第66話 いくつかの後悔
「う……ウソだろ……!」
ようやく起き上がったアンジーも、それを目にして立ちすくむ。バーティは胴体を支点にぶら下がるような形で、鋼鉄の槍に貫かれていた。思わずアンジーは床を蹴り、兄の方へ駆けよろうとした。その足元へ、先ほど噴き出してきたグロブスターの欠片が這い寄る。
「待ちなさいッ!」
ユノーの声が飛ぶ。倒れた体を右腕で起こし、左腕を突き出して風の魔力を真っ直ぐ撃ちだした。アンジーの脚を絡め取ろうとしていたグロブスターの触腕は、魔力に弾かれて震えながら脇へ退く。
「自分からグロブスターの中へ入っていくなんて……死にたいの!?」
叫ぶユノーの声はかすれている。両腕の契約印に灯る魔力の光の明滅も不規則になり、腕はおこりにかかったように震えている。契約印から放たれる古代魔術は、魔道具を介さずに肉体そのものを媒介として魔力を扱う。使い続ければその負担は直接肉体へ掛かってくるのだ。
「これ以上の力を使ったら、あたしだって保たないわよッ!」
「だけど……兄貴が、兄貴がァ!」
アンジーが涙声で叫びながら振り返る。助けを求めようにも、ユノーは立ち上がることもできずに寝ころんだまま。ディンゴはシャイクスをかばいながら、力なく這い寄ってくるグロブスターの破片を踏みつぶして回っていた。が、それもはかない抵抗だった。本体のグロブスターは壁となって一行を取り囲み、押し包もうとしていた。
「ユノーっ! ディンゴ! 無事かァーッ!」
壁の向こうからキャラバの声が響く。半透明な肉壁を透かして、コヴがたいまつを狂ったように振り立てているのも見える。熱でグロブスターの身体を押しのけて壁の向こうへ行こうというのだ――が、敵はあまりにも大きい。少しかき分けたと思ったら、また新手が波のように押し寄せてくる。
「畜生ッ……なんとか堪えろ、なんとか……!」
キャラバの悲痛な叫びだけが、グロブスターの立てる粘液の音をかき消して部屋中に響き渡っていた。その声を聞き、ぐったりと瞑目していたバーティがうっすらと瞼を開いた。帽子の下でそっと上げた視線が、こちらを見つめているアンジーに気づく。
「く……来るんじゃ、ねえッ……」
バーティは喉の底から声を絞り出した。と、途端ににじみ出てきた血へどに口を塞がれ、弱々しい音を立てて咳き込む。唇の端から黒ずんだ血をひと筋吐き出しながらも、バーティは身体を貫いた槍にかえってすがりつくようにして、ゆっくりと身を起こしていった。
「兄貴!? 何してンだよ……止めてくれよォッ!」
アンジーの悲鳴が空気を引き裂く。
「バカ野郎! 動くんじゃねえッ!」
グロブスターの向こう側から、キャラバも喚きたてた。バーティは苦い笑みを浮かべた――いくら怒り狂おうと、壁の向こう側にいるキャラバにはどうしようもない。
「医者の処方にゃ逆らうが、勘弁してくれよな、先生……!」
低く呟くと、バーティの右手に握られた魔導杖に再び魔力が集まり始めた。弱々しい光が次第しだいに集まってゆき、力強い閃光へと変わる。帽子の下の顔は蒼白となり、貫かれた腹からは新たにまたひと筋の血の河が床へと流れだす。しかしバーティは、魔力を高ぶらせ続けた。
「やめろォーッ!」
悲鳴にも似たキャラバの絶叫が、石造りの部屋を揺るがした。その声に応えるかのごとくに、バーティは歯をこぼして笑うと、魔導杖を前に向けて突き出した。
それほど速い動きではなかった――擦り減った命を丁寧にかき集め、残らず固めて放とうかというような、慎重な動きであった。突き出された魔導杖の先端で魔力が一瞬還流したのち、怒涛のごとくほとばしり出た。
空気がどうッと鳴るほどの勢いで、巨大な魔力の塊が肉壁に向かって突き進む。壁面にぶつかると、空気の塊はゼリー状の表面に突き刺さって魔力のスパークを散らした。肉体をえぐられる苦痛に、グロブスターは周囲の肉を盛り上げて抵抗する。が、鋼鉄の硬さを備えた空気の槍は、肉の海を押しのけて着実に内部へと食い込んでいった。
そしてその向かう先には、魔力の光に照らされてくろぐろと浮かび上がる2本の細長いシルエット。キャラバとディンゴの魔導杖だ。
「うおォ……おらああァッ!」
濁った叫び声を上げ、バーティは最期の魔力を振り絞った。ぶじゅッ、と肉の爆ぜる音が響き、空気の槍がねじり込まれてゆく。赤黒いゼリーの中にくっきりと、透明な道がえぐられてゆくのが見える。やがてその先端は、2本の杖に届き――次の瞬間、弾丸のような勢いで反対側へと押し出した!
