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第76話 コケ脅しと炎

「それッ、かかれーッ!」


 四方から鬨の声が上がる。軽い革鎧に身を包んだ冒険者たちが、それぞれダガーやら魔導杖やらの得物を手に、一斉に荷車へ手を掛けよじ登ってきた。


「この……なるようになりやがれ!」


 ディンゴはとりあえず手近にあった樽板を振り上げ、体を乗り上げようとしている冒険者の方へ投げつけた。顔面に板が直撃し、2,3人ほどまとめて仰向けに転げ落ちていく。


「おっと、やりすぎちゃいけねえんだった……くそッ、面倒くせえな!」


 舌打ちをする間にも、荷車の反対側から数人がよじ登ろうと這い寄ってくる。慌ててディンゴはとんぼ返りし、ザインのいる風の手術室を避けて反対側へ回った。


「ちょ、ちょっと待った! なあ、あんたらが腹立てる気持ちも分かるけどさ。ちょっとばかり時間をくれねえかな? こっちもちょうど、治療のメドが立ったとこでさ……」


「おのれ、この小僧!」


 荷車の縁にしゃがみ込んで説得に掛かるディンゴをよそに、冒険者たちは荷台の柵に手をかけ、体を乗り上げようとする。荷台に結構な高さがあるために、地面に立ったままでは荷車の中が見えないのだ。うちの一人が柵に片手をかけた状態でぶら下がり、もう片方の手を腰のホルスターに伸ばす。銃を抜く気だ。


「ッたく、気の短い奴らだ!」


 ディンゴはひとまず『光のメス』を振り上げ、相手の顔目掛け打ち払った。ただし、光は拡散させて。魔力の閃光を集中させることで肉体を焼き切る『光のメス』は、絞りを甘くしてやれば投光器がわりになるのである。


「ぐわッ……!」


 目をくらまされ、銃を抜きかけた男がもんどりうって下へ落ちていく。が、その間に別の冒険者が荷台へ足をかけ、腕を広げてディンゴに飛びかかろうとしていた。慌てて右手の魔導杖を振り上げるディンゴだったが、相手の方が早い。覆いかぶさるようにしてその両腕が肩へかかる――


 と見えた瞬間、奥から何やら重いものが転がってきて、冒険者の背にしたたかに当たった。飛びかかって来た冒険者は、飛びかかる勢いに加えて衝突の勢いを受け、そのままの姿勢で床へ打ち倒される。


「あ……!」


「おっと、うっかり転んで、酒樽を転がしちまった……うっかりだからな、うっかり」


 そう言って隅っこからしたりげな笑みを投げてきたのは、樽の間に隠れていたベラッティだった。ディンゴは倒れた冒険者を荷台から転がして落としながら、苦笑いを返す。


「大人しくしてろって言ったのに、しょうがねえな……っと!」


 呟く間にも、また別の側から新手がよじ登りにかかってくる。ディンゴは閃光をまたたかせながらそちらに走ってゆき、光で相手をひるませて追い返してゆく。


(くそッ、しかしキリがねえぞ、これじゃ……どうする!?)


 一瞬のうちに、ディンゴの脳裏で様々な考えが閃光のように弾けては消えた。


(さっきからこいつら、遠くから銃や魔術を撃たねえで荷車に乗り込もうとばかりしてやがる。どうしてだ? ……そうか、『人質』だ。万が一にも人質に当たらねえように、近距離から仕留めようって魂胆なんだな。

 それなら、狙撃を防ぐとかそういう事は考えなくていいわけだ。よじ登ってくる連中だけどうにかすりゃいい……だが、どうする? ザインの奴は何て言ってたっけ……『状況と魔術』がどうとか、だったか? 俺の魔術と言やァ『光のメス』だけだし、これをこの場で使うとしたら……)


「そうか……ッ!」


 ディンゴは不意に身を翻すと、荷台へ手をかける冒険者たちにはもう構わず、ベラッティの隠れている樽の方へと一目散に走った。


「おい、どけ!」


「な、何だよ? 急にどうした!?」


「いいから……ちょっと手伝ってくれ、この樽を持ち上げたいんだ!」


 目を白黒させるベラッティにも構わず、ディンゴは中身の入った酒樽のひとつを選ぶと栓を抜き、両腕をかけて抱え上げようとし始めた。よろよろとたたらを踏みながらも、拳ほど持ち上がったところへベラッティが手を貸し、下から腰で支えるような体勢をとる。


