番外編:植え付けの常識も時代とともに変わるという話
じゃがいもの育て方は各種野菜の中ではまあまあ簡単なほうで、現在の気候だと1年に2回作れる地域も多い。二度芋というじゃがいもの別名は、九州などで、コメに代わる主食として作って田の不作を乗り越えていた過去の実績から来ている。
じゃがいもは多くの人がご存知の通り、種芋を植え付けて栽培するわけだが、最近、植え方について常識が変わりつつあるのをご存知だろうか?
かつて、じゃがいもとは、種芋にいくつもある芽を活かすべく、種芋を切って植えるのが常識だった。切断面から腐らぬように、草木灰を切り口にまぶしたり、切ってから半日ほど天日干しして切り口を乾かしたり。そうして切って使うことが前提になるので、種芋の大きさもある程度大きなものを用いるのが当たり前だった。
だが、近年風向きが急速に変わりつつある。ピンポン玉ほどの小粒のじゃがいもを、切らずに丸のまま植える。これが新しいトレンドとしてどっと広がったのだ。暇庭も、いつものように切った種芋を植えていたところ、ご近所さんにもう切るのは古いと言われてちょっと恥ずかしかった。摩訶不思議なことに百姓にも野菜の作り方の流行り廃りはあり、ある程度流行りを乗りこなしていけないとカッコ悪いという判定を食らう。まして、従来の切った種芋を植える方法でモグラに種芋を食われたり、土の中で腐ってちっとも採れない、などということがあるとなおさらカッコ悪い。もう察している方もおられるかもしれないが、暇庭は古い方法を漫然と続けてそのとき2年連続でほとんど芋が採れない失敗を繰り返していた。
「小せえの、もう、指の先くれえのやつで良いんだから。丸のまま植えんだよ。でねえとほれ、畝ン中で腐れてナンボも(自分のぶんが)食われねぇがら」
訛りのきつい話し方で新しい方法を熱心に説明するおじさん。このご近所さんは新しいもの好きでアンテナ感度が大変によい。
あらゆる野菜の新しい栽培法を学んできては、自分で試したりしている。うまいくものもそうでないものもあるが、じゃがいも栽培に関しては素晴らしい方法を仕入れてきて、私含めた近所の農家全員を救った。そのおじさんがいなければ暇庭はその年のじゃがいもも食べられずに終わったかもしれない。
「丸のままですね?」
「そ、丸のまま。もうなんぼ小せえクズ芋でも良いんだ。ちゃんと芽ぇ出ればその先は育つから」
それを聞いて、その年の暇庭はホームセンターに第二弾の種芋を買いに行った。水分が抜けて芽も伸び放題の、親指の爪くらいの大きさしかないみすぼらしいキタアカリの種芋を1kg、半信半疑で買って畑に植える。古いやり方で植えた芋たちが腐って息絶え、モグラに食われて消え、と数を減らしていく中で、梅干しのようなしわくちゃな小粒の種芋は芽を出してバンバン成長し始めた。果たして、ちゃんとした種芋を3kg植えた畝のほぼ倍の収量に、暇庭は唖然として、それから、来年はあのおじさんのいうとおりにしよう。と決心した。
そして去年のこと。私はもう大粒の種芋には芽もくれず、安かったとうやのしわくちゃな小粒の種芋を買ってビニールマルチは無しで植えていく。バッチリ芽が出て、勢いよく育ち、7月初旬に早すぎる梅雨明けに戸惑いながら掘り上げると……。
「あーっ、すげー。いい出来だ。」
大きなじゃがいもがゴロゴロ出てくる。全体的には不作の年だったというが、私は平年並みの収量を確保し、今年の2月までは自分ちで採れたじゃがいもを食べて買わなくて済んだのだ。小粒の種芋を丸のまま植える新栽培法は、かくして暇庭家のスタンダードと相成った。小粒の種芋をバカにして種芋をつまんで笑っていた父も、その収量の手堅さに一瞬で手のひらを返した。常識はひっくり返ったのだ。
そういうことが、百姓の世界では不思議とよくある。もしかしたら世界中そうかもしれないが、ある時を境にそれまでの常識が変わるということがあることを、身をもって思い知った。
これからももしかして、なにか常識がひっくり返るようなことがあるかもしれない。慣れぬ方法というのはいささか勇気が要るのだが、そういう時、今までの常識に縛られない頭のやわらかさをもっていたいものだ。
じゃがいもの植え方の革新は、衝撃であるとともに新鮮な学びでもあった。ああいう方向の、目から鱗が落ちるような学びはこれからいくらあっても良いと思う。それについていけるように、頭と心の柔軟性を身に着けたいものである。