肉のちぎれる音とともに、粘液まみれの杖が宙へ放り出される。同時に空気の槍は魔力を失って消滅し、グロブスターの体内に描かれていた空洞も潰れて塞がる。
バーティの腕が垂れ、手にした魔導杖が落ちた。空虚な金属音を上げて床に転がった鎖には、既に魔力の光の欠片すらない。バーティは己の身体を貫いた槍に身を任せるかのようにして、ぐったりとうなだれた。その表情は、黒帽子に覆い隠されて見えなかった。
「兄貴……そんな……!?」
膝からくずおれ、コヴは涙声で呟いた――と、その声が喉の奥で止まる。
魔力を扱えぬコヴにも、それはありありと感じられた。炎――いや、それよりも遥かに重い存在感を備えた、煮えたぎる鉄のような気配だ。思わず弾かれたように顔を上げると、そこにはリオンナード・キャラバがいた。
キャラバは火の出るような瞳でバーティの方を睨みつけながら、床へ向かって手を伸ばした。バーティが魔術で押し出し、グロブスターの肉体を突き破って壁の向こう側へ届けた、魔導杖の方へ。とうとう杖はキャラバの元に戻ったのだ。
「くそ野郎が……!」
低く唸り、キャラバは粘液に塗れた魔導杖を握る。噴き出した炎の魔力が、軽い炸裂音を伴って一瞬のうちに粘液を蒸発させる。魔力は杖の先端へ集まり、みるみるうちにひと抱えほどの火球を灯してゆく。
「おい、おい……ありゃあヤベえぞっ!」
ディンゴが声を上げる。魔導杖の先端から強力な炎の魔力を噴出させる『噴火』の魔術がキャラバの得意技だ。しかし……今回は、あのキャラバにしても魔力が巨大すぎる。グロブスターの壁を挟んでなお、物理的な重量感さえ感じさせるその魔力。同じ炎の魔導士として、ディンゴは敏感にその危険を感じ取っていた。
「伏せろッ! 目を隠せ!」
ディンゴは叫び、肩で支えていたシャイクスの身体を床へ押し付けた。自分も頭を抱えて地面に這いつくばる。アンジーとユノーも、一時はグロブスターのことさえも忘れて地に伏せた。
それとほぼ同じ瞬間だった。キャラバは光球を灯した魔導杖を高々と頭上に掲げたかと思うと、力任せにそれをグロブスターに向かって振り下ろした。
「……畜生がァーッ!」
たちまち、屋根裏部屋は昼間になった。
魔導杖からほとばしる炎の魔力の激流が、石の壁までを白く明るく照らしだしたのだ。家一軒を飲み込みかねぬほどの炎が、怒涛となってグロブスターの壁面へと叩きつけられた。
魔力同士のせめぎ合いがほんの一瞬火花を吹き上げたが、それもたちまち消えた。圧倒的な炎の力が、反発力ごとグロブスターの魔力を押し返し圧し潰してゆく。悲鳴のような水音を立て、グロブスターはせめて奥へと逃げようとした。
が、ゼリー質の緩慢な動きよりも先にキャラバが魔導杖を翻した。噴火の奔流が竜のごとくに身をくねらせ、部屋いっぱいに広がったグロブスターの身体を舐めつくしてゆく。魔力の炎に焙られるたび、肉の壁は水分を失って萎んでいった。体じゅうから、水蒸気の抜ける笛のような音が響いている。グロブスターの断末魔だ。
「うッ、ウソだろ……こんな簡単に……!」
肉塊の蒸発によって放散する悪臭に咳き込みつつ、コヴは目を見張った。先ほどまでおどろおどろしく蠢きながら聳え立っていた肉の壁が、みるみるうちに消滅してゆく。恐るべきは能力の相性……いや、それを勘案したとしても、この男の魔力は異常だ。
無言のままにキャラバは歯を食いしばり、魔導杖をさらに2,3度振るう。炎の波がよじれてのたうち回り、細かくちぎれて逃げようとしていたグロブスターを執念深く焼き払う。炎を逃れた細片は、石の床の隙間へ流れ落ちて消えていった。既に肉の壁は完全に焼失し、嫌な臭いの黒い煙を放つみじめな焦げ跡ばかりとなっている。
「……畜生ッ」
低く呟いたのを合図に、キャラバは埃でも払うかのように魔導杖を一度だけ振ると、魔力を消して腰の下まで下ろした。
魔力の放出が消えたのを察し、ディンゴたちが恐るおそる顔を上げる。
