第89話 冒険者になった理由
キャラバは周囲を見回し、しばらく考え込んでから、上を見上げた。魔導灯の薄い明かりに照らされて、岩の天井がぼんやりと見える。手を伸ばしても届かない程度の高さに、まるでしつらえられたように岩板同士が組み合わさって屋根を形成していた。時折、砂粒が落ちてきて地面に散らばり、かすかな音を立てる。いつ新たな崩落が起こってもおかしくない状態のようだ。
奥の方では、まだ動ける数人の冒険者寄り集まって、壁の前で何やら相談しているらしかった。この岩壁に穴を開けて、外まで掘り進む算段であるらしいが、天井を落とさずに掘りぬける方法となると、道具も魔術も限られてくるこの状況では考えあぐねているようだった。キャラバにも、斬新なやり方は考え付きそうになかった。
「しかしどうにかして、さっさと抜け出すに越したことはねえな……おい、俺はどれくらい眠ってた?」
少々フラつきながら立ち上がろうとするキャラバに、アルラマールは慌てて手を貸した。
「ほら、無理しないで……外の時間で言ったら、まる1日くらいにはなると思うけどね。何しろ太陽苔の明かりもないし、時間の経過だってサッパリさ」
肩をすくめるアルラマールに、キャラバは舌打ちして右手を挙げた。あの騒ぎの中でも魔導杖は手放さず、がっちりと握り込んだままだ。眼を閉じて魔力を集中させると、先端にほんのりと光が灯った。
すぐに襲い来た頭痛と眩暈に呻き声を上げ、キャラバは魔力の灯火を消した。まだまだ全快にはほど遠いが、とにかく魔力は回復しつつある。この具合だと、まる1日という見積もりは結構いい線を行っているようだ。だいぶ寝過ごしてしまった――キャラバはきッと目を上げると、魔導灯の明かりに向かって大股に歩き始めた。
「長々と寝ちまって、手遅れになってなきゃいいが……生き残りは何人くらい居る? その中に負傷者は?」
「負傷者……って、もう医者の仕事をしようっての? 今さっきまで、あんた自身が医者を必要としてるような状態だったのに?」
アルラマールが心配そうに声をかける。が、キャラバは何でもないことのように首を振り、歩き続けた。
「ありがてえことに、俺は頑丈に出来ててな。これっぱかしでガタが来るような体してねえのよ。それよりも、患者だ……寝っこけて治療を遅らしたとあっちゃあ、冒険医の名が廃るぜ」
はっきりと言い切ったキャラバに、アルラマールは呆れたように首を振りながらも、その後をついて歩き出した。岩に囲まれた『緊急避難所』は思いのほか狭く、中にいる冒険者も全員合わせて20人をそう多くは越えぬ程度であった。キャラバは顔をしかめ、アルラマールの方を振り返る。
「残ったのは、これだけか……ゴーレムはどうした? 行っちまったのか?」
アルラマールは少し眉をひそめながらも小さく頷いた。
「足音が遠ざかってくのだけは聞こえたよ。多分、侵入者がくたばって仕事は終わったと思ったんだろうね」
暗い顔で言うと、アルラマールはふと顔をしかめて右腕の包帯を撫でた。
「実際、パーティのほとんどは土砂崩れに巻き込まれて……ほら、これ」
アルラマールは不意に魔導灯を取り出すと横へ向け、闇の中に転がった丸っこいものを照らし出した。奇妙な形にひしゃげた金属板で、片隅には血がべっとりと付いている。数呼吸ののち、それが何なのか分かってキャラバは呻き声をあげた。
「……セバル隊長の兜か?」
アルラマールは頷き、声を詰まらせた。
「最初の落石の時、ひと抱えもある岩が降ってきて、まともに……あッと言う間もなくってさ。
意気地がないって思われるかもしれないけどさ……今までにも、冒険の中で死ぬ人は何人か見てきたんだけど、でも、今回のは……何て言うか、ちょっと、堪えた」
魔導灯の明かりの輪郭が揺れるために、その手が震えていることが分かった。薄明かりの中でも、その瞳に涙がにじんでいるのは難なく見て取れた。
キャラバはしばし黙ってその顔を見つめたのち、やおら前触れもなく身体を傾け、その広い肩をアルラマールの身に預けてきた。体重を掛けられ、慌ててアルラマールは足を踏ん張る。
「ちょ、ちょっと、リオ! 何すンだよ、重いって!」