「よ、よし……!」


 そうこうしているうちに、とうとう2,3人の冒険者が荷車の柵を乗り越え、荷台へ足をついた。手に手に魔導杖や拳銃を抜き、構え始める。


「そこまでだ! 仲間を解放して、とっとと降りてもらおう。こっちだって手荒な真似はしたくな……」


「おらッ、喰らえッ!」


 相手のセリフを最後まで聞かずに、ディンゴは体ごと回転させるようにして樽の中の酒をぶちまけ、冒険者たちに浴びせかけた。飛沫が豪雨のように冒険者たちの体を打ち、たじろがせる。勢いあまって大量の酒が、荷台の上へ降りかかって海のように広がった。


「うぶッ……こ、このガキ!」


「ヒトが穏便に事を進めようとしてやってンのに……何しやがる!?」


 一瞬気を呑まれた冒険者たちだったが、すぐさま驚きを怒りに変えてディンゴへと詰め寄る。頭からつま先まで酒でずぶ濡れになった体を拭おうともせず、複数の魔導杖がディンゴの喉元へと向けられた。

 が、ディンゴはたじろぐこともなく、かえって不敵に笑うと空になった樽を下ろし、対抗するように自分の『光のメス』を突き出した。


「おっと、妙な考え起こすんじゃねえぞ。お前らの魔術のウデがどんだけだか知らねえが、火だるまになるより早く俺を撃ち抜けンのかよ?」


「火だるま……?」


 怪訝そうな顔をする冒険者たちに向かい、ディンゴは『メス』の刃を小指の先ほど展開させ、そっと空樽に近づけてみせた。

 たちまち、樽の口から青白い炎がぱっと上がり、一瞬でかき消える。冒険者のひとりがはっとして自分の体に目を移す。


「しまった、酒か!」


「そゆこと……アルコールってのは燃える。医者の先生じゃなくたって、ンなことはみんな知ってるよな。で、おたくら全員、そのアルコールを頭からしたたかにかぶってるとくる。そして俺の手の中には、ご覧の通り、火種だ」


 光の刃を展開させたままの魔導杖を、ディンゴは冒険者たちに向かって威嚇的に振り立てた。冒険者たちはぎくりと肩を震わせ、思わず1,2歩後ずさりする。


「おい、よ、よせ。よく考えてみろ、自分がどれだけの量の酒をぶん撒いたか、分かってるのか? この状況で火を放ったら、荷車ごと火の海になっちまうぞ」


「おお、承知の上よ」


 震え声で交渉にかかる冒険者のひとりに、ディンゴはこともなげに応えて魔導杖をクルリと回した。一同の喉からひッという声が漏れる。


「だから、ヤケドをしたくなかったら荷台から降りろって言ってんだよ。このうえ俺たちに余計な手出しをしようってんなら、俺ァ迷うことなく火を放つぜ」


「こいつ……そんなコケ脅しが通用するとでも!!」


「コケ脅しかどうかは、試してみなきゃ分かんねえんじゃねえかな? どうよ、試してみるか? 試せねえってんなら何のことはねえ、コケ脅しはあんたらって事になるけど」


 含み笑いまで漏らして堂々と言い放ちながら、ディンゴの手のひらにはじっとりと汗がにじんでいた。

 荷車に火を放つなどというのは無論ハッタリだ。この場にいる全員を巻き込むような火災を起こすなど、元よりディンゴの望むところではない。何よりそんなことをすれば自分たちはともかく、動けないアイケルは確実に炎にまかれてしまうだろう。

 しかし、今だけはとにかくそのハッタリを信じ込ませる必要があった。時間を稼がなければならないのだ。


「さあ、さあ、どうするんだよ? 今すぐお前らが視界から消えてくれねえと、俺、自分でも何やらかすか自信が無くなって来たぜ?」


「う、うむ……」


 冒険者たちは力なく唸り、やがて諦めたようにじりじりと後ろへ下がりはじめた――と、その時だった。


「バカ者どもめ、何をしておるかッ!」


 布を引き裂くような声が、荷車内はおろか広間じゅうに轟いた。思わず全員がその場の状況を忘れ、声のした方を見やる。

 叫んだのはママローニだった。額に血管を浮き立たせ、小脇に何やら小さな樽型のものを抱えている。見ると、携行型の魔導泉だ。冒険者が飲料水や生活用水を抽出するのに使う魔道具である。

 そのまま見ていると、何を思ったかママローニは魔導泉を頭上へ逆さに持ち上げた。同時に魔力機構が働き、泉から水がほとばしる。当然その水は、滝のごとくママローニのスカルキャップへと降り注ぎ、ローブから靴の先までをぐっしょりと濡らしていった。


「な、何のつもりだよ、あのジジイ……」


 『光のメス』を危うく取り落としそうになりながら、あんぐり口を開けてディンゴは立ち尽くしていた。その間にママローニは脱兎のごとく駆け、年寄りとは到底思えぬほどの素早さで荷車をよじ登ると、あっと言う間もなくディンゴに詰め寄った。


