第三章 夏泉の作戦(3)
「……起きてる?」
龍時はぼやけた意識の中、電話から響いてくる声に耳を傾ける。それと同時に、龍時は時計を見て時間を確認した。
「……まだ朝の八時だ。今日は寝ると昨日言っただろ」
夏泉は前日にも龍時の部屋に押し入り、一人楽しげに話をして帰っていた。一緒に吊り橋に行ってから、夏泉の龍時に対するアプローチが増していることは間違いなかった。
「それがね、ちょっと付き合ってほしいところがあるの」
「……またかよ」
先日の似たような一件を思い出しながら、龍時はため息をつく。何よりも唐突な話が夏泉には多いのだ。
「他に一緒に行ってくれる奴はいないのか?俺は別に夏泉の付き人でもなければ彼氏でもない」
龍時は何気なくそう言って、面倒臭いということを遠回しに伝える。しかし、夏泉はそれに取り合わないどころか少し声を荒げた。
「そんな人いないよ!…….だからいいでしょ?」
「いないって可哀想だな」
「……そうね」
龍時は自分のことを棚に上げ、また夏泉の想いを汲み取ることもなくそう答える。ただ、龍時がそんな勘違いをしていても、夏泉はその間違いを訂正することなく認めた。
「……また今度な」
龍時はそう言うと一方的に電話を切る。しかしそれと同時に、龍時は仕方なく起き上がって準備をし始めた。夏泉は絶対に来る。龍時は何故かそう確信していたのだ。
案の定、夏泉はそれから一時間ほど経った頃に龍時の前に現れた。ただ、夏泉も少しは龍時に配慮していたようで、インターホンを一度だけ鳴らして龍時が出てくるのを待っていた。
「いつも勝手に上がり込んでくるじゃないか」
龍時はパソコン前から玄関まで移動することを面倒に思い、理不尽な文句を夏泉にぶつけた。ただ、今回の夏泉の行動は正しいものである。
「出てくるの早いね。……もう起きてたの?」
「誰が起こしたと思ってるんだ」
龍時はそう夏泉を非難して部屋の中に戻っていく。夏泉もそれについて部屋の中に入った。
今日の夏泉は、紺のジーンズと太ももあたりまである黒のダウンジャケットを着ている。ただ、何を着ても龍時には同じに見えていた。
「……それで?今日はどこに用があるんだ?」
龍時はすでに準備を済ませている。夏泉からの誘いは面倒事だと思いながらも、前回の吊り橋は非常に面白かったと龍時は思っていたのだ。
「今日はね、ここらで有名な心霊スポットに行こうかなと思って」
「心霊スポット?」
龍時は胡散臭い言葉に眉をひそめる。龍時はオカルトを信じない人間なのだ。
「そう。それはもう怖いのよ?必ず怪奇現象に出逢えることで有名なの」
「どうせ見間違いだ。人間は思い込むと見えているように錯覚するからな」
龍時も怪奇現象に全く興味がないわけではない。しかし、今の歳になってそれを信じることはなかなか出来ないでいた。
「行けば分かるんじゃない?」
「行くってこんな真っ昼間に起きるものなのか?」
今の時間は朝の九時。怪奇現象に出逢えそうな時間ではない。しかし、夏泉は龍時の問いかけに簡単に答えた。
「龍時はまだまだ理解してないわ。本当の恐怖を、ね」
「……なんだ?昨日オカルト番組でもやってたのか?」
夏泉のよくある言葉に龍時は呆れる。しかし、依然夏泉は本気だった。
「怖がりを克服したいのか?」
龍時は最近の夏泉の行動の傾向からそう尋ねてみる。吊り橋も心霊スポットも怖いという点で共通していたのだ。
「そんなこと言ってー。龍時、実はお化けが怖いんじゃないの?」
夏泉は龍時が話題を逸らしたと感じると、ここぞとばかりに攻めてくる。ただ、夏泉は龍時が本当に怖がっているとは思っていない。夏泉は自分の前回の失態について誤魔化そうとしていただけだった。
吊り橋のことに関しては、夏泉が策士策に溺れた結果となっていたのだ。
「ただなぁ。夏泉は知らないと思うが、俺は出身が田舎だったこともあってよく寺の和尚と話すことがあったんだ。その時に聞いたことだが、面白半分でそういうところに行くのは本当に危ないらしい。
一度目をつけられると、最悪生きている間ずっと取り憑かれることも珍しくないらしい。それでも夏泉は行きたいのか?」
