第88話 押し寄せる闇
「けど、ゴーレムが起き上がってきたら、追いつかれるのに変わりはねえんじゃねえのか? それにあっちはあっちで、ジャンピンジャックが……」
ためらう盾持ちに、キャラバは顔をしかめて頷きながらも説明する。
「ゴーレムが追ってくる距離にも、限度があるはずだ。逃げた相手を際限なく追い続けると言うのなら、野生動物を追いかけて谷間から出てきて、街の連中に目撃されることだって今までにあったはずだ。ところが事前調査では、そんなこと噂にさえなっちゃいなかった。
それに、傷ついた獲物を狙うジャンピンジャックも、近くにゴーレムがいたんじゃ安心して狩りを行えないはずなんだ。奴らは用心深い。ゴーレムの腕の届かぬ安全な場所で、獲物が罠に掛かるのを待ち受けているはずなんだ。奴は、村の入り口からそんなに離れないよう命令を受けているとみていい。ある一定の地点で、追跡を諦めるはずだ。
そして、ジャンピンジャックが安全地帯で待ち受けているというのなら――その『一定の地点』とは、ジャンピンジャックの群れが待ち構えている、まさにその場所ということになる」
「どっちにしろ、奴らのド真ん中に飛び込まなきゃ、安全なとこまでは逃げられねえってわけか……!」
盾持ちはごくりと喉を鳴らした。
一匹一匹は大して強い獣でもないとは言え、今や山犬どもは通りをすっかり塞がんばかりに集まってきている。ゴーレムの駆動音と血の匂いが、仲間を呼び寄せてしまったらしい。ゴーレムが侵入者を血祭りに上げるこの瞬間は、彼らにとっても待ちに待った血の饗宴なのだろう。あれだけの数の牙が、爪が、一斉に襲いかかってくるとなると……。
青ざめた盾持ちに、キャラバも緊張した面持ちで頷きかけた。
「無数の牙と、たった2本のバカでかい腕……どっちも剣呑じゃァあるが、強いてどっちがマシかと言ったら、まあ、あっちだわな」
「……そうだな、そりゃそうだ」
盾持ちも頷き、2人はでこぼこの山道を2人3脚のようにしてえっちらおっちら走りだした。
ところ変わって、ジャンピンジャックの群れと戦う後方では、横倒しになった荷車を盾代わりに使い、魔導士と銃士たちが散発的な射撃を続けていた。いくらか仕留めてはいるものの、素早く動き回る上に元々の数も多い敵相手では焼け石に水だ。
ちょうどそんな折に、ゴーレムの倒れる地響きが聞こえてきたのである。
「あれは……魔導士部隊がやったのか!?」
荷車の陰に陣取ったセバルが、兜のひさしに手を掛けながら声を上げる。傍でアルラマールが眼鏡を掛けなおし、目を細めた。
「先ほど、大きな火の玉が見えました。大竪穴広しと言えど、あれだけバカでかい炎の魔術を使える人間は限られてます」
「キャラバ先生か……流石だな」
セバルは低い唸り声を漏らし、背伸びしてはるか後方へ目を凝らした。
「それで、ゴーレムは機能を停止したのか?」
「……いえ、破壊には至っていないようですね。ただ転ばせただけのようで……でも、今がチャンスですよ。あの巨体では、起き上がるにも時間がかかるでしょうし」
「そうだな……よし! 銃士と魔導士は全員、前面の敵に集中しろ! 囲みを破るんだ!」
セバルはすっくと立ちあがり、周囲に集まったパーティへと命令を下しはじめた。
「手の空いているものはこちらへ来て、荷車を起こすのを手伝え。引き起こせないほどひどく壊れた荷車は解体して、別の車へバッファローを繋ぎ変えろ! バッファローの死骸は、向こうへ放り投げるんだ。ジャッカルどもをおびき出す、いいエサになるだろう」
半ば絶望したような虚脱状態にあったパーティは、指示を与えられてたちまちキビキビと働きだした。魔術と物理弾の射線も組織だって集中しはじめ、黒ぐろと立ちはだかったシジャッカルの壁に一点の穴を穿とうとしている。
「よ、よォし! 行けるぞ……荷車隊の立て直しを急げ! 包囲に穴が開いたら、荷車を先に立てて一気に突き抜けるんだ!」
セバルは自ら先頭に立って、車列の編成を進めた。怯えるバッファローをなだめすかし、車同士を寄せ合って集めながら突進に備えて並べる。と、ふと振り返ったアルラマールが、後ろを指さして声を上げた。
「見てください、ゴーレムが!」
