打ち合わせただけの簡素なドアは、天井を掠るほどに高々と飛んだあと床に落ち、土の上で粉々に砕け散った。あまりのことに唖然としている一同に、張りのあるテノールの声が続けて叩きつけられた。
「た、た、大変ですッ!」
アラムはズレかけた眼鏡を直しながら、ドアを破壊した張本人に向かい目をいからせる。
「ザイン! 何だねキミまで、騒々しい!」
「す、すみません。思ったより扉が脆かったものですから、つい、勢い余りまして」
覆面に隠れた頭を掻き、巨大な体を縮こまらせるようにして、ザインは詫びた。
この頃ザインは既にアカデミーでの修行を終え、一人前の医師と呼べるほどの知識と技術を身に着けていた。が、大竪穴でも純粋人類を診る『うちびと』医師は珍しく、人類の都市ではなかなか仕事先も決まらなかった。ことに昨今では、空中市場を中心として純粋人類と『うちびと』の対立が深まっており、明らかな異形の巨体を持ち魔神信仰の象徴たる契約印をその身に刻む彼のような『うちびと』は生活しづらくなっていた。
と言って故郷の巨猪人部族においては、外界人の技術の方が異端扱いである。身の置き所が無くなった彼に、「元はと言えば自分がそそのかしたことだから」とキャラバが声をかけ、今のザインはキャラバの客分として診療所の仕事を手伝っていた。
その知識と魔術を活かしてザインはよく働き、またユノーの教育に関してもキャラバなどよりはよっぽどまともに取り組んでいたのだが……今のザインの取り乱しようは、そんなことなどすっかり忘れてしまったかのようだった。
「しかし、扉のことをどうこう言っている場合ではないんですよ! 大変なんです! 外、外に出てみてください!」
「外ぉ……?」
アラムが目をぱちくりさせていると、いつの間にやら剣士を解放し、身づくろいまで済ませたキャラバが横に立ち、ポンと肩を叩いてきた。
「とにかく行ってみようぜ。ザインがこうも慌てるたァ、只事じゃねえ。めったなことで騒ぎ立てたりゃしない男だぜ、ザインは――俺と違って」
「……自覚してるんなら、普段からもっと行いを慎んでもらいたいもんだね」
冷たく眉をひそめながらも、アラムは立ち上がって扉へ向かった。冒険者たちも、立って歩ける者はワケも分からぬままに後に続く。
ザインが一同を導いていったのは、村の外れ、大竪穴の底がずっと見渡せる崖の縁であった。少し視線を上げれば、空中市場が逆光の中に黒々と浮かぶザル状の影として見え、遥か下を望めば底なし穴の無限の暗闇が見るものを誘う――そのはずだった。
だが、その日は……大竪穴の歴史に残るその日だけは、眼下に広がっていたのは暗闇ではなかった。
「な、何よ、あれ……!!」
アラムは右手で口を押さえ、目を一杯に見開いて穴の底を見下ろした。ついて来た冒険者や、村から出てきたらしい鳥人たちも、同じような顔で穴の下を見つめ、恐れおののいている。
血の底から響いて来るような唸り声と共に、オレンジ色の炎が穴の底から登ってきていた。まるで穴の底に火がつき、次第しだいに燃え広がってきているかのようだ。近くまで登って来た光点の一つを凝視して、アラムはその正体を悟った。それはどうやら、ゴーレムの一種であるらしかった。ずんぐりとした体の大きさは、いつぞや彼女らを閉じ込めたあの巨大ゴーレムの半分ほどだろう。しかしとにかく数が多い。大竪穴の壁面を埋め尽くして、まだ飽き足らず次から次へと登って来る。
だが、何より目を惹いたのはその頭部だった。土の肉体を半分ほど切断するようにして、円盤状の物体が縦に刺さっている。そしてそれが炎の魔力を噴き出しながら高速で回転しているのだ。まるで炎の丸鋸だ。穴じゅうが燃えているように見えたのは、この円盤が放射する魔力の輝きのためだったのだ。
「何だ、何だありゃあ! こんなの、見たことねェぞ!」
「ゴーレム、だよな、あいつら!? 襲ってくるのか!?」
口々に叫ぶ冒険者たちに、キャラバも唇を引き結び、唾をごくりと呑み込んだ。
「……アラム。村長に掛け合って、用意出来る限りの薬草を都合してもらえるように交渉してくれ。人手も要るだろう。村人の中から、助けを募るんだ」
「助け……? 何のために? 一体、これから何が起こるっての?」
唇を震わせ、額に汗をにじませながらアラムは問い返した。キャラバはふっと息をつき、かすかに首を振った。
「分からねえ……だからこそだ。これから起こることは、多分、俺たちの想像を超えた何かだ。だからこそ、せめて出来る限りの準備をして迎え撃たなけりゃならねえ。そんな気がするんだ」




