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第9話 狩りのはじまり

 アラムは即座に引き金を引き、クレイジースミスの光り輝く腹目掛けて魔導信号弾を撃ち込んだ。狙いたがわず、弾は渦巻き模様のちょうど真ん中で炸裂し、周囲を一瞬だけ白く塗りつぶす。


 クレイジースミスの集中も乱れ、腹の紋様がふッと消えた。しかし、八本の脚は揺れもしない。閃光弾の刺激に慣れつつあるのだ。同じ手で脅かすことが出来るのは、あと1,2回といったところか。


「とにかく、まずは患者だ。傷の具合は?」


 信号弾を一旦腰のホルスターに収め、代わりに石膏粉の袋を取り出しながら、アラムは橇の方へ走った。肩口を固めていた石膏の塊にはヒビが入り、下からは血が滴ってきている。石膏を砕き、肉を引き裂くほどに強い魔力が鉄の矢を引っ張ったのだ。


 アラムは急いで石膏粉を即席ギプスの上へ振りかけた。粉は雪が降り積もるかのようにギプスの上へ落ち、そのまま溶け込んでヒビの間を埋めた。しかしアラムの顔は晴れなかった。


「魔力で作ったギプスには、魔力の残滓がいくらか滞留しているハズだ。普通だったらそれが他の魔力と反発しあって、相殺してくれるんだが……あのクモ野郎の魔力が遥かに強いせいで、一方的に引っ張られているのか」


「最初に放った魔力は、そんなに強くなかったじゃない! なんでまた急に……」


 ユノーが口をとがらせる。手元は忙しく動き、麻酔剤を追加するために籠手の金属筒を詰め替えている。キャラバは首を伸ばし、クレイジースミスの様子を見守った。大蜘蛛は頭を振り立て、下がった腹部を徐々に持ち上げ始めている。


「あいつめ、狙いを絞って魔力を集中させてやがるんだ。こいつが肩にがっちり食い込んでるのを見越して、これを引き寄せりゃ獲物にありつけると感づいたんだろう。

 こりゃ、革布でくるむなんて方法でどうにかなりそうもないぞ」


 と言う間に、クレイジースミスはもう体勢を立て直していた。渦巻き紋様の光が、渦の中心から徐々に広がってゆく。魔力の放出が始まる。


 そこで前に出たのはユノーだった。籠手を嵌めた両腕を突き出し、指を広げる。まるで見えない壁を作ろうとでもしているかのように――と、その指を伝うようにして風が噴き出し、ゆっくりと渦を巻いて薄く光る魔力の壁を作ってゆく。


 クレイジースミスが放つ「磁力」の帯と、ユノーの作った風魔術の壁は、中空で衝突し激しく火花を散らした。魔力同士の反発作用だ。大蜘蛛は跳ね返って逆流した魔力にのけぞり、足をもつれさせた。高く上げていた腹が床へ落ち、再び渦巻き模様の光が弱まる。


 しかし、反発作用はユノーの方にも襲いかかった。いや、体の小さいユノーの方がその影響は大きかった。ユノーの身体は後ろに跳ね上げられ、数歩先まで飛んで転がった。


「ユノー!」


 真っ先にザインが声を上げ、仰向けに倒れた彼女を助け起こす。ユノーは背中を支えられながらも、うるさげにザインの腕を払おうとした。


「大丈夫よ。ちょっと跳ね飛ばされて、ビックリしただけ……それよりアンタ、橇を放り出して来てんじゃないわよ。バカぢからならアンタが一番なんだから、今のうちに橇を思いっきり曳いて逃げるの!」


 後ろを見ると、クレイジースミスの体は腹部の重さに引きずられてシーソーの要領で宙に持ち上げられていた。鋭い八本の脚が虚しく宙を斬り、迷宮の天井をかすめて火花を散らす。


「お嬢さんの言うとおりだ、ザイン」


 曳き綱の片方を握り、患者2人を乗せた橇を引きずりながら、キャラバはザインとユノーの元へ駆け寄った。ザインは片腕でユノーを引き起こしつつ、もう片方の腕で曳き綱を受け取った。


