第78話 不安でいつづけること
周囲では燃えた荷車の後片付けが粛々と進められていた。傷を塞がれたベラッティによってアイケルはひとまず寝床の上に横たえられ、今は血色もよく安らかな表情で眠りについていた。
「今度こそ、これで一件落着だな。あんたらにはホント世話になったよ」
アイケルを寝かしつけ、ベラッティが振り返る。ディンゴは握りっぱなしになっていた『光のメス』を懐にしまい、肩をすくめた。
「どうってこたねえさ。このくらいのゴタゴタは日常茶飯事だし……かえってあんたらに迷惑かけちまったくらいだ。
だがそれはそれとして、頂くもんは頂いとかねえとな。出張診療の代金5万ゾルだ。つってもこの場で払えやしないだろうから、証文を一筆書いてもらう。それと念のため、ギルド章も預からせてもらおうか」
「分かってるよ、踏み倒しゃしないって」
ベラッティは素直に頷き、鹿角紋入りの金バッジを襟から外してよこした。各ギルドのギルド章は身分証明書としても使われており、冒険のパーティに加わるにもこれが無ければギルド構成員であることを証明できない。そのため、質草のような働きをすることもあるのである。カネを返せば預かったギルド章を交換で渡す、という寸法だ。
頷いてギルド章を受け取ったディンゴが、今度は借用証文をベラッティに渡そうとした時、ふらりとウィンゲル隊長が近寄って来た。相変わらず酒の小瓶を持ち、隻眼を笑み細めている。
「そこの2人……あー、紅蓮獅子団と言ったかな? いや、ご苦労さん。こちらも何も出来ずに申し訳なかった。ママローニ先生の手前もあるのでな」
馴れ馴れしく肩を叩いて笑うウィンゲルの眼を見つめ、ザインは丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ、騒ぎを起こしてしまい申し訳ありませんでした。治療を黙認していただき、感謝しております」
「なんの、君たちがキャラバの一味と知っていたからこそよ。顔の広い大将に感謝することだ」
「ん……『黙認』?」
ディンゴが聞きとがめ、怪訝そうな顔をする。ザインとウィンゲルは意味深な目線を交わし、笑いあった。
「ディンゴ、もし外の皆さんが本気で、私たちが人質を取り立てこもったのだと思ったなら、もっとやりようがあったとは思いませんか?
それこそ先に荷車に火を放っていぶり出してもいいし、人質ごと気絶させるなり出来る魔術だって、これだけの人数が揃っていれば使えたはずでしょう」
「だがそんなことは、私はさせんよ。こっちにとっては手間にしかならんし、何よりやる理由もないからな」
事もなげに言ってのけるウィンゲルに、ディンゴは目を大きく見開きながら聞き返した。
「じゃ、じゃあ、ああして俺たちを捕まえようとしてたのは、単なるポーズだったって事かよ!?」
「まあ、正直面倒くさいので、あのまま君らが捕まってしまったのならそれはそれでもいいか、とは思っていたがな」
ウィンゲルは左眼を細め、くつくつと笑った。ザインも流石にこれには苦笑を返すしかなかった。
「しかし私も、ママローニ先生が当てにならないことくらいは心得ていたよ。何度となく冒険に出ていれば、医学の知識がなくとも効く治療効かぬ治療の区別くらいはつくようになってくる。あの銅治派という連中は何となしに怪しげだと、前々から思ってはいたのだ。
とは言え……何しろ相手は医療ギルドから派遣されてきた医者、こちらは素人だ。専門家に口を出せるほどの知識もないし、ヘタなことを言って機嫌を損ねられれば医療ギルドとの関係も悪化してしまう。このベラッティはああして勝手なことをやったが、これがパーティの隊長ともなると立場上、そう軽はずみなこともやれんでなァ」
隣でかしこまっているベラッティの脇腹を肘で小突きながら、ウィンゲルは豪傑風の笑いを漏らした。ディンゴは少々むくれ顔になる。
