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第10話 それは願望というんだ

「おォい、何をグズグズやってる? 後ろにいねェと思ったら……」


 よく徹る声が背後から飛んできた。先行していたキャラバが、踵を返してこちらへやってくる。アラムはふッと息をつき、今一度口を開いた。


「ほら、ウチの大将も見かねてお迎えに来た。何をトチ狂ったのか知らないが、命あっての物種だ。さ、早くこっちへ……」


 差し出されたアラムの手を、『追いはぎ医者』は再び振り払った。


「言っただろ、あんたらは患者を連れて早く外へ。俺なら大丈夫だ。『メス』で斬れねえにしろ、時間稼ぎくらいなら出来る」


「大丈夫なワケがないだろう! 何だってそんなに死にたがる!?」


「それ以外に、ねェだろうが!」


 絞り出すような叫び声に、アラムは思わず息を呑んだ。相手の表情には鬼気迫るものがあった。「光のメス」を握った右手の甲には骨の形が浮き出し、かすかに震えている。


「こんなことになったのは俺の責任だ。俺がダラダラしてなけりゃ、あのクモ野郎と出くわすこともなく遺跡から出られてたんだ。患者をみすみす危険に晒した……なら、ケジメは俺自身がつける」


 悲壮なほどに力のこもった目に、アラムもそれ以上何も言えず、ただ右手をうろうろと宙にさまよわせるだけだった。『追いはぎ医者』はそんなアラムを後ろへ押しのけるようにして立ち、「光のメス」を高く構えた――その時だった。


「だから、なァにを遊んでンだ!」


 太い声が響いた。反射的に振り向いた『追いはぎ医者』の顔面に、おおきな拳骨がめりこむ。どちらかと言えば細身の体が、紙人形のように吹っ飛んだ。


「リオ!」


 アラムは驚きと呆れのないまぜになった声を上げた。キャラバが橇を放り出し引返してきて、『追いはぎ医者』を後ろからぶん殴ったのである。数歩ぶん宙を飛び、さらに数歩ぶんほど床を転がった『追いはぎ医者』は、床に突っ伏したまま弱々しい呻き声を上げた。


「まったく、このクソ忙しい時に、ガチャガチャお喋りしやがってよ……こっちはお前ェが必要だから呼んでんだ。とっとと来いってンだよ」


「……いや、あのさ、リオ」


 アラムが静かな声で口を挟む。


「必要かどうかは知らないけどね、少なくとも私の考えじゃ、呼ばれても行くに行けないだろうと思うんだ……蜘蛛に喰われちゃったらさ」


「あァん?」


 言われてキャラバは前を見た――なるほど、『追いはぎ医者』が殴り飛ばされて転がった場所は、クレイジースミスのちょうど真正面。牙を振り下ろしてお召し上がりくださいと言わんばかりの場所であった。


「ああ……やべェな。やっちまった」


 キャラバはぽつりと呟くと、慌てて自分が殴り飛ばした男の元へ飛んでいった。

 クレイジースミスは剣のような前足を2本高々と掲げ、倒れた『追いはぎ医者』に致命的な一撃を加えようと振りかぶっている――その一撃が振り下ろされるその瞬間、キャラバの大きな手が『追いはぎ医者』の足首を掴んだ。


「悪かったな、若いの! さっきも言ったが、お前の手が要るんだ!」


 叫ぶなりキャラバは、そのまま『追いはぎ医者』の足を引っつかんで駆け出した。クレイジースミスの前足が空を切って通路の敷石に深々とめり込む。石の砕ける音が通路に響き渡ったが、キャラバは振り向かなかった。足を止めれば大蜘蛛に追いつかれる。

 ついでに、逆さ吊りになって石葺きの通路を引き回される格好になった『追いはぎ医者』の悲鳴と不平も聞こえたが、それもキャラバは無視した。


「ああ、もう! 何を考えているんだね、リオ」


 アラムが後ろから追いつき、苛立たしげに声をかける。


「橇を引いていたはずじゃなかったのかね? 患者を早く運び出すのが最優先だろう? どうして引き返してくるのか……」


「あー、それなんだがな、アラム」


 アラムに叱られたキャラバは、いわくありげな表情で額を掻いた。


「なんというか、一旦やめにしようと思うんだわ、逃げるの」


「……何だって?」


 アラムは正気を疑うかのような目をキャラバに向けた。キャラバは慌てて説明を始める。


「考えてもみろ。このまま橇を引いて逃げて、多少の距離を稼いだところで、クモ野郎はすぐに「磁力」を使って矢を引き寄せてくる。患者の肩に刺さった矢が今度動けば、クモの牙にかかるまでもなく患者は一巻の終わりだ。