「この悪童、ごろつき、無法者め! 患者を返さぬか……!」


 枯れ枝のような腕を振りかざし、ママローニはディンゴの胴へ組み付いた。体をよじ登ってディンゴの右腕に取りすがり、魔導杖を奪おうとしてくる。ディンゴは慌てて身をよじり、相手を振り払おうとした。


「おい、こら! バカなことは止せっての……マジで燃やしちまうぞ!」


「ふん、それが何だ……恐れるものか! わしには、何の脅しにもならぬわ!」


「お前が怖くなくたって俺が怖えんだよ! この、放せって! 危ねえだろ!」


 しばらく2人はお互いに罵りあいながら、ひとつの生き物のように絡まり合って激しくもみ合っていた。冒険者たちもベラッティも、遠巻きに2人を取り囲んで口を開けたまま見守る他なかった。ヘタに手を出せば、ディンゴの握る火種が本当に酒に火を点けかねない。

 と、しばらく経ったのち、ベラッティが不意に気づいて叫んだ。


「おい、先生! 火を消せ! あんたの魔力で点けてる火なんだから、自由に消せるだろ!?」


「あ……そうだった!」


 ディンゴは今更ながらに慌てて魔導杖を引き寄せ、魔力の光を消そうとした。

 が、動きが止まったその一瞬、ママローニの脚がディンゴのむこう脛をしたたかに蹴り上げた。ディンゴは一瞬息を詰まらせ、脚をよろけさせる。ぶら下がったママローニの体重がさらにそこへ掛かり、ディンゴはよたよたと覚束ないステップを数歩踏んだ後……ママローニの体ごと思いっきりひっくり返った。


 右手の魔導杖に、炎を灯したまま。


 たちまち『光のメス』が地面に零れたアルコールに点火し、酒の海は火の海へと変わる。ベラッティと冒険者たちは慌てて後ろへ飛びのき、柵から転げ落ちるようにして荷車を降りた。


「うわッ……やっちまった、このジジイ!」


 毒づきながらディンゴは身を起こし、辺りを見回した。炎の舌はみるみるうちに辺りを舐めつくし、今や四方は炎のカーテンに包み込まれていた。そのカーテンのほど近くに、ママローニは転んだままの姿で倒れていた。体をしたたかに打って、にわかには立ち上がれずにいるらしい。水をかぶって来たおかげか、炎に身を焦がされてはいなかった。

 ディンゴは一瞬迷ったのち、素早く両腕を突き出してママローニのローブを掴み、荷車の中心に向かって引きずっていった。狭い荷車の上では気休めにしかならないが、これで炎から幾分か遠ざかれる。ママローニは苦しい息の下で、駄々をこねるように両腕を振り回し抵抗する。


「放せ、放さんか、無礼者め……」


「うるせえや、この耄碌ジジイ」


 こちらも息を切らしながら、ディンゴは歯ぎしりと共に応える。


「ここまでするつもりはなかったんだよ、こん畜生! どうしてくれんだ、大火事じゃねえかよ!」


「何を、わしのせいだと言うのか! 自分で火をつけておいて!」


「だァから、脅すだけのつもりだったんだって! それをてめえが飛びかかってきて……」


 益体もない言い合いを続ける間にも、炎は燃え広がってゆく。隅に積まれていた酒樽の残りにまで火が入り、立て続けに火柱を上げる。ディンゴとママローニは思わず首をすくめ、震えながら顔を見合わせた。


 と、その時だった。


「ゲム=エルアゲメト、情け篤き神霊、今我ら哀れみてその涙、その命降らせん……」


 低く呟く声が聞こえたかと思うと、あたりの空気がにわかにすうッと冷えてゆき、次の瞬間には、ぱらぱらと水の粒が降り始めた。

 砂を撒いた程度だった水の粒は、次第に大きさと勢いを増してゆき、とうとう猛烈な雨となって荷車の上へ降り注いだ。ディンゴとママローニは雨の勢いに押され、荷台に這いつくばる。勢いに押されるのは炎も同じで、荷車を飲み込むかと思われた炎はみるみるうちに小さくなり、ものの数呼吸のうちにはぶすぶすとくすぶる煙を残すのみとなっていた。


「……まあ、及第点というところではありますがね、ディンゴ。しかし本当に火をつけてしまうのはいささかやりすぎですよ。減点対象です」


 ザインはそう言って覆面の奥で笑顔を作り、天に伸ばした腕をゆっくりと下ろした。その肌には、先ほど雨を呼んだ魔術に使われた契約印が、魔力の残滓により未だ強く輝いていた。


「何にしても、ありがとうございます。お陰で時間が稼げました。アイケルさんの『症状』の正体も分かりましたよ」

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