「何もかにもねえ。やっぱり、歩くのしんどいんだよ。肩、貸せ」
ぶっきらぼうに言うキャラバに、アルラマールはちょっとの間目を白黒させていたが、やがて震える唇を吊り上げてにッと微笑み、寄り掛かって来たキャラバの体を支えた。
「何て言うか、アレだよね。あんたって、言い訳がヘタだよねえ」
「……黙って支えろよ」
唸るように言うと、キャラバは腕をアラムの肩に回し、2度ほど手のひらで相手の肩を叩いた。
連れ立った2人は、穴倉の一角に向かって歩いて行った。小さな魔導灯をともした周りに布切れが敷かれ、怪我人たちがごろごろと転がされている。皆、包帯を巻く程度の最低限の治療だけされ、その場に寝かされているようだった。ふと見ると、魔導灯の近くにキャラバの背負ってきた道具カバンもある。
「薬の名前とか、道具の使い方とかは全然分からなかったけど、とりあえず傷薬と包帯くらいは分かったからさ。目立った傷に薬を塗って、上から包帯巻いたんだよね。余計なことしてなきゃいいんだけど」
アルラマールは恐るおそる言う。キャラバはその肩から身を離し、患者たちの姿をつぶさに見て回った。
「まあ、ざっと見たところ、大して重傷の奴はいねえな。手足の骨を折ったくらいのもんで。深手を負った奴はここまで逃げきれなかったんだろうから、当然っちゃ当然だが。
おっ、こいつは……」
キャラバは、寝そべった患者の一人に目を留めた。裂いた布切れを三角巾のようにして、包帯で撒かれた腕を吊るしているその男は、キャラバの背を支えたあの盾持ちだった。
「倒れてたあんたのとこまで、助けを呼んできたのはその人なんだよ。お陰で、ギリギリのとこであんたを穴の中へ引っ張り込めた。けど、その途中で羽根対話に当たっちまってさ。腕が折れてるらしいから、一応私らで治療はしてみたんだけどね」
「そうか、そいつは世話ァかけたな」
懐から手術用の携帯型魔導灯を取り出して屈み込むと、横たわった盾持ちは瞑目したままニヤリと笑った。
「なァに、気にすンない。あんたが居なきゃあ今頃、俺たちゃゴーレムに踏みつぶされてたところさ」
「だが、その代わりに生き埋めになってちゃ世話ァねえ」
自嘲するように言うキャラバの表情は硬い。視線は、あちこちに魔導灯を灯して簡単なキャンプを張っている冒険者たちの間をさまよっていた。人数は当初の3分の1ほどにも減っているだろうか――今この場に居ないものがどうなったかなど、考えるまでもなかった。
こうなるしかなかったのか? 詮無いこととは知りながら、キャラバは自分の胸に湧き上がる疑問を抑えられなかった。自分が意識を失っていなければ、もっと多くの仲間を救えたのではないか? そもそも、ゴーレムを転ばせて止めた判断は本当に正しかったのか? いや、さらに遡ればジャンピンジャックに襲われたあの時、隊長をもっと強く説得して引き返させていれば……。
「なぁ、あんまし、考え込まねえほうがいいぜ」
盾持ちの男が、驚くほど静かな声で言った。キャラバがとっさに言葉を返せないでいると、盾持ちは目をつぶったままぽつりぽつりと話を続ける。
「何もあんた1人で冒険してるわけじゃなし、何もかも自分の問題みてえに考えてたらおかしくなっちまわァ。後からあれこれ考えたって仕方ねえやな。その時は、それしかねえって選んだことなんだろうからよ。
それに、そうやってボンヤリされてると、俺の治療がいつまで経っても始まらねえ……早えとこたのむぜ、キャラバの大先生。折れた腕がひと晩じゅう疼いてたまらねえンだ」
「……ああ、悪かったな。すぐ取り掛かるさ」
笑った盾持ちの額をトンと叩くと、
「さて、と。診察に掛かるぜ。まず、頭は打っちゃいねえな? まる1日の間目立った症状が出ないンなら、表に出ねえ隠れた損傷なんかもなさそうだ。
となると、あと目立つ外傷は右腕だけか」
キャラバは三角巾をそっと取り除け、盾持ちの右腕に指を触れた。骨に走る痛みに、盾持ちが顔を歪めて呻き声を上げる。その反応を確かめつつ、キャラバは顎を捻った。
「フム……骨折はしてるが、開放性じゃねえのが救いだな。折れて突き出した骨を1日放っといたら、腐る確率はハネ上がっちまうんだ。骨が腐ろうもんなら、そこから毒が体じゅうに回って、まず命は助からねえ。すぐ命にかかわるような外傷でないのは、不幸中の幸いだ」
