第77話 暴かれた病因
炎が上がり、ついで雨まで降り注ぐという大騒ぎに、外で待ち構えていた冒険者たちも続々と近寄って来た。銃を上げることも忘れ、野次馬根性丸出しの顔つきで荷車の焼け跡を取り囲み、人垣を作ってゆく。その最前列にはちゃっかりと、酒の小瓶を片手にしたウィンゲルの姿もあった。
「また、派手にやってくれたものだな……車が一台使い物にならなくなってしまった。まあ、それは大した問題でもないか。それより、おーい! そこの巨猪人くん!」
ウィンゲルは荷台の上に立つザインに向け、大きく両手を振った。
「そろそろ君の言う「治療」は終わったと考えていいのかね? 良ければ、患者と人質はこちらで預かりたいと思うが……」
「今、終わらせるところです。皆さんも確認のため、近くでご覧になってください」
ザインは両腕を広げ、四方を囲む人垣に向かって呼ばわった。朗々たるテナーに誘い込まれるかのように、人の輪が縮まって荷車を取り囲んでゆく。荷台の外へ落ちたベラッティも、いつの間にか荷車の柵へ腕をかけてかぶりつきで見守っていた。
「さ、よろしければママローニ先生も……こちらへ」
荷台の上でディンゴと並んで呆然としているママローニを差し招きつつ、ザインは患者のアイケルを抱き上げた。糸を解かれた手術創が開きかけ、赤黒い創面をさらけ出している。人垣の間で、嫌なものを見たとでも言いたげな呻き声がわずかに上がった。
「さて、こちらの患者アイケルさんは、傷を縫合したものの出血が止まらず、衰弱の一途を辿っておりました。これからその『原因』をご覧に掛けます。私どもがこのような無茶をいたしましたのも、これを取り除き患者の命を救うため、仕方ないこととしてご納得いただきたく……では」
ザインはおもむろに幅広い掌を突き出し、アイケルの胸に押し当てた。契約印がどくんと脈打つように輝き、手のひらへと魔力の流れが一気に噴き出してゆく。たちまち、患者の胸がぐっと反り上がったかと思うと、傷口から赤黒く粘ついた血がじわりと流れだす。
「な、何をするか!」
ママローニがいきり立ち、ザインへ飛びかかろうとする。その肩を危ういところでディンゴが押さえ、床へ座らせた。
「おっと、落ち着けよ、爺さん! 確かにちょいとビックリする見ものだが、ザインは水魔術のエキスパートだ。出血多量で患者を死なすようなことにはならねえって」
と、その言葉を裏付けるかのように、血の流れはゼリーのごとく揺れながら固まって止まり、ついで傷の中から、粘ついた音を立てて親指くらいの大きさの赤黒い塊が滑り出た。アイケルの胸元に落ちたそれは、数秒もするとその紡錘形の体をうねらせ、激しく動き始めた。またも辺りからおぞけをふるうような溜息が漏れる。
「うえッ、また、気色悪いのが出てきやがったな!」
ディンゴが口元を押さえながら思わず呟く。ザインは両手を傷の上で合わせ、血を固めて傷口をしっかりと塞いでやった後、大きな手でひょいと赤黒い塊をつまみ上げた。太い人差し指と中指にがっしりと挟まれて、赤黒い物は抜け出せずに尻尾を振り立てている。
「はい、皆さん、ご注目ください……これがこの大騒ぎの元凶、血液が固まらなかった原因です。お分かりになりますか? ……ヒルですよ」
「ヒルだって、体の中に!?」
荷台の隅から、ベラッティが頓狂な声を上げる。周りの冒険者たちも口々に驚きの言葉を吐き、物珍しげに首を伸ばして蠢くヒルの姿を見つめた。
「しかし、一体全体どこでそんなもんに取っつかれたんだ? 湿地だったらともかく、こんな神殿のド真ん中でヒルなんて……道中ヒルの居るような沼地も通ってこなかったし」
「恐らくは、マルノコガザミに襲われた傷が原因です。この点ではママローニ先生の診断も、まんざら間違いではなかったのですがね」