 どうも出血の具合が想像以上にひどい。腋窩動脈が破れてるらしい。ザインの術も、体の中までは届かねェからな」


 アラムは暗い顔で頷いた。

 人体の持つ「命」の力が魔力と反発しあうため、体内に対して外部から魔術を使うのは至難の業である。外皮の傷からの出血ならばたやすく止められる水の魔術でも、体内に対しては血行を促進したり逆に落ち着かせたりが限度だ。腋窩動脈のような大きな動脈からの出血となると、皮膚の外からでは手の出しようがないのである。


 思えば、『追いはぎ医者』の取った行動はある意味合理的だったのかもしれない――良くない考えだと自覚しつつも、アラムは考えずにおれなかった。

 全員で橇を引いて逃げたところで、クレイジースミスの魔力が届けば少なくとも患者の一人は死ぬ。それを防ぐには、逃げる間だけでも大蜘蛛が魔力を放出しないよう、誰かが抑えているしかない。しかしその「誰か」は、他の全員が患者を運んでいく間、遺跡に残り一人でクレイジースミスと対峙しなければならないのである。

 結局のところ、それは患者の命と引き換えにこの場の誰か一人を生贄として差し出すということに他ならなかった。


「そうシケたツラをするな。だから、方法をガラッと変えるんだ」


 キャラバは言い、にわかに足を速めて先行する橇に追いついた。ザインがキャラバの捨てた曳き綱まで持ち、両手で綱を握って橇を引いている。ユノーも、不承ぶしょうといった顔で後ろから橇を押していた。


「ザイン! 止まれ! 作戦変更だ!」


「キャラバさん!?」


 思いもよらぬ命令に、ザインは覆面の下で目を丸くした。


「何を言ってるんです、ほら、後ろからクレイジースミス……」


「ああ分かってる、だからだよ! 橇を引っ張って律儀に逃げてやるのはもうヤメだ!

 いいか、そもそもやつが俺達を追っかけてこられる理由はだ、この肩にぶっ刺さってる鉄の矢があるからだ。こいつを引き寄せられたら、俺たちは足を止めて患者の命を守らなきゃならない。その間にヤツは距離を詰めて襲ってくる。俺達全員が無事にこの遺跡を出るにゃ、この忌々しい矢を何とかしちまわないといけねえ」


「ええ……つまり?」


 未だキャラバの考えを測りかねて困惑するザインをよそに、キャラバはブーツで橇の縁を踏みつけて止めた。


「止血の準備をしてくれ、ザイン。幸い、ユノーがかけた全身麻酔がまだ効いている。条件はそこまで悪くねえ。

 ここで手術をやるぞ! 矢を引っこ抜いて、傷口を縫合しちまおう!」


「……おいおいおいおい、何を言い出すんだ、リオ」


 アラムが流石に顔色を変え、キャラバに詰め寄る。ザインも覆面の下で明らかに顔をしかめた。


「この、薄暗く埃だらけの環境を差し引くとしても……今手術をするというのは、あまりいい考えとは思えませんね。何より、クレイジースミスはどうします? その間だけ待ってもらう、なんてワケには行きませんよ」


 後ろを見ると、鉄の大蜘蛛は床に刺さった脚を引き抜き、例の鍛冶屋のハンマーを鳴り響かせながら猛進してくるところだった。キャラバは舌打ちし、コートの裏のホルスターから魔導杖を抜きだそうとした――と、その横をすり抜け、小さな影が進み出た。


「どいてッ!」


 叫んで両手を突き出したのは、ユノーだ。籠手の排気口からうっすらと白い煙が漂いだし、糸のようにからまりながらクレイジースミスへと伸びていく。


 脇目もふらず走っていたクレイジースミスは、迫ってくる煙の筋に気づいてふと足を止めた。魔力を感知してものを視る大蜘蛛にとって、風の魔術に乗ってのろのろと進んでくる糸状の煙は、敵とも獲物ともつかぬか細い魔力の塊だった。いぶかしむように大蜘蛛は大顎を上げ、感覚器である腹の紋様を高く掲げた。


