第52話 岩の屋根の虜
キャラバは包帯の下に隠れたペペルの顔へちらと眼をやると、一つ咳ばらいをしてマーレの方へ向き直った。
「あー……で、俺たちゃちょっと患者の診察をやろうと思ってンだがな。見てのとおりこいつはデリケートな患者でなあ。あんまり寄ってたかって診るってのもお気に召さないようなんだ。だから……」
「それで思い出したが、僕もちょっと医療ギルドに頼まれてた書類を書かにゃならないんだった」
マーレは先を引き取って言い、ドアへ向かいながら片目をつぶって見せた。
「ワケありってことは、ひと目見りゃ分かるよ。僕が『知らなかった』で通しゃそれで済む。患者が動けるようになるまでは、とりあえず安心しておいてくれていい」
「済まねえな、エル。恩に着る」
軽く頭を下げるキャラバを振り向きもせず、マーレは後ろ手に手を振って病室を出ていった。
部屋に残った紅蓮獅子団の3人は、誰が言い出すともなくペペルのベッドに歩み寄り、人垣を作るように取り囲んだ。圧されて少々たじろいだペペルに、キャラバは気安げな笑みを見せながら話しはじめた。
「ああ、そう固くならなくってもいい。カネの話はするが、何も無理やり搾り上げてやろうってンじゃないからな。
あんたも大変だろう。追放を食らったんじゃまさかギルドの保険金を受け取るわけにも行かねえし、公には死んだことになってるから、家財なんかも差し押さえられてるだろうしな。搾ったって搾れねえくらい、こっちも分かってらァ。
そこで差し当たってなんだが、まずは第6あたりにでも高飛びして腰を落ち着けてだな、職が見つかったら証文を一筆書いて、少しずつでも返済してくれれば……」
「ちょ、ちょっと待った」
ペペルは包帯の下で意外そうな顔をし、両手のひらをキャラバに向けて言葉を遮った。
「何も俺は、払えないなんて言ってねえぜ。そっちの2人には言ったはずだよ、礼は必ずするって……コール1回5万ゾルだっけか?」
「ああ、正規料金はね……しかし、本気かね? 5万と言ったら大金だが……」
ためらいながら頷くアラムにも構わず、ペペルはベッドの上で居ずまいを正し、口元の包帯をずり上げた。
「それじゃ、水をくれねェか? 金ダライか何かに入れてよ」
「水ゥ?」
思いがけない頼みに、キャラバは不思議そうに片眉を上げながらも、ベッドの横の棚から金ダライを取り出してきた。枕元に置いてあった水差しから水を注ぎ、ペペルに手渡す。ペペルはベッドに腰かけたままそれを受け取り、包帯を押しのけるのに苦心しながら水を口に運んだ。
喉を鳴らして半分ほどを飲み下した後、ペペルは前屈みになって口を開け、両指を下顎にかけて何やらもぞもぞやりだした。舌を突き出し、背を曲げて開いた口をタライの上へ持ってくる。そのうち喉がぐびぐびと鳴りだした。
「おいおい……吐く気か?」
キャラバが心配そうに顔を覗き込んだその時、げっと喉を鳴らしてペペルはタライの中に何かを吐き出した。水が跳ね飛び、吐き出された手のひら大の何物かはストンと水中へ沈んでゆく。
ブラインド越しに差し込んでくる陽光が、水底に沈んだそれをきらめかせた。細い繊維の一本一本が、水の揺らめきと光のゆらめきを格子模様に映し出している――それは、金の糸で織られた握り拳ほどの小袋だった。織り目は粗く、中に入っている小石のようなものが透けて見えている。袋の口は巾着のようにまとめ上げられており、すぼまった部分から一本の金糸が伸びてペペルの口へ繋がっていた。
「いよし、と……ようやく吐き出せたぜ。胃が重たくってもう、仕方なかったんだ」
奥歯に引っかかった金糸を外し、ペペルは満足げに呟いた。キャラバはじめ3人はぽかんと口を開き、タライとペペルの顔とを交互に見比べていた。
「それが、お前の言う、『礼』か?」
アラムが疑わしげに問うと、ペペルはにやりと笑って水の中から金の袋を拾い上げ、巾着の口を開くと、中身を無造作にベッドの上へ空けた。水に濡れた小石が清潔な布団の上へと転がり――たちまち、色とりどりの輝きがあたりに散らばる。
「……すげえ!」
「これは……!」
ディンゴとキャラバも思わず身を乗り出した。陽光の下にさらけ出されたのは、大粒の宝石だ。紅玉碧玉色とりどりに装飾も様々だが、いずれも親指の爪より小さなものはない。
それだけではない。用済みになった袋が放り出されているのに目をつけ、アラムは右手で素早く拾い上げた。しばらく眺めまわし、引っ張って弾性を確かめ、重さを量ってみたのち、アラムは重々しくため息をついて結論を出した。
「こっちも、金無垢だ。この布袋、本物の金糸で出来てる」
「どういうこった? どこでこんなもんを手に入れたんだよ?」