ベラッティの問いに答え、ザインは咳ばらいをひとつすると、指で掴んだヒルを周りにもう一度見せつけてから語り出した。
「カニの甲羅に産卵し、成体になってからは魚の身体にへばりついて寄生する『カニビル』というヒルの一種がいますが、おそらくこいつも似たような生態を持っているのでしょう――カニバチの甲羅に、卵を産み付けるのです。卵から孵ったヒルは、カニバチが襲う獲物のおこぼれをあさりながら成長し、やがてカニバチが狩りの中で死ぬと、より大型の獣へと寄生先を乗り換える。カニバチを逆に撃退するような、強く大きい獣の元へ、ね。
彼はマルノコガザミに襲われた際、その『乗り換え先』に選ばれてしまったわけです」
「で、でも、それと傷が治らねえことと、何の関係があるんだよ?」
未だにうねうねと蠢きつづけるヒルの姿に顔をしかめつつ、ベラッティが口を挟む。ザインは軽く頷くと、指で挟み込んだヒルの身体を裏返し、鋭い牙の生えた口を示してみせた。
「ヒルは牙で宿主の皮膚を食い破った後、生き血を啜るために血液の凝固を妨げる毒を吐き出すと言われています。傷口からの出血が止まらず、傷が塞がらなかったのは、その毒が原因ではないかと」
「そ、そんなバカな!」
腕を振り回しながら叫んだのはママローニだ。皺だらけの顔に埋もれた小さな目は、憎悪と不信を込めてザインの巨体を睨みつけている。
「そんな……そんなものは、わしが傷口を診た時には居なかったぞ! それほど大きなヒルならば、目に留まらぬ筈はなかろうに……」
「ええ、私たちも危うく見落とすところでした」
ザインはあくまで冷静に、穏やかな口調で答える。
「切開しても出血の原因が見当たらないので、かなり焦りましたがね。一度気づいてしまえば何てことはありませんでした。皮膚にメスが入るとヒルはそれを感じ取り、慌てて組織の間に潜り込んで隠れてしまうのですよ。傷を開いても、見つからないはずです」
「そうか、俺が傷を探り針で探った時、患者が苦しみだしたのはそういうワケか。傷ン中をひっかきまわされるんだ、そりゃ痛えわな」
ディンゴが腑に落ちたような顔で頷く。ザインは頷き返すと、今やしっかりと塞がった傷口に視線を移した。
「先ほど、ディンゴが『光のメス』を傷口の近くで灯した時、中の組織が動く感触があったんです。妙な具合でした……血管や筋肉の走行とはまるで関係ない部位が、独立して動いていた。それで「中に別の生き物がいる」とピンと来たんです。
それだったら、私の水の魔力で見分けられなかったのも納得がいきます。命ある体の中に命が混じっていたのでは、命の力に阻まれる魔力では探し出せる筈もありません。
で、血が固まらないという症状を考えあわせ、十中八九ヒルであろうという結論を出しました。相手が吸血動物ならば、当然エサである血液の近くに潜んでいるはずです。それで、血液の流れを少しばかり操って、押し出してやったというわけです」
「いや、お見事、お見事」
ぱちぱちと手を叩く音と共に、ウィンゲルが声をかけた。荷車を囲む人垣が揺れ、自然と隊長に注目が集まってゆく。その中でウィンゲル隊長は、まるでこうなることが分かっていたとでも言いたげな落ち着いた声で話し出した。
「そういうことだそうだ、諸君。思えば彼らは我々の仲間を連れて立てこもりなど起こし、我々はそんな彼らをならず者と思い込んで捉えようとした。ちょっとした行き違いのために不幸な争いが起こったわけだ。思えば悲しい事件であった。
だが彼らに敵意がないこと、どころか我々を助けるために来てくれたということは今やこうして証明された。いや、実にめでたい。終わりよければ全てよしということで、この場は収めようではないかね?」
「そりゃ、まあ……隊長がそう言うンなら」
「そうさな、アイケルがこれで助かるってンならなァ」