「今だッ!」


 ユノーは呟き、手を握ることで籠手のスイッチを押した。内部に仕込まれたバネ仕掛けが働き、火打石が擦りあわされて火花を噴き出す。

 次の瞬間、シュッという軽い音とともに白い糸は紅蓮の炎に変わった。炎の帯はクレイジースミスの目の前で爆ぜ、大蜘蛛は驚いた様子で巨大な頭をふらふらと揺すった。腹の紋様もでたらめに光を明滅させ、混乱を示している。


「可燃性のガスよ……集中してるとこにぶっつけてやったから、ちょっとは驚いたでしょ。

 あたしはキャラバに賛成。もう走るの疲れたんだもの。とっとと手術でもなんでもやって、追いかけっこは終わりにしましょ!」


「簡単に言っちゃって、もう……」


 アラムは一応右手の指輪に魔力を灯しながらも、気の進まぬ様子でぼやいた。


「大体、そんなに簡単に行くもんかね。リオ、いくらあんただって、そうたやすくやっつけられる手術じゃないぞ」


「そうそう、そのためにこいつを連れてきたんだ」


 キャラバは今思い出したといった風に、掴んでいた『追いはぎ医者』の脚を無造作に投げ出した。赤い巻毛をすっかり砂埃まみれにした青年は、口の中で呪いの言葉を呟きながら立ち上がった。


「てめェ、何しやがんだ! 人を荷物みてえに!」


「不平を言ってる場合か、状況を考えろ!」


 『追いはぎ医者』のいかにも尤もな文句を、キャラバは強引にねじ伏せた。


「いいか、こん中で外科が出来るのァ俺とお前しかいねえ。で、今聞いたと思うが患者は今すぐに緊急手術が必要な状況だ。こういう場合、お前はどうする? 患者の命を投げ出して逃げるか? それとも、自分の命を投げ出してさっきみてえにクモ野郎へ向かってくのか?」


「う……」


 詰め寄られ、『追いはぎ医者』はぐっと言葉に詰まった。元々頭ひとつぶんほども上背の高いキャラバだが、凄みを利かせるとさらに体が膨れ上がって見える。


「俺はこれから、全員の命が助かる方法を試してみるつもりだ。それにお前が加われば、成功する確率は上がる。どうするかはお前次第だが……やるってんなら支度しな。予備の道具はそこにある」


 言い捨てると、キャラバはすたすたと橇に歩み寄り、手早く支度を始めた。

 橇の枠を操作すると、荷台がジャッキの要領で持ち上がって簡単な手術台となった。続けてザインとキャラバは、荷物の中からマスクと帽子を取り出す。

 その後ろに、影がひとつ歩み寄ったかと思うと、おもむろに腕を伸ばしマスクを掴み取った。


 キャラバは口の端だけで笑みを作り、黙ったまま肘で相手の――マスクと帽子を黙々とつける『追いはぎ医者』の脇腹を突いた。


「おいおい、いいシーン演出してるとこ悪いんだけどさ。ちょっと待てよ、リオ。あんたとザインがそっちにかかりっきりになっちゃったら、クレイジースミスの方はどうするんだね? そこんとこ、あんたの指示には入ってなかったと思うが」


 すかさずアラムが声をかける。


「あー、なんだ、まあ……」


 キャラバはマスクをつけながら、口の中でもごもごと答えた。


「そこはそれ、ほら、お前らでなんとか時間を稼いでくれ。ユノー、アラム。なァに大丈夫だ、お前らならきっと出来る」


「……そんなのァ指示じゃない。ただの願望っていうんだよ、そういうのは」


 うんざりした顔でアラムは首を振り、左手の人差し指で眼鏡を押し上げると、右腕を高く構えて後ろを見据えた。大蜘蛛はショックから立ち直り、再び腹をこちらに向けて振り立てていた。じきにまた魔力を放ち、矢を引き寄せてくるだろう。


(そうなりゃもう、手術どころじゃないよね……何とかして、奴の集中を削ぎ続けなきゃならない。やれやれ、久々にしんどくなるよ、こりゃ)


 アラムは背中を伝う汗を感じながら、横目でユノーに目くばせを送った。ユノーも籠手の金属筒を入れ替えながら、緊張感のにじむ目で頷く。


「さ、何とかかんとか頑張ろうか、ユノー。うちの男どもはか弱いから、お守りしてやらにゃならんとさ」


「ホント、どうしようもないわよね、アラム」


 目顔で頷き交わすと、ふたりは巨大な蜘蛛の前に立ちふさがって向き合った。

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