何が何やら分からないといった様子で頭を掻くディンゴに、ペペルは少し面映ゆげな笑みで応えた。
「俺は『黄金の短剣を盗ったのがバレて追放を食らった』とは言ったけどよ……『短剣を奪い返された』とは言わなかったよな。
ホントのところ、どうして追放までされたかって言や、俺が結局奴らに宝を返さず、奴らも俺の持ち物から宝を見つけられなかったからなんだ」
「つまり、これがその『黄金の短剣』とやらの成れの果てだと?」
右手で金糸の袋を弄びながら、アラムが尋ねる。ペペルはゆっくりと頷いた。
「俺の職業は知ってるだろ。合鍵づくり――金属を思いのままの形に変える。短剣を盗み出してから、俺はその力を剣そのものに使ったんだ。
黄金の刀身を引き延ばして糸にし、絡ませて、袋の形を作る。嵌まってた装飾の宝石はその袋の中に入れ、口を縛る。後で取り出せるように糸を奥歯へ繋いどいてから、袋を呑み込んじまう……外からは見えねえし、人体の中に入っちまえば魔力で探査することも出来ねえ。
連中もまさか、よりによって剣を飲み込んで腹ン中に隠すとは思わなかったみたいだ」
つい得意げな口調になるのを隠そうともせず、ペペルは包帯の下でぎこちない笑みを作った。
「それだけの石なら、どれもひと粒何万ゾルかにはなるだろう。あんたらには世話ンなったことだし、半分持ってってくれて構わねえぜ」
と、そこまで言ったところで、ペペルはぎくりとして口をつぐんだ。口を開けて宝石に見とれているディンゴの横で、顔をこわばらせて腕を組むキャラバに気づいたからだ。額には岩を切り出したような皺が深く刻まれ、その眼ときたら空気が音を立てて軋みそうなほどに厳しい。
「こ……これじゃ不満か? それなら……」
言いかけたのを無視するように、キャラバは太い腕を伸ばすと、赤と青の宝玉を1つずつつまみ上げて握った。
「これだけ貰っておく。ひと粒は俺たちの5万ゾル、ひと粒はマーレの診療所の入院料だ。それ以上は受け取らねえ」
「えェ!? 何でまた……」
声を上げかけたディンゴは、肩に重い手のひらが乗るのを感じて振り返った。アラムは険しい目でこちらを見つめ、静かに首を振る。その間にキャラバは宝石を懐へしまうと、ペペルと改めて相対し足を組んで座った。
「元のとおり歩ける身体になったら、すぐにこの階層を離れろ。とりあえず第5大隧道までの便はこっちで手配してやる……外界直通便は目立つし、何より第10からじゃ乗れねえからな。
第5だったら降りる客も多いし、そういう出自の怪しい宝をさばいてくれるようなブローカーにも事欠かねえ。俺もあそこなら、冒険者時代のツテがちっとは利く。
いずれにせよ、そっから先は自分で何とかしろ。急いで竜列車の手配をつけて、大竪穴を出るがいい」
「いやァ、先生、俺は山分けと……」
「料金をいくら取るかってのは、ウチの問題だ。あんたに上げろとも下げろとも意見される謂れはない」
キャラバは断固とした口調で言い、不意にペペルの両肩を強くつかんだ。太い指が右腕の切り口に掛かり、ペペルは思わず低い呻き声を漏らして顔を歪めた。
「いいか、紅蓮獅子団を代表して、団長の俺からあんたに療養法を申し付ける。主治医の命令には従うもんだ、よく聞け。
残った金と宝石を第5でカネに換え、出来る限り急いで外界へ帰れ。寄り道はナシだ。引き返せるときにまっすぐ引き返せ、いいな」
「お、おい……俺は何も……」
目を白黒させながら言い返そうとするペペルに言葉を継がせず、キャラバはドスの利いた声で語り続けた。
「ギルドの指は長い……あんたの思ってるより、はるかにな。高価な財宝をかすめ取られたと知れば、連中はどこまでだって追いかけてくる。バレたら終いだ。
あんた、外に家族がいるんだろう? どれだけ会ってない? よく考えてみることだ――大竪穴の人間はそう親切でもないぞ。穴倉ン中でくたばった『そとびと』がいたとして、そいつの身元を調べて身内に便りを出すなんて気の利いた事、してくれると期待しない方がいい」
ごつい顔をぐっと近づけて凄まれ、ペペルはすっかりすくみ上がって、ただ曖昧に訪台にくるまれた頭を上下させるばかりだった。キャラバは最後にその目をひと睨みしてから、唐突に腕の力をふっと緩め、肩にかけていた手をほどいた。
「ま、病み上がりの人間をそう脅しつけるもんでもねえな。悪かったよ……言った通りに養生すりゃあ、キレイに治って出ていけるんだ。心配しすぎるほどのこたァねえ。
あと付け加えることったら……そうさな、栄養をとれ、運動はしばらく控えろ。失くした腕を意識しすぎるな。それくれェだな」
キャラバは力づけるように豪快な笑みを向け、アラムとまだ宝石を眺めているディンゴの方へ肩をしゃくって見せた。
