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【5】

突然のエルシェ視点。










 エルシェ・ファン・デル・クラウスヴェイクは先々代のクラウスヴェイク公国大公ユドークスの娘である。三人いたユドークスの子のうち、末っ子だ。女性であることもあり、本来なら大公位など回ってくるはずもない存在だった。

 エルシェには二人兄がいて、上の兄は異母兄、下の兄は同母兄だった。同母兄ウィレムとは特に仲が良かったが、別に異母兄アンドリースと不仲だった、というわけでもなかった。


 今から六年前、エルシェが十四歳の時の話である。父ユドークス大公が亡くなり、長兄のアンドリースが大公になるかと言うとき、父の弟ヘンドリックがその大公位を簒奪した。当時、公都城内にいた大公の三人兄弟はヘンドリックに命を狙われたが、次兄ウィレムが文字通り命がけでアンドリースとエルシェの二人を城から逃がした。文字通りの都落ちである。

 公都を出て西のナフテハール地方に出た。そこで一年近く、隠れて過ごした。


 エルシェは異母兄アンドリースに聞いたことがある。大公になりたいか、と。その問いに、アンドリースは首を左右に振ったのだ。


「私には務まらない。私が大公になった時は、大公権限でその地位をウィレムに譲ろうと思っていた」


 優しく、気の弱い兄だった。たぶんそれだけではないのだろうが、少なくとも次兄ウィレムの方が優秀だったのは事実だ。だから、アンドリースがそう思ってしまったのも仕方のない話なのだと思う。

 エルシェ自身も、大公になろうとは思わなかった。だから、二人で相談して、もしヘンドリックがクラウスヴェイクを良く治めてくれるのであれば、それでもいいかもしれない、などと話していたのだ。


 しかし、現実はそこまで優しくはなかった。


 ヘンドリックの治世は暴政を極めた。税金は上がり、なのに肥沃な土地は召し上げられ、少しでも不満をもらせばすぐに刑罰をうけた。悪ければ殺されることもあった。

 国軍は機能せず、治安は悪化し、小さな公国クラウスヴェイクは内乱で消滅しかけていた。

 ヘンドリックのクーデターから一年近くが過ぎたころ、エルシェはついに立ち上がった。もう見ていられなかったのだ。

 大公になりたいと思ったことはないと言ったアンドリースは、反乱に対する反乱など起こせないだろう。そう思ったエルシェは、自分が中心となり、反乱軍を作り上げた。それでも、ヘンドリックが囲う公国軍には数で劣っていた。

 その不利をものともせずエルシェが無事に公都を奪還できたのは、シルフィアのおかげた。彼女の策略の一つとして、エルシェは救国の姫君に仕立て上げられてしまったわけだが、クラウスヴェイクをヘンドリックから解放できたのだから結果オーライなのかもしれないとも思う。

 そうとなれば、アンドリースではなくエルシェが大公になると、誰もが思う。エルシェもそうするしかないかと覚悟を決めていた。

 だが、優しい、気の弱い兄は言った。


「もし、エルシェが大公になりたくないと言うのなら、私がその責を負う」


 みんな、アンドリースがエルシェをファルケンフットに追い出したのだと思っている。しかし、違うのだ。エルシェの方が、アンドリースにすべてを押し付けて国境のファルケンフットに逃げたのだ。ファルケンフットは、亡き次兄ウィレムの領地だった場所だ。

 一度は兄の優しさに甘えて逃げ出したエルシェだが、結局クラウスヴェイクの公都ニーメイエルに戻ってきた。ここまで来ると、これが自分の運命なのだろうと思うしかない。

 ファルケンフットまでヴィルヘルムスがやってきたとき、うれしく思わなかったと言ったらうそになる。エルシェとヴィルヘルムスは仲が良かったし、はっきりと言えば、恋人同士だったのだから。