「……さッすが、おっさんだよな。こういう乱暴なことさせたら天下一品だ」
軽口を叩きながら立ち上がったディンゴに、キャラバは猛然と駆け寄りその肩を掴んだ。汗にまみれたその顔は、魔術の疲労をはっきりと映しながらも怒りの形相を崩さない。
「な、なんだよ、おっさん……」
思わずのけぞって逃げようとするディンゴに、キャラバは叫び声を浴びせかけた。
「何ボーッとしてる! 手伝え、バーティを下ろすんだ!」
「そ、そうだ! 兄貴!」
アンジーがその声を聞きつけて、バネ仕掛けのように立ち上がってバーティの元へ駆け寄る。キャラバも、ディンゴを引きずるようにしながらすぐに駆けつけた。
バーティの身体の下には、ちょっとした血のプールが出来ていた。腹からの出血は激しく、両腕はだらりと力なく垂れさがったままぴくりとも動かない。帽子に隠れて表情までは分からないが、その唇は青黒い色へと変わっていた。
「くそッ……ダメだ、一旦体を抜かなきゃあ、話にならねえ」
キャラバは舌打ちしながらバーティの身体を抱きすくめ、槍の穂先からゆっくりと引き抜いていった。傷口を覆うものは無くなったが、さほど血は流れ出ない――既にそれほど血液を失っているのだ。
穴の開いたバーティの身体を、キャラバは丁寧に石の床へ横たえた。改めて見ると、腹の傷はほとんど体をまっぷたつに引きちぎるようにして開いている。
「おっさん、こりゃあ……」
ディンゴが静かに呟き、アンジーが喉を詰まらせたような声を上げる。が、キャラバはその全てを聞き入れぬかのように、コートの奥からメスを取り出すと、バーティの上着を切り裂き始めた。
「ディンゴ、何してる! お前の『メス』で血管を焼いて血を止めるんだ。魔導杖だったら、拾っておいた」
バーティの上へ屈み込んだまま顔も上げず、キャラバは『光のメス』をディンゴに押してよこした。ディンゴは魔導杖を受け取りながら、哀しみと驚きの半々になったような顔で目をぱちくりさせる。
「けど、おっさん! こいつァもう……」
「言ってるヒマがあったら、早く血を止めろ!」
キャラバは必死にメスを動かしながら叫ぶ。その声に、仮面のように固まったままだったバーティの顔がぴくぴくと動き出した。
「……うるせェな、耳元で怒鳴るのァ勘弁してくれよ、先生……」
「兄貴ッ!」
アンジーとコヴが、跳びあがるようにしてバーティの元へ駆けよる。
「おいおい、マジかよ……」
ディンゴは困惑したかのように額を掻いた。この状態の患者が意識を取り戻すというのは、しろうと軍医として戦場を駆け回ってきた彼の経験に照らし合わせても、そうあることではなかった。
「なんだァ、あんたらまだ、こんなとこにグズグズしてたのか」
ほとんど聞き取れるか聞き取れないかといったかすれ声で、バーティは嗤った。アンジーとコヴの表情が一瞬で凍る。その声音が、何よりもはっきりと伝えていた。それは生きている人間の声ではなかった。
……兄は、バルサトリウス・バッキーは、死ぬのだ。
「逃げちまえばよかったんだ……もう、お前さんがたを止めとける奴はいねえんだぜ」
ぜいぜいと鳴る断末魔の喉で、皮肉な言葉をバーティは吐く。キャラバは傷口を処置する手元から目も離さず、早口に応えた。
「頭の悪い野郎だ、何度言えば分かる? 患者をほっぽり出して逃げ出す医者が、どこの世界にいるッてんだよ」
「……そうか、本気なのかァ」
バーティは何か考え込むかのように呟くと、しばらくして、絶望の響きを込めた笑いを喉から吐き出した。気管のひゅうひゅうと鳴る音が、石壁に跳ね返ってこだました。
「先生の言う通りだぜ……俺はほんとうに、頭の出来が悪ぃ……信じるべき人間をまともに選ぶことも出来なかった。てめェで取り上げた魔導杖のせいで窮地を抜けられず、てめェが外しといた槍にブッ刺さるんだもんな。
人が人を助けることがあるなんて、俺ァ結局最後まで信じられなかった……バカ野郎さ」