「さ、行こうぜ。長居は患者を疲れさすだけだ」
「そら、団長もああ仰っている。行こうじゃないかね、少年」
アラムもディンゴを連れて立ち上がり、一度だけ振り返ると、口元にほんの少し笑みを浮かべて右手を振った。ペペルは慌てて体を起こし、もう一度礼を言おうとした――が、その時には、3人は連れ立ち病室のドアをくぐって出ていった後だった。
* * *
「しかし、勿体なかった気もするな……くれるッつってんだから、貰っときゃよかったんだよ。こっちだってカネが余ってるってワケじゃねえんだからさあ」
マーレの診療所を出た後も、ディンゴはぶつくさぼやいていた。キャラバはそちらへ一瞬だけ横目をやったが、その角ばった顔にはむっつりとした無表情がへばりついていた。ディンゴは構わず続ける。
「それとも、ギルドが怖いってことか? 出自がはっきりしねえ宝石が市場に出回ったら、俺たちが目を付けられるとかそういう……」
「ギルドの話だったら、嘘っぱちだよ」
後ろから不意にアラムが口を挟んだ。怪訝そうな顔をするディンゴに、キャラバがひとつため息をついてから説明する。
「空中市場があり、絶大な権力を持つバザールが存在していた昔ならともかく、今のギルドに犯罪者を他の階層まで追いかけていくほどの力はねえ。あいつが所属してたギルドがどれだけのとこなのかは知らねえがな。
あいつに言ったことは、単なる脅しだよ……あいつがこれ以上、冒険に囚われねえようにな」
「冒険に?」
ディンゴはオウム返しに聞き返す。キャラバは歩調を緩め、相手の目を正面から見て話しはじめた。
「失敗したンなら、良いと思っていた――腕を失った挙句に手ぶらで戻って来たってんなら、ただ自分がバカだったで済ませられる。これからの生活にも困るだろうし、無茶を考えるような余裕もなくなるだろう。
だが、奴は宝を持ち帰ってしまった。それだと事情が全然違うんだ。ひとたび自分の手で莫大な財宝を持ち帰ってしまうと、人間は変わる。成功の味はひと舐めで舌を満足させてくれるようなもんじゃねえ。かえって味わえば味わうほど、舌は渇いてゆく……」
「あいつが、また深層へ潜りたがるってのかよ!? まさかァ!」
半ば笑いながら、ディンゴは声を上げた。
「だって、あいつは今度のことで右腕を失くしたんだぜ? 商売道具でもあった、かけがえのない腕を。そんな痛い教訓、そうそう忘れられるもんかよ」
「人というのは、思わず知らず物事を擬人化して捉えてしまうモノでね」
アラムが静かな口調で口を挟んだ。
「挑んだ結果何かを失った時、人は得てしてそれを『教訓』とは捉えない――何か先払いした『代価』のように考える。自分はこれだけのものを失った。これだけ苦労した。これだけ痛い目を見た。だからそろそろその報いがあってもいいはずだ……まるで運命が、コインを渡せば幸運を授けて釣り銭までくれる露天商か何かであるかのようにね。
人は失えば失うほど、その失ったものに固執して分の悪い賭けを続けてしまうものだ」
ひと息に語り、アラムはふと下へ眼を落して苦い笑いを漏らした。ゆっくりと右腕を挙げ、革手袋に包まれた指を動かして見せる。
「そう言えば、ここにも一人居たっけね。片腕失ったくらいじゃ学習しないのがさ」
「……アラム」
キャラバの手が、アラムの左肩にそっと掛かった。アラムは肩に置かれた分厚い手のひらを眼鏡越しに見やり、ほんの少し目を細めてから、照れたようにゆっくりと右腕を降ろした。キャラバは唇を吊り上げて微笑む。
「ま、そう景気の悪い話ばっかりしたって仕方ねえやな。せっかく『紅蓮獅子団』として正規の報酬が入っためでてえ日なんだからよ。
あいつなら大丈夫さ、きっと家族の元へ帰って、それなりに幸せにやるだろう。結構な額の財宝を持ち帰ったわけだし、片腕失ったって大地の魔術は使えるんだからな。
それより、これから街へ買い出しとしゃれこもうぜ! カネが入ったんだし、今日は特別な日だ。贅沢しねえって法はねえだろ?」
「……いい加減にしたまえよ、リオ! 経理担当者として言わせてもらうがね、そういう余裕はないんだよ、ウチには! 大体あのバカげた看板だけでも、いくらしたと思ってるのかね!」
「おいおい、バカげたはねぇだろ、バカげたは……俺が手ずから図案を考えたってのに!」
「……」
騒ぎ立てるキャラバとアラムを先に行かせて、ディンゴは黙って通りを歩いた。ふと顔を上げ、天井を見上げる――大竪穴の中では、頭上に目をやってもそこにあるのは空ではない。光輝く太陽苔をそこかしこにへばりつかせた、重たい岩の天井だ。
ディンゴはこの日初めて、それが重く硬い岩の屋根だと感じ――例えようのない閉塞感を味わった。




