第64話 肉塊の氾濫
「うっ、うう……」
声にならない唸り声が、仰向けに寝転んだシャイクスの喉から漏れた。震える手を挙げ、頭上を指さそうとする。ディンゴたち3人も、つられて天井に目を向けた。
「何だァ? どうかしたのかよ、爺さん?」
不思議そうな顔で問いかけるディンゴに答えたのは、ユノーの引きつった叫びだった。
「見てッ! あそこ!」
ユノーが示したのは、幌のように革布が張られたテントの天井の真ん中だった。平らに張りつめているはずの布が、中心に向かって妙に膨らんでいる。中心には濡れたような黒い染みがぽつんと浮かび――徐々に広がりつつあった。
「おい……冗談だろ!?」
ディンゴが素っ頓狂な声を上げるのと、染みの部分にぶつりと穴が開いたのは、ほぼ同時だった。焦がされたようなコイン大の穴から、ジュルジュルと嫌な音を立てて粘液がしたたり落ちる。一同が顔をしかめる間もあらばこそ、甲高い音とともに布が裂け、破れ目から赤黒い塊が雨のごとく降り注いだ。
「グロブスターだァッ!」
ディンゴが叫び、跳びあがる。金属製の水筒を拾い上げると、まだ水が入っているのも構わず立ち上がりざまに投げつけた。こぼれた水を尾のように引きながら水筒は飛び、粘液の糸を引きながら垂れさがってきていたグロブスターの体にぶち当たって、ひと抱えほどの肉塊をちぎり取っていく。
「潰して、潰してッ! 早くッ!」
後ろでユノーが金切り声を上げた。
「内部の魔力器官がこなごなになるまで細かく潰せば、形を保っていられなくなる!」
「おおッ!」
ディンゴは水筒と共に隅へ落ちたグロブスターの破片に駆け寄り、ブーツを使ってメチャメチャに踏みつぶした。水筒の下敷きになりながらもまだうねうねと蠢いていたグロブスターは、叩きつけられる靴底を力なく避けようとしていたが、やがて動きを止めるとドロリと溶け崩れた。水の肉体を繋ぎ止めていた魔力が消失したのだ。
が、喜んでいる暇はなかった――テントの裂け目から、「新手」がどんどん流れ込んできていたのだ。どろどろと渦を巻きながら、ゼリーがゆっくりと山のように積み上がっていく。巨大な水滴の形をとったグロブスターの塊は、絶えず体を震わしながらじりじりとユノーたちの方へ進んでくる。
「この……近寄らないでよ、気持ち悪いッ!」
ユノーはアンジーとシャイクスの前へかばうように立ち、剥き出しの両腕をゼリーの山に向かって突き出した。白い肌に鮮やかに刻まれた荊模様が、うっすらと若芽色の輝きを帯びる。と、突き出した両腕を中心に、風の塊が見えない盾のように広がってゆく。
近づいてきたグロブスターの一片がその盾に触れると、たちまち白い火花があたりに飛び散り、反発力によってグロブスターの体は後ずさった。ユノーの放った風の魔力とグロブスターの肉体に籠もった水の魔力が、反発作用を起こしたのだ。
「……これで、奴らはこっちへ近づけない。その点は安心してもいいわよ」
額に汗をにじませながら、ユノーはアンジーとシャイクスを振り返る。テントの奥ではディンゴが、空き瓶を振り回してグロブスターを潰しきろうと格闘を続けていた――虚しい努力だ。
「とにかく、今すぐやられるッてわけでないのはいいけどよォ!」
荒い息の下から、ディンゴが声をかけてくる。
「これ以上来られたら、流石にやべえぞ! テントの中でゼリーに溺れ死ぬなんて、笑い話にもなりゃしねえ!」
「それより、もっとマズいことがあるわよ」
魔力を警戒して身を引いたグロブスターの山と睨みあいを続けながら、ユノーは物憂げに応えた。その視線は、重たいゼリーにのしかかられて徐々に歪んでいっている天井へと向けられている。