 しかし、ヴィルヘルムスを置いてエルシェは一人で逃げた。合わせる顔がないと思った。しかし、彼は変わらず、エルシェに優しかった。それが、エルシェには苦しい。


 今日のところは彼を連れまわしたが、これ以降も続けばどこかで思いが決壊してしまうかもしれない。それもあって、エルシェはヴィルヘルムスに別の護衛を頼んだのだ。

 条件も、エルシェにとって都合の良い条件である。おそらく、このアンドリース大公の娘探しには、ドリューネン侯爵が一枚かんでいる。彼の手の者をあえて使うことも考えたが、シルフィアの産み月に入る前に結論を出してしまいたいので、エルシェは短期決戦で行くつもりである。

 と、意気込み、公都に到着した翌日には三人の娘に話を聞きに行こうとしたエルシェだが、朝から朝食の誘いがあった。いや、朝だから朝食なのは当たり前だが。アンドリース大公の二人目の妻、マレイン・ファン・ドリューネンである。名からわかるように、ドリューネン侯爵の娘である。


 マレインはまがうことなき美女である。ストロベリーブロンドのあでやかな髪に、鮮やかな緑の瞳。どちらかと言うと優しげな女性であるが、自分が一番でなければ気が済まないタイプの女性だ。ちなみに、現在二十八歳。

 彼女は間違いなく、エルシェが帰ってくるまではこの城で最高位の女性であった。しかし、エルシェが戻ってきたとなるとその地位も危うい。法規上は『大公の妹』より『大公の妻』の方が地位が上になるが、エルシェが城中の人間に『次期大公』とみなされているのであれば、そのヒエラルキーは成り立たないだろう。

「おはようございます、マレイン様」

「ええ。おはよう」

 『お義姉様』と呼んでも良いところだが、エルシェは兄嫁であったマレインと暮らしたことがない。彼女と会ったことはあるが、それは彼女がアンドリースと結婚する前のことである。

 表面上はにっこりと笑いながらも、エルシェは内心ドキドキである。給仕が仮に椅子を引かれたので、エルシェはそこに座って「ありがとう」と言った。

 目の前に運ばれてくる朝食は豪勢だった。朝からそんなに食べられないエルシェはとりあえずじゃがいものスープに口をつけた。


「おいしい」


 こんなに小さな国の中でも、やはり場所によって味付けが違う。城での食事は懐かしい味がする。

「大公の娘なのに、ろくなものを食べていなかったようね」

 優しげな表情で毒を吐くマレインに、エルシェは冷静に言った。

「おいしいと思うのは自然なことです。まあ、わたくしもしばらく国境で生活していましたし、生まれた時から知っている味を『懐かしい』『おいしい』と思うのは自然なことかと」

 遠回しに『自分は生まれた時から城で暮らしている生まれながらの公女である』という主張だ。遠回しすぎるので伝わらないかもしれないが、それならそれでもよい。エルシェは続いてパンを手に取る。柔らかなパンをちぎり、ゆっくりとかんだ。


「アンドリース様に追い出された癖にのこのこ戻ってくるなんて。さすがにいい度胸をしているわ」


 今なら簡単に大公位が手に入ると思ったんでしょ、とマレインは言うが、少しずれた発言だと思った。まあ、公都奪還当時、マレインは公都にはいなかったので仕方のない話かもしれないのだが。


「確かにファルケンフットの復興を命じられましたが、わたくしは少なくとも自らの意志で出ていきました」


 と、エルシェは微笑んだが、マレインには挑発的な笑みに見えただろう。エルシェが自ら出て行ったのは本当なのだが。


「それと……これは一応忠告ですが。わたくしは、確かに戻ってまいりましたが、請われて戻ったのです。あまり言いふらしますと、問題になるかと」


 脅しのようでもあるが、半分は本当のことだ。エルシェは請われてファルケンフットから戻ってきたのであり、それを『のこのこ戻ってきた』と言いふらせばマレインの立場が悪くなるだろう。城のほとんどの人間が四年前の公都奪還に関わっているし、本当のことを、誰も知らないのだから。おそらく、エルシェが逃げたことを察しているのはシルフィアくらいだろうと思われる。