戦闘に参加していない冒険者たちは、作業の手を止めて振り返った。仰向けに倒れたゴーレムが、そのままの姿勢で両脚を地につけ、腹筋運動をする要領で上体を起こそうとしている。ざわめきが、パーティの面々に広がった。
「何だよ、もう起きてきやがるのか!? まだジャンピンジャックが片付いてないってのに……」
「魔導士隊も、もっと徹底敵に痛めつけとけッてんだ!」
「落ち着けお前たち、よく見てみろ!」
動揺を鎮めようと、セバルが躍起になって後方を指さす。
「あの動きを見ろ……身体が岩で出来ている分、持ち上げるにも時間がかかる! 歩き出せるようになるまでにはまだ間があるんだ! 空騒ぎをして時間をムダにするより、今の作業に集中しろ!」
「そ、そうか。どうせこの距離じゃ、ゴーレムをどうこうしようったってどうにもならねえもんな」
「追いつかれたら、どっちみち終わりってわけだ……畜生、やるしかねえのか!」
ぶつくさ言いながらも、冒険者たちは荷車の整備に戻った。アルラマールは後ろへちらと目をやり、心配そうな面持ちで一言呟いた。
「リオ……!」
そして、当のキャラバはというと……。
盾持ちとキャラバの2人も、走りながら後ろを振り返り、ゴーレムが立ち上がりかけているのを目にしていた。魔力疲れで朦朧とした意識を強いて奮い立たせ、キャラバは魔導杖を握りなおす。
「くそッ、分かっちゃいたが、こうも早く起き上がってくるとはな! もう少し時間を稼がなきゃならなくなるかも知れねえ……」
言いながら右手の魔導杖に魔力を灯そうとする――が、その途端、キャラバの意識を白い靄が呑み込みかけた。突如その場に膝を突きかけるキャラバに、盾持ちの男は驚いて立ち止まると、巨体の下へ潜り込むかのようにしてその体重を支えた。
「お、おいおい、先生! 止しときなって。魔力の使いすぎだよ! ここであんたに倒れられたら、俺ァ担いで行けねえぜ? 何しろこのご立派な体じゃあよォ」
「ああ、す、済まねえ……大丈夫だ。自分で歩けるよ」
盾持ちに詫びながら、キャラバは何とか体を起こした。相変わらず脚はゼリーのように頼りなく、油断したら両膝を折ってしまいそうだが、気を張っていれば何とか走り続けられるくらいの体力は残っている。
「いくらゴーレムが追いかけてくるからって、張り切りすぎて倒れちまったら元も子もねえからな。しかし、魔術が使えねえとなると、どうしたもんか」
「け……けどよ。あのゴーレム、何だか様子がおかしかねえか?」
盾持ちの男が横からおずおずと言う。見てみると、なるほどゴーレムは腰を浮かせはしたものの、のけぞった上体はそのまま後ろに垂れ、腰よりもはるかに後ろで両腕を突いている。疲れてへたり込んだような体勢だ。そこから、ふらふらと不安定に体を揺らしながら、上体を元に返そうと四苦八苦している。
「魔術を食らったせいで、魔力のバランスでも崩してるのか? 何にしろ、まだ立ち直るには時間がかかりそうだ。好都合だぜ」
キャラバはぜいぜいと弾む息の下から言う。が、盾持ちの顔は晴れなかった。
「そりゃ確かに、そうかも知れねえが……でもあいつ、倒れそうじゃねえか? ほら、あんなに伸びあがって……」
と、そこまで言った時だった。
盾持ちの言葉どおり、両腕で上体を突き上げるようにして上体を持ち上げ、一杯に体を伸ばしたゴーレムは、不意にバランスを崩して逆に前方へとつんのめった。緩慢な動きで両腕を上げ、空中の何かを掴み取ろうというかのように振るってバランスを取ろうとするが、その動きはあまりにのろい。重たい両腕を動かしたせいでかえって均衡が崩れ、体が向かって右側へと徐々に傾いてゆく。
そして、とうとう――振り回す腕が岩壁に当たったかと思うと、そちら側へゴーレムの巨体がどうッとばかりに倒れ込んだ。
元々さして頑強でもない岩肌へ、ゴーレムの大質量が思いきり衝突したのだからたまらない。血の底から響いて来るかのような地鳴りとともに、岩盤に亀裂が走ってゆく。見る間に黒いひび割れはキャラバたちを追い越し、ジャンピンジャックの群れの立ちふさがるあたりまで届いた。
「「な、なあ……これって……!」