「このまま荷重が増えていったら、テントそのものがもたない。潰れる……いや、それより先に布が破れるわ。そうなったら、外のグロブスターから私たちを覆い隠してくれるものがなくなる」
「上と外と、ハサミ撃ちかよ! くそォッ!」
少しでもグロブスターをテントから払いのけようと、ガラス瓶で天井を叩きながら、ディンゴは地団太を踏んだ。既に体じゅうが、死んだグロブスターの変化した粘液にまみれてどろどろに濡れている。アンジーはシャイクスと身を寄せ合い、頭を抱えて叫ぶほかなかった。
「何だ……何なんだよ! 何で天井から!? こいつら、どっから湧いて出たんだよォ!」
~ ふたたび、杖を探しに出たキャラバたち一行は…… ~
「どっから湧いて出たんだ、ありゃあッ!」
バーティが絶叫する。その視線の先には、テントが――ふた抱えほどもあるグロブスターの山に覆いかぶされ、今にも潰れそうな革のテントがあった。
キャラバはコヴの掲げたたいまつの明かりを頼りに、テントの上へと目を凝らした。天井から粘液が滴り続けている。テントの上へのしかかったグロブスターは、天井から浸み出してこぼれ落ちたもののようだ。
「まだちょいと、事態を楽観的に考え過ぎてたか……考えてみりゃここらは床も天井も同じ石組みだ。床から出てきたもんが天井から出てこねえとは限らねえし、ここに出てきてるグロブスターが全部だとは限らなかったんだ。
奴らにゃ足がねえから床も天井も関係なく這いまわるし、環境が合えば自分の体をちぎることで際限なく殖え続ける。奴はここにいる肉壁の親父か子供ってとこだろう……そりゃ、エサも足りなくなるわなァ」
「親父ィ! アンジーッ!」
叫び声を上げ、コヴはテントの方へ駆け戻ろうとした。が、その肩をバーティの手が掴む。
「どこへ行く、コヴ……てめえは進め。キャラバ先生を、魔導杖のとこまで送り届けるんだろうが」
「け……けどよ、兄貴! テントが!」
おろおろと声を上げ、テントと兄とを代わるがわる見ているコヴに、バーティは舌打ちしながら平手打ちをくれた。
「しっかりしねえか! こうなった以上、一刻も早く杖を手に入れねえと、それこそ全員ゼリーに溶かされっちまうぞ!」
「だって、兄貴ィ!」
怯えながらもまだ口答えしようとするコヴに、バーティは苛立たしげに首を振ると、掴んだ肩を強引に前へ押し出した。
「いいから、キャラバ先生の方へ行ってろ! ひとまず向こうは、俺が食い止める……!」
「えッ!? 兄貴!?」
振り返ったコヴが聞きとがめる暇もなく、バーティは駆け出した。グロブスターの塊にのしかかられ、今にも潰れそうなテントへ向かって。手にした鎖付き魔導杖に、強い魔力が満たされてゆく。コヴはもう一度叫ぼうとした――が、その前に、前方から怒りのこもった声が響いてくる。
「この……クソッ! いい加減にどかねェか、肉ダンゴめ!」
キャラバが喚き散らしながら、ぶよぶよと震えるゼリーの壁へ蹴りをくれている。べちゃッと湿った音を立ててグロブスターは潰れ、へこむ……が、じきに内側から膨らみ、へこみは修復される。まるっきり無駄骨だ。
「ダメだッ! やっぱり、炎がねえとどうにもならねえッ!」
キャラバは汗みずくの顔で振り向き、コヴに向かって叫んだ。蹴りを放ったブーツにはグロブスターの体液がじっとりと浸みこみ、毛羽だった表面の一部は既に溶けはじめていた。コヴは心細げにテントの方を一瞥すると、ぎゅっと目をつぶってかぶりを振り、意を決してキャラバに向かって歩を進めた。