 マレインは顔をしかめ、しかし、何も言わなかった。エルシェの言うことが事実だからだ。マレインも自己中心的であるが、馬鹿ではない。

「……さすがに自尊心がお強いこと」

「否定は致しません」

 エルシェにも、それなりのプライドはある。

「わたくしは、兄上の子を見つけたらそのままファルケンフットに帰るつもりです。まあ、副宰相が出産を控えているので延期になる可能性はありますが」

 おそらくシルフィアは自分の代わりに政務を取り仕切れる人物として、エルシェを戻したのだ。だから、シルフィアが落ち着くまでは公都に残ることになるだろう。


 しかし、その後はファルケンフットに帰る気満々なエルシェだった。これはまたシルフィアとの駆け引きが行われそうな気配である。

 エルシェは大まじめだったのだが、マレインはばん、とテーブルをたたいて立ち上がった。

「小娘が! そんな言葉にだまされるはずないでしょう!」

 怒鳴り、さらに、大公となって権力をほしいままにする気なんでしょう! という濡れ衣までつけてきた。エルシェは苦笑を浮かべた。

 だが、マレインの言葉もある意味核心をついているのだと思う。エルシェはこのままずるずると公都に居続ける可能性もあるから。

 大公が亡くなった場合、大公の妻は実家に帰るか、俗世を離れるか、はたまた離宮で暮らすかとなる。どちらにしろ、城を離れることになる。

 大公の死後三か月ほどは大公の妻は妊娠しているかもしれない、ということで城に留め置かれる。マレインは、そろそろその三か月が過ぎようとしていた。

 なので、マレインはこのまま城にいられなくなる可能性が高い。エルシェが大公になろうが、他の誰かが大公になろうが、マレインは先の大公の妻として、おそらく離宮に移ることになるだろう。まあ、そこでも不自由はしないだろうが。

「どうとらえてくださっても結構です。ですが、一つだけ。わたくしはマレイン様と敵対するつもりはありませんのでご安心ください」

 目を細めて微笑んだエルシェは立ち上がり、一礼する。

「ではわたくしはこれで。朝食、おいしかったですわ。御馳走様でした」

「え、ええ」

 あっさりと退出するエルシェに、マレインが目を白黒させる。行動が唐突に思えたのだろう。だが、エルシェは本当に彼女と敵対するつもりがなく、かといってこれ以上話をする気にも慣れないだけだ。

 マレインが使っている大公妃の部屋を出たエルシェに、誰かが急速に駆け寄ってきた。


「あああああっ。いたっ。朝からどこに行ってたんですか、エルシェ様!」

「あら、おはようヨナス」


 エルシェは駆け寄ってきた青年を見てにっこり微笑んで言った。やや乱れた癖のある褐色の髪を撫でつけ、ヨナスは敬礼した。

「おはようございます! 本日からエルシェ様の護衛を務めます、ハーレン将軍配下のヨナス・クラーセンです! よろしくお願いいたします」

「ええ。こちらこそお願いね、ヨナス」

 エルシェと同じく四年の間にだいぶ大人びたが、まだくりっとした青い瞳が子犬的な印象を与えてくる。


 公都奪還の決起当時、エルシェは十六歳だった。その彼女より年下だった、最年少が彼、ヨナス・クラーセンである。彼は貴族階級ではなく、両親はどちらも騎士の家系の出だ。中級層、と言えばいいのだろうか。

 当時十四歳だった彼も、すでに十八歳。女性にしてはやや長身であるエルシェよりも小柄だった彼は、エルシェより大きくなっていた。時の流れを感じる。ヴィルヘルムスたちも、エルシェを見てこんな気持ちだったのだろうか。まあ、エルシェは身長はさほど変わっていないけど。

「さて、エルシェ様。どちらに行かれますか?」

「そうねえ。まずは、エフェリーンさんのところに行ってみましょうか」

 エルシェはそう言って、城に滞在しているはずのエフェリーンに先触れを出すように命じた。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


本人と回りでは認識が違うと言うやつです。


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