「だから代わりに俺たちをけしかけて、ジジイに対する当て馬に使ったと……そういうことか?」
「そう言われてしまっては、身も蓋もないが……身も蓋もなく言うのなら、まあ、そういうことだ」
あっけらかんとして言うウィンゲルに、ディンゴも流石にそれ以上は言い返せず、呆れた顔で天井を仰ぐばかりだった。
と、その手に握られた金バッジと証文を見て、ウィンゲルは何やら思いついたような表情となる。
「そうだ、本題を忘れるところだった。私も君らに少しばかり、お願いがあるんだがね。君の言い方を借りれば、『頂くもんを頂く』というやつだ」
「頂く? 何を?」
きょとんとした顔のディンゴに、ウィンゲルは親指を立てて背後を指した。
「ほれ、あれだ」
指で示した先には、焼け落ちてほとんど車輪だけになった荷車があった。中の酒も引火によってほとんど燃え尽き、樽の骨組みが骸骨のように転がっている。ウィンゲルは腕組みをし、咳払いをした。
「荷車一台が燃え尽きたとなれば結構な損害だ。しかも、積んであった酒まで一緒に全滅と来る……いくらキャラバのとこの者とはいえ、損害賠償を請求せんわけにはいかんな。こっちだって、生活が懸かった冒険なのだからして」
「うっ……そりゃ、まあ……」
痛いところを突かれ、途端にディンゴはたじたじとなった。ザインの方へ顔を向けたものの、ザインもまた顔をしかめて首を振るしかなかった。ディンゴはため息をつき、再びウィンゲルに向き合った。
「分かった、分かったよ。それで、いくらだ?」
「そうさな……まあ、知り合いの顔に免じて、5万ゾルというところで手を打とうか」
言い放つや、ディンゴが抗議の声を上げる前に、ウィンゲル隊長は素早く手を伸ばしてその手からギルド章と借用書をひったくった。
「おお、そんなことを言っていたら、ちょうどここに5万ゾルの価値のある紙切れがあるではないか。渡りに船というやつだな。これを頂いて手打ちということで、良いかね? よし、決まった」
「そ、そりゃねえよ!」
情けない声を上げるディンゴの肩を叩きながら、ウィンゲルは呵々大笑した。
「そう言うな、若人。これでもだいぶ負けてやってるのだ。キャラバの大将によろしく言っといてくれたまえ。ああそうだ、今度時間があったら呑みに行こうとも伝えてくれ。いやな、第9の駅前になかなか乙な店を見つけてな。『破れ庇』というんだが、これが……」
独り頷きながらまくしたて続けるウィンゲルに、抵抗する気力もなくしたディンゴはぐったりと顔を仰向け、されるがままになっていた。
「……やっぱ俺、この人苦手だわァ」
* * *
患者の傷を本格的に縫合し、パーティに預けたのち、ザインとディンゴは帰途についた。アドラの曳く車に揺られながら、ディンゴの表情は暗かった。
「ったく、団長に何て報告したもんかね。患者は治したけど、一銭も取れませんでした、なんてよォ」
「まあ、仕方ないでしょう。我々の仕事は冒険者あってのものです。冒険者の暮らしが立ち行かなくなるほどに絞り上げれば、いずれは私たちも干上がってしまいます。多少の譲歩は、必要経費ですよ」
ザインが御者台から慰めるような言葉を投げかける。ディンゴはフンと鼻を鳴らし、荷台の上で両腕を枕に寝ころんだ。
「ま、医療ギルドのお医者サマとやらの鼻をあかせたのは痛快だったけどな。お前に詰め寄られた時の、あのジジイの顔ったら無かったぜ。終いにゃパーティの信頼もすっかり失っちまってな。
四大元素説だ何だってデタラメをやかましく言い立てるから、ああいう事になるんだ」
未だ憤りの収まらぬ様子で、ディンゴは呟いた。ザインは覆面の下で静かに息をつき、ぽつりと言った。
「ディンゴ、効果のないことがあんなにもあからさまでありながら、銅治派などというものが未だに幅を利かせているというのは、一体何故だと思います?」
何気ない口調だった。ディンゴはふと身を起こし、真意を測りかねるとでも言いたげな顔で答える。