「ママローニ先生だけに任しといたら、今頃どうなってたか分からねえしな」
ウィンゲル隊長の鶴の一声で、人垣はすっかり緊張を解き、狙撃手もそれぞれ武器を下ろしはじめた。ディンゴは辺りを見回し、やれやれといった顔で息をつく。
「やれやれ、一時はどうなることかと思ったぜ。何だか、最後の最後でおいしいとこかっさらわれたような具合だなァ」
「……まだ、終わりとは言えませんよ、ディンゴ」
ザインは低く呟くと、右手に握り込んでいたヒルを指の力で握りつぶし、無造作に荷台の上へ放り捨てた。まだ何があるというのか、不思議そうに見守るディンゴの前で、ザインはふと屈み込んで何かを拾い上げ、呆然としているママローニの方へ歩み寄った。
目の前に立ちはだかった巨大な影に、ママローニは茫洋とした視線を上げ、覆面に隠された顔を見るともなしに診た。もはや先ほどまでの怒りも燃え尽き、その表情は虚ろだった。スカルキャップからは、先ほどかぶった水がまだぽたぽたとしたたり落ちている。
ザインはそっと腕を突き出し、拾い上げたものを老医師の眼前に差し出した――例の、金色の軟膏が入った薬壺だ。
「これを塗って傷口を閉じていたら、ヒルは出てこられぬまま傷の奥に閉じ込められていたでしょう。出血はヒルが死ぬまで止まらず、やがて死骸となったヒルは腐敗し、毒を体内に撒き散らしていたかもしれない」
「わしは……しかし、知らなんだ。予想もしなかったのだ」
力なくママローニは呟き、壺から目をそらすように顔をうつむけた。しかしザインは尚も続けた。
「予想していなかったのは、私どもも同じです。まさか体内にヒルとはね。危うく、患者の命を危険に晒すところでした。
あなたと比べて私どもに、唯一誇れるところがあるとするなら……予断を持って診察に臨まなかったことでしょうかね。風の魔術を扱う魔物にやられた傷だから、風の魔力が関係する症状に決まっている――そんな思い込みを持たず、出血が続いているという現実だけを見た。銅治派というおとぎ話にも惑わされずに。
だからなんとか、病因を発見できただけのことです」
「『おとぎ話』だと言うのか……まやかしだと? わしの、生涯をかけて究めてきた道を、その一語で切り捨てると?」
ママローニの言葉からは既に棘が落ち、あるのは哀れっぽい懇願のような調子だけになっていた。肩はすっかりすぼまり、ただでさえ小さな背丈がさらに半分ほどにも縮んで見えた。それでもザインは、語調を緩めなかった。
「あなたは確かに、ある分野においては優れた医師なのでしょう。縫合の痕からも分かります。また、かつて古い学問を深く修めたことも見て取れます。自分で理論を組み立て、こんな僻地で薬を練り上げるなど、切り傷擦り傷しか診られないそこらの半端医者には出来ないことです。
しかし……ひとたび修めた学問を、あなたは改めようとしなかった。これによって本当に患者が治るのか、省みることがなかった。外の世界で行われている銅治派への批判や反証実験について、知ることがなかった。
私が言うのは僭越に過ぎることかもしれません……が、あえて言わせていただきます。あなたは誤りました」
ザインは静かに言い、相手の手に膏薬壺を握らせた。中の膏薬は炎の熱で変性したのか、金の輝きを保ったまますっかり固まって壺の底にこびりついていた。ママローニはがくりと首を垂れ、膏薬壺を懐にしまった。
「教えてくれ……わしは、どうしたらいい? 今更、どうしろと言うのだ?」
老医師の唇から、弱々しい言葉が漏れた。どことなく返答を期待していないような口調だった。ザインもそれを察したのか、悲しげに首を振るばかりだった。
「私は誰を裁く立場にもありません。私は一介の医者です。ただ、目の前の患者を助けるだけの」