「そっ、そんなの信じるに値しないよ!」
夏泉は恐怖を感じたのか焦った様子を見せる。龍時はそれを見て、夏泉は怖がりなのだということを察した。また同時に、どうして夏泉が龍時の話は信じず、幽霊を信じるのか不思議に思った。
「……俺は別に行ってもいいよ。その代わり、途中で何かがあったとしても俺は何も知らないからな」
「何それ、本当に何かが起こるみたいな言い方して……」
「何も起きないとは限らないじゃないか」
龍時は面白がって夏泉をいじめる。すると、夏泉はだんだんと表情から明るさをなくしていった。
「……その時はまた龍時が助けてくれるよね?」
「また?」
夏泉が弱々しく呟いた言葉を、龍時は不思議に思う。龍時にそんな記憶などなかったのだ。
「と、とにかく行くわ。余裕を見せられるのも今のうちだからね!」
夏泉は何故か怒り気味に言い放つ。龍時には訳が分からなかったものの喧嘩を売られたと認識して、どちらが先に恐怖に怯えるのかという勝負を一人心の中ですることにした。
それから数時間後、二人はとある山奥の一つの建物の前までやってきていた。時間帯的にはまだ昼時。それでも龍時は嫌な雰囲気を全身で感じ取っていた。
昼であるにもかかわらず、周囲は鬱蒼とした木々によって暗い。そのせいなのか地面はぬかるんでおり、気分は良くなかった。
「この建物、結構有名なんだよ。行けば絶対に逢えるって」
「……誰に?」
「幽霊に決まってるじゃない」
夏泉はそう答えて乾いた笑いを見せる。龍時には何故そこまでして強がろうとするのか、その理由が分からなかった。
「……勝手に入ったら怒られるだろう」
龍時は目的地を目の前にして消極的な態度をとる。案の定、夏泉はそれを聞き逃したりはしない。
「やっぱり怖くなってきたのね?良かったじゃない、感情があることを証明できて」
「……別にそんなんじゃない」
「どうしても無理そうだったら諦めて帰る?さすがにいきなりここはきつかった?」
夏泉は龍時の態度が予想外だったからか、調子に乗って攻勢を強める。ただ、龍時は反抗することなく流れに身をまかせることにした。
「別に霊的なことでどうということはない。だが、入るのはやめておこう」
龍時は至って真剣な様子で夏泉に進言する。夏泉はそれに対して硬直した。
「……え、本当に怖かったの?でもほら、折角ここまできたし……」
「確かにその通りだ。埋め合わせはする。だから入るのはやめておこう」
「ちょっと待って、いきなりどうしたの?……何か見えたりした?」
夏泉はそう言って建物の方に視線を向ける。ただ、そこには人気のない三階建ての建物が木々に覆われているだけだった。
「だからそんなんじゃないけど、今思うと必要のないことだろ?そもそもどうして俺を連れてくる?」
「それは……」
夏泉は困った様子で何かを言いたそうにする。しかし、夏泉は開けた口をすぐに閉じ、何かを言ってくることはしなかった。
「……まあ飯くらい食って帰ろう。探せば何か店はあるだろう」
龍時はそう言って来た道に顔を向ける。ここまで言っておけば、夏泉も折れて諦めると龍時は勝手に思い込んでいたのだ。
しかし、龍時のそんな態度に対し、夏泉は予想外の対応を見せることになった。ただ結局のところ、夏泉のわがままである。
「私は行く。嫌ならせめてここで待っててよ。私がもしずっと出てこなかったら、その時はお願い」
「お願いって……」
「とにかく三十分くらいで戻ってくるから」
夏泉はそう言って一人勝手に建物の方へ向かう。そんな夏泉の背中は、誰かを待っているようにしか見えなかった。
「面倒臭いなぁ……」
龍時は観念したように呟くと夏泉の後を追う。言うまでもなく今回のことは、龍時が協力する必要のない事柄である。しかし、人に頼りにされることを新鮮に思った龍時は、今回だけは協力しようと思った。
「……行かないんじゃなかったの?」
「好奇心が湧いただけだ」
龍時は真顔でそう答え、目の前の建物を見据える。そんな龍時の隣では、夏泉が薄ら笑いを浮かべていた。龍時はそれを極力見ないように足を進めた。