「ほらっ、そこのアンタも! ボーッとしてないで手伝いなさいよ、仮にも『医者』でしょ!? 患者を死なせたいわけ!?」


 ユノーの檄は、傍で立ち尽くしていた『追いはぎ医者』にまで飛ぶ。あまりに目まぐるしい状況の変化に、赤毛の青年は魔導杖を掲げるのも忘れてただぼんやりと突っ立っていた。


「あ、ああ……」


「ウチのお嬢様の言うとおりだ。若い男ってのは、力仕事を手伝うためにいるんだからね」


 そう言うアラムに引っ張られるようにして、『追いはぎ医者』は橇の後ろに回り、アラムと並んで橇を押しはじめた。


 橇が石の床を滑りだすと同時に、キャラバとザインは曳き綱を持って駆け出す。患者二人を乗せた橇が勢いよく奔り、起き上がろうともがく鉄の蜘蛛をみるみる引き離していく。キャラバは時折後ろを振り返りながら、しゃにむに橇を引いて走った。


「早いとこ逃げなきゃ、厄介なことになる。クモ野郎が矢を引き寄せたのは、何も偶然の気まぐれじゃねえ。恐らくだが、最初から奴はこれを狙ってた……これが奴の『狩り』なんだ」


「どういうこと?」


 ザインの手を離れ、ユノーも一向に並んで走りだす。キャラバは息を切らしながら早口に説明を続けた。


「ひとつ、クレイジースミスは魔力を感知して獲物を探し、襲いかかる。ふたつ、クレイジースミスは「磁力」に似た魔術を使って獲物の体の中の鉄片を引き寄せ、捕らえる。このふたつを単純に足し算して、ついでに『罠』って味付けをしてやりゃいい。


 奴は多分、学習したんだ。この辺りに鉄の矢の罠が仕掛けられてること、つまりここへ来れば定期的に矢を受けた獲物が見つかるってことを。獲物は矢で傷ついて弱っているし、あとはその矢を磁力で引き寄せて、牙にかけるだけって状態だ」


「KeeeKq!」


 キャラバの声をかき消す甲高い吠え声が、後方から飛んできた。大ハンマーの音も道連れに――クレイジースミスが追ってきたのだ。白く輝く腹を威嚇するように高々と上げて。八本の脚が一行との距離をみるみる詰めてゆく。


「くそッ! ダメだ、キャラバ! また血が滲んできた……引っ張られはじめたよ!」


 アラムが荒い息の下から叫んだ。その右手は患者の右肩に置かれ、壊れかかるギプスを魔力でつなぎ合わせようと躍起になっている。が、効果は薄そうだ。


「不味いですね……血圧が下がってきています。矢とギプスのおかげで傷は塞がっていますが、中で破れた血管からは血が流れ続けているんです」


 ザインが曳き綱を握ったまま心配そうな面持ちで振り向く。水魔導士のザインは、全身の契約印を使って水の動き、すなわち血流の状態をつぶさに把握できる。


「この位置ですと、矢は骨も傷つけているでしょう。このまま磁力に引かれつづけたら、骨の損傷もちょっと無視できなくなります。刺し傷は治っても、骨が腐れば一巻の終わりですからね」


 そう言う間にも、クレイジースミスは距離を詰め、最後尾にいるアラムのブーツにまで牙がかかろうかという勢いだ。迫ってくる大顎を靴の底で後ろへ蹴飛ばしながら、アラムが毒づく。


「ダメだ、追いつかれる! ったく、鳥力車なみのスピードだぞ、あの蜘蛛!」


 魔力の源が近づくにつれて「磁力」の影響も強くなり、患者の肩に突き刺さった鉄の矢はビリビリと揺れ動き始めた。患者の息が荒くなり、顔色がみるみる薄れてゆく。ユノーがその様子に気づき、籠手に新しい薬莢を装填した。患者の顔の上で両手を広げると、薄桃色の気体がふわりと漂い、鼻孔から吸入されていく。苦痛に震えていた患者の身体が、徐々に落ち着きを取り戻していく。