「そりゃ、あの爺さんがとんでもないバカ野郎で……」
「そういうことではありません。個人の知性がどうこうという問題であれば、間違った個人が正されて終わりのはずです。あなたも、薄々分かってはいるのでしょう?」
「じゃあ、何でだってンだよ?」
少々苛立ったような口調で聞き返すディンゴに、ザインは御者台に向かったまま身じろぎもせず、淡々と語り続けた。
「記録というものを残していないからです。
大竪穴の医療は、常に冒険と隣り合わせでした。次から次へ魔物や罠が襲ってくる深層の冒険業界では、満足なカルテを残す暇もなかった。またある者は、情報を持ち帰ることも出来ず死んでいきました。
するとどうなるか――どのような治療をした結果、どのような症状が出たか、一貫して追うことが出来なくなるのですよ。ある薬を与え続けたらどうなるか、ある手術法がどれだけの割合で成功するか、知っている人間が誰もいないということになるんです。これは恐ろしいことですよ」
「……」
ディンゴは黙って荷台にもたれ、考えるような顔つきになった。思い返されるのは、カルテを書き上げたキャラバの疲れきった顔だ――あんなにも苦労してわざわざカルテを清書し、外界と交換しているその理由が、今になって分かるような気がした。
「彼が――と言うか、銅治派が自らの過ちに気づかなかったのも、一番にはそのためです。記録を取り比較したことがないから、『これが効く』という理屈を思い込んだきり動かさない。薬を与えて患者が死ねば『運が悪かった、手遅れだった』となり、それこそ幸運にも患者が快方に向かえば『これこそ治療の成果だ』となる。決して裏切られることのない賭けですよ」
「でも、だからってあのジジイをかばう気にゃなれねえよ、俺は……あれがしょうがない事だとは、どうしても思えねえ。あんなインチキな薬で医者を気取りやがって、あの得意げな態度ときたらよォ」
「……ディンゴ、荷車の柵を越えて入ってきた時のママローニ先生の顔を、覚えていますか?」
呻くように言うディンゴに対し、ザインは振り返り、世間話でもするかのような調子で尋ねた。
「必死の形相でした……彼はたった一人で、可燃性の酒がぶち撒かれた荷車の上に、頭から水をかぶってまで乗り込んできたのですよ。それも何故かと言えば、自分の持つ膏薬だけが患者を救えると信じていたからです。
そういうことが、誰にでも出来るものでしょうかね」
「……」
答える言葉もなくうつむいたディンゴを見て、ザインは覆面の下でわずかに微笑むと、再び握った手綱の方へ目線を戻した。
「彼の方法そのものは間違っていました。どうしようもないくらいに的外れだった。けれども、彼は紛れもなく医者でした……ねえディンゴ、私たちはどれだけ、生き物の命について知っているのでしょうね? 多分、銅治派ほど愚かではないのでしょうが……それでも、私は時々不安になるのですよ。彼らと比べて我々は、どれだけ勝っているのか、と」
「……そう思ったから、村を出たのか? 自分の技術が本当に正しいのかどうか、疑わしくなったから?」
ディンゴの問いに、ザインは分厚い肩をすくめ、何気なく手綱をひと振りした。アドラが低くいななき、荷車が加速する。
「どんな医者でも、自分のやっていることが完璧に正しいなどとは言えないものですよ。逆に言えば、完璧だと思った瞬間にこそ、医者は一番ひどい過ちを犯すのです。
あなたも、私も、みんなが自分の膏薬壺を持っているんです。効くのかどうかも分からない、金の膏薬が入った小さな壺を。だからせめて、不安でいつづけるしかないんです。不安を忘れぬようにするしか」
ザインは自分に言い聞かせるように喋った。その声は細く、石畳を蹴る荷車の音にかき消されかけながら辛うじてディンゴの耳に届いていた。ディンゴは唇を噛み、荷車の上で目を閉じた。




