目を伏せる魔女
昔、友人に聞いたことがある。
「なぜ、手袋を付けている?」
友人は、瞬きをひとつすれば、こちらの方を向き、瞳を揺らした。
鉛よりも重たい、その口を開くと、友人は目を伏せた。
ーー「この手は、アタシのものじゃない気がするの」
ーー「汚らわしくて、穢い…誰かを、傷つける手」
友人…『ビアンヴニュ』は静かに呟いた。
手袋を外すと、指先が微かに震えていた。何かに怯えるように、そっと胸元に押し付ける。
ーー「だから、包んでるの」
ーー「誰にも触れないように。アタシ自身にも、見えないように」
それは祈りにも似た防御だったのだと、今になって思う。
己の手が、何かを殺したかもしれない。奪ったかもしれない。
それを、確かめるのが怖いから。
きっと、友人は恐れて、嫌悪して、嘆いているのだろう。
どれほど、自分の手を恐ろしく思っていただろうか……自分の手を切り落としたい、とそう思ったことさえ、あるのだろう。
私には、ビアンヴニュの気持ちがわからない。
自分の手は、自分の手である。他の誰の手ではないと思っている。それは、今も昔も変わらない。
だからこそ、私とビアンヴニュは分かり合えない。
私は、奪ったものを忘れないために、素手で生きている。
ビアンヴニュは、それを見ないために、覆っている。
現実を見ることも大切だと思う。
罪を、自分を見て、時には自覚することが必要であるとビアンヴニュも、ちゃんとわかっている。
わかっているが故に、見ない振りをする。
それを見てしまえば、理解してしまえば、彼女を彼女たらしめる何かが崩壊することを、本能的に理解しているのだろう。
だから、彼女は覆って、隠し続ける。
なんでもない顔をして、笑って。
だからこそ、私は知っている。ビアンヴニュが隠しているのは、ただの手ではないことを。
もっと別の、それこそ、誰かに与えられた罪……
……そういえば、ビアンヴニュの師匠であったあの人はーー
魂に触れることができた。
まさか、ねぇ。
ーーピースが、かちりと音を立てた。
▶▷▶▷
…あの人ーー『ルナティック』の収集癖は凄まじい。禁忌に近い魔法を使ってまで、気に入った者を手元に置きたがる。
痛ぶり、壊し、まるで人形になった魔女を幾人も見てきた。壊れた魔女たちは、彼女に与えられる”それ”を愛だと信じて疑わない。
正しく、それは洗脳である。
何より、厄介なのが彼女が生み出した、固有の魔法…
ーーーmagic that touches the soul
そのままの意味で、魂に触れる魔法。
魂に触れるとは、心を覗くことではない。
感情や記憶を改竄し、思考そのものの流れ、人格そのものを塗り替える行為だ。
…いや、彼女のことだ。他にも何かしらの力はあるだろう。
例えばーー魂を別の器に入れ替える……とかね。
まぁ、魂を勝手に別の器に入れ替えるというのは禁忌だ。
流石の彼女も、禁忌を犯すまい。
……断言は、出来ないが。
彼女の固有の魔法には、他にも厄介な点がある。
例えばーー愛すように命じれば、愛する。壊れても尚、そこに縋る。
狂気の沙汰ではない。壊れて、形が魂が歪んでも、それでも尚、縋り続けるのだ。
愛という名の偶像に。
なんて、哀れなのだろうか。
▷▶▷▶
ビアンヴニュの横顔を見ていると、ルナティックの顔が脳裏にチラつく。
にやにやと、いやらしい顔をしながら、ビアンヴニュに囁き続けている。
ーー「俺のビアンヴニュ」
鳥肌が止まらない。嫌悪である。気色が悪い。さっさと消えて欲しい。
…俺のビアンヴニュ。
そのニュアンスの言葉を、魔女のお茶会で言っていた覚えがある。
▷▶▷▶
魔女のお茶会とは、密かに、されど定期的に行われている何の変哲もないお茶会である。
東西南北、地や天、はたまた地獄や天国から、魔女たちが集まり、魔女狩りについての報告や今後の方針などを話し合う場ではあるが…大抵は、「うちの弟子自慢大会」が行われている。
まぁ、内容は割愛するが…その中でも、滅多に話さない(弟子自慢に興味がなさそうであった)ルナティックはここ数年の間、にやにやと気味の悪い笑みを浮かべながら言っていた。
ーー《”運命”を見つけたんだ!!ああ!》
ーー《俺の、俺の『ファニー』》
最早、一種の狂気であった。あの鬼気を感じさせる形相は、数日も夢に出た。
そんな中、太陽の魔女がルナティックに尋ねた。
ーー「その、ファニーとやらは、何処に居るか?」
なぜ、太陽の魔女がそんな質問をしたかというと、大抵の魔女は弟子を連れて茶会に訪れるからである。
ルナティックは、自慢げ話しているが、一度もそのファニーと呼ばれる哀れな魔女を連れてきたことがない。
それを、不審に思ったのだろう。正直、ファニーという魔女を連れて来られたら攫う自信があるから、あまり会いたくは無いが…
ルナティックは、その質問に一瞬動きを止めると、口が裂けそうなほど大きく歪ませ、にたりと笑いながら言うのだ。
ーー《もう時期、会えるよ》
会える…その言葉の中に、完成するという副音声が聞こえた者が数名居たのだろう。眉間に皺を寄せ、嫌悪感を隠しきれていない魔女が数名見えた。
とは言え、私も似たり寄ったりな顔をしていたと思う。
嫌な予感がする。
その予感が当たらないことを願うばかりではあるが……最近、とあるひとりの魔女が失踪したのだ。
その同時期に、ルナティックが「「スラギッシュ」という魔女を拾った。」とだけ、報告会の時にボソリと呟いていた。
そして、数日後に興奮したような口振りでファニーについて話し始めた。
それは、偶然か?
……失踪した魔女は、退屈の魔女の弟子…名前は、与えられていなかった。
あの子は今、何処にいるのだろうか?
▶▷▶▷
ルナティックの魔法は奇怪で未知なことが多い。
彼女の固有の魔法である”魂に触れる”というのは、私たちの想像の域を出ない。
それ故に、恐ろしいのである。
何を持ってして、触れるというのか。
私には、それが理解知り得ないし、したいとも到底思えなかった。
ただ、あのルナティックの顔だけは、脳裏に焼き付いたまま離れない。
ーー「もう時期、会えるよ」
それが、何を意味しているのか、分からないほど無知ではない。
そして、魔女の茶会に連れてきた『ビアンヴニュ』を見た時ーー確かに、私はそれを理解したのだ。
……その魔法は、感情を、思考を、記憶を、人格を、塗り替えるだけではないのかもしれない。
それこそ、先程も言った通り魂を別の器に入れ替える。
彼女は、禁忌を、犯しているのかもしれない。
そう思った瞬間、背筋がひやりと凍った。
そんなわけないと否定しつつ、私はビアンヴニュを見た。
何処か、人間味のない…そう、まるで人形のように何時までも白いままの肌。
人間にしては、肉付きの薄い体。
本人には自覚がないと思うが、人を模倣したかのような顔の表情。
……私は、とうとう目を伏せた。
そして、何事も無かったように、ビアンヴニュに笑いかけた。
(君は、本当は誰なんだい?)
そんな疑問も、奥歯で噛み殺した。