「待ってろ! 今、道を作ってやる!」
ぶん、と火のついた巻布を振ると、その軌道をトレースするかのようにグロブスターの体が後ろへ退いてゆく。キャラバは頷き、寄って来たコヴの肩を掴んで肉壁の一角を指さした。2本の魔導杖が取り込まれている部分だ。
「ここだ! こいつを取り出せさえすりゃあ……!」
「任せろッ!」
コヴはキャラバに導かれるままに、炎の先を肉壁に向けて焙りはじめた。グロブスターの半透明の体が徐々に曇ってゆき、魔導杖のシルエットが靄の中へ消えてゆく。熱をくわえられて体が変質している証拠だ。グロブスターは苦しげにのたうち、ボコボコと泡立つような音を体の内側から立てた。
「いいぞ……もうちょいだ!」
キャラバはたいまつの傍らに屈み込み、グロブスターが退いたらすぐさま魔導杖を拾い上げる構えだ。その間にも炎はじりじりとゼリーの表面を熱し、固めてゆく――と、その時だった。
白く濁ったゼリーの奥にうっすらと見えていた2本の杖が、ずるん、と奥に吸い込まれた。いや、杖だけではない。濁りそのものが体の奥へと吸い上げられ、グロブスターの表面は再び透明さを取り戻したのだった。
「なッ……!?」
2人が驚く間もなく、肉の壁は前よりいっそう激しく蠕動を始めた。コヴの持つたいまつをぐるっと大回りに避けて、キャラバたちの背後に回る……いや、違う。奴らには別に、目指すものがあるのだ。
「しまった、後ろ……こいつら、バーティを狙う気だ!」
キャラバが叫ぶ。と、その言葉を裏書きするかのように、グロブスターの全体が波を打って蠢きだした。粘りつくようなおぞましい音を上げて床の上を這い、ひとつの奔流のように滑ってゆく。
その目指す先には、魔導杖を掲げて突進するバーティがいた。グロブスターに半ば覆われたテントを目指し、杖に魔力を込めながら走っている。その行く手で、テントがひときわ大きな音を立ててまっぷたつに裂けた。
「アンジー!」
バーティの喉から叫び声が漏れた。半分がた革布を引きはがされ、無残な姿となったテントの奥には、震えながら身をすくませるアンジーとシャイクスがいる。その前に立ちふさがって必死の抵抗を続けているのは、ユノーとディンゴだ。
「この……たかがゼリーが、調子に乗るんじゃねえ!」
バーティは怒りに任せて魔導杖を振った。先端の鎖が空中を薙ぐと、空気の塊が鋼鉄の硬さで凝固し、鎖の動きとともに鋭い音を上げて飛んで行く。空気の刃はものの数秒でグロブスターのてっぺんに着弾し、その先端部分を引きちぎって壁に飛び散らせた。
が、グロブスターはさほど堪えていないようだった。すっぱりと平たく切断された頂点部分がみるみるうちに膨らみ、先ほどと同じ姿を取り戻す。バーティは舌打ちし、再び魔導杖を振りかぶりながらテントを目指し走った。
その後ろから、先ほどまで肉の壁を作っていた巨大な方のグロブスターも怒涛の勢いでバーティを追いかけてゆく。その体に、魔導杖を飲み込んだまま。
「くそッ、俺としたことが……熱を加えすぎたンだ!」
大きな握り拳で自分の頭を叩き、キャラバが毒づいた。
「グロブスターは、変質して『死んだ』組織を自分の奥に呑み込んで、死骸と同じように消化する……その消化作用の流れに、俺の杖まで巻き込まれちまったんだ!」
「ヤバい……ヤバいぞ! 兄貴の魔術は奴に効かねえ! 炎も持ってねえ!」
コヴの顔は今や真っ青になっていた。こうこうと照らすたいまつの炎も、その表情に光を与えてはいない。キャラバは冷や汗のにじんだ顔で頷いた。
「急ぐぞ、バーティを追うんだ! テントも危ねえ!」