「一応、麻酔をかけてみた……苦痛でのたうち回って体力を消耗するのだけは、これで避けられるよ。焼け石に水だろうけど」


「……ちくしょうッ!」


 かすれた叫び声に驚き、アラムとユノーは顔を上げて目を見かわした。と、先ほどまでアラムと並んで橇を押していた『追いはぎ医者』が立ち止まり、魔導杖を手に後ろを向いて仁王立ちしている。


「おい、何を休んでるんだね。早くしないと……」


 呼びかけながら伸ばしたアラムの手を、『追いはぎ医者』は無造作に振り払った。


「あんたら、患者を外へ連れてってやってくれ……俺は残る」


「また、何を言い出すんだね、この人は……」


 取り合わずに無理やり肩を引き戻そうとしかけ、アラムはふと手を止めた。相手の表情にただならぬものを感じ取ったからだ。瞳は後ろから迫る大蜘蛛を決然と睨み、右手の魔導杖には強い光が集まりつつある。


「俺が残って、奴を食い止める。その間にあんたらは患者を外へ連れ出してくれ。頼む」


 言うなり、アラムに二の句を継がせる暇もなく、『追いはぎ医者』は右手の魔導杖をうち振るった。白い光の弧がひらめき、クレイジースミスの振りかざした大顎に当たる。今まさに飛びかかろうとしていた大蜘蛛は、出ばなをくじかれてたたらを踏んだ。


「QwaaaK……!」


 クレイジースミスは低く唸った――が、それだけだった。鈍く光る黒ずんだ大顎は、うっすらと煙を上げる一筋の跡がついたものの、まったくの無傷である。大蜘蛛はすぐに驚きを怒りへと変えた。


「KeeeKq!」


 上体を起こしてのけぞったような姿勢から、一度はひっこめた大顎を勢いよく振り下ろす。『追いはぎ医者』は真横へかわそうとした……が、わずかに間に合わない。大剣ほどもある大顎の一撃が、赤毛の渦巻く頭をかすめた。暗がりの中に、赤黒い液体がさっと飛ぶ。


「Kwa!」


 血の臭いに興奮したのか、クレイジースミスはそのまま一気に距離を詰め、『追いはぎ医者』に覆いかぶさるようにして大顎を伸ばした。左右へ分かれた刃の下に、尖った牙の並ぶ口が見える。


 クモは牙から出す消化液で獲物を溶かし、すすり食らうのが普通だが、クレイジースミスの場合鋼鉄の装甲で表皮が覆われているため、毒腺は退化し消化液を出せなくなっている。代わりに、食物を噛み砕く歯のついた内顎が発達したのである。


「この……クモ公がッ! 食われてたまるかよォ!」


 『追いはぎ医者』は気力を振り絞り、弱まりかけた魔導杖の光をもう一度集中させると、それを蜘蛛の口の中へ思い切り突っ込んだ。拳がノコギリのような内顎の中に差し込まれ、ほとばしる光の刃が大蜘蛛の喉を焼く。


「GRRRRRrrr!!」


 流石にこれは効いた。地獄から響いてくるかのような悲鳴を上げ、クレイジースミスは八本の脚を一度に床へ打ちつけて飛びのいた。その隙に、アラムは『追いはぎ医者』の腕に手をかけ、後ろへ引きずっていった。


「だから、バカなことはやめろと言うんだよ! キミの魔術が効く相手だと思うのかね? 見えないのか、あの外殻が」


 アラムは見るに見かねた様子で叫んだ。


 「光のメス」は、魔力ではなく純粋な光そのものをぶつけて熱エネルギーで焼き切る道具である。だからこそ魔力の効きにくい人体をも、容易に焼き切ることが出来る。だが裏を返せば、純粋にエネルギーで焼き尽くせないものに対しては無力なのである。


 石壁に切れ込みを入れるくらいならまだしも、魔力で作りあげたブ厚い鉄の外殻を溶断するだけの出力など備わっていない。先ほどのように、外殻に覆われていない体内を焼けば多少はダメージを与えられるかもしれないが、あの巨体に対して小さな魔導杖はいかにも心もとない。クレイジースミスは、せいぜい熱いものに触れて少々ひるんだという程度にしか感じていないだろう。


 にも関わらず……大蜘蛛を見据える『追いはぎ医者』の目には、迷いのかけらもなかった。

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