みしみしと響き続ける地響きに、顔面蒼白となった盾持ちが歯を鳴らしながら呟く。キャラバは拳を握り、脂汗の光る額を上げて叫んだ。
「走れッ! 崩れるぞ、少しでも遠くへ逃げるんだ!」
言うにや及ぶ、盾持ちはキャラバに肩を貸したまま、一目散に駆け出した。
キャラバもふらつく足を必死に動かし、息を弾ませながら必死についてゆく。ほどなくして、ジャンピンジャックとの戦いを繰り広げる最前線が近づいてきた――が、頭上から響いて来る地鳴りは止む気配を見せないどころか、強くなってゆく一方である。振動と共に小石までが、ぱらぱらと降り注ぎはじめた。
「おォい! 逃げろォ! 土砂崩れが来るぞォ!!」
盾持ちが高々と呼ばわった。ジャンピンジャックを蹴散らして血路を開こうとしていた冒険者たちは、たまぎるような叫びにぱッと振り向く。が、その時には既に遅すぎた。
壁に走った裂け目が、嫌な音を立てて広がったかと思うと、パイの皮を剥がすかのように岩壁の一部が剥がれ落ちた。転げ落ちた巨大な岩板が、ジャンピンジャックと人間の揉みあう間に落ち、2種類の生き物を命なき肉片に変えながら弾み転がる。それが引き金となったかのように、地鳴りの音が一段と高まり、ついに山肌は地滑りを起こした。
降り注ぐ岩と土砂が、谷あいを充たしてゆく。立っていられぬほどの揺れに、キャラバは自分の体が投げ出され、岩と土の間に投げ出されるのを感じ――そしてそれが、キャラバが意識を失う前に感じた最後の感覚となった。
* * *
眼を開いたキャラバの視界に広がっていたのは、壁よりも硬く濃い闇だった。
一瞬、まだ目をつぶっているものと錯覚した。次の瞬間には、さては自分は死んだのだなと考えた。とうとうくたばって地獄行きってわけだ。まあ大竪穴なんて場所は、地理的に言っても地獄の一歩手前みたいなもんだ。さほど変わり映えはするまい。それにしても、地獄にしたって殺風景で、面白みのない風景だ――
と、そこまで考えたところでようやく、闇に慣れたキャラバの眼は視界の端に映るかすかな光を捉えた。白く強い光は、魔術によるものだ。冒険者用の携行型魔導灯のものに近い。暗闇の中で寝がえりをうち、そっと顔をもたげると、そんな光の球が闇の中にいくつも見えた。シャボン玉のようにうっすらと広がった光の輪の中には、くろぐろと浮き上がった人影もいくつか見える。
「ここは……俺は、みんなは、生きてるのか?」
「あッ……リオ! 目が覚めたんだね!? 良かった!」
と、近場の明かりの傍で小さな人影が立ち上がり、こちらへと駆けてきた。痛む頭を振りながらキャラバは身を起こし、逆光を透かして近寄って来る相手を見返した。
「全然目を覚まさないから、心配したんだよ。魔力の使いすぎだろうけど、ほんとに死んだように眠ってたんだから」
地面の上にあぐらをかいたキャラバの背を支えて微笑んだのは、アルラマールだった。丸眼鏡のフレームが曲がり、ちょっとばかり右に傾いている。肩に置かれた手に自分の手を重ね、キャラバは安心させるような笑顔を作った。
「ああ、もう大丈夫だ。だいぶ寝ちまったようだな……お陰で調子も戻ったぜ。ちょっと頭はフラつくが、何てことァねえ。
それにしても、ここは一体どこなんだ?」
キャラバの問いに、アルラマールの表情は曇った。物憂げな目でちらりと後ろの魔導灯を見やり、ふうっと一つため息をつくと、元気のない声で答える。
「ゴーレムのせいで、谷間が埋まっちまったのは覚えてるだろ? 岩板と土砂が降り注いで、谷じゅうを埋めつくしちまった。
けど、岩の塊が大きすぎたのが私たちにとっては幸いしたんだ。岩と岩が重なりあって、ちょうどトランプの塔を作るみたいに支え合い、私たちを守る屋根になってくれた。土砂崩れの中で、私たちは出来る限りのメンバーを拾い集めて、岩の間に逃げ込んで助かったんだ。ここはその岩の隙間、緊急避難場所ってワケ。
で、ここからが問題なんだけど……谷間が土砂で埋まっちまったのに変わりはないわけでさ。当然、この緊急避難場所もすっかり埋まっちまって……出口がないんだ。私たちは生き埋め状態。だからこうやって、暗ーい雰囲気の中、魔導灯の周りを囲んでジッとしてるのさ」