キャラバはカバンの中から水薬の入った革袋を取り出した。角製の飲み口を、盾持ちの唇に近づける。
「鎮痛剤入りの薬酒だ。こいつを呑みゃ、とりあえず痛みは治まる。そのまま少しばかり眠んなよ。まずは体力を戻すこった」
「ああ、悪いが、そうさせてもらうとすッか」
盾持ちは言われるがままに注がれる液体を1口2口飲み、肩の力を抜いてぐったりと頭を地面に預けた。ほどなくして、その呼吸が深く、規則的になってゆく。薬酒は着実に効いていっているようだ。ひとまず安堵して、キャラバは包帯の巻かれた右腕に視線を落とした。
「へェ……アラム、こりゃお前さんがやったのか? スジがいいぜ。結構器用なんだな」
思わず声を上げると、後ろで眺めていたアルラマールは照れたように額を掻いた。
「見よう見まねってヤツだよ。私だって一応、医者の妹だしさ」
「ああ、そりゃそうだったな。ゼンティの妹か……ちょっとイメージ違うんで、忘れてたわ」
「……それ、どういう意味かね?」
笑みを吹き消して眼鏡の下からぎろりと睨んできたアルラマールに、キャラバは慌てて手を振った。
「いや、別に、深い意味は……それよりアレだ、怪我の方だ!
こいつの場合、このままでも当座は問題ねえんだが……出来ることなら患部を固定してえな。吊るしてるだけじゃ揺れるたびに響いて痛むし、長いこと放っとくと妙な形で骨がくっついちまいかねねえ。どっかに、添え木にできるような木材でも落ちてねえもんかな?」
「木材、ったってねえ……荷車は残らず土砂ン中に埋まっちまったし……あっ、そうか、『土砂』か!」
アルラマールはハタと膝を打つと、そこらの砂をひと掴みほど取ってきた。三角巾にしていたボロ布を細く裂いて2つに折ると、その谷間へ砂を注ぎ込み、くるくると筒の形に変える。そして懐から魔導杖を取り出し、杖の先からほとばしる魔力を筒の中へ注ぎ込んだ。魔力を高めると包帯の下の傷が疼きはじめたが、気に留めることなく続ける。
たちまち砂は魔力によって固められ、筒は一本の石の棒と化した。
「ほら、これでどうかな? 石膏並みにガッチリ固めてあるから、しばらくは保つよ」
差し出された『添え木』を、キャラバは満面の笑みで受け取った。
「なかなか機転も利くじゃねえか。ますます、冒険医向きだぜ」
「止してよ、縁起でもない……こちとら兄貴みたいな暮らしをしたくなくて、冒険者の道を選んだんだからさァ」
包帯をさすりつつ、アルラマールは口を尖らした。添え木を当てて包帯を巻きなおしながら、キャラバは片方の眉を上げる。
「ゼンティみたいになりたくねえって? そりゃまた、どうして」
「どうしても何もさァ、想像出来ないかねえ? 出来のよろしい兄を持つと、その下に産まれたモンは大変なのよ。何かと比べられるし、兄貴の立場が悪くなるようなことはするな、なんてことも言われるしさ」
魔導杖を左手で弄びながら、アルラマールは語りはじめた。
「それに兄貴ときたら、家でもちっとも笑いやしないし、帰って来る時ゃ死ぬほど疲れ切ってるし……あんなンなったら人間終わりだな、と、密かにそう思ってたのよ。実のところ。
けどそういう兄貴が、人間らしい表情を見せる時ってのもあってさ。分かる? リオ、あんたら友人たちと居る時だよ。特にあんたと居る時だね」
「俺ぇ!?」
思わず包帯から目を離して顔を上げたキャラバに、アルラマールはクスクス笑いながら頷きかけた。
「そう。冒険者リオンナード・キャラバを前にした時、銀の竜はもっとも人間に近くなる――顔に人間らしい表情が浮かぶのさ。喜びと、それよりも強い、おそらくは羨望の念。産まれてこのかたずっとあいつの妹やってきた私には分かる。あいつねェ、多分あんたが羨ましいんだと思うよ。好き勝手に進んで周りのことなんか省みない、強くて自由な冒険者のあんたが、さ。
そうやってあの男が羨むような職業なら、試しになってみるのも悪くない……なァんて考えちゃってさ。私はこの道に進んだわけ。するというと元を辿れば、リオのせいってことになるのかな?」




